第8話 旧交

 ハロルドから出立したミュラーは、騎士二人の護衛だけを連れて、南東へと駆けた。

 再建に着手したばかりのクラーレンシュロス城を遠目に眺め、宿場を辿りながらハルトニアを目指す。

 かつて、領土を奪われた騎士たちが、意思消沈して歩んだ道は長く険しいものであったが、荒れたままであった古代の街道整備が試みられ、草は刈られ、人の往来が復活し、安全が確保された今となっては、馬を飛ばせば三日の距離でしかない。

 ハルトニアに到着する前に、一行は駅伝の騎馬とすれ違った。

 騎手はそれが参謀長だと知ると、馬首を返して報告した。

「ミュラー様、危うく気付かぬところでした。現在、竜の軍勢はハルトニアを通過し、街道をこちらに向けて進んでおります」

「もう、そんなところまで来ているのか?一体、いつ出立したんだ」

「竜は眠る事なく、歩き続けております。その、ハルトニアですが…一部の家が略奪を受けた模様です」

 ミュラーは舌打ちをした。

「軍勢の規模と、陣容は?」

「1万に足らない程度かと思われます。しかし、同行しているのは、農民ばかりです。正規軍は辺境騎士団に同行するように、と“竜の巫女“様は申されているようで」

「そんなことをしたら、土地が空になるぞ…分かった、街道沿いなのだな。それと、“竜の軍勢“ではない。“一匹の竜と、農民たちの集団“だ。語弊を招くような言い方はするな、いいな」

「かしこまりました。私はこのまま、ハロルドへと向かい、ボードワン猊下にご報告します」

「頼んだ」

 駅伝と別れた一行は、道を急いだ。


「まるで、神殿が歩いているようだ…」

 身体を左右にくねらせながら、しかし上下には動かない、独特の歩調を見せながら、赤褐色の巨体は草原を闊歩していた。その周りには、無数の人だかりが見える。皆、棍棒や斧、農具を手にした農民たちだ。シンボルマークなのか、一様に腕に赤い布を巻き付けている。

「参謀長、馬が、言うことを聞きません」

 ミュラーの馬も、脚を止めてしまった。


 “戦記“にも、馬の天敵に関する記述がある。

 草原での狩を好む、グリフィン、ワイバーン、ロック鳥などの空の猛獣たちだ。

 それらの姿を見ることは、今となっては稀であるが、彼らの血の中に、当時の記憶が刷り込まれているのだろう。そして、竜となればそれら猛獣たちすら捕食する、空の王者なのだ。


「歩こう」

 仕方なく、ミュラーは徒歩で、迫り来る軍勢に向けて接近した。

「あぁ、流石に…ビビるな…」


 悠々と海を泳ぐかのように、ぐんねり、ぐんねりと首を弛ませ、竜は四つの脚を横に広げ、大地を鉤爪で抉りながら近づいてくる。身体は地面すれすれにあるが接触はせず、その首から長い尾の先まで空中にある。

 巨大であるにも関わらず、竜の歩みは静かだ。

 歩き方といい、足音といい、事前に描いていたミュラーの頭の中のイメージとは、だいぶ異なる点が多い。

 そのほとんどは、単なる先入観でしかなかった。足音が静かである事は、捕食者である以上、当然の理屈なのだ。


 この巨大な肉食だが雑食だかの魔獣と歩調を合わせて歩く農民たちは、一体どういう神経をしているのか…そんな彼らの背丈と比較するば、竜の体高は10m近くある事が知れた。翼はたたまれているが、それを伸ばせば、一体どれほどの大きさであろうか。身体を立て、首を上げれば、一体どれほどの高さに達するのであろうか。少なくとも、ハロルド城市のカーテンウォールであっても、簡単に乗り越えてしまうだろう。

