第9話 それぞれの冬

 下々どものことなら知らず、君主諸侯たちの立場から見れば、それはもう、個人差は多々あるとしても、四季を漢字一文字で表すとならば…春は「生」、夏は「動」、秋は「実」、冬は「静」…差異はあれど、大方はこの枠に収まるのではないかと思う。

 西方諸国に活躍の場を広げた、「辺境騎士団、並びにそれに大きく関与してきた者たち」が、実りの秋を過ぎ、冬をどのように静かに凌ぎ、そして、戦争の季節たる春と夏とを謳歌し、やがていかに大団円へと向かうことになるのかを順次、それぞれの立場で語ることにする。

 この一年は、多くの者たちにとって忘れ得じ、激動の時となるのだった。



 クルト・フォン・ヴィルドランゲは、ハルトマン率いる“赤目の“蛮族軍と行軍することになる。


 東方騎士団たちと別れてから、ハルトマンは自らの打倒目標を、竜ではなく“蛮族王“と定めた。

 クルトは、彼の中の“病の王“が、最早以前のハルトマンと相当にまで近づいていることを認めていた。さらに、東方騎士団の男たちの生き様に、何かを触発されたのかも知れない。彼は宿主の目標達成のために全力を傾ける決意をした。干からびた彼の身体が、あとどれくらい保つのかも分からない事が、そんな彼の決意を逸らせてもいた。

 大橋付近を最前線とする蛮族軍本隊への直接攻撃など、考えるだけ無駄である。だから、今はその後背地を攻めて、補給路を断ち、冬越えによる出血…つまり、飢えに耐えかねて略奪行へと勝手に旅立ってしまう落伍者たちや、脱走者、死者、身体が弱り、病を患う者を増やす…という作戦に出た。そこまでは、クルトも全く同意見であり、後背地の略奪行為は、てっきりゲリラ戦法で行くものと考えていた。二人とはいえ、腕の立つ二人だ。逆に、二人だけならば、神出鬼没のゲリラ戦にて、どのようにも逃げ仰せる自信もあった。

 だが、ハルトマンが「任せろ」という作戦は、クルトの想像の右斜め上を行くシロモノだった。


 両手を挙げたまま、武器を取り上げられ、身体を木の棒にぐるぐる巻きにされ、あとは火に焚べて美味しく頂くだけ、という状態で運ばれたのは、50〜60kmは離れた場所にある砦だった。

 クルトとハルトマンはそれぞれ1本ずつの丸太に結び付けられ、大勢の蛮族たちがそれを代わるがわる交代で担ぎながら、起伏の激しい平原を走るのだ。移動は、丸2日間に及んだ。船酔いならぬ、棒酔いと、頭だけ結ばれていないものだから、ひどい鞭打ち状態だ。

 首・肩・背中・頭の中が“激痛“の二文字で満杯に埋まっている。

 そんな状態で、二本の柱は地下の牢獄に運ばれ、一番奥に立て掛けられた。


「今度こそ、ぶちのめすぞ…この野郎…」

 青い顔で吐き気を堪えながら、クルトは乱れた前髪の奥で、隣の黒騎士を睨みつけた。

「ははは…相当、堪えた様だな…いつもの君らしからぬ発言だよ」

「…お前は、平気なのか?」

「本来の組織とは、だいぶ異なってきたからな…そういう風に少しずつ改良を加えている。で、ないと身体がカチコチで、動かなくなってしまうから。あぁ、そうだ。この傷は、君よりも私の方がダメージが大きいと証明できる貴重な証拠だよ」

 ハルトマンは、背中を向けて縛られた手をひらひらと振ってみせた。両手の指が3〜4本ずつ失われていた。

「君が気を失っている間に、片腕だけでも食べてしまおう、などと小鬼たちが話していたのでな。注意を引くために蛮族語で焚き付けたら、齧り取られた」

 だが、その指では剣は握れない。せっかく、何ヶ月もかけて習得した正統流派の剣技だというのに…。

「どうした?私の指が心配か?…そうか、そうだろうな。でも、他の指を付ければ問題ないだろう」

「…以前のハルトマンなら、そんな事は言わなかった」

 クルトは何故か、憮然と答えた。

「人は変わるモノだ。これは退化ではない。明らかな進化だと言えるだろう…残念ながら、君には耐性がある所為で私の与える恩恵にはあり付けないが…自分自身の頑固で身勝手な身体を責めるといい」

