第5話 竜退治

 老剣士ベルトルトは、うさぎの騎士に告げた。

「だからよ、ドラゴン退治だ」


 シャルルが反応するまで、数秒の時間を要した。

「呆れるな!本気で言ってるのか?そもそも…ドラゴンなんて、何処にいる?」

 ベルトルトは、シャルルの肩に腕を回して、小さく白い毛に覆われた身体を抱き寄せた。

「残念だが、もう逃げられねぇぞ?」

「くせぇ…だから、ドラゴンなんて古代の言い伝えだろ?魔術師たちが退治したっつぅ」

「聖教皇の御触れは、まだ見てないのか?まぁ、そうなんだろうな。ここから東の何処かに、ドラゴンはいるんだとよ。目撃者が多数いる。それを退治するのが、俺たちの役目だってわけだ。もちろん、お前にも同行してもらうぞ」

 シャルルは、逃げ出そうとして、再び耳を掴まれてジタバタと暴れた。

「くそっ、意外と力があるな。大人しく…しろっ!」

 老剣士はうさぎを羽交締めに押さえ込み、その耳を掴むと、小声で囁いた。

「まずはよく聞け。相手は空を飛ぶんだ。見つけるのも至難なことだし、視界に捉えたところで、どうせ倒せっこねぇ。お前は、坊ちゃんに気に入られている。それを利用して、機嫌取りをしてくれりゃ、それでいいんだ。安全に旅をこなせれば、俺たちの目的はいずれ達成する」

「くるじぃ…どういうことだ?」

 ベルトルトは、ヒルダに聞こえないように、うさぎの説得を続ける。

「東の平原では、蛮族の掃討戦がおっぱじまってる。主役は、君主たちの連合軍だ。さっき、話したやつだ。だが、俺たちの君主は、地固めに手こずっている間に、この盛大な祭りに出遅れちまったんだ。諸侯たちに軍勢を用立てさせる影響力も、まだ持っちゃいない。ただのガキだからな。そこへ、聖教皇からの御触れが来た。俺たちは、土台達成困難なこの任務を、それなりに頑張り、無難に生き残り、この祭りが終わるまで、すったもんだの飽きの来ない、楽しい旅を続けるんだ。掃討戦に勝利すれば、西方世界は戦勝に沸き上がるだろう。その頃には、行方知らずのドラゴンのことなぞ、皆忘れ去る」

 シャルルは、大人しくなった。

「子どもが、大人の事情に振り回されてるってわけか?」

「まぁ、そんなところだ。だが、ヒルダ公妃は…前公妃は、本気のようだがな」

「過大な期待は、子どもを押しつぶすぞ」

「お前、いくつだ?」

「ちゃんと数えていない。それより、事情はある程度は理解した。路銀はあるんだよな?それなら、お坊ちゃんの気が済む程度までは、付き合ってやってもいい。ただし、飯と寝る時間は、約束してもらうぞ」

 ベルトルトは、シャルルの頭をポンと叩いた。

「お前はどうやら、トラブルメーカーのようだからな。俺たちは、旅が順調に進むことを望んでるわけじゃない。順調すぎない、てんやわんやの楽しい旅だ…分かるよな?せいぜい、坊ちゃんを楽しませてくれ」

 シャルルは、老剣士の手を払った。

「やめろ、俺の方が年上だ」

「はぁ?…え…まじで?」


 何だかんだで、竜退治の一行は半月ばかりこの町に滞在した。あり物の鎧をリサイズするだけにしろ、うさぎを一端の騎士の出立に仕上げたい、というアーデルハイムの意思は、彼の母親が思うよりも固く、いかなる説得も跳ね除ける有様だったからだ。彼が一人目の息子である母ヒルダにとっては、自分が思うように行動してくれない子どもと接するジレンマ、という試練の真っ只中だとも言えた。

 さらにヒルダの機嫌を損なう事態は続く。

 場所は、またも酒場だった。二週間ほど前に起きた酒場の乱闘で、指を三本失った男が、未練たらしく投げかけた言葉を、うさぎが律儀に嫌味をたっぷり盛った言葉で打ち返したのがきっかけで、再び乱闘騒ぎとなったのだ。今回の騒ぎにより、さらに町の者から6人の負傷者が出た。

