【完結】静香お嬢様とイケメンパン屋 黒沢遼のパンも焦げちゃう熱々恋の物語(作品230505)

菊池昭仁

静香お嬢様とイケメンパン屋 黒沢遼のパンも焦げちゃう熱々恋の物語

第1話 幻のピーナッツ・コロネパン

 月も凍るような寒い夜だった。

 スーパームーンが美しく輝く午前零時。

 

 今年で72歳になる西園寺財閥の執事、大野五郎はパン屋、『トーマス』の店の入り口にテントを張り、寝袋にすっぽりと入って、じっと朝7時の開店を待っていた。



 小さなパン店『トーマス』の一日限定、50個のピーナッツ・コロネパンを手に入れるために。



       ピーナッツ・コロネパンは人気のため 恐れ入りますが 

       おひとり様につき、1個でお願いいたします



 ドアに張り紙がされている。

 それは先日、多目的トイレでエッチをしたお笑い芸人がMCを務める『爆笑! 自称グルメ王』の番組を見ていた時のことだった。


 西園寺家のご令嬢、西園寺静香が叫んだ。


 「爺! わたくしもあのパンが食べたい! 幻のピーナッツ・コロネパン!」

 「お嬢様、あのパンは一日限定50個、前日の深夜から並んでも買えるかどうかの「幻のピーナッツ・コロネパン」でございます。 

 ご所望されるのは、チョッと無理かと・・・」

 「だったら並べばいいじゃないの!」

 「お嬢様、それはなりません! お嬢様は西園寺家の大切な跡取り娘、そんな下々と一緒にわざわざピーナッツ・コロネパンを買うために並ぶなど、言語同断でございますぞ!」

 「バッカじゃないの? なんでこのカワイイ西園寺静香様が並ばなきゃなんないのよー!

 行列に並ぶなんてわたくし、大っ嫌い。

 わたくし、ディズニーランドですら1日貸し切りにして、並ばないでミッキーやドナルドを独り占めしちゃうのに、並ぶわけないじゃないの!

 並ぶのは爺、そなたに決まっているでしょ!」

 「この爺がですか? この腰痛持ちで、血糖値130、毎日胡麻麦茶を飲んでかろうじて血圧130を維持している72歳のこの年老いた爺に並べと? しかもこの12月の寒空に!」


 すると静香お嬢様は優雅に紅茶『マルコポーロ』を口にすると冷たく言った。


 「キャバクラに通う元気があるんだから、パン屋に並ぶなんてへちゃらでしょう?」

 「それとこれとは話が・・・」

 「食べたいの! 食べたい! 食べたい! 食べたい! 食べたーい!

 どうしても食べたいの! 幻のピーナッツ・コロネパンが!」




 というわけで、執事の大野はこうしてこの師走にピーナッツ・コロネパンを買ってくるはめになったのだった。



 朝の5時になると、すでに定員の50人が並んでいた。


 ようやく7時の開店になると、西園寺家の執事、大野はテントからはい出し、一番乗りをした。


 「ピーナッツ・コロネパン、ピーナッツ・コロネパンを私にお売り下され!」


 執事の大野は前のめりになりながら、可愛いバイトの店員さんに懇願した。


 「寒いところ、ご苦労さまでした。

 ハイ、どうぞ。128円になります」


 大野はピーナッツ・コロネパンを受け取ると、その場に泣き崩れ、おいおいと泣き崩れてしまった。


 「お嬢様、爺は、爺は遂に、やりましたぞ!」


 すると、後ろに並んでいた男子高校生が声を掛けた。

 

 「良かったね、お爺ちゃん? ピーナッツ・コロネパンが買えて」

 「ありがとう、青年!」

 

 並んでいた人たちも、みんな泣いていた。

 沸き起こる拍手と歓声、そしてシュプレヒコール!

 それはまるで、あの「腐ったミカン」のテーマソングのようだった。


 「よかった、よかった」

 「うんうん、本当によかったわね!」

 「よかったですね? お爺ちゃん。

 本当に良かった」


 そしてお客さんたち全員で中島みゆきの『世情』の大合唱となった。



   シュプレヒコールの波♪ 通りーすーぎてーゆくー♪ 

   変わらな・・・



 まるでベルリンの壁が崩壊した時のような光景だった。

 みんな手を取り合い、爺の大野を囲んで輪になって泣きながら歌っていた。

 中にはハグしている者までいた。


 たかがパン1個でこんなにも盛り上がるほど、みんなが熱望する「幻のピーナッツ・コロネ」であった。

 たかがパンなのにである。 海崎のピーナッツ・コッペパンなら並ばなくてもコンビニで買えるのに。




 大野はダッシュで屋敷に戻ると、静香にピーナッツ・コロネパンを恭しく差し出した。

 

 「静香お嬢様、これ、これでございます! これが『トーマス』の、「幻のピーナッツ・コロネパン」でございます!」


 静香はすぐに銀の皿の蓋を開けると、


 「えーっつ、これがそうなの? こんなに小さいのね? ちょっとがっかり」


 静香の電子辞書には「ありがとう」という言葉はなかった。

 72歳の爺さんが、命懸けで手に入れたことに対する感謝と労いの言葉はない。


 「まずは「ありがとう」じゃろう? まったくお嬢様は」

 「なんか言った?」

 「いえいえ、どうぞご賞味下さいませ」


 静香お嬢様は上品にピーナッツ・コロネパンを口にすると、


 「おいしい! 美味しいわ! これ! ほっぺが落ちそう!」


 静香はあっと言う間にその幻のピーナッツ・コロネパンを食べ終えると、冷酷にもこう言い放った。



 「おかわり!」



 執事の大野は怒りに震えていた。


 「あの番組さえ、あのエッチなお笑い芸人さえいなければ・・・、ワナワナ」

 

 大野は震える手ですぐにゴミウリテレビのお客様相談室に電話を掛けた。

 

 「いいか、よく聞け! おまえんとこの『爆笑! 自称グルメ王』を今すぐ打ち切りにしろ! 今すぐにだ!」



 それから毎日、執事の大野はピーナッツ・コロネパンを買うために、ひたすら並び続けることになってしまったのである。


 かわいそうに。


第2話 ドSイケメン 現る

 毎日、ピーナッツ・コロネパンを買いに行かされていた執事の大野が遂に風邪でダウンしてしまった。

 

 「申し訳ございません、静香お嬢様。

 爺は自分が情けのうございます。ううううう・・・」

 「何も泣くことはないでしょう? とにかく、わたくしの作ったこのとーっても美味しいリゾットでも食べて、早く良くなって、また並んでちょうだいね?

