第3話 全ては決定事項

 ディシュタルト公爵城、公爵の執務室。


「父上、どうかお願いです。お考え直しを!」


 ディシュタルト公爵の嫡男フィンセントは、執務椅子に座り淡々と仕事を片付けるディシュタルト公爵に向かって頭を下げていた。


「何を考え直すというのだ」

「そ、それはもちろん後継者の件です! あとは小公爵に任命すると共に結婚するようせまった件についても、ご再考していただきたいのです!」


 早朝から執務室で騒ぎ立てるフィンセントに、ディシュタルト公爵は溜息をついた。後継者を発表する大々的な家門のパーティーから三日。フィンセントはもうずっとこの調子だ。


「何度うったえても変わらん。私の後継者はただひとり、ベネデッタだけだ」


 書類を机に叩きつけ、眼鏡を外す。有無を言わさぬ眼光でフィンセントを貫いた。

 フィンセントは、ディシュタルト公爵の嫡男。嫡男である自分が後継者になるものだと自然とたかを括っていたのだろう。これと言って、光る成績を残したわけでもないのに、だ。彼や、ベネデッタの実父である次男に、早々に後継者の座を明け渡さなくてよかったと、ディシュタルト公爵は心から安堵あんどする。ねばり強く待ち、ディシュタルト公爵家の絶対的君主として尽力じんりょくした結果、ベネデッタという今すぐ公爵位を継いでも恥ずかしくない素晴らしい後継者を育て上げることに成功した。もちろんそこには、彼女のポテンシャルの高さもあるが。

 ある時は亡き父と母、ある時は亡き妻の姿を彷彿ほうふつとさせるベネデッタこそ、後継者にふさわしい。


「一ヶ月後には〝後継者の〟を行う。フィンセントよ、これは決定事項。当主としての命令だ」


 〝後継者の儀〟。ディシュタルト公爵家に代々伝わる儀式、いわゆる戴冠式たいかんしきのようなものである。ディシュタルト公爵家当主が後継者を次期当主として任命する儀式だ。ちなみに、公爵位を受け継ぐ際にも、〝公爵の儀〟が行われる。

 儀式が行われれば、ほかの者が小公爵や公爵の座を奪うことはほぼ不可能になる。そう、小公爵や公爵が事故や病気で亡くなる、殺害される、酌量しゃくりょう余地よちがない大罪を犯したり罪を被せられたりしない限り――。


「私は、父上の長男として、これまで努力してきました。一刻も早く、後継者になるために、一生懸命努力してきたのです。それなのに……まだ22の小娘に小公爵の座を与えるなど……これは私への裏切りです!!!」


 フィンセントは胸の内を悲痛に叫ぶ。突如静まり返った空間に、トン、トン、トン、と不気味な音が反響する。ディシュタルト公爵は、指で机を叩いていたのだ。フィンセントはすぐさま口をつぐむ。


「私が、いつ、貴様に、小公爵の座をやると言った」


 明らかな憤怒。ディシュタルト公爵は、実の息子に向かって殺気を放っていた。圧倒的な存在感を前に、フィンセントは萎縮する。


「貴様が小公爵になれなかったのは、家を継ぐのは嫡男の自分だからと高を括り、何事にも怠慢たいまんした貴様の責任だ。そんなことも分からぬか、愚息ぐそくよ」


 ディシュタルト公爵は重い腰を上げて、フィンセントを睥睨へいげいする。フィンセントが悔しげに唇を噛みしめた時、扉が乱暴に開かれた。


「い、いけません! ご令嬢!」

「お戻りください!」


 騎士や使用人の制止の声を振り切り、執務室に入ってきたのは、ひとりの女性だった。


「お祖父様……! お話がございます!」


 クローディア・フォン・ディシュタルト。19歳。フィンセントの嫡女ちゃくじょであり、公爵家の令嬢。ベネデッタの従姉妹いとこだ。

 ブロンドベージュの髪を派手に巻き、豪奢ごうしゃな髪飾りで彩る。気の強そうなローズクォーツ色の目は、憤懣ふんまんに満ちていた。母譲りの美貌を誇っており、社交界でも人気があるが、いつもベネデッタの影と化してきたあわれな令嬢だ。

 赤一色に染められたプリンセスラインのドレスを纏い、首元や耳元には、平民が一生働いても手に入れられないほどの高価なアクセサリーが輝いていた。


「お前と話すことは何もない。何度話しても結論は変わらぬ。諦めよ」

「お祖父様! ベネデッタに、あのマティルダ公爵家の次男、アトラス様を婿として差し出す真似はおやめください!」


 ディシュタルト公爵は、勘弁かんべんしてくれと言いたげに額を押さえる。

 パーティーの日、ベネデッタを後継者として任命した夜のこと、ディシュタルト公爵は彼女に婚姻を結ぶよう命じた。様々な婿候補を挙げた中、彼女は最終的に、マティルダ公爵家の次男であるアトラス・ティン・マティルダを婿として選んだ。彼女の望み通り、ディシュタルト公爵はマティルダ公爵家に遣いと結婚を申し込む書類、大量のプレゼントを送ったのだ。返事はまだ来ていないが、最近逝去せいきょしたビクトリア第一皇女の陣営の筆頭にいたマティルダ公爵家は、決して断らないとディシュタルト公爵は確信していた。

 しかし、マティルダ公爵家のことではなく、クローディアのことでディシュタルト公爵は頭を抱えていた。ベネデッタを後継者に選出してからというもの、クローディアがストーカーのごとく追いかけ回してくるのだ。ベネデッタにはマティルダの次男はもったいない、自分もマティルダの次男と結婚したい、と。それはもう何度も何度も何度も、訴えてくるのである。


「クローディアよ。ベネデッタお姉様、もしくは小公爵と呼びなさい。既にベネデッタは後継者に任命された身。お前より身分は高い」

「っ……も、申し訳ございません……。ですがお祖父様。どうか私の願いを受け入れてはくださいませんか?」


 ベネデッタと同様、孫娘であるクローディアの切実な頼みに、ディシュタルト公爵は大きく肩を落とす。クローディアは、祖父の態度に僅かな期待を抱いた。

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