 恩恵という言葉に、信念や自負らしき響きは感じられなかった。クルトには、ハルトマンの意図が読めていた。自分の言い出した作戦を信じて、大人しく従ってくれたクルトに対し、ひどい苦痛を与えてしまう事になったお詫びとして、少しでも気を紛らせて元気を出してもらおうと、彼なりに気の利いた冗談を言っているつもりなのだ。

「指を付けるときには、俺が手伝ってやるよ。逆向きにつけて、カップを持てない仕様にしてやるがな!」

 少し元気が戻ったクルトを見て、ハルトマンは「最悪だ」と言って笑った。

 二人の笑い声が響くと、牢獄の入り口から3匹の蛮族たちが足早にやって来た。

「うっせぞ、黙れ」

 古い血の跡が黒く残る棍棒を振り上げ…その蛮族はきっと、いつものように相手を半殺しにするつもりだったろう。だが、後ろの仲間によって喉を開かれ、呆気なく事切れた。

 後ろの蛮族二人は、口調を揃えて、同時に話し始める。

『ばんじょく、なら、ヂのヂカラ、よう効く…』

 言いながら、それぞれ、二人の拘束を錆びたナイフで解放した。

「人間の言葉は、やはり人間の口の方が話しやすいようだ。私が“学会“に入ることが出来れば、さぞや有意義な研究論文を展開し、数百年は先を行く貢献ができるだろうな…」

「その“学会“とやらの目的が、他者から授かるだけのモノであっても、答えが欲しいだけ、ならな…」

 筋を伸ばし、コリをほぐし、身体の具合を整えながら、二人は話し続ける。

「探求の過程が大事だという話か?それはどうだろう…確か、マンティコアという異世界の生物を呼び出して、知識を授かる、という儀式があったぞ。だから、私の入会もあながち絵空事とは言い切れん」

「なるほど…だが、“蛮族王“を放っておいては、いずれ西方世界全体が消え失せちまうだろう。奴を打倒するのが先として…その後の選択肢が、まだお前にはある…それは、どうやら証明できそうだな」

「先の未来…か」

 蛮族たちは、二人の従者よろしく、自分の得物を渡し、サイドウェポンに持ち替えると両翼に陣取った。

「おおかた、内部の構造は把握できた。案内しよう」

 ハルトマンは、地下牢を確かな足取りで進みはじめる。

「どういう感染経路で、そんなに早く広まってるんだ?」

「水だ…どぶろくを薄めるために使われる。蛮族たちだって、馬鹿とは言い切れない。貴重な酒を原酒のまま出せば、瞬く間に無くなり、しばらくは兵士として役に立たないどころか、喧嘩に発展して、部族同士の殺し合いが始まりかねない。だから、伝統として戦場での酒は必ず薄められる」

 螺旋階段を上がり、地下牢を出ると立派な作りの砦であることに驚いた。

 石と石の隙間はピッタリと埋まり、U字アーチの意匠の出来栄えも丁寧で美しい。全体として装飾は極端に削り取られ、機能面を重視している様だ。有力貴族の砦、というよりも…。