 はい爺、アーンして」

 「お、お嬢様、そのありがたいお言葉だけで、爺は、爺はしあわせでございます。

 でも、食欲はまだありませぬゆえ、そのリゾットだけはご辞退させていただきます!

 どうかそれだけはご勘弁を!」


 爺の大野はブルブルと震えていた。

 それは風邪から来る悪寒ではなかった。


 「ダメよ爺、食べないと良くならなくてよ、はい、お口を開けて」


 静香お嬢様の作るお料理はすべて、チョー激辛料理だったのだ。

 そのリゾットは、マグマのようにグツグツと真っ赤に煮え滾っていた。

 まるでハワイのキラウエア火山のように。


 あばれる君でもゴルゴ松本でも怖気ずくような代物だった。


 「ジーザス!」



 執事の大野は風邪は治ったが、お尻から火を噴いてしまい、さらに寝込んでしまった。



 「これだけピーナッツ・コロネパンが美味しいということは、他のパンも美味しいはず。

 いいわ、どんなパン屋さんなのか、わたくしが直接確かめに行こーっと。

 クルマを出してちょうだい」

 

 静香様は真っ赤なロールスロイス・ファントムに乗ると、パン店『トーマス』へと向かった。



 「お嬢様、着きました。こちらでございます」


 運転手の春日が言った。

 春日はグリーンベレーの特殊部隊出身で、静香お嬢様のボディーガードでもあった。


 「シルバニアファミリーのようなかわいいお店ね?」


 恭しく春日がドアを開けると、そのまま店に進み、静香お嬢様はドアを開けた。



 「何なの! この、薪窯で焼かれたパンの香ばしいいい香りは!」

 「いらっしゃいませ。じっくりとお選び下さいね?」


 欅坂46みたいなバイトちゃんがやさしく微笑む。



 「ここのパン、全部下さらない?」

 「全部ですか? 少々お待ち下さい。オーナーに確認して参りますので」


 そのバイトちゃんは小さなお尻をフリフリさせながら、パン工房の中へと入って行った。

 するとオーナーらしき青年が出て来た。


 

 「店主の黒沢です。

 俺のパンを全部買いたいんだって? 俺のパンを愛して来てくれているお客さんもいるんだ、だから5個までにしてくれ」


 その瞬間、静香お嬢様は恋に落ちた。

 ドストライク! 直球ど真ん中だった。

 イグアスの滝から落ちるみたいに、静香お嬢様は恋の滝壺へ真っ逆さまに落ちて行った。


 (身長180cmの八頭身。顔、ちっさ!

 鼻筋の通った大きなお鼻、おチンコもデカそう♡。

 薄い桜色の唇に輝く白い歯。ああ、なんて素敵な私の王子様~)


 芸能人は歯が命!

 そしてサラサラの金髪ヘアー!

 静香お嬢様はうっとりと店主の黒沢に見惚れていた。


 ぶっきらぼうで無愛想。静香お嬢様のご機嫌などまるでお構いなし。

 静香お嬢様をそのまま壁に追い詰めると、


     ドン!


 そう、トドメの壁ドンである。

 静香お嬢様は完全に動けなくなってしまった。

 いつも周りから腫物に触るように#傅__かしず__#かれていた静香お嬢様にはすこぶる新鮮だった。

 もしかして静香お嬢様はドMだったりして。


 (私、この人のこと、本気で好きになっちゃったかも)


 静香お嬢様の胸はキュンキュンだった。



 「じゃ、じゃあ、このクロワッサンとバケットにピッコロ、そしてカレーパンと明太子フランスをく、下さい」

 「ありがとう、また来てくれよな? かわい子ちゃん」


 ニコッ


 それだけ言うと、黒沢は工房へと戻って行った。

 静香お嬢様は完全にノックダウンされてしまった。



 静香お嬢様はルンルンでクルマに乗り込んだ。


 店主の黒沢を抱くように、大事そうにパンを抱えて。


第3話 イケメン王子のお姉様

 静香お嬢様は毎日、『トーマス』に通い続けた。

 イケメン店主、黒沢遼に会うために。


 「西園寺様、いつもお買い上げありがとうございます」

 「ここのパンって、どうしてこんなに美味しいのかしら?

 わたくしの屋敷で毎日、パン王子、じゃなかった遼様にパンを焼いていただきたいくらいよ。

 オ―ッホホホホ」

 「余程パンがお好きなんですね?」

 「ええ、パンも遼様もどっちも大好き」

 「うちのオーナーって、イケメンですよね?」

 「ま、まあね。そんじょそこらの男子とは大違い、遼様は凄くステキですもの。

 わたくしが毎日、遼様に食べられてしまいたいくらい。キャッ 

 あなたわたくしに何を言わせる? まったく!」


 赤くなる静香お嬢様。


 「では本日のお買い上げはサンドウィッチにパニーニ、アプリコットパイとチョコ・コロネ、それからサクラあんぱんの計5点ですので、お会計が1,456円になります」

 「ではPay Payで」


 ピロロローン

 

 「ありがとうございました。美味しく召し上がれますように」

 「あはは、『銀だこ』さんじゃないんだから、もうローラちゃんったら」

 「テヘペロ。あははは」


 毎日通っているので、静香お嬢様はバイトのローラとも仲良くなっていた。

 そして今日もイケメン店主、黒沢は売場へ出て来なかった。

 会いたいような、会うのが怖いような、乙女心は複雑である。




 「ああ、また今日も王子様に会えなかった。またあの壁ドンをして欲しかったのに」


 その時である、工房のドアが開いた。


 「王子さま!」


 だがそれは黒沢ではなく、黒沢を女バージョンにしたような美しい女性だった。

 髪を無造作に後ろに束ね、まるでパリコレのランウエイを歩くように颯爽としていた。


 「ローラちゃん、食パンが焼けたからお願い」

 「はい、かしこまりました」

 「誰、この『プラダを着た悪魔』のアン・ハザウェイみたいな女性は?」

 「オーナーのお姉さんですよ、西園寺様」

 「はじめまして、いつもお買い上げ、ありがとうございます。

 遼の姉の黒沢恵子です」

 「お、お姉さま! わわわ、わたくし、西園寺静香と申します! 以後、お見知りおきを!