「え…」

 ミュラーは立ち止まり、竜の方を指さして騎士たちに告げた。

「あそこに居るのか?」

 馬鹿げたことに、“竜の巫女“は竜の首元に鞍を付けて座っていた。

 農民たちは、騎士たちに道を譲った。ミュラーは彼らの表情に、誇らしげな感情を垣間見る。

 竜の顔を警戒して観察するが、目は半ば閉じられ、強膜に覆われた瞳は判然としなかった。

 敵意は感じられないと判断したミュラーは、思い切って足の側まで近寄る。見上げると、イナヤはすでに彼の存在を認めていた。

「竜を何処に連れて行くつもりだ?」

 なに?とイナヤは耳に手を当てて返した。ミュラーは同じ質問を声を張って繰り返した。

「蛮族退治…を回っ…バヤールに…てるの」

「聞こえない、もっと大きな声で言ってくれ」

 繰り返した結果は、同じであった。しかし、蛮族退治の言葉から、おおよそ進軍の目的は再確認できた。

「引き返すんだっ!竜の姿を諸侯に見せるのは良くない!」

 農民たちが、ギロリと睨んだが、ミュラーは臆さずに続けた。

「ダメよ、だっ…もう、私だって…ないわ」

 ミュラーが舌打ちしたその時、彼は首元を竜の爪に摘まれ、一瞬でイナヤの隣へと投げ上げられた。

 悲鳴を上げながら落下したミュラーの身体は、鱗の上を滑り落ち…彼は必死に鱗を掴んで、転落死の悲劇から逃れた。

「手を取って」

 伸ばされた手を掴み、鱗の上を這い上がりながら、やっとのことでイナヤの座る鞍にしがみついた。

「この鱗、手が切れるぞ」

「それくらいの血で泣き言いわないでよ。まったく、男って…」

 赤備えの甲冑に身を飾ったイナヤは、腕を組んで愚痴った。

「いや、僕だって騎士だ。幼い時から怪我は絶えないよ。アマーリエと戦えば、いつも怪我をさせられた」

 鞍にしがみついたのはいいが、今までになく距離が近く、どうにも間が悪い。

「軍勢を引けないのか?このままじゃ、西方諸国軍と騎士団とが戦闘に成りかねない」

「今さら、無理よ」

「農民たちなら、大丈夫だ。説得する必要はない。竜がいなくなれば熱狂も醒める」

 イナヤは首を振った。

「意志が固いのは、私でも、農民でもないわ。このテンペストの方よ」

「…この竜の名前か?」

「そう、私が付けたの。まるっきし頑固で、思い通りにならない。私の日課や人生の予定をぐちゃぐちゃにするから…テンペスト」

「この行軍が、君の意思じゃないのなら、諦めずに竜を説得するんだ。元々、そういう役目だろう?」

 イナヤは、ミュラーを睨みつけた。

「役目って?フラムの領主が、今の私の役目よ。あなたがもし、“言の葉の巫女“のこと言っているのであれば、それに対する私の答えはこうよ。“知りもしないで言わないで“」

 ミュラーはため息をついて首を振った。

「あぁ、悪かったよ。頼むから、竜を説得して軍を引いてくれ」

「私だって、説得したわよ。“ほんの“三ヶ月ほどだけどね!そこで私が知ったことは、竜って、ほんと頑固!そんで、三ヶ月だろうが三年だろうが、実際のところ大差ないのよ。テンペストにしてみれば、人間の寿命なんて一瞬の出来事に過ぎない…それを痛感して、流石に諦めたわ。それにこれは、辺境騎士団ではなく、“フラムの義勇軍“よ。正規兵は着いて来ないように言ってあるの。だから、お構いなく」

「だからと言って、勝手に諦めてもらっては困るんだ。周りは、辺境騎士団と同じに判断する。それに、フラム伯領の民兵以外も大勢いるだろう。君が気が進まないなら、まずはこの背中から降りるんだ」

「ダメよ。その後、みんなでテンペストを殺すのでしょう?ソレイユのように!」

 ミュラーは、反論しようとして…口を紡いだ。

「そこで黙ってしまうのは、男の性よね。私は、テンペストに借りがあるから、彼に力を貸すことにしたのよ。あなただって、私に借りがあるのでしょ?」

「イナヤ…」

「大きな借りが」

「だが、君はあまりに多くの無垢の人々を巻き添えにしているぞ。このままだと、彼らは聖教皇の命によって襲撃されるか、追放される。知っているのか?すでに一万だ。一万人を巻き添えにしているんだぞ?」

「そんなにいるの?後ろは、良く見えないのよ…」

 イナヤは身を乗り出して、首を振った。

「竜の力は、蛮族退治には、確かに有効だろう。蛮族たちは俺たちよりも、さらに竜を恐れる。しかし、そこに君が絡んでしまうと、辺境騎士団は厄介な立場に立たされる事になるんだ」

「じゃぁ、こうしましょうよ。竜退治の件は、一時休戦。今は、西方世界の存亡をかけての蛮族との大決戦の最中なのだから、先に蛮族を退治して、それが成功した暁には、改めて竜退治を仕切り直しましょう。聖教皇がまともな人間ならば、二つの強敵を前にして、どちらが差し迫った脅威で、どちらから優先して対処しないといけないのか、をきっと判断できるはずよ」

 ミュラーは首を垂れた。手を離す余裕があれば、髪を掻きむしりたい気分だった。

「君は、時に正論を持ち出すね。でも、どんな人間も合理的判断が出来るかと言えば、必ずしもそうでは無いんだ…聖教皇猊下は、自分では動かない。得てしてそういう立場の人間は、全てを同時進行できると思いがちなんだ」

