UFO,SF,ファンタジー、?
星新一は日本のSF界の”長老”と言われて、いまだに人気もある感じです。
71歳で亡くなったが、割と最近な印象。ショートショートプロパーの人は、都築道夫さんとか、たまにいますが、大御所の地位は不動…小学生くらいから親しんできた世界は、もうなんかそれ自体が神話というか、なつかしいような故郷みたいにすら思う。
星さんにとっては、レイブラッドベリが、そういう作家だったらしい。
「火星年代記」という作品が、「なつかしい」世界に思えるという、そうした屈折した葛藤というか、星さんの内面にはあったのだろう…そういうクライような部分が創作動機の核、と、それはありふれた現象と思う…モーツアルトのような天衣無縫に思える音楽でも、分析すると彼の精神の病を癒すという、隠された意味があったという…だから表裏一体、功罪相半ばとか、物事はだいたい複雑ということかもしれない。
北杜夫さんの昔のエッセイに、「宇宙は、今のところ逃避的な空想の投影の対象だが、いずれ現実に役に立つ場所になっていくはず」というような記述があったが、いまだにそういうのは中途半端で、人類が息切れしているような印象もある。
どこか、なにかが狂ってきているのだろう。”意識高い系”で、未来志向の、健全な人が多いのだとは思うが、おかしな人物も多くて、私利私欲や他人をいじめたいという下劣な欲求を優先させる、あるいはそういう弱みに付け込もうとする。
教育というのはつまり、そういう下劣な部分を矯正して、高邁な部分を助長する、そういう作業で、で、”聖職”という。
本能には悪の部分もあって、そういう攻撃性が生きる力の根源と、そうかもしれんが、やはり野放しで、野放図に本能的な悪がのさばっていては、それは人類が滅ぶ道だ。読書や節制、宗教的な修行やらそういうことで、薫陶して、邪悪なものを掣肘していかずば…と、当然すぎるが、嗤われるのでおれはこういうことは言わない。
現実逃避のUFO、と、従来はそれが常識であって、「ヒノマル酒場」という、筒井康隆の短編では、本当に緑色のエイリアンが、目の前にいるのに、真に受けずに、笑いものにして、しまいに認めざるを得なくなってくると、「SFはそのくらいんしとけ」と、怒り出して、エイリアンを殺してしまう酔客の描写が出てくる。
世代が交代して、さすがにこんなに無理解な人ばかりでなかろうが、UFO,そうしてエイリアンが、「実際には」どういう存在形態で、どこにいて、いやそもそも地球にいるのか?すべてあいかわらずあいまい。あいまいなのがコンセンサスなのか?なぜそうなのか?すべていわば藪の中、闇の中、である。
ラエリアン、という宗教があって、宇宙からやってきたバシャールという存在を信奉しているとか聞く。イメージとしてよくわかるのですが、正体は不明。
ひと昔は、文学や漫画そのほかの若者文化、ポップカルチャー?において、今ほどファンタジーやSFのイメージも一般的でなくて、ゲーム廃人とかは、極北の人、タブーの最たるもの、あってはいけない存在、そういう扱いだったけど?最近はそういうひきこもりでも割と市民権を得ている感じでしょうか?
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