「古代王朝末期の砦だな…古い建築様式ならば、飽きるほど本を読み漁り、諸国をねり歩いて見物したものだ。私ほど詳しい者は、ミュラーを置いて他にいるまい」

「それよりも、あちこちで仲間割れが起きてるぞ、大丈夫なのか?」

「間違えるな…仲間でないから、殺しているのだ。その身体も、蛮族にとっては食糧となる。無駄死にではない」

 人間を一回り大きくしたような、やけに姿勢の良い蛮族が、ハルトマンの隣に来た。

 クルトは、これが味方になっていて良かったと素直に思った。体付きから、相当に厄介な種族だと知れたからだ。

「クルト、私の両手首を切り落として、こいつのと交換してくれないか」

 思わず、目を剥いた。

「指だけじゃないのか?」

「サイズが不釣り合いで、どうにも不恰好だ。扱い難いし…皆もきっと気持ち悪がるだろう…」

「普通の人間の手より、少し大きいように見えるが…」

「許容範囲だろう?それに…大きい方が、何かと便利だ」

 ちょっと気が進まない、そんな躊躇を感じていると、取り上げられていた二人の武装が手元に届いた。

 あぁ、もう分かった。と、クルトは無益な会話をやめて、自らの剣を抜き、友の手首を切り落とすことに決めた。隣にいた蛮族が、ハルトマンの手首を器用に受け止めた。

 両方ともの手首を失ったハルトマンは、それを顔の前に掲げて嘆いた。血が出ないので、どうにも冗談の様にしか見えない。

「酷いやつだ…なんの躊躇もなく友の手首を落とすとは。せめて、成功するかどうか、片手で確かめてからでもいいだろうに…血が出なかったら良いものの…出血がひどかったら…」

「うるさい、早くやれ」

 クルトはムッとして、蛮族の両手首も切り落とした。

 すると、蛮族の手首と、彼が持っていたハルトマンの手首と、4つの手首がべちゃりと地に落ち、その上に蛮族の手首から流れる薄ら赤い血が降り注いだ。

 クルトはびっくりして、背の高いスラッとした蛮族に尋ねた。

「…大丈夫なのか?」

「だいジョーブない。このカラダ、死む。手首、クルるとぉ付ける」

 スラッとした蛮族の口が、ハルトマンの口調で語る。

「俺が付けるのか?」

「早くしてくれないか?君が、自分以外の手首をみんな切り落としてしまったんだ。猿じゃあるまいし、私たちには、もうどうすることもできない。分業化が進みすぎた、二足歩行の弱点、というやつだ」


 クルトは慎重に、両手にそれぞれの手首を持つと、片方ずつハルトマンの身体にピッタリ向きが合うようにつけていく。果たして、こんな単純作業だけで、本当に組織や血管や神経や腱が繋がるのだろうか?しばらくして、冗談だ、付くわけないだろう?とか言い出さないという保証もない。そもそも、ピッタリ合わせたところで、別の生物の手首だ。ほとんど同じであっても、全く同じ位置関係であるなはずはない…。


「もうしばらく、このままで…」

 ハルトマンの静かな声に、思わず真剣さを取り戻した。

 ガンッ!

 隣の蛮族が両膝を石畳に、したたかに打ちつけた。ハルトマンの完全制御下にある所為で、表情は知性を保った真剣そのまま、両膝を痛めても、血を流しても、顔色ひとつ変えないのが、返って気色が悪い。

 いや、違う。顔色だけは、変わっていた。気色ではなく、血色が悪い。真っ青になったかと思うと、徐々にのけ反り…やがて、後頭部から倒れ込んで、そのまま動かなくなった。

「こいつに、お前の手首を嵌めれば、もしかして助かったのか?俺が、もし片手ずつ作業していたら…」

「蛮族の死に様を憐んでいるのか?剣の民の騎士たる者が?」

「…そういう訳では…別に…」

 クルトには、自分の胸の内にある戸惑いを整理しかねた。

「こいつは、ウルファ族だ。蛮族の歴史の中でも、最も新しいハイブリッド種だ。先天的な身体能力だけで、すでに人間を凌駕する。オーガーなどのように、タフさと馬鹿力が売りだが、その反面、鈍重だとか、そういう一長一短がある訳ではない。賢く、強く、早い。そう先の事ではなく、蛮族たちはこの種族によって台頭されるだろう。別種族同士の交配によって生まれた、突然変異体…しかし、これに目をつけた者が、安定して数を増やす方法を編み出した」