 いつも弟さんとは親しくさせていただいております!

 恵子お姉様! あっ、お姉様って言っちゃった、はずかしーっい!」

 「あら、チャーミングなお嬢さんね? 呼んで来ましょうか? 遼?」

 「いえいえ、めめめ、滅相もございません!

 お仕事のお邪魔になりますゆえ、これにてしししし、失礼いたしまする!」


 また顔を真っ赤にして、静香お嬢様は逃げるようにお店を出て行った。




 「めっちゃキレイな人だったなあ? 王子のお姉様。

 流石は遼様の姉上、ハリウッド女優並みの美しさだったわ。

 そしてわたくしのことを「チャーミングな人ね?」だなんて、もうバカバカ! なんて正直な人なのかしら?

 今度から「お姉さま」なんて呼んじゃったりして。

 もう、バカバカバカバカ。

 ワンピースのチョッパーになってしまうじゃないの、もー!」



 そう言って黒沢の焼いたパンをムシャムシャとお嬢様が食べていると、爺がそこにやって来た。


 「お嬢様、そんなにあの『トーマス』のパンがお好きなんですな?

 私もようやくお尻が治りましたので、これからはこの爺が買いに参りましょう」

 「余計なことすんじゃねえ! このインポジジイ! 殺すぞコラッ!」


 静香お嬢様は鬼のような形相で、下品な言葉を連発した。

 だって本当の目的はパンじゃなくて、黒沢に会うことだったのだから。


 「わ、わかりましたお嬢様、では失礼いたします」


 爺は慌ててサロンを出て行った。


 「ああ、明日は会えるかしら、私の王子さまに」


 静香お嬢様は最後のサンドウィッチを、それはそれは大事に食べた。


 はむはむ


第4話 初めてのバイト

 「ああ、王子様と会いたいなあー。

 何か会えるきっかけはないかしらねえ?」


 静香お嬢様がパンを買いにロールスロイスで『トーマス』に行くと、そのチャンスは突然訪れた。



      バイト急募! 時給850円以上


      明るくて笑顔がステキな人 求む!



 「ちょちょちょ、ちょっとこのアルバイト募集ってホントですか! お姉様!」

 「あら、静香さん。

 そうなの、もう私たちだけでは限界になっちゃって。

 静香さんのお友だちで、誰かいい人はいないかしら?」

 

 パン王子の姉上、恵子は言った。


 (チャーンス!)


 「お、お姉様! あ、あの、あのですね? も、もし、もしかしてですよ? あのー、わたくしではダメでしょうか?」

 「えっ、静香さんが?」

 「そ、そそそ、そうなんです!

 わたくし、明るくて笑顔がステキなんです!」


 恵子は笑っていた。


 「あはははは。

 確かに静香さんなら明るくて、笑顔がステキよね?

 ウチは大歓迎だけど、でも大丈夫なの? 西園寺財閥のご令嬢のあなたがこんな小さなパン屋でバイトなんかして?」

 「ぜぜぜ、ぜーんぜん平気です!

 わたくし、ガッツと根性だけはありますから!」

 「ガッツと根性ねー? かなり大変よ、パン屋って。

 朝は早いし、重労働だし」

 「大丈夫です、姉上様! わたくし、絶対にがんばります!」

 「ご両親が許してくれるの?」

 「社会勉強のためならと許してくれるハズです!」

 「そう? じゃあやってみる? パン屋さん? うちのお店で働いてみる?」

 「はい!」


 そして静香お嬢様はパン屋『トーマス』でバイトをすることになったのだ。



 


 「やったー! これで王子様といつも一緒だあ!

 いつ王子様とそうなってもいいように、いつも勝負下着でバイトに行かなくっちゃ! うふっ」


 執事の大野がお嬢様に苦言を呈した。



 「なりません! なりませんぞお嬢様!

 お嬢様はいやしくも西園寺財閥のご令嬢。その姫様があんな小さなパン屋で時給850円で働くなど、もっての外、言語道断ですぞ!

 この爺の命に替えましても、絶対になりませぬ!」

 「いいじゃん別にー。働かざる者、食うべからずでしょう?

 お爺様も中学を出てすぐに、赤羽の町工場で働いていたそうよ」

 「それは時代が違います! 時代が!

 お嬢様、絶対になりませんぞ!

 この爺の目の黒いうちは絶対に!」

 「じゃあカラコンでも入れてブルーにすればいいじゃん。

 黒じゃなくなるよ」

 「お嬢様・・・」

 「下々の人たちがどうやって働いているのか? それを体験するのは悪い事じゃないわ」

 「うーん、では1か月だけ、1か月だけですぞ。

 そうでなければ大野は、旦那様に会わせる顔がございません」

 「とにかく、わたくしはあの王子、じゃなかった、パン屋さんで働きますからね!」



 王子に会いたいという単純な動機だったが、静香お嬢様はかなりパン屋の仕事を甘くみていた。

 過酷なパン屋の仕事を。




 「きょきょきょきょ、今日からお世話になります、西園寺静香と申します。どうぞよろしくお願いします!」

 「よろしくね? 静香ちゃん」

 「よろしくです、静香さん!」


 姉上様とローラに温かく迎えられたが、


 「パン屋を舐めんなよ」


 黒沢はそれだけ言うと作業場に戻って行った。





 「おい新入り! このボールにそこの袋から1.5?とあっちの袋から2?、そしてこの袋から300gを入れて持って来い! モタモタするな!」

 「は、はい! かしこまりました!」

 「それが終わったら、洗い場にある洗い物をすべて洗っておけ!」

 「はい!」


 (うれしい! 最高! 王子様とお仕事ができるなんて! 夢みたい!)



 そう思っていたのも最初の30分だけだった。

 何しろ静香お嬢様は働くことはおろか、箸より重い物を持ったことがない。

 早朝3時から休憩なしで11時までの8時間は地獄のような忙しさだった。


 「大丈夫? 静香さん?」


 姉の恵子が声をかけてくれた。


 「こんなの平気です! どうってことありません! ゼイゼイ」


 そしてようやくバイトが終わってヘトヘトになっていると、黒沢が言った。


 「初日で疲れただろう? 明日も休まないで来いよ。ご苦労さん」


 そのぶっきらぼうだが思い遣りのある遼の一言で、静香お嬢様の疲れは一瞬で吹き飛んでしまったのである。


 「はい! 明日もよろしくお願いします!」


 どうやら愛のチカラはすべてを超越するらしい。


第5話 新婚さんみたい!