「それも一理あるわね。でもだって、当然よ。時に感情だって、大事なのよ?」

「イナヤ、こんな水掛け論を…」

「借りを返して頂戴」

 ミュラーの反論は、声が大きくなる。

「借りって何だい?」

 彼を見返すイナヤの瞳は、暗く、鋭い光を帯びた。

「私は、一生、あなたがした事を忘れない」

 思わず息を飲んだ。

 反論を切り出す前に、ミュラーの襟首に鉤爪が引っ掛けられ、先ほどと同じ方法で、真逆の方向へと移動させられた。

 ミュラーは顔面から地面に激突し、一回転して土まみれとなってしまう。

「くそ…乱暴に…わざとやってるのか?」

 なんとか立ち上がったのも束の間、竜の後ろ足に踏まれそうになり、慌てて飛び退いた。


「…と、いうわけで取り着く島もない状態だ」

 ハロルドに戻ったミュラーは、ボードワンに会話の内容を報告した。

「直接会ってみて、確信できた。彼女は、すっかりやる気になっている」

 老練の先輩騎士は、唸るように言った。

「力では、到底阻止できず、説得も無理とあれば、どうする」

「まずは、急いでやることが二つ。一つ目は、民兵たちに食糧を与えます」

「蓄えはあるが、それは出征用に調達したものだ。余分があるわけでは、あるまいに」

「この動きによって、諸侯たちがどう反応するか…備えは必要です。予定よりも多くの兵を、ハロルド防衛のために残す事にします。その分を回せば良いでしょう。少なくとも山脈を抜けてバヤール平原に入るまで、持てば良いのです」

「その後でどこを略奪しようが、構わんか。…して、もう一つは?」

「釈然とはしませんが、彼女自身の言葉を入れるしかありません。竜とは一時、共闘関係を結び、目下の課題を優先して対処することとなった。竜は、蛮族掃討戦の同盟軍に加わったと、流布します」

