第2話 最高の婿候補

 ベネデッタ・フォン・ディシュタルトは、男に目がない。

 カトラン帝国では、有名な話である。見目みめうるわしい男を引き連れたり、逢瀬おうせを重ねたり……彼女の隣にいるのは必ず男性。それも、見た目も地位も品格も全てが備わった上流階級の男性ばかり。数回デートをしただけなのに、男性が本気でベネデッタにれ、婚約や縁談を破談したのも数知れず。ベネデッタに一方的に惚れ込み、人生を狂わされた男性もひとりやふたりではない。

 一度話せば、底なしの沼から抜けられなくなる。大人の色気が溢れ出ているのに、そこにプラスして女神のような神々しさまで漂わせる。触れたいのに、触れられない。なんとか触れるために、必然的に服従ふくじゅうしてしまう。男性陣を骨抜きにするのが、ベネデッタ・フォン・ディシュタルトという女性だ。

 しかしその噂も少し前の話。最近はもっぱら、男性と逢瀬を重ねたり、ベネデッタを巻き込んだ浮気話や破談の話は聞かなくなった。過去の彼女の武勇伝ぶゆうでんは、未だに社交界のみならず帝国中を賑わせているものの、最近は浮いた話がひとつもないため、社交界は「一体ディシュタルトの令嬢に何があったのか」と別の噂で持ち切りだった。

 いくら探ろうと浮いた話がひとつも出てこないのも無理はない。ベネデッタは本当に、男に興味がなくなったのだから。彼女の脳内をめるのは、ただひとり。とある男性だけだ――。


(あの人を手に入れるためには、どうするべきかしら)


 ディシュタルト小公爵、後のディシュタルト公爵に指名された今の状況で、ベネデッタは彼のことだけを考えていた。


出任でまかせを……。興味がなくなったのも今だけです。どうせまた、男を侍らす時が来ます」


 キャサリン・フォン・ディシュタルト。41歳。フィンセントの妻であり、ディシュタルト公爵家の夫人。ベネデッタの伯母おばに当たる。

 ブロンドベージュの髪の髪を後頭部で纏め、上品な緑色のドレスに身を包む麗しい貴婦人。扇子せんすの上からチラリとのぞくグリーンアメジスト色の瞳は、冷ややかだった。

 ベネデッタはキャサリンに、完璧に無視を決め込んだ。自分の相手ではないとでも言いたげな彼女に、キャサリンは激憤げきふんする。


「ちょっとあなたっ! わたくしを無視するなんてっ」

「伯母様。このベネデッタ・フォン・ディシュタルトが、一度興味をなくしたものに対して再熱したことがありますでしょうか?」


 ベネデッタの問いに、キャサリンは反論できず、フィンセントの背に身を隠した。伯母を完璧に負かしたベネデッタに、小さな賞賛の声が上がる。


「私の母である先代公爵夫人も数々の男を手玉に取った女性として名を馳せていた。父である先代公爵とするまではな」


 ベネデッタの独擅場どくせんじょうに上がったディシュタルト公爵。彼の最後の言葉に、ベネデッタは違和感を抱く。


(まさか、)


「ディシュタルトの後継者に任命すると共に、婚姻を結ぶことを命じる」


 囂然ごうぜんたる間、直前で予想していたベネデッタだけが微笑を浮かべていた。内心は、かなり驚いていたが。

 貴族の中では、政略結婚は当たり前。最近では、恋愛結婚も増えてきているが、公爵家の令嬢が恋愛結婚することはまず厳しい。婚約期間や結婚後に愛を育むことはあっても、平民のように愛を育んでから婚約する、結婚するというのは不可能に近いだろう。しかし、見初みそめてから求婚する場合も、運良く好きな人と婚約、結婚できる可能性ももちろんある。

 願ってもいないディシュタルト公爵からの命令に、ベネデッタはほくそ笑んだ。


つつしんでお受けいたします」


 ベネデッタは、こうべれる。彼女があの手この手で結婚をまぬがれようとするだろうと考えていた人々は、度肝どぎもを抜かれた。


「小公爵となったお前に釣り合った婿むこを紹介しよう。最近騎士学校を卒業し見事騎士となったグレンバルト公爵家の三男。アカデミーで好成績を残し、将来は大臣、いいや、宰相さいしょうの地位まで上り詰める可能性があるティーン侯爵家の次男。自身の商会を発展させ、今や帝国と他国の架け橋となるロドンド伯爵家の次男。この辺りはどうか」


 ディシュタルト公爵が挙げた婿候補は、全員が優良物件。これほど条件のいい縁談をことごとく断る令嬢はいないかもしれない。が、ベネデッタは、令嬢の一般常識には当てはまらない。どの婿候補も彼女のお眼鏡にはかなわなかった。遊び相手に選ぶならまだしも、生涯しょうがいを共にする伴侶を選ぶのだから。

 愛孫が無言を貫いていることから、婿候補が気に入らなかったのだと理解したディシュタルト公爵は、何かを思案する。


「ふむ。愛する孫娘の意志を大切にしてやりたいところだが……どうせならあの家の忠義ちゅうぎを見せてもらおうか……。容姿ようしも家柄も申し分ない。浮いた話もないし、品行ひんこう方正ほうせいな青年として知られている。どの令嬢、家門からも評判が良く、縁談が殺到さっとうしているらしい。僅か十代前半で初陣ういじんを迎え、数々の戦争で名を上げ、騎士学校を主席で卒業した令息……」


 ベネデッタは思う。

 やはり自分は、神に愛されているのだろうと。



「マティルダ公爵家の次男は、どうだろうか」



 ベネデッタは満面の笑みを浮かべる。

 彼女の婿候補にとマティルダ公爵家の次男の名が挙がったことに、間はさらに喧騒けんそうに包まれる。


(残念ね。気が済むまでなげいて悲しむといいわ。彼が私の人になるのは、運命なんだから)


 未婚の令嬢たちが嘆き悲しむ。阿鼻あび叫喚きょうかんとなっている空間まで存在する。最後に名前が挙がったマティルダ公爵家の次男は、相当モテるのだ。18歳という結婚適齢期にも関わらず、婚約や結婚の話がひとつもない。彼を手に入れるためならどんなことでもする女が、この帝国には溢れているのだ。だがしかし、その戦いにもようやく決着がつく時がやってきた。マティルダの次男をかけた戦争に参加すらしていない、奇襲きしゅうを仕掛けたベネデッタによって……。


(ごめんなさい。あなたを手に入れる私を、どうか許して。あなたと結婚するための条件が小公爵になることならば、喜んでお祖父様の跡を継ぐわ)


 小公爵になるための条件が結婚だったはずだが、ベネデッタはそれを逆としてとらえたのだ。

 喧々けんけん囂々ごうごうたる間にて、彼女は声を張り上げる。



「私は――」

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