第5話 雨
雨が降っていた。
だからいつもより暗くなるのが早くて、委員会で遅くなったわたしは焦っていた。
最近、学校の付近で変質者が出たというニュースを聞いたばかりだったから。
急いで教室に戻ると、箱崎くんがひとり窓際に立っていた。
箱崎くんとはあの公園で話して以来、ずっと口を聞いていない。
あの日までは、「宿題やって来た?」とか、たわいのないことで、わたしの方から話しかけていたのに、それができなくなってしまっていた。
黙って机の上に置いたままのカバンを手にした時、箱崎くんの方から話しかけてきた。
「外、暗いから送るよ」
「大丈夫だよ。うち、近いから」
「だからだよ。担任も学校付近が危ないって言ってたから。それとも、僕に送られるのは嫌?」
「……ううん、そんなことない。じゃあ、お願いしよっかな」
傘をさして、会話もないまま並んで歩いた。
やがて耐えられなくなって、わたしの方から話しかけた。
「すっかり寒くなったよね」
聞こえていなかったのか、無視されたのか、箱崎くんは何も言わなかった。
家の近くの、あの公園まで来たところで、ようやく箱崎くんが口を開いた。
「あのさ、僕、いなくなるから」
おかしな言い方だと思った。
でも、そういう言い方もあるのかな、と深く考えたりしなかった。
「転校するの? どこに?」
「やっぱり、君は恵まれた家庭に育った人だよね。だからそういう発想になるんだ」
「なんか、その言い方棘がある」
あの日から、箱崎くんは、わたしが知っている箱崎くんではなくなってしまった。
何だか、別の人みたいに遠くに感じていた。
「……もう、ここでいいよ。家、すぐそこだから」
「サヨナラを言いたかったんだ。きっともう会うことないから」
それだけ言うと、箱崎くんは以前もそうしたように、公園の中を反対側の道路に向かって歩いて行った。
違うのに。
わたしが言いたかったのは、こんな言葉じゃなかったのに。
「ねぇ、待って」
既に公園の真ん中辺りにいる箱崎くんを追いかけた。
箱崎くんは振り向いて、わたしが次に言う言葉を待っていた。
わたしが伝えたかったのは、こんな言葉じゃなかったのに。
「『したくなったら言って』って、前に言ったよね?」
「言った」
「キスして。周りでしたことないの、わたしだけで恥ずか……」
最後まで言う前に、その場に傘を投げ捨てて、箱崎くんはわたしのところまで来ると、わたしの頬に手を添え、キスをした。
ずっと、憧れていたような、そんな優しいキスじゃなくて、そこにあるのは、きっと、憎悪。
いつの間にか、わたしの手から傘は落ちてしまって、2人に大粒の雨が容赦なく降り続ける。
絡みつくような激しいキスは、全身がまるでプールに入ったみたいに、どうしようもなくびしょ濡れになるまで続いた。
わたしが逃げられないように、ずっと腰に回していた手を離すと同時に、箱崎くんは目もあわせずにそのまま行ってしまった。
少し離れた場所に、箱崎くんが拾わなかった傘が、持ち手を上に逆さまになった状態で、残っていた。
そして、足元にはわたしの傘が転がっている。
こんなはずじゃなかった。
欲しかったのは、こんな思い出じゃない。
わたしが言いたかったのは、こんなことじゃなかった。
制服が泥だらけになるのもお構いなしに、その場に座り込んだ。
強い雨は、そんなわたしにいつまでも降り続けた。
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