「ふん…いっそのこと、ビラでも撒くかの」

「猊下の元に、写字生たちがいらっしゃいましたね。彼らの力を借りましょう。大切なのは、あらゆる手段を講じて周知させようと努力する姿勢を見せることです」

「知らなかった、と言わせぬようにか。だが、まずは公文書だな。大司教と参謀長の名で、取り急ぎ取り掛かるとしよう」

 ボードワンは、寂しくなった頭を撫でながら呟いた。

「まさか辺境騎士団に、竜が入団することになるとは…」

「…考えてみたら、すごい事ですね。入団希望者が殺到しても、不思議ではないですよ」

 はじめ二人は笑い合ったが、最後はため息に変わった。

「あ、そうでした。ボードワン猊下。お尋ねするのを忘れていました」

 ミュラーは姿勢を正すと、神妙な表情で老練の騎士を見上げた。

「去年の冬にアマーリエが訪れて、ギフトの件で…」

 あぁ、とボードワンは指を立てた。

「で…アドルフィーナ様の御神託は如何なものでした?」

 耳の下から顎の先までを縁取る、白い髭を撫で付けながら、大司教は答えた。

「お前らは、幼なじみに託けて、何も進展せぬようじゃな…がっかりじゃ。アマーリエの奴めも、もっと、恋多く生きて貰わねば…あっという間に盛りを過ぎてしまうに…」

「あの…猊下?」

 ミュラーは眉を曲げて、話が戻るのを待った。

「だから、よ。何も本人から聞いておらんのだろう?ならば、詳細は伏せておく。しかし、モノにした、とだけ告げておく」

 ミュラーの顔が、ぱっと明るくなった。

「だがよ、ミュラー。よく聞け、そう浮かれるな。一人につき、一度きりしか使えぬ。貴重でいて、補充するにも厄介な代物だと、心得よ」

「でも…これで、もし彼女が一人牢獄に閉じ込められたとしても、自力で脱出できるのでは?」

 大司教は青年の頭をこつん、と小突いた。

「馬鹿者め、そのような時こそ、命をかけて助けに行かんでどうするのだ?それに、扉に鍵が掛かっておれば、誰もそれを開けられん」

 ミュラーは、自分の頭を労わってから、少し考え、つぶやいた。

「しかし、彼女なら自力で破壊できそうです」

「…違いない」



 ミュラーが“竜の巫女“との邂逅を果するより、時を遡ること3ヶ月。


 “なれ果て“の地に聳える、太古の文明が残した…であろう砦。

 当時の城代が付けた名は忘れ去られ、今では“赤薔薇砦“と呼ばれていた。

 ホーランドが仕上げた周辺地域一帯を描いた地図を大テーブルに広げ、アマーリエは主だった騎士たちを集め軍議を開いた。

「冬の寒波が緩いおかげで、周辺地域の制圧はほぼ完了したと思って良いだろう。ワルフリードをはじめとする第一、第二小隊たち制圧組の健闘に感謝を」

「とはいえほぼ、もぬけの空でしたが」

 ワルフリードは肩をすくめた。

「その活躍のおかげで、腹を空かせたグリフィンに、俺たちが襲われたがな」

 ラバーニュが笑った。

「私が火矢を撃つように命じたんです。“バーナー ウィング!“ってね。大正解でした!」

 ホーランドが、誇らしげに語ると、ラバーニュが続けた。

「しっかし、死に体で逃げていくグリフィンを、ペルスヴァールが単騎で追いかけに行ったとき、流石に思ったね…奴は死んだ!」

「それは残念!ご覧の通りピンピンしてます。今となっては、この腹の中、ですよ」

 栗色の毛を後ろで束ねた“癒し手“の神官、ペルスヴァールは両手で腹をポンポンと叩いた。

 彼が毒見をしたグリフィンの肉は、今や燻製肉となって食糧庫に保存されている。

「忘れないでくださいよ。その中に、僕の指が混ざってることを!」

 クレノーの上に舞い降り、ランパートの盾に食らいついたグリフィンは、彼の薬指を根本から喰い千切ってしまった。

「流石に、内臓は捨てましたよ。何を食べているか分からないですから。人の指とか…」

「捨てないでくださいよ!ひどいな!」

 ランパートは涙目で、ペルスヴァールに抗議した。

「はい、はい、はい」

 籠手を脱いだ手をパンパンと叩きながら、アマーリエは雑談に終止符を打った。

「蛮族が、土を栄養源としない限りは、奴らにとってこの冬は、さぞや厳しいものになるでしょう」

 彼女の後を、シュタッツが続ける。

「しかしそうなれば、いよいよの事。食糧調達の重要性を蛮族どもは理解し、後背地の奪還に力を注ぎましょう」

 するとラバーニュは、腕を組んで宣言した。

「そこで、俺様の活躍ってわけだな」

 今まで黙って話を聞いていたランメルトが、席を立ち上がって口を開いた。

「蛮族王とやらが、意外にも賢く…前線が崩壊しない程度の動員を寄越した場合だが…」

 ラバーニュは手を振って遮った。

「やめろ、考えるだけ無駄だ。規模が違い過ぎる」

「ラバーニュ、城代の君がそんな態度では…」

「あぁ、分かった。準備はしておくさ」

 ランメルトは、腰に手を当てて問うた。

「…いったい、どんな?」

 ビロードの表地に、うさぎの毛で裏打ちされた防寒着を羽織り直しながら、ラバーニュは言い返した。

「ミュラーなら、ここで諦めて何か別の手段を考えてるぞ」

「…それはつまり、私が考えるべきことだと?そう、言いたい訳か?」

 二本の指を突き出して、城代は参謀に言った。

「その通りだ。やるべき事が決まったら、伝えてくれ。ちゃんと指示通りにこなしてみせる」

「随分と、甘やかされてるんだな…よかろう、私が考える。その方が、効率的だしな。それが参謀の役目というものだ」

 二人のやりとりを聞いていた騎士たちは、辟易した表情を見せた。

 アマーリエは閉会を告げる。

「今日のところは、解散よ。また明日、同じ時間に集合しなさい」


 アマーリエが自室へ戻ると、跡を付けるようにしてランメルトが訪れた。

 部屋の前で待機していた従者が、二人分の温めた薄い葡萄酒を用意し始める。

「ランメルト…あなたは、もう少し腰が柔らかいと思っていたわ」

「生真面目過ぎる、という事でしたら、最近になって痛感しているところです。私はただ、皆で意見を出し合うことに意義があると考えていたので…」

 扉を閉め、アマーリエは彼に椅子を勧めた。

 ランメルトは自然で、滑らかな仕草で腰をかけ、足を組む。

 彼のそんな素振りひとつに、アマーリエはエルフの紋章官の姿を重ねてしまう。

 彼は従者が勧める葡萄酒を、礼を言って受け取る。

「欠点が見えないのが、癪にさわる」

 ランメルトは、ぷっと、飲みかけた葡萄酒を吹き出しそうになった。

「やっかみが原因と?私にだって、欠点はあります。粗野な連中の中では、どうしても馴染めないし、下品な冗談にも眉を顰めてしまう。理論の欠陥を見つけては、そこを突かずにはいられないのも、直すべき悪癖だと自覚があります…要は、尊大で…自分勝手なのです」

 アマーリエは葡萄酒を飲み込みながら、横柄に返答する。

「お高くとまってるのよ」

 ランメルトは、細く長い指をくねくねとさせてから、息を吐いた。

「実は…そう、思われるであろう、ということも自認しています」

「カッコつけたがる」

 些か抵抗の意思を込めてか、彼の頭が斜めに頷く。

「負けを認めたくない」

「騎士ならば、誰でもそうでは?」

「潔癖でありたい」

 黙って、頷く。

「完璧でありたい」

「…悪いことでしょうか?」

「あらやだ、勘違いしないでよ。私はあなたの悪口を言ってる訳じゃないの。美点も欠点も表裏一体、ということよ。頭が良ければ、疎まれるし、美女を娶れば、嫉まれる。金を持てば、妬まれるし、夢を叶えれば、妬まれる…妬まれるが二回になっちゃったわ。出て来なかった…」