「まったく、あなたたちと来たら酒と喧嘩ばかり、学習するところがないのですか!?」

 他人の領土で住民に怪我を負わせるな、と言ったばかりではないかと、堪忍袋の尾が切れたヒルダは、うさぎと老人たちを酒場の前に整列させて、しこたま叱りつけた。

 この乱闘騒ぎにげんなりしたのは、ヒルダだけではない。町の住民たちも、この乱暴者たちが町に滞在している理由が、鍛冶屋の作業待ちと知った彼らは、来る日も来る日も鍛冶屋に顔を出して、仕事の手を早めるようにと催促をし始めたのだ。

 これにはさすがに、鍛冶屋もいくつかの段取りをすっぽかしてでも、慣れない“うさぎ特注“サイズの鎧の完成を急がざるを得なかった。

 無理を通せば道理引っ込むというが、完璧な物を造るためには、やはり時間は必要なのだ。そして、やっつけ仕事の代償はいつの世にも、完成をせかした者にではなく、仕事をした側に降りかかるものである。

 試着をした際に、留め具を固定するリベットが剥がれてしまい、これ好機とみたベルトルトに、アーデルハイム公爵の立場と、自らの帯剣をちらつかせられて、大幅な値引きを飲まされたのだった。


 かくして、甲冑を纏ったうさぎの騎士は、完成した。

 武装はベルトルトが設えた。彼の意外な膂力を見込んで、鎖を短くしたモーニングスターと、これまた特注サイズのターゲットシールドである。さらに、小ぶりの弩も購入した。

 町の人々に、心の中で「早く出ていけ」と別れを告げられながら、一行はようやく旅を再開することになった。

 ここは山脈の切れ目にあたり、北へゆけばシュバルツェンベルグ、聖教皇区、南はアマーリエ地方、西にはパヴァーヌとその周辺国のあるパドヴァ地方、そして、東はハイランド王国へと続く、交通の要衝にあたる地域だ。だから、丸一日歩けば、次の宿場にたどり着くことができる。

 三度目の乱闘騒ぎは、その宿場町にある、やはり酒場で発生した。

 カウンターの下から斧を取り出した店主と、シャルルが殴り合いになったのがきっかけで、今度はシャルル自身も武装していたためか、負傷者は12人にも登った。

 全ての客をのした後、老人たちとうさぎは、酒場の外に出て腰掛けた。

 ベルトルトの左目には、丸い青あざが生まれ、うさぎの方は誰の物か不明な血で、白い毛皮が赤く汚れていた。

「…たく、今度の騒ぎの原因は何だ?」

 手巻きタバコを蒸かしながら、ベルトルトはシャルルに話しかけた。

「言いたくない」

 ふーっときつい香りの煙を空に吐き出すと、ベルトルトは再度問うた。

「いいから言えっつーんだ。お前のおかげで、こっちは青たん拵えてんだ」

 ややあって、シャルルは訳を話した。

「うちで、シチューの具材として働かないか、と誘われた」

 ぷっ、とベルトルトは噴き出した。

「なかなか洒落っけのある親父じゃねぇーか。何も殴ることはねーだろ」

「殴ったのは、奴が斧を取り出したからだ」

「だとしても、冗談の一つくらい、笑って流せってーんだよ。お前は、歳をとって丸くなるのは身体ばかりで、心はずっと貧相なまま、なんだな」

「お前に言われたく無い」

 ベルトルトが煙の息を吹きかけると、二人は襟首を掴みあった。

 しかし、リーチの差は如何ともし難く、うさぎの身体は引き剥がされて持ち上げられる。

「二人とも、今日は野宿です」

 いつの間にか二人の側まで来ていたヒルダは、それだけを伝えると、腰に手を当て肩を怒らせたまま、スタスタと歩み去っていった。

 ベルトルトは、うさぎを下ろした。

「お前、太り過ぎだ」

「甲冑の所為だ」

 二人は同時に、ため息をついた。


 二人の今夜の寝床は、一行が泊まる宿の向かいに転がったままの荷車の上となった。

 食事は、喧嘩沙汰を起こした居酒屋で済ませてある。財布を握られているわけではないので、他の宿に泊まることもできたが、これはヒルダが下した“罰“なのだ。今回ばかりはアーデルハイムも、庇い切れなかった。

