第11話 魔神

 竜の咆哮を聞いたアマーリエは、見晴台に登ると、西の彼方を見つめた。

 ヴァールハイトを抜き、その切先を暗雲が湧き立つ大橋の空へと向ける。

 ランメルトが、彼女を追ってやって来た。

「アマーリエ様、今の咆哮は…」

 振り返った騎士団長の瞳を見て、彼は武者震いをした。

「決戦の表明と受け止めた。直ちに全力出撃だ!」

 しかし、まだ連携作戦の日付は…その言葉を飲み込むと、ランメルトは「御意」とだけ答えた。


 六百騎の猛者たちは、白銀の髪を靡かせる騎士団長を先頭に、新たな芽吹きに彩られたばかりの“なれ果て“の草原を疾走した。大橋まで直線で進めば、60km弱。人の脚では不可能だが、馬ならば半日で踏破できる距離だ。道すがら斥候とすれ違い、アンカンシエルの戦況を知る。


 夜になると、対岸でちらちらと筋を引く炎が見て取れた。

「お待ちを、アマーリエ様!他の騎士たちは、アルヴィほどの良馬ではございません、一旦、休憩を」

 ランメルトは先頭を数馬身、引き離して疾走するアマーリエに追いつき、彼女を諌めた。

 アマーリエが愛馬を休ませると、ランメルトの馬は泡を吹いて倒れてしまった。

「夜明けまで休憩とする!火は炊くな!だが、食事はしっかり摂っておけ!」

 アマーリエは干し肉を齧りながら、軍議を開いた。

「敵の目は、竜に釘付けのはずだ。後背には防御柵や塹壕の類は無い。肉薄は容易だろう。しかし、クェルラートへ送った者が到着するのは、どんなに早くても夜明け頃になる。風はどうか?」

 ホーランドが、人差し指を舐めてから、天に翳した。

「この季節は、夜半から早朝までは、凪になります。昼から午後にかけて、南風が強くなって来ます。恐らく、明日も暦通りの風が吹くでしょう」

「貴卿は、モルテ=ポッツの近くの生まれであったな。昼頃のアレは、クェルラートまで届いているだろうか?」

 ランメルトの問いに、ホーランドは首を傾げた。

「逆風だと、音は伝わり難いものです。しかし、あのような咆哮は、初めて聞きますので…どうでしょう。すみません、私には計りかねます」

 アマーリエは彼の言葉に頷く。

「明るくなれば、我らを遮るものは、この平原には無い。タンクレディが、昼間のうちに船を出していれば、明け方には大橋に姿を現すだろう。しかし、そうでない場合、早くても夕方頃。しかしそれまで、高みの見物をさせては、もらえないだろう」

 オラースが主張する。

「斥候の話じゃ、竜を先頭に立てて、すでに総力戦がおっぱじまってるってゆうじゃねぇか。フラムのイナヤ嬢が、どうして、挟撃の日取りを待たなかったのかは、ともかくだ…備える時間を与える前に、背後を襲って混乱を掻き立てるべきだ」

 ラバーニュが続けた。

「ボードワンの坊さんも、ミュラーやスタンリーも、あそこで戦っているのであろう。今すぐに馳せ参じたいのは山々だが、馬を休ませないとならん。それに、夜は蛮族たちに分がある。奴らには悪いが…明け方に合わせて攻め込むべきだ。しかし、それが待てる限界だ。タンクレディのタイミングを待つ事はできない」

 騎士たちが頷くのを見渡し、アマーリエが決断を下す。

「夜明け前に出立し、日の出と共に、敵の後背を襲撃する。見張りを立てて、交代で仮眠をとれ」


 従者が用意したオイルドコットンを敷いただけの寝床に横たわり、アマーリエは星空を眺めた。

 街の灯りも無い“なれ果て“の早春の夜空は、人族と蛮族との永劫の戦いの歴史など、まるで知らぬそぶりで美しく、そして冷たく瞬いている。

 目を閉じ、一年前の冬のことを思い出していた。

 それは、ハロルド城市で再会したボードワンとのやりとり。彼女が生まれた頃から、すでに父の側近の一人であった彼は、常にアマーリエのことを気にかけ、時に口やかましく、時に慈しみを込めて、彼女の成長に寄り添ってくれた。アマーリエが初めて、人を殺めた夜にも、その屍の側で眠ることを父から要求されて過ごした時間も、そっと扉の外で見守ってくれたのが、彼だった。

 扉の外に、彼がいてくれた事が、どれほど心の支えになったものか…。

 アマーリエが、亡者の幻影を見るようになったのも、その頃からだった。

 ロロ=ノアが謎解きをしてくれたのは、ほんの数年前のことだ。彼女曰く、アマーリエの死が近くなると、亡者はアマーリエの姿を認識できるようになるという。

 そして、皇帝軍との戦闘の際、ギレスブイグの罠から抜け出し“神格化“の境界線に足を踏み入れた状態、まさに今際の際にて、彼女に付き纏う亡者たちの真の目的を、ようやっと知るに至る。

「その力は…そう、それは力だ。アドルフィーナによるギフト、またはカースとも呼べる」

 大司教ボードワンは、アマーリエの依頼により儀式を行い、そして神託を得た。

「その力により、お前さんは、自ら殺した者たちの魂を縛り、同時にその魂を救う責務を負う」

「私は、呪われてるの?」

 アマーリエの問いに、ボードワンは答えた。

「父から教わらなかったか?領主という者は、常に加害者であらねばならぬ。この場合においても、呪いの元凶は、お前さんだよ。被害者は、絡め取られて成仏できぬ死者たちの方じゃ。お前さんは、彼らを呪いから解放してやらねばならん。でなければ、いずれ代償を払わされることになるじゃろう」