 信じられないことに、静香お嬢様のアルバイトは大方の予想を裏切り、続いていた(マジで)

 執事の大野も、


 「あのじゃじゃ馬のお嬢様のことだ、どうせすぐに音を上げるはずじゃ」

 

 そう、思っていた。

 だが静香お嬢様は、いつの間にかお店の戦力となり、すっかりお店に溶け込んでいた。

 今では『うる星やつら』のラムちゃんのように、「静香ちゃん」とチャン付けで呼ばれるほどの愛されキャラになっていた。


 「静香ちゃん、遼と先にご飯食べて来なさいよ、お店は私とローラちゃんでやっておくから」

 「はーい! すみません、ではお先でーす!」


 

 

 朝食は納豆と甘ーい卵焼き、鮭の西京焼きと赤だしの味噌汁だった。

 黒沢とこうして食事をしていると、まるで新婚夫婦のようだった。


 

 「遼さん、お替わりはいかがですか?」

 「おう」


 ぶっきらぼうにご飯茶碗を差し出す黒沢。

 

 「はい、あなた、じゃなかった遼さん。

 まだそれはちょっと早いわね?

 ところで、前から気になっていたんだけど、なんでこのお店の名前って『トーマス』っていうの?

 まさか『機関車トーマス』が好きだからとか? うふっつ」

 「そうだよ、俺、ガキの頃から『機関車トーマス』が好きだったからな」

 「それだけ?」

 「わりーか?」

 「ううん。遼さんにも子供の頃があったのね?」

 「あたりめーだ、静香だってガキだったじゃねえか? お前の場合は今もガキだけどな?」

 「もー、遼さんたら失礼ねー。これでも立派な大人のレディですよーだ」

 「ふん」


 静香お嬢様は黒沢に鼻で笑われた。

 でも、こんなやり取りが静香お嬢様にはとてもしあわせだった。


 「静香、明日、暇か?」


 明日は『トーマス』の定休日だった。


 (えっ? 何? デデデ、デートのお誘い?

 あんなことや、こんなこと、そんなことやあんなことをしちゃったりするあれ? やだー、もうエッチ!)


 「はい、全然ヒマです! 絶対にヒマ! 断然ヒマです!」

 「なら明日、俺に付き合え」

 「ははははは、はいーっ! 喜んで!」

 「じゃあ早く食え、姉ちゃんたちも腹、減ってるだろうからな?」


 黒沢はさっさと食事を済ませると、工房へと戻って行った。


 (遼様と初デート! どんなお洋服を着て行けばいいかしら?)


 静香お嬢様はルンルンであった。


第6話 みんなでデート?

 今日の黒沢とのデートを想像して、嬉しさと期待で静香お嬢様は中々眠れなかった。


 「どうしましょう、ふたりっきりのデートだなんて! 遼様はいったいどこに私を連れて行ってくれるのかしら?

 ディズニーランド? それともディズニーシー? スカイツリー? 美術館? 博物館? 水族館? 競馬場? 競艇場? 劇団『五季』? もしかして真っ暗な映画館? プラネタリウムとか?

 そしてあんなとこや、こんなとこなんか触れられたりして? もしかしてチューとかも?

 キャーッ! 恥ずかしーい!

 いきなりそんなことや、あんなことになったら、なんてこともあるかも?

 下着は黒がいいかしら? それとも赤? まずは清楚でかわいい女の子ということで、無難に白にする? いつもは紫のTバックだけど」


 静香お嬢様の妄想は止まらず、朝を迎えてしまった。チュンチュン(鳥の鳴き声)



 


 お店の前では既に遼たちが待っていた。いつものパン屋さんの恰好で。

 しかも恵子さんも、ローラちゃんまでいる。

 

 「おはようございます! みなさん、お仕事でしたか? お休みなのにご苦労様です。

 いいんですよ、私と遼様のためにわざわざお見送りだなんて、たかがデートですもの? おーっほほほほほ」


 すると恵子が言った。


 「お見送り?」

 「違うんですか? それにまだ遼様、お着替えがまだですものね?

 今日はそのー、つまり、何といいますかー、お日柄も良くといいますかー、なんと申しますかー、今日のデートはどちらへ?」

 「デート? ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ。それになんだその格好は?

 ベルサイユ宮殿にでも行くつもりか! 仕方がねえ、そのままでいいから早く乗れ、行くぞ」

 「行くぞって、みなさんもですか?」

 「あたりめえだ、いいから乗れ!」


 ということで、静香お嬢様とみんなはお店のロゴの入ったワンボックスカーでお出掛けすることになったのだった。



 「あのー、今日はみなさんもご一緒でどちらへ?」

 「遼、あんた言ってなかったの? 静香ちゃんに?」

 「言う必要なんてねえよ」

 「だって静香ちゃん、アンタとデートだとばかり思ってたみたいよ。

 こんなおしゃれなヒラヒラの服で」

 「でもいいじゃないですか? 静香ちゃん、とってもかわいいですう!」


 そして恵子は微笑みながら言った。


 「あのね、今日は私たち、お手伝いに行くのよ」

 「お手伝いですか?」

 「いいから黙って乗ってろ、行けばわかる」


 



 1時間ほどすると、クルマは街のあまりきれいとは言えない雑居ビルの前で停まった。


 「着いたぞ、早くパンを下ろせ」

 「?」


 たくさんのパンが入った段ボールを、各々1箱づつ持って静香お嬢様たちは階段で、そのビルの2階に上がっていった。

 そこには多くの子供たちと、数人の大人たちがいた。


 

 「いつもありがとうございます、黒沢さん」

 「ほんと、すみませんねー、せっかくのお休みなのに」

 「遼さーん、パン頂戴!」

 「私も私も」

 「ボクもパン食べたーい、『トーマス』のパン!」


 すると普段は見せたことのない、やさしく微笑むパン王子がいた。


 「みんな、手は洗ったのかな?」

 「うん、ほら、きれいだよ」

 「よーし、みんな仲良く食べるんだぞ、今日は一人、10個ずつだな? 食べ切れない分はおウチに持って行って食べるといい」

 「わーい!」

 「やったー!」


 静香お嬢様が恵子さんに訊ねた。

 