 木杯を執務机に置くと、アマーリエは話を続けた。

「一度に、いろいろ変えるのは無理だし、そもそも、あなたはすでに立派な騎士であり、完璧な貴族よ。だから、自分のわずかな欠点について考えても、時間を浪費するだけで実りがない。それでもあえて、私から言わせて貰えば…ひとつだけでいいんじゃない?」

 ランメルトが身を乗り出すと、彼の美しい金髪が、肩からこぼれた。

「…と言いますと?」

「一日一回、愚痴を言うようにしなさい。それも、相手に対してじゃなく、天気とか…自分の行いとか…今日見た夢とか」

「…そんなことで、効果があるのですか?」

「あなたが、愚痴を言ってるところを見てみたいのよ。あぁ、こんな完璧そうな人間でも、些細な事に心を悩ませてるんだなぁとか…自分は平気な事なのに、この人はこんな事が苦手なのかぁ、とかね。私が聞いてみたいの。でも、一日一回、までよ。四六時中、愚痴ばかり言ってる人に、好感を持てる人間なんていないから」

 ランメルトは、静かに、ゆっくり頷いた。まるで、言葉を噛み締めるように。

「今、ラバーニュの顔を思い出したでしょ?それでいいのよ。そんな時には『あぁ、俺だって愚痴のひとつも言ってみたいよ』って言えばいい!」

「なるほど、試してみます」


「…で、話はそれだけではないでしょう?」

 ランメルトは椅子を座り直して、本題に入った。

「ペルスヴァールが、獣脂で蝋燭を作る方法を知っていました。蝋燭があれば、夜襲を得意とする蛮族相手に有利です。また、火矢、熱砂などを準備する速度が上がります。さらにそれを応用して、もっとよく燃えるよう工夫すれば、“火輪“を作れるとのことです」

「いいわね。従者だけでなく、騎士たちにも作業をさせてやって。皆がイライラしているのは、敵の大群が襲来する予感があるのに、孤立無援な状態で冬を迎えるから。しかも、シラフでね!」

「集落から酒は入手しましたが、口に合うのは、この葡萄酒くらいですからね…分かりました。仕事を与えて、気を紛らわせましょう」

「仕事をサボったら…そうね、一度くらい喧嘩しても許すわよ」

 ランメルトは、ニヤリと笑った。

「まさか、姫のお墨付きをいただけるとは…」

「素手、だけよ?…でも、気をつけなさい。ラバーニュは、ラフ・ファイトが得意なの」

「ま…見た目でそれは、察しがつきますよ」

「ひどいわね…直球すぎる。あなた、やはり人の悪口を言うセンスは持って生まれなかったようね」

「今日は、一生分の悪口を喰らいました」

「ラバーニュは一言だけだったから、ほとんどは、私ね!はぁ、今日はよく眠れそう!」

「これだけは言えます。彼は、間違いなく、あなたの忠臣だ」

 ランメルトが部屋を出ると、アマーリエは従者に呟いた。

「色男と話すのは、疲れる…」

 従者は笑顔を見せると、湯浴みの準備をすると告げて退室した。


 その日の深夜、地震が襲った。

 揺れは微小だが、ずんずんと強い振動が続く…。

 アマーリエは肌着の上に革のジャケットだけを羽織り、ヴァールハイトを手に寝室を飛び出す。

「音は地下からです」

 ペルスヴァールと合流し、地下へと向かう。地下には、ドンジョンと呼ばれる地下牢獄があった。そこへ、他の騎士たちも次々と降りて来る。

 ランメルトも、長い金髪を結びもしない肌着姿で駆けつけた。

「音が…止みましたね」

 ランタンを手に騎士たちが異常が無いか点検して回る。元からしてドンジョンには、誰も収監されていない。だからどの牢獄も空で、点検もすぐに終わる。壁に亀裂などの異常は、見受けられなかった。

「異常はどこにも…」

 騎士たちから報告を受けていたランメルトは、自分の真横にある壁が不意にスライドするのを見た。

 金属のレールと滑車で動いたように、勢いよく横へと滑ると、ひどい衝撃音を立てて停止した。

「うぉっ!?」

 肝を冷やしたランメルトは、帯剣に手を掛けながら、3mも後ろに飛び退いた。

「お、なんだ。オメェら…姫までいんのか?」

 隠し扉から姿を現したのは、ラバーニュだった。

「さては、俺の姿が見えないんで、みんな心配してくれたん…」

「ラバーニュ、何をしていたの?報告を!」

 アマーリエが問い詰めると、ラバーニュは不敵に笑う。ランタンの光を受けた彼の身体を見て、アマーリエが狼狽する。

「あなた、怪我を…え、血まみれなの?」

「せっかくの鎧が、ボコボコだぜ。おっと、それよりも…」

 ラバーニュは、これ以上ないほどのドヤ顔をこしらえる。

「この砦の秘密が分かった…着いて来な」


 彼が案内したのは、隠し扉から先、ドンジョンのさらに深層へと下る階段。

 その道すがら、ラバーニュはドンジョンの鍵が揃っているか、一人で確認をしていたところ、どうにも鍵が一つ多い事に気がついたという。隠し扉があるに違いない、と直感した彼は、偶然にもそれを発見したらしい。