 まったく別の声が、アマーリエの夢うつつを妨害した。

『これ、起きろ。またぞろ、珍しい客人ぞ』


 はっと目を見開くと、夜空は暗闇に閉ざされ、満天に広がる星空は、赤い2つの光源だけになっていた。アマーリエは短剣を抜くと、その腹に押し当てた。

 彼女に覆い被さるようにして、顔を覗き込んでいた“それ“は、アマーリエの口元に何かを押し当てた。漆黒の包帯が巻かれた、人差し指だった。

 赤く光る瞳…星空のどこかに浮かぶ、名も無き星雲のような…深く、ほの暗い光。

 クルトを連れ去った時に、神殿の窓を開けた蛮族の瞳と、それは同じ輝きだった。

「夜明け刻、戦場にて会おう」

 実際には、犬歯ばかり並べたような歪な口が、空気をだだ漏れにしながら、奇妙な発音で告げた下手くそな共通語だった。しかし、脳裏では、流暢な西方共通語のように感じた。

「ハルトマン…?」

 なぜ、その名を口にしたのかは分からなかった。しかし、目の前の赤目の蛮族の言葉を聞き、その名が自然と口から出ていた。


「何か、おっしゃいましたか?」

 すぐ傍で寝ずの番をしている従者が、声をかけた。

 宵闇を纏った蛮族は、墨を一滴、水に垂らしたかのごとく、夜に溶けて消え失せた。

「魔術…」

 そう呟く彼女の手に、短剣があるのを見た従者は、剣を抜いて近寄る。

「いかがしましたか?」

 アマーリエは、蛮族に触れらた唇に手を当てた。

「いえ、何でも無い。夢を見たようだわ。あなたも今のうちに、少しだけでも寝ておきなさい」

 頭が、夜の空気のように、すっかり冴え渡っていた。

 アマーリエは、身体を包む魔法の甲冑に、思念を送るが、いつものように返答は無かった。


 甲冑といえども、十把一絡げに“魔剣“と定義される魔導具である以上、“試練の呪い“は存在する。知識と意思を持つ、この老人のような話し方をする集合意識体のスタンスは、宿主自身の成長による“神格化“であり、防具としての責務は果たすが、過度な手助けや入れ知恵は避ける…というものだ。どうやら、それは甲冑自身が定めるギリギリのラインとやらで、忠実に実行されているようだ。


 もはや貝となった甲冑の集合意識体には、いくら話しかけたところで、いつもように埒があかない。

 遠慮する従者を無理やり急拵えの寝床に押しやると、アマーリエは空が青さを思い出すのを待ち侘びるように、草原に佇んだ。



「左後方、辺境騎士団だ!」

 空の明かりが、まだ地上を照らし出す前の、ほんのわずかなひととき。クルトは魔獣ダイアウルフの背中に跨り、赤目の蛮族軍の先頭を走っていた。

「本当に、こっち側にいたんだな。大胆不敵というか、無謀というか、まったく呆れるよ」

 ハルトマンの指摘で後方を向くが、クルトの目にはそれらしい軍勢の姿はまだ、見えない。だが、彼が言うのだから、本当なのだろう。

 竜の咆哮を聞いた“病の王“軍は、潜伏地から抜け出してアンカンシエルを目指して進軍した。

 そして昨夜、ハルトマンは“シャドウストーカー“を使わし、アマーリエとコンタクトした事を告げると、夜明け前に辺境騎士団の軍勢と共に、“蛮族王“の後背を挟撃すると言い出した。


 アンカンシエルに群がる“蛮族王“の軍勢たちは、焚き火で肉を焼き、酒を呑みながら明け方まで盛んに騒いでいたが、数刻前から急に静かになっている。

 普段の蛮族たちは、夜明けに眠る。

 千匹の蛮族の足音と、六百騎の馬の蹄の音が、“蛮族王“軍の根城の前で互いの姿が見えるほどに接近した。

「おい、蛮族だぞ!?」

「敵かっ!」

 驚いたのは、辺境騎士団の兵士たちだ。

「クルト!ハルトマンも!」

 アマーリエが叫ぶと、先頭を走る魔獣の上で、二人の騎士が手を振って応えた。

「聞こえた者は、後続へ伝えよ!赤い目の蛮族は、味方だ!」

「なんと…姫、正気ですか!?そんな事が…」

 異を唱えるランメルトに、アマーリエは言った。

「すぐに、分かる!」


 日の出前、突如として襲いかかる敵の存在に、蛮族の数匹は気がついた。しかし、這々の体で逃げ出すだけで、組織立っての迎撃を指揮する者はいなかった。

 飛び起きた蛮族たちは、辺境騎士団の騎馬に蹂躙され、右往左往しているところを、赤目の蛮族に斬り伏せられる。奇襲と裏切りによって、混乱した蛮族王軍の戦士たちは、逃げ惑い、川へ飛び込み、勘違いして味方を斬りつけた。やがて、アンカンシエルの“なれ果て門“に、逃げ場を求めて殺到する。

 オラースはモールで逃げまどう蛮族の頭部を粉砕し、ラバーニュは癖の強い太刀筋で蛮族の背に斬りつけ、シュタッツは襲い来る武器を長槍で弾き、ペルスヴァールは長弓の弦を鳴らして、オーガーの目を射抜いた。

 先頭で隊を誘導するアマーリエは、手綱を手放したまま、すれ違いざまに魔獣の頭部を両手剣を振るって断ち割る。ランメルトとケレンは、長剣を駆使して左右から襲いかかる蛮族を剥ぎ倒し、アマーリエをカバーした。