「それは…蛮族の魔術師たちか?」

「ほぅ、珍しく察しが悪いな…“蛮族王“だよ。奴も、私のように、およそ人間が想像できる範疇を遥かに凌駕する情報量を保持しているはずだ。私と似ていながら、私よりも遥か以前より“なれ果て“の奥地で、部族を丸ごと手中に収めていたんだからな。そして、このハイブリッド種の量産に着手し、蛮族王としての立場を盤石なものとした」

「このスラッとした蛮族の中に、“蛮族王“の血があったのか?」

「そうだ。どうやらウルファ族の体は、全部やられている、と見ていいだろう。だから、どの道、殺さねばならなかった」

 気がつけば、砦内の争いには、終止符が付いていた。血に耐性のある者、たまたま飲まなかった者たちはすっかり殺し尽くされ、蛮族たちの食糧として、丁寧に解体される。それに続き、“蛮族王“の血が混ざっていた個体だろう…大柄な者たちが各々の得物で自害し、さらに屍を増やした。

「あまり、憂うな。きっと貴卿の胸の内にあるモノは、魔剣の呪いによるものだ…違うか?」

 クルトは、自らの帯剣を握り、吐き出すように答える。

「魔剣は人を選ぶんだろう?そのくらいは、俺でも知っている。だから、これは俺が元来持っていた、エゴなんだと思う…」

「もういいぞ」

 ハルトマンは引っ付いた手の具合を試すように、クルトの背中を叩いた。

「その魔剣の名に、ひとつだけ心当たりがある…私の血を宿す者の中には、偉く知恵者もいてな…今度、教えてやる」

「本当かっ?なぜ、今、教えない?」

「そう、焦るな…答えを知れば、新たな疑問が生まれるものだ。今は、その時期ではない」

 それよりも、とハルトマンは話題を逸らした。

「蛮族王の支配の方法だが…不思議だと思わないか?」

「血による支配が、か?恐ろしく便利で、不条理だとしか」

「まぁ、そうだな。だから、さ。なぜ、ウルファ族だけを直接、支配する?他の者にも血を飲ませれば、支配はもっと盤石なものになるはずだ」

「苦しいからでは?」

「…何?」

 クルトは、振り返った友人の顔を見据えた。

「お前は、情報を得ようと集中する時、ひどく苦しそうだ。違うか?」

 ハルトマンは、バイザーを上げると、黒くシワだらけの顔でウィンクしてみせた。

「ご名答だ。知識は得ても、思考が邪魔される。奴は、きっと頭脳が明晰なウルファ族だけに絞って、思考の乱れを抑制しているのだろう。スペックが同じならば、調律を取りやすい。それと、もうひとつ…」

 ハルトマンは話ながら、何か捉えようのない、漠然とした考えをまとめているようだった。クルトは、黙って言葉を待つ。


「我を…得たのだろう」

 紡ぎ出された言葉に、クルトは眉を顰めた。

「ハルトマンを宿主と定めた今となって、ようやく私はひとつの個体であることの自覚を得ている。それは、如何に“できない事が多い“かを知る行為でもある。奴は、おそらく既にそれを学んでいる。ウルファ族の中でも、最も優れた個体を“核“と定め、人間たちが行なっているのと同じような戦争、そして、国造りに挑んでいるのかも知れぬ」

「蛮族たちをまとめ上げて、侵略戦争をおっ始めたんだ。元から、そういう意図だろう?」

 ハルトマンは笑った。

「お前たちは、元からそういう風にできているからな。自然な成り行きに見えるだろう。だが…“私たち“は、元々はただの捕食者だ。拡大し、触れたものを食すだけのシンプルな存在に過ぎなかった」

「蛮族や、人間の身体に寄生することで、それらの影響を受けたって事か?」

「寄生というよりも、同化だからな。だが、それだけに、タチが悪い」

 ハルトマンは、一回り大きくなった両手を太陽に翳して眺めた。

「東方騎士団たちは、信念で戦っている。お前も、信念に突き動かされて、姫や私の手助けをかって出た。合理的判断や、利得ではない。人が叶えられる範疇かどうかは別として…それには目標があり、終着点も存在する…しかし、真似事をしているだけの者には、それがない」