 「ここはどこですか?」

 「ここはね、「子供食堂」よ。

 いろんな理由でお腹を空かせた子供たちや、その保護者がご飯を食べに集まる場所なの。

 私たちは月に1度、ここにパンを運んで来てるのよ」

 「子供食堂?」


 静香お嬢様も名前だけは聞いたことはあるが、実際に来たのは初めてだった。


 「はじめまして、ここの運営をしています米倉です。

 こうして黒沢さんたちには、いつも助けてもらっているんですよ。

 ここの子供たちは「行き場のない子供たち」なんです。

 様々な事情があって、学校にも行けない、そして満足な食事をすることも出来ない子供たちなんです。

 テレビやマスコミは、感染者がどうとか、飲食店がどうとか言っていますが、それによりこの子たちのような、未来すら奪われかねない現状があるのです。

 原宿や銀座を歩いている人は、殆どの人が飢えなど感じないかもしれません。

 食べられるのが当たり前、親がいて家があって、学校に行って塾に通って・・・。

 高校や大学に進学するのも当たり前だと思っているかもしれません。

 でも今、この豊かだといわれている日本で、子供の7人に1人が貧困に苦しんでいるのです。

 ここに来てくれている子供はまだいいのです、問題なのは、子供食堂の存在を知らない、子供食堂に行かせるのは、あるいは行くのは恥ずかしいことだという親もいて、社会から見捨てられている子供たちがたくさんいるということなのです」

 「この子たちはね? 親に虐待されたり、満足に食事が与えられない子供たちなの。

 私も遼もこの子たちと同じだった。

 両親が離婚して、私たち姉弟は母に引き取られて生活していたの。

 私が高校生の時に母親が病気になって死んでしまった。無理をして働いていたからよ。

 だからこの子たちのために、何か出来ないかなあって思ってね? それでこうしてパンを届けに来ているのよ」


 

 静香お嬢様にはまったく無縁の世界だった。

 しかも恵子さんと遼様がそんな苦労をしていたなんて。

 そしてローラちゃんも、


 「私もここにお世話になっていたんですよ。小学生の時からここに来ていました。

 中学を出たら働くつもりでした。

 そんな時、助けてくれたのが恵子さんと遼さんなんです。

 私に勉強を教えてくれたり、高校へも通わせていただきました。

 だから黒沢さんたちは私の恩人、いえ、本当のお兄さん、お姉さんみたいな人なんです。

 感謝しています、恵子さん、遼さんたちには」


 いつも明るいローラちゃんにもそんな過去があったなんて・・・。

 その時、幼稚園くらいの女の子がわたくしのところにやって来た。


 「あのね、お姉ちゃん。

 私、卵で生まれて来たんだって、ニワトリさんみたいに。

 だからね、パパはいないんだよ、ママが言ってた」

 「タマゴって・・・」


 静香お嬢様は涙が止まらなくなってしまった。

 遼が静香お嬢様に話し掛けた。


 「姉ちゃんは高校を出ると、俺のために一生懸命働いてくれたんだ。

 姉ちゃんの夢は弁護士になることだった。俺たちみたいに困っている人を助けるために。

 でも、俺のために進学をあきらめて、俺をパリへパンの修行に行かせてくれたんだ。

 そしてやっと銀行から融資が受けられるようになり、あの店を出すことが出来た。

 静香、お前には知って欲しかったんだ、世の中には必死に生きようとしている人たちがいることを。

 そして、食べるということがどれだけ幸せなことかということを。

 ただカネや物を与えるだけじゃダメなんだ。

 魚を与えるんじゃなくて、魚を獲る方法を教えてあげないと。

 この子たちに必要なのは、食べることと、ちゃんとした教育を受けさせてあげることなんだ。

 生きる希望を、生き甲斐をな?」



 今までわたくしは何をして生きて来たんだろう?

 ただ食べて、勉強して、好きなお買物をたくさんして、やりたい放題に生きていた。



 静香お嬢様は深く反省した。

 そしてそれが当たり前ではないことも。

 ディズニーランドには行けなかったが、恵子さんやローラちゃん、そして王子様とこの子供食堂に連れて来てもらって、本当に良かったと思った。



 その日、静香お嬢様は子供たちと遊んだり、勉強を教えてあげたりして、とても気持ちが安らぐ一日を過ごした。




 帰りのクルマの中で、パン王子が言った。


 「相手の立場で考えることって、本当に大切だよな?」


 静香お嬢様はもっと黒沢が好きになり、恋という憧れが愛に変わった。


 黒沢遼はただのイケメン王子ではなかった。


 やさしい思い遣りのあるイケメンだったのだ。


第7話 恋のライバル出現!

 「静香、この夕張メロンパン、店に並べて来い」

 「はーい」


 静香お嬢様は毎日がルンルンであった。


 やさしい恵子お姉ちゃんにカワイイ妹のローラちゃん。そしてお兄ちゃん? 恋人? 旦那様? 王子様? キャーッ! そして遼様と一緒に働くこのしあわせ。もう最高!


 (ずっとこのままみんなで暮らせたらなあー)


 なんてことを考えてニヤケていると、そこへあの女がやって来たのだった。

 そう、永遠のライバル、綾小路友理恵が。



 「あーら、西園寺静香。

 アンタこんなところで何をしていらっしゃるの?

 西園寺財閥の御令嬢ともあろうあなたがみっともないわね? パン屋でアルバイトだなんて。

 DAIGOさんに頼んで時給をアップして差し上げましょうか?