 赤目の蛮族の存在は、その数以上の脅威となった。寝起きざま、味方から斬りつけられるのである。混乱は避けられない。蛮族たちは疑心暗鬼と恐怖に駆られ、ただ逃げ惑う。

 奇襲攻撃は、成功したかに思われた。いや、完全に成功だった。

 今、この時までは…。


 竜が川に飛び込み、身体をうねらせて、瞬く間にグランフューメを泳ぎ渡る。

 そして、蛮族王の軍隊を踏み潰した、と思うのも束の間、竜は赤目の蛮族たちに喰らい付いた。

 もはや、蛮族王の軍など目にもくれず、病の王の軍勢に集中砲火だ。

「くそっ竜の奴、完全にお前狙いだぞ!」

 クルトは魔獣を操り、竜の鉤爪を躱すと、ハルトマンの傍を並走した。

「分かっているなら、私から離れろ!巻き添えを喰らうぞ!」

 執拗に追い立てられ、前脚の鉤爪と尾の鞭打ちを避けると、ハルトマンは竜との距離を離した。地を這う竜の移動速度そのものは、ダイアウルフには及ばない。

「敵だらけの場所で、一人で戦えってか?冗談だろ」

「姫と合流するのだ!お前の守護神ならば、狼を飼い慣らすことくらいは造作あるまい」

「これが、狼だって?…そうなのか?」

 クルトは、蛮族を薙ぎ倒しながら、それでもハルトマンの側を離れようとしない。


 近くをすれ違ったアマーリエが、竜に向かって声を張り上げた。

「イナヤ!聞こえる!?赤い目の蛮族を攻撃しないで!」

 躍起になって蛮族を剥ぎ倒す竜の背で、イナヤは必死に鞍にしがみついていた。

「無理なのっ!呪いの所為で、正気を失ってる!あぐぅ、首がもげ…」

 竜が横向きにジャンプし、蛮族を倒しながら旋回していたハルトマンの進行方向に、若草を大地ごとむしり取りながら、着地した。

 鼻先を塞がれた二人の騎士は、ダイアウルフの背から振り落とされた。元々、粗末な造りの鞍と革紐の手綱しかなかった。乗り手の存在が動きを妨げると判断した魔獣は、身体を震わせて騎手を振り落とすと、一目散に逃げ去ってしまった。


 腰と背中を打ちつけた二人の元に、鋭利な鉤爪が迫った。


 その動きが、竜の咆哮と共に中断される。

 イナヤは異変を感じて振り返った。

 竜の背中に、黒い羽付きマントを羽織った、児童が張り付き、その鱗に深々と短剣を突き立てていた。



 数秒前、アンカンシエルの中間地点にある砦の一室で、“竜討伐隊“と、“クルト&ハルトマン捜索隊“の面々は意識を取り戻した。

 外は騒がしく、部屋の中には一同の他に、呆けたように上向き加減で玉座に座る、大柄な蛮族が一体。窓が開けられ、アーデルハイムの姿は無かった。

 野伏の一人が、嘔吐する。

 目覚めは最悪だった。眩暈と頭痛、記憶の混乱…。

「こいつ、親玉だろ…病気なのか?」

 シャルルはいち早く、冷静さを取り戻した。

「ここにも、蛮族の死体があるよ」

 ル=シエルは、眉間に穴を開けて床に転がる、大柄な蛮族の死体を指差した。獣の毛皮を纏い、油で煮詰めて乾燥させた革鎧に、たくさんの鋲を打っている。首元には、貴金属でできた鎖を何重にもぶら下げ、さぞや、立派なご身分なのだろうと推測できた。

「そいつは、部下だ。部族の長とか、指揮官といったところだろう。で、奥にいるのが、総大将のはずだ」

 シャルルは、時折目覚めた時に得てきた記憶を頼りに、皆に報告した。

「ひぃッ!」と、ヒルダが小鳥のような叫び声を上げた。

 蛮族王の首は、半ばで切断され、露出した気管と血管、筋の類が、ぎゅっと収縮して断面の中に潜り込んだ。代わりに、水のように淡い色の鮮血をぴろり、ぴろりと吹き出し始める。