 クルトは、想像力を巡らせた。

「…同化する度に、次から次へと、新たな願い、願望、欲望を知る…つまりは、場当たり的だと?」

「本人は、そうは思っていないだろうが、な」

「お前は…それに気づいたお前は、違うのか」

 ハルトマンは、もう一度、バイザーを上げてウィンクした。

「俺は、お前の知るハルトマンだ。誰とも知れない存在でいるのは、実に虚しく、寒々しいものだ。私は、個を確立した」

 そう生きて、死んでいくと決めた…クルトは、まるで彼がそう言葉を続けたかのように、錯覚した。


 二人の騎士が率いる蛮族の軍勢は、まるでイナゴの群れのあり様だった。

 秋の訪れを待たずに、周辺の集落を襲い尽くし、血の力で吸収した。蛮族王が、補給のために後背地に目を向けるよりも前に、全てを掻っ攫うのが目的だ。略奪者の姿が見えないほど、略奪された者にとって口惜しいことはない。瞬く間に千にまで拡大した“病の王“軍は、膨大な補給物資と、各地の集落に潜んでいた蛮族の居残り組みを抱え込むと、北の山脈を超えて、“なれ果て“の地から姿をくらました。



 クラーレンシュロス伯ルイーサ・フォン・アマーリエは、もぬけの殻となった砦に到着後、そこを“赤薔薇砦“と名付け、越冬のための拠点と定めた。

 クェルラートへの連絡用に設置した番屋に人員を配備した結果、砦の防衛人数は三百人程度。砦の規模と設備から言って、十分すぎる人数ではある。城塞が完璧であれば、たった12名の守備兵だけで3千の敵兵を退かせた、という例もある。しかしそれは、敵の攻撃を耐え、援軍の到来を待つまでの時間稼ぎ、という本来の防衛任務である場合に限る。それに、相手が本当に12名しかいない、と知っていれば話も変わる。今回の場合、敵が十分な補給を受け、腰を据えて攻城戦に挑める状況であった場合、孤立無援な辺境騎士団側には、成す術もない。


「2万だ」

 ラバーニュが通例の軍議の場で、言い放った。

「地下の貯水槽の水は、清浄だった。食料については、当分は蓄えがあるが冬を越すためには、今後の略奪と、狩りの成果次第だ。しかし、2万以上の敵に囲まれたら籠城戦も限界だ。敵が騎兵だけなら、対抗策もある。歩兵だけなら、それもある。だが、敵は命を惜しまず突っ込んでくる混成部隊だ。定石通りの防衛戦で臨むしかないが、俺たちには後ろに逃げ道がない。2万以上の数があれば、二重の包囲網に遮られ、クェルラートとの連絡もできなくなっちまう。そんときゃ、本当に手が無くなる。俺たちはお陀仏だ」

「分水嶺ですね。その時には、砦を放棄して全員、馬で脱出します」

 ランメルトが答えると、ワルフリードが懸念を述べた。

「砦に詰め込まれたままで、脚力が鈍っていなければいいのですが」

「心配は無用よ」

 アマーリエが言う。

「交代で砦の周辺を警邏してもらう」

 団長の言葉を、ランメルトが引き継ぐ。

「この砦には、相当数の守備兵による痕跡がありました。その消息はまったく不明ですが…ともあれ、それ故に、補給を求める場合、敵は必ず、少数の使いを寄越すはず。我々はまず、それらの使いを片っ端から全滅させ、後背地が既に敵に奪われている、という情報を敵に与えぬよう努力せねばなりません」

 シュタッツが挙手し、意見を述べる。

「時間稼ぎをする事は理解しました。しかし、雪が降っても、蛮族らが行動を止めない場合は、騎兵は不利になりませんか?」

 それには、ラバーニュが答えた。

「これはどの道、賭けだ。敵地である以上、俺たちの有利性は薄い。だが、考えてもみろ。2万を超えるような軍勢を、真冬に前線からひっぱり出せたなら、俺たちの作戦は、その時点で成功とも言える」