 私なら「海崎パン」ごと買い占めてしまいますわよ、オーッホッホッホッ

 やはり噂は本当でしたのね? あなたがここで時給850円で働いているという噂は?」

 「どうしてアンタがここにいるのよ! 綾小路友里恵! 早く出て行きなさい! シッシッ!」


 綾小路友里恵と静香お嬢様は幼稚園から大学まで、ずっーと一緒のライバル同士。

 いつもふたりは何かと張り合っていた。


 静香お嬢様がリカちゃん人形を買うと綾小路友里恵はバービー人形。

 静香お嬢様が『きのこの山』を食べていると綾小路は『たけのこの里』という具合だった。

 『嵐』と言えば『V6』、『一平ちゃん』といえば『UFO』、『パンダ』といえば・・・、キリがないのでそういう間柄であったというわけだ。



 綾小路友里恵はいつも静香お嬢様の弱点や失敗を探すことが生甲斐だった。

 静香お嬢様の不幸は綾小路の喜び、静香お嬢様のしあわせは綾小路友里恵の妬みや嫉みになっていた。


 西園寺家と綾小路家と言えば、三井と住友みたいな財閥関係にあり、・・・いや待てよ、三菱? 安田? まあどうでもいいや。

 とにかく両家は何かと仲が悪かった。

 ちなみに綾小路友里恵は、綾小路きみまろとは何の関係もない。



 「あんたには関係ないでしょ! 私が好きでやっているんだから!」


 静香お嬢様は綾小路を無視して夕張メロンパンをお店に並べ始めた。


 「何よ、このしょぼいパンは?」

 「アンタね? 私のことを悪く言うならまだ許してあげる、でもね、このパンの悪口を言うなら許さないわよ。

 このパンはね・・・」


 そこに遼がやって来た。


 「何をやっているんだ、他のお客様にご迷惑じゃないか!」


 すると、まるで雷にでも打たれ、透けて骨が見えるように綾小路友里恵が呆然としていた。


 「ちょータイプなんですけど・・・」

 「あんた何言ってくれちゃっているわけ? いいから早く帰んなさいよ! 二度と来るな! アンタなんか出禁よ出禁!」

 「あのー、パン王子様、このお店のパンを全部包んで下さらない?」

 「この店のパンは5個までだ、それ以上は売れない。

 アンタ、静香の友だちか?」

 「い、いえ、ただの知り合いです。友だちなんかじゃありません、こんな足の臭い女なんか!

 わかりました、じゃあお勧めのパンを5個下さい(ポッ)」


 綾小路友里恵は完全にパン王子にメロンメロンパンチを喰らってしまった。


 「食パンマンさまー」


 ドキンちゃんかっつーの!


 というわけで、だんだん物語はややこしくなって行くのであった。


 どうなる? 静香お嬢様の恋の行方は? そして作者のやる気は大丈夫か!


 ではまた。バイバイキーン!


第8話 招かれざる客

 工房の中で静香お嬢様がパンを焼いていると、お店で大きな物音がして、ローラが何やら叫んでいるのが聞こえた。


 「どうかしたのかしら?」


 それに気付いた黒沢が作業を中断して店に飛び出して行った。



 「黒沢さんさあー、あの話、考えてくれましたかねー?」

 「お断りしたはずです。ここを出て行くつもりはありません」

 「じゃあー、しょうがねえなー。

 あんたが首を縦に振るまで毎日、ここにパンを買いに来るしかねえなあー」


 この男、語尾を長く伸ばすのが好きらしいー。



 そこにはいかにも『闇金 ウシジマくん』に出てくるような人相の悪い男たちが5人、薄笑いを浮かべて立っていた。

 そのうちのひとりが持っていたパンの乗ったトレイを、床に思いっ切り叩きつけた。


 「悪りい悪りい。つい手がすべっちまった。

 オネエちゃんがあんまりカワイイからつい見惚れちまったよ。

 ごめんなあ、せっかくのおいしい、おいしいパンが台無しになっちまって。

 同じパンを買うよ、このパンも一緒にな?」

 

 落ちたパンを笑いながら足で踏みつける男たち。



 「こんなクソ不味いパンなんか食えるかよ!」

 「警察を呼びますよ!」

 「どうぞどうぞ。俺たちは客だぜ? ねえ皆さん、このパン屋さんは客を暴力団呼ばわりしていますよー!」


 関わりたくないお客さんたちは、パンを戻し、次々と店を出て行ってしまった。



 「ここだけなんですよねー? 立ち退きをしてくれないのはー。

 黒沢さん、あんただけー。

 何とか協力してくれませんかねー、黒沢さんー。

 俺たちを助けて下さいよー。

 そうじゃないと、色々困ったことになるんですよー。

 お互いにー。

 俺たちもねー、ガキの使いで来てるんじゃないんでねー。

 おい、健太ー!」


 すると、そこへニコニコと笑顔の可愛い中学生くらいの男の子が前に進み出て来た。


 「コイツ、変なやつでねー。

 小学生の時、母ちゃんの彼氏を包丁でメッタ刺しにしたんですよー、こんなジャニーズみたいなかわいい顔してー。めった刺しですよー、めった刺しー。

 そんなこいつがここの『トーマス』さんのパンがエラく気に入っちゃっいましてねー。

 毎日でも食べたいっていうんですよー。

 そうだなー? 健太ー?」

 「うん、ボク、ここのパン、好き。

 毎日食べたい」

 「そうかそうかー、いいんだぞー、毎日ここに食べに来てー。

 毎日ここにおいしいパンを買いに来てもー。

 健太、ここのパンは本当にうめーもんなー?」

 「ここのパン、美味しい」


 黒沢が叫んだ。


 「帰ってくれ! 営業妨害で弁護士と相談して対処させてもらう!」

 「いいだろうー。丸山弁護士か、橋本にでも相談すればいいよー。

 じゃあ、また明日来ますから。毎日。バイバイキーン」



 男たちが店を出て行った。

 その少年は振り向き、笑顔で手を振っていた。


 「伊丹十三監督の『マルサの女2』みたいな話って、本当にあるんですね?」

 「ここに大型商業施設とマンションを建てたいらしいんだ。

 でも、本当に悪いのはアイツらじゃない。

 嫌な仕事はアイツらにやらせて、表ではテレビでバンバン宣伝しているようなマンション業者と、それに金を貸している銀行、そしてそれで利益を還流させている政治家たちなんだ」

 「だったら森本毅郎さんとナッチャンのやってる『噂の東京マガジン』で取り上げてもらえばいいんじゃないですか?」

 「その番組、もう終わってるぜ」


 黒沢は静香お嬢様の提案を鼻で笑った。


 「何よそれ! 人がせっかく心配しているのにー!」

 「そんな簡単なもんじゃねえんだ。静香が心配してくれるのはありがたいがな?」



 何とかしなくっちゃ、ここのお店とみんなを守らないと。


 どうしたらこのピンチを乗り越えられるか、静香お嬢様は真剣に考えていた。


第9話 攻めてくる恋仇

 「ごきげんよー! パンは5個までだったわよねー。

 今日は何にしようかしらー? うーん、迷っちゃうー!」

 「アンタ、また来たの? 性懲りもなく!