 剣を半円形に振ることで血油を落とし、クルムドは愛刀を鞘に収めた。

「動かぬとあらば、躊躇する謂れはあるまい?」

 蛮族王は、パヴァーヌの騎士クルムドによりたった今、首を落とされた。

 いとも、呆気ない最期だ。

 アシュリンドは窓から周囲を見渡し、叫んだ。

「竜がいるぞ!」

 窓から顔を出したビョルンが、慌てて顔を引っ込めた。

「恐ろしいッ、ここは橋の上か…くわばら、くわばら…」

「アーディ!」

 ヒルダが叫んだ。

 ベルトルトが窓から身を乗り出して確認すると、川をぐねぐねと泳ぐ竜の後ろ腰あたりに、アーデルハイムの小さな身体が張り付いていた。

「あのガキ、一人で戦うつもりか…とにかく、ここを脱出しよう。出来れば、西側に向かうか、無理なら川に飛び込めばいい」

 ビョルンが異議を述べた。

「阿呆か、蛮族と戦う方がマシだ!」

「いいから、装備を拾え。ご丁寧に一式全部、この部屋にあるみたいだ」

 ベルトルトは、ひとつしかない扉を開けた。


 そこには、死体の蛮族に引けを取らない、豪奢な出立の蛮族たちが屯していた。

 ベルトルトは扉をそっと閉めた。


「まずいぞ…」

 ベルトルトは振り返って、それだけを呟く。

 ル=シエルは、血の気を失って皆を見る。

「何体いたかね?」

 クルムドは、剣を抜きながら尋ねる。

「12体か、そこらだ。並の蛮族じゃ、ないぞ…」

「しかし、行くしかあるまい。扉は一つだ」

 クルムドの言葉に、アシュリンドは「ああ」と頷いた。

 突然、ベルトルトの手からドアノブが引き剥がされ、強引に扉が開かれた。

 3m超えの屈強な蛮族が、胸を張りながら、ベルトルトを一瞥すると、部屋の奥を探るように真っ黒な瞳で眺めた。

「やめてほけ、そいつら王の食糧。殺さでるぞ」

 奥から、別の蛮族が声を出した。発音はまずいが、間違いなく西方の共通語だ。

「ゲシュリンの族長が死んでるぞ。王も動かない」

 扉の蛮族は、流暢な共通語で報告する。

「お疲れのようで、死んだように、ずっと寝ておいでですよぉ…はい」

 ナタナエルは、震える声でそう答えた。確かに、扉からの角度ならば、椅子の背もたれに反り返って、そうしているように見えなくも無い。

 蛮族は鼻を引くつかせた。自然と口が開き、巨大な犬歯のような橙色の前歯が、チラリと顔を出す。

「血の匂い…カビ臭いのは、ゲシュリン族の匂い…もうひとつ、甘酸っぱい…これは、ウルファ族の…血だな!」

 その顔面に、棘の生えた黒い鉄球がめり込んだ。

「あッ!やっちゃった!」

 ル=シエルが目を覆った。

「剣の子らの騎士たちだろ!根性を見せろ!」

 鉄球を喰らわしたシャルルが、喝を入れる。

「俺は、傭兵男爵だがなッ」

 顔面に鉄球を食らっても倒れない蛮族の両膝を、ベルトルトは剣で斬り付け、続いて膝をついて下がった首を薙ぎ飛ばした。

「僕は、無職だよ!」

 ル=シエルは、風の精霊に呼びかけて、味方の加護を依頼する。

 雄叫びをあげて雪崩れ込んだ騎士たちは、もつれ合う様に蛮族たちに斬りかかった。

 広い部屋とはいえ、大勢が剣を振り回して戦うには難がある。

 ソファを叩き切り、椅子を蹴飛ばし、壁を破壊しながら、斬って、掴んで、殴るの激しい肉薄戦が展開された。

 ビョルンは蛮族の足首を斧で切断し、斬られた者は蛮刀を振るって反撃し、誤って隣の仲間の背中に食い込ませる。留目と振りかぶったビョルンは、背後から別の蛮族に掴み上げられ、壁に投げ飛ばされた。壁にめり込んだドワーフに追い討ちを掛けようと近寄る蛮族の足に、フーゴがボーラを投げつけて、妨害する。

 ヴィクトルはモールを掴まれ、彼の腕よりも二回りも太い腕を持つ、巨漢の蛮族と揉み合いになった。

 クルムドとアシュリンド、ナタナエルは壁を背に並び、盾を構えて敵の猛攻を凌ぐ。

 ル=シエルは、その三人に守られる形で、精霊の力で蛮族の動きを鈍らせたりと、目には見えない彼なりのやり方で、奮闘していた。

 シャルルは、その装備と身体つきに不釣り合いな機敏さを見せ、まるで床を転げ回るように動き続け、巨漢の敵たちを翻弄する。

 ベルトルトはヒルダを背に、向かってくる敵だけを相手にしていた。

「ヴィクトル!」

 ベルトルトは、彼の革鎧を着た背中から、蛮刀の切先が覗いていることに気づいた。ヴィクトルは腹を深々と刺されながらも、両手で蛮族の喉仏を押し込んでいた。しかし、ベルトルトの位置からは、蛮族の姿は彼の背中で死界となり、かといってヒルダを置いて援護にも行けない。

「まかせろッ」

 シャルルが眼前の敵の足元をすり抜け、取っ組み合う二人の両脚を滑るように掻い潜ると、蛮族の背骨にモーニングスターを叩き込んだ。

 その瞬間、ぐちゃり、と音を立てて、ヴィクトルの親指が蛮族の喉にめり込んだ。

 蛮族は妙な呼吸音を立てながら、床に転がり悶える。シャルルは、その頭部に留目をお見舞いした。だが、倒れてくるヴィクトルを受け止めようとして、呆気なく押しつぶされる。

 身体に見合わず、怪力の持ち主であるシャルルであっても、ヴィクトルの巨体からは、易々とは逃れられない。

 そこへ、先ほど対峙していた蛮族が歩み寄り、棍棒を振り下ろした。

 目を瞑って覚悟した時、鈍い衝撃が頭部に伝わった。

 ヴィクトルが腕を潰して庇ったのだ。彼は身体を捻って、シャルルを自重から解放させた。その瞬間、目に見えない誰かに腕を掴まれたような感覚があり、彼の身体は床をずりずりとひとりでに移動した。

 精霊の力で間一髪、次撃から逃れたシャルルは、ヴィクトルの後頭部に棍棒がめり込むのを目撃した。

 シャルルは、雄叫びをあげた。

 蛮族は振り返り、シャルルに語りかける。

「お前のような貧相なバルバロイを見たことがない。お前は人間の味方をするのか。一体、何者なのだ」

 シャルルは唸るように答える。

「そんなもん、俺だって知らねぇよ」

 振り上げたモーニングスターは、蛮族の棍棒に絡め取られる。

 シャルルは蛮族の左の拳をかい潜り、そのまま股を通り過ぎて背中によじ登った。

 蛮族は背中に手を回そうとして足掻くうちに、眩暈がして膝を折った。

 左の内股に、シャルルの短刀が突き立っていたのだ。蛮族が棍棒を捨てて、短刀を抜くと、勢いよく鮮血が吹き出す。

「だが、そんなことぁ、どーでもいいんだって気づいた」

 シャルルは、棍棒に絡みついたモーニングスターを掴み直すと、蛮族の頭頂部に叩き込んだ。

「俺はここに居る。ここに居る俺が、俺なんだ」

 蛮族はシャルルを見つめたまま、どうと倒れた。

「俺は今まで斜に構えていた。命懸けで戦えば、答えは簡単だったんだ」


 突如、部屋が大きく揺らぎ、爆音と共に砕けた壁材が部屋中に飛び散る。

 ベルトルトは反対側の壁まで吹き飛ばされ、朦朧とした。

 敵も味方も、鼓膜を痛め、何事かと振り返る。

 壁の一部が消失し、シャルルたちが先ほどまで居た蛮族王の部屋には、日の出に染まるバヤール平原の景色が見えていた。

 竜が咆哮を上げながら、橋の上に並ぶ建物を破壊している。

 ベルトルトは、ビョルンに助け起こされた。

「ヒルダは…?」

 ベルトルトの問いかけに、ビョルンは顔を振った。

「フーゴも、どこかへ飛ばされおった」

 二人の姿は、どこにも無い…。


「こいつらを殺したら、次はドレイクだ!」

 蛮族の一人が、共通語で叫んだ。

 なるほど…異種族の集まりでは、言葉が通じにくい。だから、一族のエリートである彼らは、人族の共通語を利用しているのか…ベルトルトは、瞬間的に気を失うことで、妙な冷静さを取り戻していた。

 しかし、気合が抜けた所為で、身体が急に震え出す。

「俺たちは、ついてるぜ…なぁ、おい」

 アシュリンドも、クルムドも、白髪の老傭兵の言葉に耳を向けた。

「大将首が揃っていやがる…人生最後に、最高の戦争ができてるじゃねぇか」

 ビョルンは、髭の端をニヤリと吊り上げた。

「お言葉ですが…我々は生き残りますよ。まだ、若いので」

 不敵に笑うアシュリンドの元に、クルムドとナタナエルが寄り添い、三人の騎士たちは盾を並べて体勢を整えた。

 外は大混乱、敵の援軍は来ないかも知れない。しかし、蛮族のエリートたちは、まだ九体戦える状態にある。対する生き残りは七人。ハーフエルフを除き、双方ともに満身創痍だった。