「あぁ…ヒリヒリしますね」

 ペルスヴァールが両手を擦り合わせながら、思わず口にした。

「奇遇ね、私もよ」

 アマーリエは、不適な笑みを浮かべた。


 正騎士百騎、従者250名、軍馬500から成る辺境騎士団たちは、あたり一面が純白の雪原へと姿を変えた頃になっても、蛮族の小隊を見かけては包囲殲滅をする、そのための巡回警邏を続けた。

 甲冑は、汗と吐息の水蒸気で湯気をあげ、馬たちは鼻を大きく開いて、白い湯気の息を吐いた。

 暖炉には絶えず火が焚かれ、いつも誰かの濡れた胴衣が吊るされていた。

 馬だか鳥だか分からない、グリフィンの干し肉を鍋で煮て、雪の下から掘り出した野草を突っ込んで火にかける。略奪してきたヤギと鶏の肉は、ペルスヴァールの管理のもと、毎週末にご馳走として振舞われた。クェルラートからの食糧の補給は、三度だけ実行できた。しかし、冬も終わりが見え始めた頃、急に雪が激しさを増し、人の背丈まで降り積もってしまった。


 この冬の最後の二週間は、敵味方共に、軍事行動は事実上休止となる。

 大雪はそれきり訪れることはなく、福寿草が薄くなった雪から顔を出し、やがて花を咲かせ、行者大蒜の独特な辛味が鍋に加わる頃、“なれ果て“の地には、西方よりも少し早い春が訪れた。


 新年を迎える行事を簡潔に済ませ、新年初回の軍議を終えたアマーリエは、ベイリーに集結した騎士全員の前に姿を現し、宣言した。

「二ヶ月という短い冬ではあったが、皆、各々役目をよく理解し、労をいとまず最善を尽くし、その責務を全うしたことに感謝を述べる。貴卿らの鉄のごとく意志と、聡明な状況判断による結果、我々は春の到来を迎えることができたのだ!」

 騎士たちは、鳴るものを全て鳴らして、騎士団長の労いに応えた。

「戦いの春だ!」

 騎士たちは、再度喝采する。アマーリエはそれが収まるのを待ってから、話を続けた。

「しかし、はやる気持ちは今しばらく自制せねばならない。敵は強大だ。我が軍は、前線のパヴァーヌ、ハイランドの両軍をはじめ、君主会議の盟友たちと、さらにはモルテ=ポッツの艦隊の遡上とも足並みを合わせて、敵の後背を攻める。命令とあらば、直ちに出立できるよう準備し、身体をほぐしておけ!」


 すでにアマーリエは、本国経由で同盟軍に向けて書簡を送り、春の一斉攻勢を提言していた。

 その日付は、3月1日。戦神アドルフィーナの守護する月だ。

 だが、赤薔薇砦に駐屯する辺境騎士団だけでは、あまりに数が少ない。故に、本国からバヤール平原に向かう予定であった軍勢を再編成し、フラム港からの船団によるピストン輸送で、クェルラート方面から合流するよう、ハロルドにいるミュラーに指示をしていた。