 また嫌味を言いに来たんなら早く帰ってよね、忙しいんだから!」

 「静香なんかに用はないわ。

 どうでもいいから早くう、王子様を呼んで来て頂戴」

 「オーナーは手が離せないの! 忙しいの!

 友里恵なんかと話している時間なんてないんですからね!

 それに私の大切なダーリンを王子様だなんて、1億年早いわよ! ボケ!」


 静香お嬢様は興奮して来ると、言葉遣いがヤバイ人になるのだ。


 「私の大切なダーリンですって? どうせ静香の独りよがりでしょ?

 残念だけど、今日のところは王子様が焼いた、美味しいパンだけを買って帰るしかなさそうね?

 いいわ、明日も来るから。

 毎日来ちゃうもんねー。

 郷ひろみじゃないけど「会えない時間が愛、育てるのさ」なのよねー(うっとり)」

 「どうしたの? 急にしおらしくなっちゃって。

 どこかに頭でも打った?」

 「アンタにはわからないわよ、この切ない乙女心のキュンキュンが。

 いいこと? 恋に障害は付き物なの。

 そしてその障害が大きければ大きいほど、恋の炎はメラメラと燃え上がるのよ。

 大炎上するの、消防自動車でも消せやしないわ!

 考えてもごらんなさい、すんなり結ばれちゃったら月9ドラマになんないでしょ?

 ふたりが出合いました、エッチしました、気持ち良かったです、おしまい。

 そんなの面白くも何ともないじゃない? 誰も見ないわよ、そんなドラマ。

 王子様に会えないこの辛さ、切なさ、嘆き、悲しみが、私と王子様の恋の炎を燃やす薪になるのよ、そしてバンバン燃え盛るの、ふたりの愛の炎が!」


 友里恵はすっかり宝塚女優になっていた。

 オスカル様ああああ、アンドレえええええええ



 そこへ恵子さんがやって来た。


 「あら、静香ちゃんのお友だち?」

 「いえ、ただのクレーマーですから、すぐに追い出します」

 「そんな風には見えないけどね? 仲の良いお友だちにしか。うふっ」


 この恵子お姉ちゃんは絶対に将来、吉永小百合さんみたいになってJR東日本で東北を回るはずだ。


 

 「この静香とは大違いの上品なスタッフさんは誰なの?」

 「アンタには関係ない人よ、永遠に!」

 「もしかして、王子様のお姉さま?」

 「王子様って、弟のこと?」

 「やだ、お姉さまでしたの? わたくし、綾小路財閥の一人娘、綾小路友里恵と申します。

 お目に掛かれて光栄ですわ。お姉さま」

 

 友里恵は自分で自分を良い家柄の娘だということをアピールできる、すごい自信家だった。


 「すごいのね? 綾小路財閥のお嬢さんだなんて。

 初めまして、黒沢恵子です、いつもお買い上げいただき、ありがとうございます」

 「いいんですよ、恵子さん、こんなヤツにご挨拶なんて。勿体無い。

 せっかくの恵子さんの品位が穢れてしまいますから。

 綾小路といっても、綾小路きみまろの方ですよ、まったく、図々しい!」

 「私、きみまろさんって好きよ。

 あの人って、ああ見えて、ものすごい苦労人なのよ」

 「知りません! 知りませんけど友里恵、早く買って、早く帰りなさい! シッシッ! ハウス!」

 「気志團のボーカルさんも確か、綾小路翔さんだったわよねえ?」

 「恵子さん、もう大丈夫です、綾小路の話は」



 その時だった、あの、健太少年が笑顔で店に入って来たのは。


第10話 恵子の決断

 「うわー、みんな美味しそうだなあ? いただきまーす」


 健太少年はニコニコしながら手掴みで陳列棚のパンを次々と食べ始めた。


 「ちょっとアンタ、何してんの! やめなさい!」


 静香お嬢様の制止も効かず、美味しそうにムシャムシャとパンを頬張る健太少年。


 「ちょっと何なのこの子? 少し病気なの?」


 友里恵が言った。


 「止めて! 止めなさいってば!」


 騒ぎを聞いて黒沢が店に出て来た。

 

 「おい、お前! 何をやってんだ!」


 健太がポケットからバタフライナイフを取り出した。



 カシャカシャ カシャーン



 鮮やかに手慣れた手つきでバタフライナイフを健太は構えた。


 「お姉ちゃんたち、うるさいよ。

 ボク、お食事中なんだから静かにしててね? そうじゃないとこのお店のパンがお姉ちゃんたちの血で赤くなっちゃうよ」


 少年はそのナイフを持って静香お嬢様に襲い掛かって来た。



 「危ないっ!」


 とっさに静香お嬢様を庇った黒沢が、大腿部をナイフで刺されてしまった。

 

 「キャーッ!!」

 「遼!」


 静香お嬢様たちの悲鳴が店内に響いた。


 「救急車! 救急車と警察に電話!」

 

 健太少年はニコニコしていた。

 まるで鬼ごっこを楽しんでいる子供のように。


 「だから邪魔しないでって言ったのになあ。

 今度はもっと痛くしちゃうよ。

 死んじゃったりして。あは、あはははは」


 健太は右手には血の付いたナイフを握り、左手でクロワッサンを食べていた。



 そこに昨日の男たちが笑いながら店に入って来た。


 「こらこら健太。ダメじゃないかそんなことしちゃあー。

 また、お巡りさんに連れていかれちゃうぞー」

 「だってこのお姉ちゃんたちが悪いんだよ。

 ボクのお食事の邪魔をするから」

 「わかったわかったー。

 さあ、今日はそのくらいにして、また、明日来ようなー」

 「明日もここのパン、食べに来てもいいの?」

 「ああ、いいともー。

 毎日でもいいぞー。たくさん食べなさい、ここのパンは美味しいもんなー」

 「ワーイ、ワーイ!」

 「すみません、この子がご迷惑をかけてしまってー。

 おいくらですかー? パンの代金はー?」

 「どんなことをされても、ここは出て行かないからな!