「今この時なら、剣の神々にも祈ろう…我らに勝利を!」

 シャルルは、盾を構え直して、名も知らぬ神に祈った。

「我らに勝利を!」

 剣の子らの騎士、戦士たちは、戦勝の祈りを唱和した。



 野獣を失い、地に投げ落とされたクルトは、焦りを覚えた。

 竜は背に取り付いた子どもによって妨害を受けてはいるものの、赤目の蛮族たちを狙うのを止めない。

 空は朝焼けに染まり、地上は夜から昼へと変貌を遂げていた。

 混乱して右往左往するばかりであった蛮族たちは、すでに敵の集団が3つであることを理解していた。

 人族の騎兵、裏切り者の集団、そして双方に被害を与える竜。

 遠巻きに状況を見ていた蛮族たちは、次第に集結しながら、三日月の形となって前者の二集団を半包囲する動きを見せている。

「ハルトマン、このままでは包囲される!騎士団を庇いつつ、後退だ!」

 クルトの叫びを聞いたのか、竜が咆哮を上げた。

「だが、奴は追ってくるぞ」

 ハルトマンは、竜の動きを察知すると、急いでクルトの元へ駆け寄った。

 クルトも竜を振り返る。

 胸を大きく反らし、竜は息を溜め込んでいた。そのボロボロに崩れた胸元から、チロチロと赤い炎が漏れ出していた。

「まさかッ」


 大気が揺れ、衝撃波が先走った。

 赤々と燃えたぎる炎の奔流が、“病の王“の軍勢を目掛けて、一直線に伸びた。

 クルトは、蛮族たちが寄り集まり、自分の前に壁をつくるのを見た。

 ハルトマンの身体が、鎧の隙間から溢れ出し、まるで赤茶色の粘土を伸ばしたかのように薄く広がり、クルトの身体を包む。

 次の瞬間、若草に覆われていた大地は根こそぎ吹き飛ばされ、千の軍勢は炎に呑まれた。

 渾身の一撃を放った竜の巨体は、その反動を踏ん張りきれずにアンカンシエルの上まで押し戻された。

 背中から建物に突っ込み、土煙を上げながらそれらを破壊する。



 声にならない悲鳴を上げ、アマーリエは一面の焼け野原と化した地へ馬を飛ばした。

 口で息をしながら、愛する人の名を呼び続ける。

 行手を待ち受ける蛮族たちを、アルヴィは易々と飛び越え、黒い大地の上に白い流星と化して疾る。

 まるで誰の手にも触れられぬ、白い妖精であるかのように。


 炎と白煙の中、黒い塊があった。

 アマーリエはアルヴィの背から飛び降り、大地を削りながら着地すると、焼け焦げた蛮族たちの屍を掘り起こす。

 その中から、黒い煤を纏った銀色の甲冑を見出し、その身体を引き上げた。

 止め紐が焼けた兜が勝手に脱げ、長い金髪と、髭に覆われたその顔を露わにする。

「ぁぁぁ!」

 抱きしめるアマーリエには、嗚咽をあげるだけで精一杯だった。


「せっかくの甲冑が、煤だらけだな」

 ハッとして、アマーリエはクルトの顔を見る。

 彼は、うぅぅと唸った。

 生きている…生きている…しかし、今の声は、クルトの声では無い。

 彼の背中に、ひばりついているソレを見て、彼女は身を硬くした。

 黒く干からびたその顔は、ひどい火傷を負い、頭髪は半ば失っていた。しかし、驚愕したのは、その所為ではない。首から下が、赤黒い粘液となって、クルトの背中に張り付いていたのだ。

