第4話 一興にもならない

 ディシュタルト公爵は窓辺に向かい、亡き公爵夫人ロザリンダが愛した庭園を眺める。そして、一言。


「ならぬ」


 クローディアの頼みを一刀いっとう両断りょうだんする声は、冷酷だった。クローディアは「そんな……」となさけない声をらしながら、その場に腰を抜かした。フィンセントは愛娘である彼女に駆け寄る。


「父上……! クローディアも父上の愛する孫娘でしょう!? 昔からベネデッタばかりを贔屓ひいきして……不公平です!」


 フィンセントの言う通り、ディシュタルト公爵は常にベネデッタを気にかけていた。彼の目には、彼女が不憫ふびんに映ったから。双子の兄と母親を亡くし、父親とは仲が悪い。家族からの愛を必要とする時期に、誰からも愛されなかった哀れなベネデッタ。ディシュタルト公爵は、そんな孫娘を放ってはおけなかった。両親も弟も健在けんざい、家族からは行き過ぎた無償むしょうの愛をささげてもらっているクローディアとは違うのだから。周囲からいくら不公平だと訴えられても構わなかった。それくらい、かしこく、強く、美しい、時として今にも消えてしまいそうなはかない雰囲気を持つベネデッタを愛している。

 ディシュタルト公爵は執務机に戻り、眼鏡をかけ、仕事を再開させる。


「お言葉ですが父上! マティルダ公爵家は、歴史が浅い貴族です。公爵位をたまわったのも僅か20年前のこと。貴族の中で最も古い歴史を持つ我がディシュタルト公爵家とは釣り合いません! 公爵位を継ぐことになるベネデッタの婿には不相応ふそうおうすぎます! それに……マティルダ公爵家はご逝去された第一皇女殿下の陣営をひきいていたのですよ!? 第二皇子殿下を支持している我々の敵で、」

「黙れ!」


 ディシュタルト公爵は声を張り上げ、フィンセントを制圧する。


「政治的な敵であれど、こころざしが高い他家を侮辱ぶじょくすることは許さん!」


 ディシュタルト公爵の怒りを前に、フィンセントは完全に尻込みしてしまう。早々に白旗を上げた父に、クローディアはギリッと歯噛みする。


「もう貴様らと話すことはない! 出ていけ!」


 ディシュタルト公爵は、フィンセントとクローディアを追い払う。これ以上公爵の怒りを買ってはならないと判断したふたりは、大人しく引き下がったのであった。

 ひとりになった執務室で、ディシュタルト公爵は眉間を押さえて天井をあおいだ。気苦労がえないと大きな溜息をつく。ベネデッタであれば、こんな状況でも楽しんで、フィンセントとクローディアをのらりくらりとかわしてしまうのだろう。


(我が孫ながら末恐ろしい)


 脳内で、意味ありげな笑みを浮かべるベネデッタに、さすがのディシュタルト公爵も小さな恐れを抱いたのであった。




「くしゅん……」


 庭園に面した開放的な廊下を歩いているベネデッタは、唐突とうとつのくしゃみに襲われる。誰かしら噂しているのだろうか、と他愛もないことを考えながら、歩を進める。

 ズンズンズン。どこからか地響じひびきが聞こえてくる。ベネデッタが首を傾げた時、正面からズカズカと歩いてきた女性と視線がかち合った。

 ベネデッタの口端が上がる。


「ごきげんよう。クローディア」


 ベネデッタが挨拶すると、クローディアは歯軋はぎしりする。


「どこから地響きが聞こえてくると思ったのだけど、あなただったのね。納得だわ」

「なんですって!?」


 ディシュタルト公爵に追い出されたこと、父であるフィンセントがなんの役にも立たなかったことに怒りをつのらせていたクローディアは、ベネデッタの売り言葉により簡単に怒りを爆発させた。


「昔から、何か気に入らないことがあるとわざと足音を大きく立てて歩くから。気を悪くさせたらごめんなさい」


 ベネデッタの上辺の謝罪に、クローディアは拳を握る。彼女を刺激して遊ぶのも楽しいが、気分的にやめておこうと判断したベネデッタは、彼女の横を通り過ぎようとする。


「待ちなさいよ」


 ベネデッタは立ち止まらない。


「あんた本気で、マティルダ公爵家の次男と結婚する気なの?」


 その問いかけで、ようやく立ち止まる。

 

「マティルダ公爵令息は、あんたになんかふさわしくないわ。男好きのあんたらしく、ほかの男を狙いなさい」

「遊び相手と結婚相手は違うでしょう?」


 振り返り、微笑する。


「マティルダ公爵令息が気の毒だわ! あんたみたいないやしい女に捕まるなんて!」

「そうね、可哀想で仕方がないわ」


 恍惚こうこつとした笑みを浮かべてそう言うベネデッタに、クローディアは恐怖する。


「でも、クローディアに捕まるよりはマシではないかしら」

「……は?」


 クローディアは顔を引きらせる。次の瞬間、強い風が吹き荒れ、どこからか葉が飛んでくる。クローディアは自然とその葉を目で追う。葉がベネデッタの前を通り過ぎた次の瞬間、ベネデッタが笑っていないことに気がついた。


「ディシュタルト公爵家を継ぐ器量もない。淑女しゅくじょとしての教養もなっていない。褒めるところがあるとすれば、単純さ故の扱いやすさかしら?」


 ベネデッタはそう言って、きびすを返した。憤怒に支配されたクローディアは、ズカズカと歩き、彼女の肩を掴んで引き止める。が、腕を取られその場に倒されてしまった。クローディアが小汚い悲鳴を上げる。


「あらやだわ。突然肩を掴まないでいただける? 暗殺者だと誤解して殺しかねないわ」


 ベネデッタはクローディアの腕を放し、その場から立ち去った。クローディアは一興いっきょうにしては物足りない女性だ。そんな失礼なことを思いながら、ベネデッタは微笑ほほえんだ。

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