 間も無く警察がここへ来る!」

 「警察ねえー。

 黒沢さん、私たちの商売はねー、警察はあまり怖くないんですよー。

 私ね、法学部中退の元司法書士でしてねー。

 替え玉はたくさんいるんですよー、この業界にはねー。

 豚骨ラーメンみたいにねー。「ハイ、替え玉一丁!」みたいにー。

 私たちには前進あるのみ、バックギヤは壊れちゃってるのー。 

 健太は精神鑑定で無罪釈放ですよー。

 こいつは病気なんですよー、かわいそうにー。

 だから何度でも来ますよー、黒沢さんがYESと言うまでねー」



 すると恵子が言った。


 「わかりました。ここを出て行きます。

 その代わり、条件があります」

 「何ですかー? その条件とはー?」

 「姉ちゃん!」

 「これは私たちだけの問題じゃないの。静香ちゃんやローラにも、これ以上、迷惑は掛けられないわ。

 もちろんお客さんにもよ」

 「ではお聞かせ下さい、その条件とやらをー」



 静香お嬢様は救急車に同乗し、黒沢に付き添った。


 「静香、ごめんな? 怖い思いをさせて」

 「ごめんなさい、私の代わりにこんなことになってしまって・・・」

 「俺は大丈夫だ。でも、姉ちゃんの考えも分かるんだ」

 「遼は出て行きたくないんでしょう?

 みんながしあわせになるいい方法はないのかしら?」


 黒沢は静香お嬢様の手を強く握った。


最終話『太陽と麦の王国』

 黒沢の傷は大事には至らなかった。

 静香お嬢様は執事の大野に今回の騒動について話をしていた。


 「ホントに大変だったんだから、危うく殺されちゃうところだったのよ、わたくし。

 遼に守ってもらったけど、遼に怪我をさせてしまったわ」

 「それは大変でございました。して、遼様のお怪我の具合は?」

 「大丈夫だったみたい。「傷は残るかもしれない」ってお医者様が仰っていたけど。

 ねえ爺、お父様に言って、悪徳業者の建設計画を阻止してもらうわけにはいかないかしら?」


 すると執事の大野は、諭すように静香お嬢様にこう言った。


 「お嬢様、それはなりません」

 「どうしてダメなの? お父様なら出来ることでしょう?」

 「我が西園寺財閥にとってはもちろん容易なことでございます。

 ですが、それをしてはなりません」

 「どうしてよ?」


 口を尖らせる静香お嬢様。


 「それはみんな、必死で生きているからです。

 ライオンに食べられるシマウマがかわいそうで、シマウマを食べるライオンは悪者なのでしょうか?

 そしてライオンの食べ残しを待っているハイエナたちに、生きる権利はないのでしょうか?

 みんな生きることに真剣なのでございますよ。お嬢様。

 物は考えようです、あの狭く、駐車場もない場所でパンを焼くよりも、今回のお話、けっして悪いことではないと、爺は思います。 それに・・・」

 「それに何よ?」

 「お嬢様は変わりました。とても成長なさいました。

 遼様たち、みなさんのところで働くようになって。

 爺は、爺はうれしゅうございます。ううううっ・・・」

 「何も泣くことは無いでしょう? 恵子さんの計画、私は大賛成よ。

 通うのにはちょっと大変だけどね?」

 「いっそのこと、あそこへお住まいになってはいかがです? 遼様と?」

 「バカバカバカバカ、爺のバカ!

 もう、何言ってくれちゃってんのよー、爺ったらもう!

 私は遼と一緒にいるだけで幸せなの! 恥ずかしいからもう止めて頂戴!」



 (そんなふうに遼と一緒に暮らせたらなあ)






 恵子の出した条件とは、限界集落の廃校を譲り受け、過疎の村でみんなで共同生活をすることだった。

 小麦やお米、野菜を作りパンを焼き、お料理やパンを提供するレストランも作る。

 野菜を売ったり、ネット販売もしたりして、その収益で社会から見放された人たちとコミュニティを作る。


 図書室には全国から本を寄贈してもらい、教室を改装して生活が苦しい親子や、ワケのある人たちが一緒に働き、共同生活をする。

 宿泊施設も作り、観光客も誘致する。



 都会の喧騒を離れ、みんなでお互いに助け合って生きる夢のような暮らし。

 それが恵子の考えた『太陽と麦の王国プロジェクト』だった。



 限界集落で暮らす老人たちと一緒に、自然の中で共に学び、語らい、汗を流して美味しいご飯を食べる。

 貧富の差がない、思い遣りの助け合いのキングダム。





 そうして『太陽と麦の王国』は生まれた。


 若い人たちも集まり、王国は次第に豊かに活気付いていった。


 ただ、食事を与えてあげるだけの子供食堂ではなく、子供たちの可能性を見つけて伸ばしてあげることができる場所としても王国はその役割を広げていった。


 大学生や主婦、教員を退職した人たちがボランティアで子供たちの勉強も見てくれていた。

 そしてあの綾小路友里恵も張り切っていた。


 「いい? その方程式に代入するのはね・・・」


 すっかり子供たちの人気者になっていた。



 国に頼って文句や批判をするのではなく、自分たちでお互いに出来ることを持ち寄って生きて行く。

 そして男女が集まれば当然、そこで恋も生まれた。


 結婚し、子供たちも産まれ、村人みんなで家族のように育てた。

 捨てられた村、置き去りにされた人たちは徐々に命を吹き返していった。




 そして3年が過ぎた。


 「ねえ、遼、 最初はどうなるかと思ったけど、ここに来て本当に良かったわね?

 ここには何もないけど、何でもあるもの。

 きれいな空気と美味しいお水、そして大勢の仲間の笑顔がある。

 すごい贅沢だわ、ここは天国、楽園ね?」

 「そうだな? ここではみんながひまわり、太陽のように輝いているもんな?」

 「あなた」

 「静香」



 うららかな春の日差しの中、村の小高い丘の桜の花の咲く木の下で、黒沢の作ったサンドウィッチを食べて微笑むふたりがいた。

 そして静香お嬢様のお腹にもうひとり、早くパパとママに会いたがっている幼い命が宿っていた。


 村に点在する山桜が美しく、黄色い菜の花畑に春風が吹き抜けて行った。




          『静香お嬢様とイケメンパン屋 黒沢遼のパンも焦げちゃう熱々恋の物語』おしまい


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【完結】静香お嬢様とイケメンパン屋 黒沢遼のパンも焦げちゃう熱々恋の物語(作品230505) 菊池昭仁 @landfall0810

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