「肺がないと、喋るのも一苦労だ」

 アマーリエは、生唾を飲み込んでようやく声を出した。

「ハルトマン…なのね?」

「会えて嬉しいよ。我が姫君」

 腕の中で、クルトが目を覚まして身じろぎした。

「なんだ…どうなってる?アマーリエか?」

 アマーリエは、おっかなびっくりハルトマンの顔をひっぺがすと、クルトに見せる。

「なんだ…ひどい有様だな…助かるのか?」

「いや、無理だ」

 さらりと、ハルトマンの首は答えた。

 彼の身体の一部なのか、赤黒い粘液は急速に粘り気を失い、水のようにどろどろと溶けていく。

「騎士の中の騎士…それが名だ」

 ハルトマンの言葉に、クルトは眉を顰める。

「それは、俺じゃない。お前にこそ、ふさわしい」

 ハルトマンは、片方の唇を吊り上げて答えた。

「それは、光栄な言葉だ。冥利に尽きる…だが、違うよクルト。君の剣の真名だ。シュバリエ・パルミ・エス・シュバリエ。その剣の呪いに相応しく、姫を守れよ…それと…」

 ハルトマンは、クルトに瞳を向けて言う。

「お前を攫ったのは、嫉妬からだった。許せ…」

「あッ…」

 アマーリエの腕の中で、ハルトマンの顔はぐにゃりと歪み、赤黒い液体となってこぼれ落ちた。

 クルトは少しの間だけ目を閉じた。


 クルトは立ち上がると、辺りを見渡し、自分の剣を拾い上げる。

「どうやら、俺は無事のようだ。竜もまだ、生きている。だが、俺たちのやることは、竜退治じゃないぞ。アマーリエ」

 蛮族たちが、二人を遠巻きに囲み始めていた。

 しかし、アマーリエの視界には、別の者たちが写っていた。

 透き通る白い身体、思い思いの武装、虚な視線。

 葦原での戦闘で戦死した、272名の戦士たち。

 魂の解放と引き換えに、最期の忠誠を果たしに参集した亡霊たち。

 いや、もう一人いた。

 アマーリエは、下唇を噛み締める。

 自分が、その子の年齢すら覚えていないことに気づいた。

 273人目の戦士は、短い外套にフラムの紋章を刺繍し、小ぶりのサーベルを手にしていた。

 アマーリエは静かに応える。

「後ろに逃げても、活路は薄い」

「だな」

 クルトは短く、彼女に賛同する。

「大橋を突っ切って、西方へ帰還する!」

 そう宣言したアマーリエの元に、辺境騎士団の騎士たちが集結した。



 イナヤは、大橋の中央にあるゲートハウスに激突して悲鳴を上げた。

 石壁に脇腹を打ちつけ、鎧がひしゃげた。

 呼吸が苦しく、脇腹と胸が痛んだ。

「我の目となってくれた礼は忘れぬ…」

 竜が喉を鳴らし、思念を彼女に送った。

「何よ、まだ、終わりじゃない…でしょ」

「終わりだ…我の怒りは霧散した。永劫の呪いから、解放されたのだ…おぉ、なんと清々しいことか!」

 竜は咆哮を上げようとしたが、まるで咳き込むように力無く首を垂らした。

「留紐を切って、降りよ。もう、泳ぐ気力も失せた」

「まだって言ってるじゃないッ!テンペスト!ねぇッ蛮族たちを倒してよ!」

 イナヤは胸の痛みを堪え、片目を瞑りながら、早口で捲し立てる。

 その後、「あ…」と呟いた。

 腰を見下ろすと、白く光る筋が下脇腹を貫通していた。

 光はすぐに消え、切断された鞍の留め具が、ぶちりと裂けた。

 身体が重力に負けてずり落ちるのを、鞍を掴んでなんとか堪える。


 テンペストはイナヤに警告する。

「こいつが、蛮族の長だ。身体は小さいが、お前には叶わぬ相手よ。逃げるのだ」

 竜が尻尾を器用に操り、後ろ足の付け根に張り付いた“児童“を叩き落とした。

 川へと落下するはずのその身体は、再び白い光の鞭を飛ばし、竜の背中を突き刺すと、光を縮ませ背中へと舞い戻る。

 イナヤは、盾を投げ捨て、片手で鞍を掴み、片手で脇腹を抑えながら、竜の背中を歩み寄るその姿を見つめた。

 亡くなった異母兄弟ソレイユと、ほぼ変わらぬ年齢に見えた。

 子ども…いや、児童というのが相応しい。

 貴族の装束を身に纏い、上着の裾から覗く、薄手の鎖帷子。手には鈍い色をした針のような短剣を持ち、綺麗に切り揃えられた金髪が、まるで人形のような印象だった。

 綺麗な顔立ちの人形は、およそ年齢に相応しからぬ笑みを、にんまりと浮かべていた。

 邪悪だ…。

 不気味でも、凶悪でも、狂気でもない。

 邪悪こそが、相応しい、とイナヤは感じた。

「何をしている…早く、逃げろ」

 イナヤは竜の背で立ち上がり、剣を構えた。

 南風がフラム伯爵家の紋章を刺繍した外套を靡かせ、赤みを帯びた栗色の長髪を巻き上げた。

 彼女が外套の留め具を外すと、それは空へ解き放たれた大鷲のように、戦闘を繰り広げる兵士たちの頭上を舞っていく。


 蛮族王は、声変わりのしていない児童の声で語った。

「邪魔だ…ドレイクに死なれては困るのだ。早く、そこを退け」

 イナヤは、剣を正面に構えて身構えた。

「遊びたいのか?まぁ、良い。まだ、少しは時間もあろう」

 短剣が煌めいたかと思うと、イナヤの肩を貫き、甲冑に食い込んでいた手斧を飛ばした。

「国人の女は、痛みに強いか…」

 蛮族王は、ゆっくりと背を歩み、一歩進むごとにイナヤの身体を痛めつけた。

 成す術もなく、イナヤは両手をついてへたり込んだ。

 その瞬間、ごう、とうなりを込めて、棘の生えた竜の尾が、イナヤの頭上スレスレに薙いだ。

「ほぅ、まだ元気か。良きかな、良きかな」

 蛮族王は中空で一回転をして、再び竜の背に着せんとし…横へ突き飛ばされた。


 崩れた城壁をよじ登り、満身創痍の七人の戦士たちが姿を現した。

 蛮族王の小さな身体は、ベルトルトが投げつけた、モールの一撃を喰らったのだ。

 だが、今度も川には落ちず、魔剣の力を使い、背中に舞い戻ってしまう。

「はしゃぎすぎて、忘れておった」

 蛮族王が一瞥すると、騎士たちはぴたりと動きを止めた。

 血の束縛だ。

「嬢さん、逃げろ!そいつは、親玉だ!」

 声だけは出せるのか、ベルトルトはイナヤに向かって叫んだ。

「なら、一層、逃げられない!私は、フラム伯のイナヤだ!家名に誓って、戦う義務がある!」

 震える身体を剣で支えながら、イナヤは立ち上がる。

 炎を込めた瞳が前を向くと、すぐ目の前に蛮族王の姿があった。


「その戦い、辺境騎士団が預かる!」

 強い意志と不敵の自信が込められた声が、戦場を駆け抜けた。

 瓦礫や死体が散乱する橋を、蛮族たちを押し倒しながら、白銀の騎兵隊が出現する。

「時間を無駄にしたか…」