 さらりと言いのけたが、アマーリエにはその時の彼の心境が手に取るように分かった。今晩のうちに、自分だけでそれを見つけてやろうと、躍起になって探したに違いない。彼にして、なかなか地味で根気のいる作業をしたものだと、逆に感心する。

「いや…」

 アマーリエには、思い当たる節がある。

 もしかすると、隠し扉を見つけたのも、それどころか、この地下へと足を向けた事自体、魔剣の誘導であったかも知れない。何しろ、彼はこの砦の城代なのだから。魔剣がコンタクトを取るならば、まずは“この男“からと定めた可能性がある。


 何はともあれ…その先にはタイル敷きの広間があり、そこに土塊の山が散乱していた。

「ゴーレムの残骸だ。俺が倒した」

 ペルスヴァールが反論する。

「ゴーレムは魔術付与された人造兵器ですよ。魔術の助けなしには倒せないはず」

 ラバーニュは腰の剣を抜こうとしたが、途中でつっかえてしまって抜けない。

「くっそ、だいぶ曲がっちまったからな…見せてやろうと思ったが、まぁ、いいや。俺の剣には、魔術が付与されている。姫ほどの強力なやつじゃないが、一応、魔剣なんだよ」


 アマーリエには、状況が理解できた。学会が作成しているという、即席の魔剣たちの存在。資金源として、それらの内いくつかは、売りに出されているのだろう。そして、それが今、曲がっているということは、すでに内包する魔力は消費してしまっている。


「一体、いくらで買ったのよ…」

「ぇ、そ、そんなんはいいだろう。いくらで買おうが、俺の勝手だ」

 パヴァーヌ商人に辺境の物産を取引させる役を与えたのは、アマーリエ自身だった。しかし、さすがに中抜きで稼ぎ過ぎなのでは、なかろうか…。アマーリエは眉間に皺を寄せながら、そう思わざるを得ない。

「こいつが、この砦の“真の主人“だ」

 ラバーニュが紹介したのは、奥の小部屋に飾られた一振りの槍だった。

「魔剣か…」

「本物の…現存する34本の内のひとつ」

 太古の技法で産み落とされた力ある魔剣は、アマーリエが1本をオーバーロードで消滅させてしまった。そして、その前に1本をへし折っている。よって現状は、残り34本と言われている。

「これは、ラバーニュのもの、そう認めます」

 アマーリエの宣言に、騎士たちがどよめく。

「しかし、当面は、このまま放置しておいてもらう」

 ラバーニュは、あっさりと頷いた。

「分かってるさ。姫の砦ほど、難解な迷宮では無かった。すると、力が弱いか、呪いが強いかのどっちかだ。それに何より、今、砦を失ったら、原野の中をタープだけで越冬する羽目になるからよ」

「さすが、ラバーニュ卿だ」

「金持ちなだけはある」

「むしろ、きっと誰かに譲ってくださるやも」

「誰にも譲らんし、売らんぞ!いいか、これは俺のもんだ!」

 ラバーニュは群がる騎士たちに唾を吐きかけながら、威嚇した。

 長い旅路の果てに、この平野の真ん中で、ついに行き倒れた、かつての勇者の装備であったのかも知れない。この魔剣が“太古の魔剣“と呼ばれるものであるのかは、今のところ不明だが。

「いい機会だわ。名実ともに、砦の城代となったのだから、あなたに贈り物をあげるわ」

 アマーリエの言葉に、ラバーニュは逆に、警戒した。

「なんだよ、因縁つけるわけじゃ無いよな。言っとくが、多少の金で、感謝するような俺じゃないぜ」

 アマーリエはヴァールハイトをスラリと抜き放つと、彼の肩にあてがう。

「辺境伯の名を与える」

 騎士たちが、おおっと唸った。

「おぃ、そういうのは…もっとちゃんとやってくんねぇか?」

「済んだ」

 アマーリエは剣を納めて、背を向ける。

「おぃ、本当にいいのか?君主会議の公認は…」

 アマーリエは振り返ると、あからさまに面倒くさそうな表情を見せた。

「何よ、素直に喜びなさいよぉ…西方諸国の領土じゃないんだから、私の好きにするわよぉ」

「でも、古代では、剣の子らが住んでいた」

「あなた…意外に慎重なのね。わかった。次の機会に会議には追認させてみせる。安心して」

 ラバーニュは、拳を握って目を瞑った。


 何はともあれ、ラバーニュの怪我も大したことがなく済んで落着だ。

 やれやれ…と、アマーリエは部屋に戻り、帯剣を解いて寝台に立てかける。

 すると突然、聞き覚えのある“思念“を直接、脳に受け取った。


『大事な客が来ておるぞ』

 数年ぶりの、老人じみた声。

 甲冑に宿る思念体だ。


 そして、気配を感じて振り返った先にも、同じく、久方ぶりとなる人物が立っていた。

「これはこれは、認識阻害の魔術を破られるとは…相当に研鑽をお積みになられたご様子。キングメーカーと呼ばれる立場としては、涙を呼ぶほどに喜ばしい」

 アマーリエは、口に出す言葉を選べなかった。

 自室の隅に、まるで最初からそこにいた、とでも言うように、古エルフの血を継承する女性は、優雅な品格を纏わせたまま彼女に一礼をした。今更、どこから来たのか、と聞く気すら失せた。