 元々野宿の準備はあるので、毛布にくるまって大人しく寝ることにする。

 宿場とはいえ、片田舎の小さな町だ。夜中に出歩く人もいない。万が一、二人に降り注ぐ危険があるとすれば、それは居酒屋の意趣返しだけだった。


 すっかり静かになった真夜中の通り。

 響くのは、ベルトルトの不規則ないびきのみ…。

 すると、シャルルの耳がピクピクと動き、彼はうっすらと目を開く。

 フードを被った人陰がひとつ、荷車から距離を置くように、通りの反対側を歩いて行く。

 深酒をして外でうっかり寝てしまい、急いで家に帰るようなそぶりでは無かった。

 あきらかに、足音を忍ばせている。

 ベルトルトのいびきは止まり、砂利を踏む人影の足音が夜の町に響く。

 シャルルは、片目だけでその人物の行き先を追う。

 一行が泊まっている宿の前で、足を止め、軒先の暗がりに潜む。


 少し時間を置いて、宿の扉が開いた。

 この季節は、夜になると冷え込む。

 現れた女性の影は、夜風を遮るように、外套を身体に巻き付けていた。

 シャルルは耳を立てる。

 二人の“密会“は、半刻ほども続いた。

 やがて、女性は宿に戻り、フードの人物は来た方向へと帰って行った。

「起きてるのか…?」

 シャルルは小声でベルトルトに話しかけたが、彼は毛布を引き寄せながら唸っただけで、目を覚まさなかった。

 夜空は、満天の星で埋め尽くされている。

「明日も、晴れそうだ…」

 彼は鼻水を啜ると、再び毛布にくるまった。


「実力を見てみたい」

 次の日は、早朝から出発し、昼まで歩きづめだった。

 宿場まで距離があるため、日が暮れるまでに着くには急ぐ必要があったからだが、幼少の男子には、この淡々とした旅路がどうにも堪えかねたらしい。

 シャルルは、ベルトルトに言われた「飽きのこない、てんやわんやの旅」というくだりを思い出して、ため息をついた。どうやら、イベントが無いと、この少年は耐えられない体質のようだ。