 そう呟いた蛮族王は、異質な気配を察知して橋の上へと逃れた。

 しかし、空中で軌道を変えて追尾する半透明の兵士たちは、彼を逃さない。

 およそ児童らしからぬ、怒りを込めて、蛮族王は唸りながら応戦した。

 亡者の振るう剣に触れられるたびに、その身体には何の異常もないままに、しかし蛮族王は呻き、激しくもがいた。実体ではなく、精神を蝕む、亡者の抱擁。

「今の内にイヤナを」

 アマーリエがランメルトに命じると、彼は瓦礫を登って竜の背中へと向かう。

「状況を!」

 アマーリエが叫ぶと、アシュリンドが声を張り上げた。

「蛮族王は、シュバルツェンベルグ公の身体を乗っ取って、竜を狙っています」

「乗っ取る…?」

 アマーリエは、神官位を持つ騎士、ペルスヴァールを呼び寄せる。

 駆けつけた彼は、すでに意図を理解していた。

「憑依を解くのですね。姫の兵士も巻き込みますが…やってみます」

 アマーリエは目を丸くした。

「あなた…見えていたのね」

「ぼんやりと、ですがね」

 アマーリエは、ペルスヴァールの肩を叩くと、アシュリンドに問う。

「なぜ、竜を狙っているの?もう、勝負はついているでしょうに、どの道、長くは持たないわ」

 アシュリンドの代わりに、ナタナエルが答えた。

「それでも、蛮族どもをほったらかして、最優先で竜を狙っています。是が非でも、トドメを刺すつもりのようなのです」

 イナヤが泣きながら叫ぶ。

「この子は、永劫の時を生きた特別な存在なの!邪悪な輩に殺させていいはずがない!」

 一呼吸の静寂の後、シャルルが叫んだ。

「分かったぞ!学会の狙いは、“神格化“だ!」

 アマーリエははっと、呟いた。

「学会…」

 クルトが馬を並べて彼女に告げる。

「奴は、血を飲ませた相手の知識を全て、得ることができる。アーデルハイムの母親は、学会の後援を得ていると噂があった。あの伸びる魔剣と、竜の魂が合わされば…よもや…」

 クルトは、はっとしてイナヤを見上げる。

「フラム公、竜を退げろ、顔を出させるな!」


 アマーリエは想像する。

 新たな剣神の誕生。

 かつて自身の身で、それは経験していた事だ。

 だが今回のそれは、新たな“神の誕生“と言えるのだろうか。

 剣の民たちにとって、はたしてそれは、祝福として受け止めれる相手なのだろうか。

 喜ばれざる者の誕生。

 直感で分かる。

 いや、むしろ確信だ。

 目眩のする未来…。

 それは“魔神“の降臨。


 ペルスヴァールが、うめく。

「そんな…公爵の中にいる者は、不浄に属しません。因果の歪みによって生まれた、魔性の類ではないのです。元々、この世に存在している…私の神の力では…」

 アマーリエは、鋭い口調でクルトに尋ねた。

「救う手立ては?」

 身体を乗っ取られたアーデルハイムを助ける手段は、あるのか?それを問われたクルトにも、確証はない。重い口調で、想像を述べるしかなかった。

「恐らくだが…蛮族王が、あの身体を諦めて、別の個体に移動するよう仕向ければ…」

「それは、イタチごっこなんじゃぁ…でも、分かったわ。それしかないなら、なんとか、やって…」

 アマーリエは途中で言葉を失った。

 魔剣の力か、自らの理力によるものか、アーデルハイムの姿をした蛮族王は、亡者の群れを撃退して退けたのだ。

 あれほどいた、蛮族たちが成す術もなく、喚きながら逃げ回るしかなかった、手に触れられぬ戦士たち。それが、情報交換をしていたわずかな時間で、すでに一人も残されていなかった。


 肩で息をし、シワがよった唇と、窪んだ瞳で、貴族の児童は、辺境騎士団の団長を睨みつけた。

 いつの間にか、人族、蛮族たちは戦闘の手を止め、橋の上での対峙に注目していた。

 奇妙な静けさの中、蛮族王は語りかける。

「お前の望みは何だ。戦人を殲滅して何とする?」

 アマーリエは馬を降り、ヴァールハイトを抜いてゆっくりと距離を詰めた。

「戦人?騎士たちのこと?」

「貴様らが、蛮族という者たちだ。余に言わせれば、どちらも蛮族。戦人を殲滅した後、国人たちの世はどうなる?」

 アマーリエは歩を緩めずに、静かに答える。

「平和を享受し、畑を耕し、商いをし、子を増やす」

 蛮族王は笑った。

「ドレイクどもを殲滅した魔術師どもは、どうなったと思う?剣の民たちによって、殺されたのだ。国人は、平和など享受せん。戦人がいなくなれば、自身が新たな戦人となって、殺し合いを続けるのみ」

「だとしても…」

 アマーリエは、剣の柄を腰に引き寄せ、鋤の構えを取った。

「平和を願う者が一人でもいる以上、天下泰平の望みは…ある!」

 地を蹴って、距離を詰める。

「やはり、余は戦人の方が好ましい。その生き様には、嘘がない」

「私の言葉にも、嘘はない」

 短剣が光ると、蛮族王の魔剣は一気に10mも伸び、アマーリエを襲った。

 しかし、剣を少し動かしただけで、それの軌道を逸らし、彼女は疾走をやめない。甲冑をいとも容易く貫通する威力を持つティン・スティンガーの攻撃だが、魔剣であるヴァールハイトの刀身までは突き通せない。第二撃、第三撃と魔剣の攻撃をいなすと、アーデルハイムの眼前に迫ったアマーリエは、上段からの素早い一撃を喰らわせた。


 シンプルでいて素早く、打撃力の強い上段からの一撃には、腕の差が如実に現れる。

 アマーリエには、経験から得た確信があった。

 蛮族王は、その剣技を長年の鍛錬ではなく、心で知ったのだと。

 シャルルの連れであった、桃色の髪の剣士アンリエットがそれを教えてくれた。

 故に、勝算を込めた一撃だった。

 だが、白く輝く金属を傘のように広げた蛮族王は、その一撃を面で受け止めていた。

 しかし、どんな丈夫な盾を翳そうと、慣性と重量を込めて襲い来る打撃力は、決して無効化できない。

 アマーリエは一瞬の躊躇も無く、幼少期から鍛え続けた肩、背筋、腹筋、そしてふくらはぎの筋力に至るまでを総動員して、鉄壁を叩き割らんと打撃を与え続けた。


 ロングソードを延長したモンタンテスケールのヴァールハイトは、振るう側にも相応の負担を強いる。だが、6歳児でしかないアーデルハイムの身体と違い、アマーリエの身体は、剣を振るうための構造をしていた。そうなるように、年月を重ねて鍛え上げて来たのだ。身体全体の筋肉と腱を酷使しながらも、顔の位置は全くぶれない。屋根の位置から振り下ろされる彼女の一撃は、足をふん縛らなければ、たちまち体勢を崩してしまう、必殺の打撃だった。