「目的は、何?」

 整えられた爪、透き通るような白い指を、軍装の胸にあてがいながら、紋章官ロロ=ノアは答えた。

「旧交を温め直しに…」

 亜麻色の長い髪を硬く結い上げ、羽の付いた軍隊帽に収めた彼女は、灰色の瞳でアマーリエを見据えたまま、返答を待った。

 端正な顔立ちと、白い肌、そして鉄のような表情は、二人に共通していた。

 まるで、二体の蝋人形のように、しばし、向かい合う。

「いいわ、座って頂戴」

 言いながら、アマーリエは扉の内鍵を掛けた。

「あなたのその向こう見ずな剛気さは、私にとってとても、心地が良い」

「あなたから得点を稼ぐと、どうなるの?神にでも“させられる“のかしら?」

「私にも葡萄酒を?」

 戦装束に身を包んだ女性は、リラックスした様子で催促する。

「自分で勝手に注いで頂戴」

「貴重な品を、飲み放題、と言うわけですね。なるほど、悪くないもてなしだ…」

 ロロ=ノアはゆっくりとした所作で、執務机の上にある銀のデカンタと木杯を手に取った。

「せっかくの銀製品を火にかけるとは…煤だらけだ」

 席に戻ると、温めた葡萄酒をのんびりと啜り始める。

 一向に話を始めない彼女のそぶりに、アマーリエは苛立った。

「目的を言って頂戴」

 杯の熱で両手を温めるようにして、ロロ=ノアは口を開いた。

「旧交を温めに、と申したはずですよ。なぜ、急ぐのです?どうせ、冬だ。時間はたっぷりとある」

 その声は柔らかく、優雅でいて、そして反論を抑える圧力を帯びる。

 アマーリエは、彼女の語り口調を思い出した。

「ならば、勝手に自室へ直行しないでくれないかしら」

「私に正門から入れと?皇帝軍に寝返った私を、彼らは許さないでしょう。騎士であるヴィルドランゲは許せても、紋章官の私はきっと、仲間に入れてはもらえない。まったくもって、寂しい限りです」

「彼は、皆の前でけじめを付けたわ。あなたは、勝手に消えた。契約を破棄した件について、あなたに謝罪を求めても、どうせソレをしない。なぜなら、あなたは人間たちを見下しているから。異世界から来た上級種のエルフには、この世界に一人も仲間はいない。作ろうともしない。ただ、一人で勝手に、やりたいことだけをやる、それだけなのよね…あなたは」

「ギレスブイグ男爵からの受け売りですか。彼は哀れだ。あなたにフラれたせいで、今でも“ネグレド“の中に留まっている…近年においては、珍しく知見に富んだ魔導士だと言うのに…ですが、まぁ…時すらも飽和したあの世界で、時間の流れなどに、意味すらないのですが」

 葡萄酒を再び口にすると、彼女は少し、口元を緩めた。

「いいでしょう…私の目的を話しますよ。少し長くなりますので、ご容赦を」

 スラリと、腰のレイピアを鞘から引き上げる。

 刀身の半ばまで露出したソレは、うっすらと蒼い光を帯びていた。

「魔剣…なの?」

「本来は、深く澄んだ海のように青い色をしています。故に、私は単に“アズール“と呼んでいます。あなたの言うとおり、古エルフたちの住まう異界で、族長から授かった物です。あなたがそうであるように、私も、呪われているのです」

 アズールを鞘に戻すと、帽子を脱いで自分の膝にかける。

「洒落た髪型ね」

「どうも…長旅には便利なもので」

「剣があなたに科しているものは?」

「“真理の探究“…厄介だと、お分かりでしょう?ですが、魔剣も所有者を選ぶもの。共に過ごして見れば、案外、相性は悪くありません。私たちの出会いは、見合いなしの結婚のようなものです。しかし、魔剣の要求を叶えられねば、冷たくあしらわれる間柄となります」

「心も渇く…」

「良い表現です。その真の力を引き出し、恩恵に授かるためにも、魔剣の求めるように生きたくなる」

「でも、その先にあるのは、永遠の牢獄よ」

「悲観的な思考は、立場的にもよろしくない。悲観的な為政者というものは、多くの者たちを巻き添えにして滅んで行く。思慮深さを失わずに、多少の楽観性を保つことが、自身の精神を健全に保つ秘訣です」

