第3話 おかしなこと

 先ほど話をし、闇の中へ消えたあの男だ。

 すぐにそうわかった。

 男は私のすぐそばに体を棒のように強張らせて直立し、無表情のまま、床に横たわる私のことを見下ろしている。


 目を開けては駄目だ。

 自分に言い聞かす。

 私が男の存在に気付いている。そう悟らせてはいけない。

 

 男はしばらくそこに立っていたが、やがて無表情のまま、ゆっくりと私の顔に顔を近づけた。

 男の視線の強さに耐えながら、私はひたすら眠ったフリをしていた。

 見たわけではないのに、男の顔が先ほどとは違い死人のように青白く、まるで能面でも被ったかのように無表情であることがわかった。


 男は張り裂けそうなほど大きく目を見開き、私を凝視したまま唇を動かす。男のかすれた声が、私の耳に届いた。

 その瞬間、私の意識は闇の中に引きずり込まれた。


※※※


 明るい陽射しが頬に当たったのを感じ、私は目を覚ました。

 どれくらいたったのだろう。

 寝袋から腕を出し時計を見ると、午前5時を指していた。

 出発を予定していた時間だ。

 私は寝袋から這い出すと、辺りを見回した。

 朝の光の中で見ると、小屋の中は昨夜、私が想像したほど広くないことがわかった。小中学校の教室を二つ、つなげた程度の大きさに見える。

 奥のほうには、切り出された丸太や廃材が積まれ、その近くにシャベルや縄や橇、斧、何に使うかもよくわからない機械が埃をかぶったまま置かれていた。

 私は少し小屋の奥を観察したあと、思いきって奥のほうへ歩いてみる。

 ざっと見た感じでは、昨日会った男の姿はどこにもなかった。

 

 一体、男はどこに行ってしまったのだろう?

 私が気付かないうちに、小屋から出て行ったのだろうか?

 だが、私は入口のすぐ近くに寝ていたのだ。私を起こさずに出て行くことなど出来るものだろうか?

 実際、昨夜、男が私のそばに来て見下ろしてきた時は気付いたのだ。

  

 その時のことを思い出した瞬間、体が震えるのを感じた。

 男は、私に向かってこう言った。


(知らないほうがいいこともある……)


 あの時、男は一人で小屋の奥へ行った。

 そして、何か知ってしまった。

 男はそれを伝えるために、闇夜の中、私のそばに立っていたのか?

 一体、何を知ってしまったというのか。

 なぜ、それを伝えないままいなくなってしまったのか。

 そして男はどうやって、私に気付かれず小屋から出て行くことができたのか?


 だが、あれこれ考えても仕方がない。

 寝ている時のことは夢だった。

 私がぐっすり眠っていたため、男が出て行ったことに気付かなかった。

 私は自分にそう言い聞かせて、支度を整え、小屋から外へ出た。


 夜のうちに雨が降ったのか、地面はぬかるんでいた。だが空は晴れ上がり、太陽がまぶしく輝いている。

 私は順調に山道を下り、昼近くには山から下りることが出来た。



3.

 

 父の文章はここで終わっていた。

 特に何か意味があるとは思えない。どうということのないエピソードだ。

 一体、なぜ父はこの話をノートに細々と書き残したのか。


 私はもう一度、父の文章を読み返してみる。

 読み終わったあと、もう一度……。

 やはりよくわからず、さらにもう一度……。

 そうして何度か読み返すうちに、この話にどこかおかしな、妙に引っかかる箇所があることに気付いた。

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