 その援軍が、予定よりも早く、2月の頭に到着した。

 その陣容を知って、アマーリエは援軍の指揮官であるオラースを、執務室に呼び寄せた。

「何故、騎兵だけ連れてきた」

 オラースは、困った顔で答えた。

「逃げる敵を殲滅するには、騎兵だけの方が有利だ。状況によっては、撤退も容易い」

 騎士団長の傍に控えるランメルトは、オラースのまずい答弁をフォローしようとするが、アマーリエは苛立ちを隠さなかった。

「ミュラーが、そんな受け答えをお前に授けるわけが無いだろう。私の要望に対し、時期も、軍様も、数も異なる対応をした、その真意を述べろ」

「困ったことになった…予定は大幅に変更だ。ミュラーの奴は、対応に追われている。俺たちは、一刻も早く姫のもとに合流し、状況を説明し、指示を仰げと言われている」

 アマーリエとミュラーは、互いの顔を見合わせた。オラースは慣れない仕草で、ランメルトに向かって敬意を表しながら話を続けた。

「まずは、パンノニール卿にお悔やみを申します…」

 オラースが話す辺境の状況は、混乱を極めていた。

 ランメルトの義兄弟にあたる、フラム家のソレイユの死。

 正式な第一後継者となったフラム公イナヤは、突如として竜にまたがり、おびただしい数の農民兵たちを従えて行軍を開始。

 統制の緩い農民兵たちが暴徒化せぬよう、ミュラー、スタンリーが軍勢を引き連れてピッタリ張り付いて監視することになり、大司教ボードワンに至っては、竜の軍勢の先頭に立っての先導役を立候補した。農民兵たちのおかげで兵糧は消費され、2万の出兵計画は四分の一まで削減された。

「なぜ、ミュラーは妻と農民たちを止めぬのだ。いくら義憤に駆られ、蛮族から西を守ると立った者たちであっても、辺境の民たちは民兵としての訓練を受けておらぬのだ。クラーレンシュロス伯領の民兵とは違うのだぞ。前線を混乱させるだけだ。多少の血を流してでも、止めねばならない!」

「イナヤではなく…竜が止まらないのでしょう」

 アマーリエには、幼馴染であるミュラーの性格が手に取るように分かっていた。おそらく、彼が尻込んだのには、二つの理由がある。一つ目は、彼元来の性分、押しの弱さが祟ったに違いない。そしてもう一つは…しかし、それを清廉潔白を尊ぶランメルトに語ることはできなかった。

「ミュラーだけではなく、ボードワン猊下もおられる。現地の判断で、そうなったのだ。致し方あるまい」

 ランメルトは、オラースの言葉に下唇を噛んで、見解をまとめた。

「ミュラー卿が騎兵だけを送ってきた、ということは…おそらく、後背地からの脱出を念頭に置いてのことかと。3月の攻勢はいかがいたしますか?三百騎の増援で、総兵力としてはおよそ六百騎。遊撃部隊としての機能は十分に果たせます」

「騎士たちは、予備の武装を従者たちに。予定通りに連携作戦を実行する」


 来る3月1日に備え、アマーリエは完全武装の従者たち全員に対し、騎士の称号を与えた上で、対蛮族包囲戦の参加を命じた。



 シュバルツェンベルグ公アーデルハイム・ハインリヒ四世

 彼の配下から成る竜討伐隊は、老人近衛隊の長ベルトルト・ブルクヘイムに、ドワーフのビョルン、野伏のフーゴ、力自慢のヴィクトルの4人に加え、直立するうさぎ姿の騎士シャルル・フーファニーの5人となっていた。剣士ラルクは、先の渡河作戦時に戦死している。

 さらに、母親のヒルダ。そして、途中で合流した灰色の髪の辺境騎士アシュリンド、同じく女性騎士ナタナエルと従軍野伏たち、ハーフエルフのル=シエル、それにパヴァーヌ騎士クルムドも一緒であった。


 しかし、彼らは地獄のような苦しみの中にいた。


 真夜中の嵐の中であったり、深海の底であったり、沸騰する溶岩の中であったり…煮えたぎる鍋の中で、泥濘と共にかき混ぜられるかのような、吐き気を伴う不快感と、痛み、天変地異により崩壊する世界で地とも空ともつかない場所で翻弄される酩酊感。

 何を感じ、何を思考する事すら叶わない。

 それは、モルテ=ポッツの王となったタンクレディが、かつて体験したものと同じであったが、そんなことを彼らが知る由も無かった。

 シャルルは、時折、無限に続くかのような悪夢から覚め、自分がどこかの暗い大地の地面をふらふらと歩いていることを知った。それは、暗雲の隙間から見るような儚いひと時の情景であった。仲間たちは、夢遊患者のようによろめきながら歩き、しかし、その中でアーデルハイムだけが、ステップを踏んでいた。