 互いの魔剣が、その魔力を消耗して激しいフラクシン発光を放つ。

 受けた者は手が痺れ、関節を砕かれかねない、それでいて反撃する隙もない、強烈な連撃。

 アマーリエの刃が、通常の物ならば、初撃でひしゃげていたであろう。

 だが、ヴァールハイトの刃は、その魔力を枯渇させない限り、時が止まったが如く、決して変化することがない。


 力と力のぶつかり合い。

 ミュラーはたまらず、アマーリエの元へと走り出そうとした。

 共に、戦いたい。

 だが、クルトの腕が、その行く手を遮った。

「クルト、どういう…」

「ミュラー!俺は、彼女を守ると誓った。だが、今はっ!彼女の誇りこそを、守るべきだと思う」

「でも、相手はっ…」

「…それでも、だ!」

 クルトが下唇を噛み締める、その表情を見て、ミュラーは言葉が出せなくなった。

 ミュラーの足を止めさせたのは、クルトの決意ではない。

 自分自身の敗北感からだと、ミュラーは気づいてしまった。


 激しい閃光と共に、繰り出される必殺の打撃は止むところが無い。

 研鑽を積み上げた者が、魔剣を手にした時の恐ろしさが、そこにはあった。

 一撃。

 一撃。

 そしてまた一撃と…双方の魔剣の魔力が削られてゆく…。

 たとえ、打撃に耐える蛮族王の骨が砕かれなくとも、先に魔力を失った方の魔剣が、砕け散るのだ。

 蛮族王だけは、知っていた。

 自らの魔剣が、学会が試作した“まがい物“であることを。


 不意に、アーデルハイムの身体が後方へ飛んだ。

「!?」

 アマーリエは、鉄の傘に、突如として弾力が生まれたのを感じた。

 アマーリエの剣戟の力を利用して距離を稼いだ蛮族王は、傘を解いて短剣の形状に戻す。

「なるほど。柔に対しては剛、剛に対しては柔…だったな。それにしても…この時代に造られた魔剣としては、面白い…実に色々な使い方がある。ひとつ、難点を挙げれば、因果力の消耗が激しいところか」

 アマーリエは、蛮族王の独り言を無視し、ツカツカと歩を進める。


『気づいておらぬのか、はたまた儂が察知できぬほど上手に思考から除外しているのであらば、あえて儂から言ってやろう…』

 この時になって、魔法の甲冑に宿る思念体が、アマーリエの思考に直接語りかけた。

『ぬしが、竜を殺すのだ』

 アマーリエは、無視した。

『それが、儂が望む最適解であり、また察するに、ヴァールハイトの望みでもある』

 時が止まった思考の世界で、魔剣の意思は、更に食い下がった。

『ぬしの望みとは?西方世界とやらの、“希望“とは何なのだ?』

 魔剣は、アマーリエの脳裏に神格化のイメージを投影する。

『あやつは、実に器用な奴よ。ぬしの剣戟を受けながら、ついに魔術回路と直結する方法を見出しおった。次の一撃は、ぬしであっても躱せまいぞ』

 頭蓋の中に児玉するように、思念の声が鳴り響く。

『今がまさに、千載一遇の機会と知れ!』

 アマーリエは唇を噛み締めた。

『ぬしが、竜を殺すのだ!』

 

「もう、あの亡者たちは、放たんのか?」

 今度はアーデルハイムの声が、アマーリエに語りかけた。

「神の奇跡とやらは、どうした?」

 その声すら無視し、剣を屋根に構え直した騎士団長は、歩を緩めない。

「ややも、いたわしい…お前は、剣を振るうだけの、猿であったか…」

 きめの細かい美しい肌を持つ、アーデルハイムの顔が、醜く歪んだ。

 その肌を、赤炎が照らす。

 先刻のそれとは、まるで威力が足らないまでも、細く鋭く放たれた竜の吐息が、蛮族王の小さな身体を焼き尽くさんと襲いかかった。

「余計な…」

 アマーリエは、舌打ちをして奔った。


 鉄をも溶かす、と言われる竜の吐息は、しかし、魔剣の傘にあしらわれた。

 鉄の傘を解いた蛮族王は、その視界に竜の頭部を収めた。

 短剣が光を放つ。

 それは、まさに光の速さ。

 鞭のように伸びた刀身が、竜の頭部に巻き付いた。


 突如、大鷹が飛来した。

 竜の角を掴んで立っていたイナヤの肩を、大鷲は両脚で掴み上げる。

 だが、彼女の身体は、宙に舞うことは無い。

 光の鞭はイナヤの右足首を巻き込んでいたのだ。

 鞭は、それを無慈悲に切断する。


 次いで、アーデルハイムの身体が浮かび上がった。

 鞭を収縮させて、竜の頭部に飛び移る気だ。

 しかし、アマーリエは既の所で追いつき、ヴァールハイトを袈裟斬りに振り下ろした。


 腹から下を臓腑ごと置き去りにして、アーデルハイムの身体は竜の頭部へと飛んでいく。

 ペルスヴァールの矢が、その胸元を貫くが、アーデルハイムは速度を落とさない。

 その上半身が、イナヤの身体を突き飛ばす。

 血を飛ばしながら、イナヤの肩の着物が裂け、今まさに飛び上がらんとしていた大鷲は、彼女の身体を失った。

「ダメだッ!落としては!」

 ル=シエルが叫ぶが、小回りの効かない大鷲は間に合わない。

 宙空に放り投げられた彼女に、手を伸ばす者がいた。

 ランメルトだった。

 彼の手は、瞬間、その指先を絡めるが、重力は無情にも指先を引き剥がす。

 ランメルトは、川へと落下する妻を追って、甲冑を着たまま飛び込んだ。


 蛮族王は、アーデルハイムの声帯を使い、高らかに笑う。

 誰しもが見守るしか手立てのない、その一瞬。一寸の躊躇も、ためらいも、感慨すらなく、蛮族王のティン・スティンガーは、光の針と化してテンペストの脳髄を突き通した。


 魔剣は、勝利の雄叫びを上げた。


 この次に訪れた光景を目にした者は、決して忘れ去る事がないだろう。

 突如として湧き立つ暗雲の渦、渦の中に煌めく紫色の雷光。

 上半身だけの小さき身体の背中には、漆黒の雷を帯びた、白い輪光が現れた。


 高らかな笑いの残響だけを残して、暗雲の渦は、その内側に吸い込まれるように消え失せる。

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