第2話 消えた男

 私は苦笑した。

 山が好きな人間の中には、山の中で怪談を話すことを好む人間がいる。

 この男も大方その類いだろう。

 きょうぐのも大人げない気がして、私は話に乗った。


「一体誰ですかね。見たところ、僕たち以外は誰もいないようですが」

「うん……」


 男は上の空な調子で呟き、闇がわだかまる小屋の奥に視線を向ける。

 そこを凝視したまま、男は言った。


「この小屋はかなり広いな」


 月明かりさえない闇夜なので、小屋内部の全容はわからない。だがそうとうな広さがありそうだ。

 あるいは元々は倉庫のような場所だったのかもしれない。


「奥のほうなんて、真っ暗でどうなっているか全然わからないよな」


 そう言えば。

 私はふと気付いた。

 私も食事を終えるまで、男がいることにまるで気付かなかった。

 男のほうも、私が入ってきてしばらくは私の存在に気付かなかったのだろうか?

 もちろん気付かなかったのだろう。

 私が食事をする様を闇の中からジッと見ていた。  

 そんなわけがないからだ。


「奥に誰かいるのかな?」


 男は黒々とした闇がわだかまる小屋の奥を凝視して呟いた。

 男の声は冗談とは思えない調子であり、不意に私は背筋に冷たいものを感じた。


「そんなわけがないでしょう。いくら広いと言っても、僕たちの声が聞こえていないはずがないですから」


 男の言葉が正しいとするならば、小屋の奥にいる人物はただそこにいるのではない。

 私たちを見ているのだ。

 


「見に行ってみるよ」


 立ち上がった男の服の裾を、私は反射的に掴んだ。

 驚いたように振り返った男に、私は言った。


「止めたほうがいいですよ」


 小屋の奥を私は見つめた。


「知らないほうがいいこともあると思います」


 しばらく沈黙が続いた。

 やがて男は言った。


「気味が悪いから寝る前に確認しておきたいんだ。大方、気のせいだと思うけど」


 男はベストの胸ポケットから、掌の中に収まる小さなライトを取り出す。

 私は灯り代わりに置いていたヘッドランプを差し出したが、男は首を振り断った。


「小屋の中を見るだけなら、このライトで十分だよ」


 男はそう言って、ライトを片手に小屋の奥へ歩き出す。その姿は、やがて闇の中に吸い込まれるように消え失せた。

 私は再び一人になった。


※※※


 すぐに帰ってくるだろう。

 そんな私の予想に反して、男はなかなか戻って来なかった。どれほど目をこらしても、小屋の奥の闇はまったく揺れ動かず、シンと静まり返っている。

 腕時計を見ると、時刻は9時近かった。

 小屋の奥へ声をかけてみようか。

 そんな考えがちらりと頭をよぎった。だが何故かそうすることが躊躇われた。

 男は小屋の奥に置いている、自分の荷物の場所へ戻ったのかもしれない。

 思いつくと、急にそんな気がしてきた。

 少し経ったあと、再び時計を見る。

 9時30分を過ぎていた。

 これだけ待っても戻ってこないということは、男は小屋の中を確認したあと、早々に眠ることにしたのだろう。

 意味ありげな発言をした手前、調べ終わったあとバツが悪くなったのかもしれない。

 私はそう思い、もう一度伸びをするとライトを消した。

 

※※※


 どれくらい時間が経ったろうか?

 私はふと、目を覚ました。

 意識が現実に戻った瞬間、自分がなぜ目を覚ましたのか気付いた。


 誰かがいる。

 すぐそばに立ち、私のことを見下ろしている。


 全身から血の気が引いて手足が冷たくなり、口の中がカラカラに乾くのを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る