 葡萄酒で喉を潤してから、話を続ける。

「魔剣の神々の役目とは…精神的な道標として、そして時として実行力を伴う守護者として、剣の民たちを導く存在となる事です。また、神官たちがのたまうように永遠の存在では…残念ながらありません。現に古の神たちは、徐々に力を弱めている。いずれ、この世から霧のように消え失せる時が訪れます」

「その時の長さを、人間は“永遠“と呼ぶのよ」

 ロロ=ノアは、小首を傾げた。

「まだ、苛立っておいでだ。察するに、私が一向に“嘘“を言わないから…でしょうか?」

 アマーリエは視線を細めて尋ねる。

「あなたは、ミスリル銀の製錬法を知っている」

 ロロ=ノアの右目の瞼が、ほんのわずかに動いた。

「唐突ですね。それには、お答えする義理がありません」

 アマーリエは、力を抜いて息を吐く。

「…あなたの思考は読めないわ」

「いえ…それは違う。嘘を述べていないから、ヴァールハイトは反応しないのです」

 アマーリエの次の言葉までには、少し間が空いた。

「あなたの目的は、私を神にすることよ」

 ロロ=ノアは、笑みを浮かべた。

「話の形式を工夫しましたね。良い試みです。それに私はNOと答えます」

「なぜ…私を散々に追い込んで…アインスクリンゲに身を委ねるよう仕向けたのは、あなたの目論見でしょう」

「感情的になるのは、よろしくないですね。相手にイニシアティブを譲るようなものです。確かに、かつての私の目論見は、そこにありました。ギレスブイグの計画を、蚊帳の外から後押ししたのですが…それは失敗に終わりました。これに関しては、ヴィルドランゲに軍配が上がった、という結果です」

「私は、まだ魔剣を持っている」

「しかし、それは別物です。ヴァールハイトの呪いは、“全ての嘘を見破る“こと。ここで定義される“全て“という言葉が、どの範囲にあたるのかは、不明です。まったく、終着点が見えない。これに関しては、さすがの私も設計者の精神を疑うばかりですが…ある意味では、最も魔剣らしい、とも言えます。この私のアズールに似て」

「…無理難題」

「その通りです。偉業を成せるほどの人物でなければ、神にはさせない。魔剣とは、かくあるべき」

「私以外の者が、あるべきからぬ魔剣を手にしている」

「ご名答です。私の目的は、“真理の探究“…そのために、私は神格化の成功を手助けしている」

 アマーリエは、自分の頭に浮かんだ考えに、眉を顰めた。

 これは、誘導だろうか…だが、しかし…そうとしか思い至らない。

「あなたは私にそれを…“止めろ“、というの?」

 ロロ=ノアは、その問いには答えなかった。

「私がここに来た理由は、旧交を温める他に、もうひとつ。この砦に籠るのは危険だ。放棄することを、お勧めする。それを、忠告したかった」

「老婆心、と言いたいのかしら。私たちは、戦争をしているのよ。安全な場所にいては、勝機は見出せないし、今の言葉があなたの本心では無い事くらい、ヴァールハイトにだって分かるわ」

 ロロ=ノアは、小さくため息をつく。

「私が初めて見つけた時、あなたは従順で、聞き分けの良い子でした。迷子の子犬のように。しかし、今はまるで、手負いの虎のようだ。念願であった領土は取り戻したでしょう。どうして、戦争を続けるのですか?実のところ、あなたはまだ迷っておいでなのでは?」

 アマーリエは、眉間にシワを寄せたまま小首を傾げた。

「私が…迷っている?」

「ええ、そう見えます。強大な敵だと分かっていながら、動員を避けている。先のハロルド奪還戦では、銀貨を大量にばら撒いてまで、がむしゃらに兵を投入した。しかし、今回は損害を常に気にしているではありませんか?とても、勝機を掴もうと、足掻いているようには見えない」

 アマーリエは、ロロ=ノアの瞳の奥をしばし見つめ、それから目線を外してから語り始める。

「蛮族軍の動きが妙だからよ。大兵力で侵攻した割に、勢いが弱い。目的が見えない。略奪に目がくらむわけでも無し、規律の取れた行動を示すわけでも無し。それでいて、瓦解もせずに勢力を保持している。蛮族たちは、元来、衝動的な感情を優先する生き物であるはず…この敵は…蛮族王の狙いは、何か、私の思い付かないところにある…そんな気がするの」

 話が終わるまで、注意深く視線を注いでいたロロ=ノアは、頭痛でも覚えたように、目頭に指を当て、今までに聞いたこともない、苦々しい低い声を発した。

「…だから、あなたは“面倒“なのですよ」


 その言葉が終わる前に、扉が叩かれた。

「誰かとお話しなのですか?湯の準備ができましたが、後ほどにしましょうか?」

「あ…少し、待っていて」

 扉に向かって話しかけたアマーリエは、はっとして振り返る。

 すでにそこには、開いた窓があるだけだった。

「ごめん…ハロルド…恨みを言い忘れた…」

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