 彼だけが、嬉々としていた。

 …異様だった。

「何、浮かれてやがる…お前は、何者だ…」

 シャルルは、その言葉を口に出せなかった。しかし、アーデルハイムは彼に振り向き、笑顔を見せた。

 シャルルは、その笑顔を見てしまったことを後悔した。

 アーデルハイムは、辿々しい西方語で語りかけて来た。

「お前こそ、一体、何者なのだ?」

 その笑みは、この世の物のどんな生き物とも比較ができないほど、邪悪だった。


 次に彼が意識を取り戻した時には、部屋の中だった。

 目の前に、水が流れている。

 瞳は動かなかったが、見える範囲、全てに渡る大量の少し白く濁った緑色の水だ。

 シャルルの身体は、開け放たれた窓枠に引っかかるようにして両手をだらんと伸ばした姿勢で倒れている。床ではなく、窓際に置かれた巨大なソファの上だ。

 船の中か?

 いや、動いているのは水だけだった。

 ほどなくして、不思議と、彼は部屋の全体像を把握できることを知った。

 理由は分からない。ただ、幾つもの目線で、同時に部屋の内部を見ているような…頭の奥が疼いて、気持ちの悪くなる奇妙な感覚を得ていた。


 大きな部屋だ。装飾品も立派で、ビロード張りのクッションが散乱している。

 そして、彼の仲間たちも、この部屋で寝転がっていた。装備も、荷物も、全て床に転がっている。馬は…流石にどこにいるのか、分からない。

「いや…人数が合わない」

 辺境騎士団が連れていた、軽装の兵士たちの姿は無かった。

 瞬間、その肉の匂いが口に広がり、吐瀉物を撒き散らした。口を拭うことはできなかった。咳をすることはできたが、それ以上、身体が動かない。

 シャルルは、その記憶が、自分のもので無い事を悟った。

 頭部はまるでうさぎの様だとはいえ、その実、まるでうさぎと同じでない。人族と同じ食生活を送る彼の歯は、やはり人族に近しい。その人族の歯で、“あのような食べ方“はできないからだ。

 その味まで、鮮明に思い出してしまいそうになり、シャルルは思考をやめて部屋の内部に意識を集中した。

 とても広い。部屋の奥には、大きな椅子があり、そこに大柄な蛮族がいる。だが、そいつも座したまま、他の者たちと同じように、動かない。

 唯一、蛮族の前の床でアーデルハイムだけが、ブリキの短剣を弄んでいた。

 シャルルは、この意識の中の視界が、複数の者たちの“目線“を集約したものであると理解した。

 当然、理屈も何もかも、分からない。

 そして、いつまで経っても身体は、動いてくれない。

 なぜ、アーデルハイムだけが、動けるのだろう…。


 すると、しばらくして扉を叩く音がした。

 現れたのは、別の蛮族。そいつは、唸るような蛮族の言葉で、奥に座す蛮族に向けて何かを話す。

 これも不思議と、シャルルには意味が理解できた。

 蛮族の指揮官なのか、軍勢の前進を促している。

 差し詰め、こいつは将軍のような立場。奥にいる蛮族は、総司令官なのだろう。

 総司令官は、気怠そうにむくりと顔を起こすと、話し始める。

「客人を待っている。私が許すまで、ここを動くな」

 司令官はたじろいだが、意を決したかのように、反論し始めた。

「いつまで、橋に居座ればいい。兵たちの苛立ちをもう抑えられない」

 蛮族の将軍は、そのような言葉を発した。

 すると、アーデルハイムが立ち上がり、短剣を構えた。

 司令官は、5mも伸びた短剣の切先に眉間を貫かれ、絶命した。

 アーデルハイムは、幼い声色で吐き捨てた。

「どうでもよいわ」

 シャルルは、ここが橋の上であることを理解した。

 橋の上に建てられた、建造物の一室…そこで、彼は再び悪夢の中に、まるで投げ落とされるかのように、引き摺り込まれた。

「流石に…もう、だめかも知れない…」

 無力感と絶望…。

 悪夢は彼を両手で捉えて、二度と離さぬようにと、しっかりと包み込む。

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