第3話 わたしの孤独

 わたしが十歳になったのは、ちょうどこの頃のことでした。しかし、いまここで、その時代について端的に説明するのは簡単ではありません。わたしの半生を告白する以上、ここを避けては通れませんが、それでいて二つとない扱いに困る時代なのです。


 この時代には、わたし流に言うならば、二つの解釈があります。それはすなわち、主観的な解釈と、客観的な解釈です。前者は、もしかすると思春期にはありがちかも知れない自己憐憫の物語で、後者は、この際いっさい隠し立てしないで言うと、橙色に染まり切ったとあるアパートの一室についての記憶です。あなたがもし何か聞き及んでいるのだとしたら、それはきっと後者の物語なのでしょう。だけど、上でも約束した通り、このノートでは、わたしの解釈に基づくわたしの半生について書き記したいのです。ですから、以下に続くのは、さしあたり前者の物語についてになります。


 ところで、わたしは行政上の人工出生児、俗にいうに当たります。とある一人の女性による『自分は紛れもない社会の一構成員である』という自覚(あるいは気まぐれ)から、人工胎盤による出産プログラムに彼女の卵子が提供され、結果としてこの世界に生まれ落ちたのがわたしです。すなわち、わたしは生まれながらに親を持たない人間の一人というわけになります。これは、わたしに言わせると、生まれながらの孤独を意味しました。それは、ほとんど完全に近い孤独です。すべての正常な人間──いわゆる自然出生児──は(もしかするとあらゆる動物さえも)、たとえそれがどんなにひどい親であっても、かつては彼の母親と、たしかな肉体的つながりを持っていたはずです。だけど、わたしにはそれがなかった……


 もちろん、現代において、わたしたちの仲間の数は決して少なくありません。実際、同様の境遇を持つ人物に関して、わたしは何人も出会ったことがあります。また、わたしたちの社会は、人工出生児と自然出生児とを、その出自の違いによって差別することを許容しません。ですから、子供たちは生まれの違いにもかかわらず、概ね家庭から引き離されて、市の同じ寄宿学校にて成育され、教育を受けるのです。


 だけど、思春期のわたしには、この社会の言う「出自による公平」が大嘘に感じられました。どれだけ公平と謳われようと、実際のところ、わたしには母親との精神的・肉体的つながりがなかったわけですから(あったのは遺伝的つながりだけです)。想像してみてください、内気で一人がちな思春期の少女が、たとえば長期休暇のたびに、どんなにか辛い思いで寄宿舎に留まったのでしょう?


 そこには、こんなエピソードがございます。


 それは、たとえば、ある夏の日の出来事です。毎年と同じように、我らの学校には、目前まで夏季休暇が迫っておりました。この時期になると、わたしたちは教室の中に、ざっと三種類の人間を発見することができます。すなわち、㈠帰省のときをいまかと心待ちにする者、㈡友人とのしばしの別れを嘆く者、そして、㈢ただただ憂鬱に落ち込む者。もちろん、わたしは三種目の人間に当たりました。埋まらない寂しさをことさら刺激するばかりの夏の到来を、毎年、何度もくり返し呪っていたように思います。また、一種目には遠方に住まいを持つ者、二種目には市に住むいわゆる“通学組”、三種目には寄宿舎のほか居場所のない我々へそなしの仲間が、概ね当てはまりましたから、わたしが「公平」を嘘っぱちだと考えたのも、あながち間違ってはいないのだと、あなたにも理解されるのではないでしょうか。ああ、同じ“寄宿組”でも、こうも違うだなんて!


 ですが、この「格差」は、学校が夏季休暇に入るといっそう浮彫りになりました。朝起きて、寮室の空きになったベッドを眺めたとき。朝食時、空席だらけの食堂に入ったとき、いつも取り合いになるはずの隅の席が空いているからと、試しにそこにちょこんと坐ってみたとき。隅の席から、がらんとした食堂の全景を見渡したとき。一人朝食を食べながら、ひっそりとした食堂のそちこちから、箸と食器とのカチャカチャと擦れ合う音だけが聞こえてきたとき。寮室に帰り、騒がしさの「さ」の字もない、寄宿舎の静かな雰囲気に溺れたとき……云々と、わたしたち“居残り組”は毎日一日中、何もかもが欠落したような、もの悲しい寂寥感と共に、ひと月以上にもなる長い時間を過ごさなくてはならなかったのです。


 そこに救いがあるとするならば、わたしたちには仲間があった、という一点に限られるでしょう。今日ではもっと数が多いのでしょうが、わたしたちの頃でも、おおよそ十人に一人くらいが、へそなしの仲間でした。あそこは現代では珍しいという、昔から続くたいへんな規模を持つ学校ですから、生徒の母数が多く、十人に一人といえども結構な数に上ります。先ほどは「寂寥感」などと言って、ことさら宿舎のがらんどうな様子を描いてしまいましたが、いささか大げさだったのかも知れません。たしかに、わたしの知り得る限りでは、彼らは共通の欠落感を覚えていましたから、仲間同士で連れ立つことで、己れの寂しさを紛らわせていたように思います。


 夏が近づくと、彼らは決まっておじおじとし始め、互いに目配せを開始しました。用もないのに声をかけてみたり、挨拶を交わし合ったりしているうちに、次第に親しくなってゆきます。そして、夏も真ん中くらいになると、まるでお互いが秘密を抱えた共犯者同士であるかのように、彼らは二、三人からなる排他的なグループを形成し、群れ、寂しさという傷を舐め合うようになるのです。彼らは、一般に外部と交わることを嫌いました。ですから、それは傍目からすると、まるで恋人同士の蜜月関係であるかのようにも見られました。彼らは二人(あるいは三人)だけの世界に耽溺してゆき、まったく他人の目さえはばかりません。彼らは白昼堂々と、手を繋いでみせたり、ハグをしたりして、肉体的な交わりの快楽を享受したものでした。


 ですが、この関係は、所詮は余りものの寄せ集めに過ぎません。さっき「共犯者」だと書きましたが、まさしくその通りで、彼らの中で、この交際を破廉恥だと知らない者は一人としてありませんでした。ゆえに、夏の終わりが迫ってくると、多くのグループが決別の窮地に立たされ、新学期が始まる頃には──つまり“帰省組”が宿舎に帰ってくる頃には──、互いに余所余所しくなっているのがほとんどでした。すなわち、この関係が翌年まで持ち越される場合は非常に少なく、次の夏にはまったく別の者同士が、まったく一から、再び親密な関係を築いてゆくのです。


 他方で、わたしはというと、上にも書いた通り、たいへんに内気な少女でしたから、余りもの同士の間でさえうまく打ち解け合うことができなくて、結局は寮室に閉じこもり、一人夏が過ぎ去るのをじっと我慢するほかありませんでした。ですから、わたしにとってこの頃の……いや、あまねく夏はというと、いまでもあの寮室での寂しい経験のことが思い出されます。もしくは、あの夏を連想するような経験をしたとき──すなわち、茹だるような暑さとか、じっとりとして素肌に張り付く肌着の気持ち悪さとか、背中に当たる送風機の作る風とか、水差しから滴る汗に濡れる使い古された勉強机とか、北向きの窓から覗く白と群青とのはっきりとしたコントラストとかを、一度に体感したとき、わたしの心は瞬く間に青春の時分に返り咲き、精神の若々しさが蘇るとともに、あの頃の己れの性格を思い出して、懐かしさと同時に少々あきれてしまいます。あきれといいますと、思春期の頃に味わった孤独感について、わたしはもうほとんど失ってしまったのでしょう(しかし、それはきっと幸福なことです)。


 ともかく、十歳のわたしは夏が心底から嫌いでしたし、何もそれはわたしに限ったことでもない、というお話です。

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