 草原に流れる小川で休憩となった際に、彼は自らの小剣を抜いて、シャルルに模擬戦闘を申し出たのだ。

「勘弁してくれ、怪我でもされた日には、俺はあんたの母親に、本当にローストされちまう」

「アーディは、剣技の英才教育を受けています」

 ヒルダ殿下は、咳払いをしてからそう告げた。

「さぁ、その鉄球を構えてみよ!」

 やる気満々のアーデルハイムの様子に、困ったシャルルはベルトルトに助け船を求めた。

 彼から得られたのは、年相応の含蓄のある助言ではなく、棒切れ一本だった。

「モーニングスターは、模擬戦では使えません。寸止めが出来ないからです。今回はどうか、それで我慢してください」

 ベルトルトは、アーデルハイムをそう諭すと、うまくやれ、とシャルルにウィンクで促す。

「やれやれ、どうなっても知らないぞ…」

 一寸ほどの棒切れの重さを確かめ、うさぎの騎士は盾を構えた。

 旅の疲れはどこへやら、6歳の少年は律儀に礼をしてから自らの小剣を構えた。

「頼りない剣だな。本当に切れるのか?」

 シャルルがそう言うと、アーデルハイムはにこりと笑った。

 彼が持つと小剣に見えるが、大人が持てば、それは短剣というほどのサイズだ。

 形状的には、スティレットと言われる、近年流行りの細身の突き刺しナイフの類に近い。

 しかし、鈍く光るその刀身は、まるでブリキのおもちゃのように、凄みが無かった。

 ヒルダが自慢したように、英才教育の賜物なのか、背筋をしゃんと伸ばし、左手に小剣、右手を後ろ腰に当てた立ち姿は、実に様になっている。

 近寄る足捌きも、なかなかどうして…。


 と、シャルルが感心したのも束の間、彼の右胸に切先が迫った。

 盾でそれを防ぐと同時に、木の棒を相手の内肘に差し込み、スライスしにかかる。

 次の瞬間、シャルルの身体は地面に向けて倒れかけていた。

 地面に顔をつける直前に、彼は身体を横捻りに捌いて着地する。

 アーデルハイムが、シャルルの右腕の関節を決めながら、脚を払ったのだ。

 それを、身体を捻りながら、シャルルは脱出していた。

 アーデルハイムは、6歳児でしかなく、同じ背丈のシャルルは、甲冑を着込んでいる。

 老傭兵たちは、二人の側で成り行きを見守っている。

 母ヒルダも、興味のないそぶりを見せつつ、その口元は吊り上がっていた。

「楽しめそうだ」

 シャルルが言うと、アーデルハイムは身体を翻して、彼の膝へと切先を伸ばした。

 後ろに一歩下がりそれを躱すと、その腕を叩き落とそうとするが、アーデルハイムは地面を横に転がりそれを避ける。

「腰の座ったいい動きだ。良い師匠を持ったんだな」

 シャルルは、彼の表情が一瞬曇るのを見逃さなかった。

 一気に詰めて突きを出す。

 真正面から繰り出された棒を、小剣の鍔で脇へと受け流すと、右手でその腕を掴み、シャルルの太ももを蹴り上げて舞い上がった。

 腕を封じながら、シャルルの首元へ脚を回すと、自重の勢いで彼を押し倒し、すかさず首元へ小剣を突き立てる。

 だが、その切先はうさぎのモフモフとした首元で、彼の手に握られていた。

「ずるいぞ…」

 アーデルハイムは、むすっとした表情で言う。

「何がだ?俺は、籠手を嵌めている。怪我はしていないぞ」

 シャルルが両脚で蹴り上げると、少年の身体は5mほど飛んで草むらに落ちた。

「アーディ!」

 ヒルダが慌てて駆け寄るが、彼は元気に立ち上がった。

「こんなの、剣技じゃないっ」

「俺は、60年もの間、とある剣士と旅を続けたことがある。魔剣を持った、恐ろしく強い剣士だ。無敗だったよ…たった一度の敗北をするまではな。その剣士から、俺はこの戦い方を見て学んだ。以来、俺は喧嘩ばかりの日々を、どうにかこうにかだが…この通り一応は生き抜いている」

「その魔剣使いは、どうなったのですか?」

 目を丸めたヒルダが、話に割って入って来た。シャルルは、彼女の様子に困惑気味に答える。

「その敗北で、死んだよ」

「その相手は…?」

「その魔剣は…」

 アーデルハイムとヒルダが、同時に質問し、子は母に譲った。

「その魔剣は、そのあとどうなったのです?」

「折られたよ。それが、せめてもの手向けと考えたのだろう」

「誰が、そのようなっ」

 ヒルダは、血相を変えて問うた。

「辺境騎士団とか名乗る、女騎士だ。信じられんだろうが、とんでもなく…」

「辺境騎士団!」

 ヒルダは、シャルルの言葉を遮って怒鳴った。

「その者は、光輪のルイーサですね」

「は?降臨?俺は知らんが…確かルイーサというのは、あっているはずだ」

 アーデルハイムが、母の言葉を訂正する。

「輪光です。母上。ハイロウを意味する言葉を、聖教皇は好まず、せめて輪光と呼ぶようにと…」

 母は、その指摘を無視した。

「なんて女…魔剣を折るだなんて…恐ろしい」

 ヒルダは、ぶつくさと呟き始める。

「僕が、竜も倒して、ルイーサも仕留めてみせる」

 シャルルは、アーデルハイムの言葉に思わず反論した。

「やめておけ、大の大人でも敵う相手ではない」

「あの女は、我らの仇です!」

 ヒルダが、話に復帰する。

「…あぁ、そうかい。でも、俺は別段、そうは思っちゃいない。敵討は、俺には関係ないはずだ。竜を倒すまでが、俺の役割だろう…それが終われば、騎士は辞める。まぁ、倒せれば、だが…」

「おい」

 ベルトルトが、シャルルの言葉を諌め、本人もはっと口を覆った。

「僕が、竜を倒せない、と言いたいわけか」


 何か、黒い霧のように蠢く殺意が、6歳児の背後で渦を巻いた。


 次の瞬間、彼の伸ばした小剣は閃光の切先と変わり、5m離れたシャルルの首元へと伸びていた。

 シャルルは、反応すらできなかった。

 その光の刃はすっと、縮んだかと思うと、元のブリキの小剣へと戻った。

「ティン・スティンガー。どうだい?僕も魔剣を持っているんだ。これで、僕は竜を倒すんだ!」

 シャルルは、四肢を伸ばして叫ぶ少年の姿を見てギョッとした。

「お、おぅ。分かった。分かったから、じっとしていろ。今、どうにかしてやる」

 彼の異変にヒルダも気づいたが、落ち着いてた。

 アーデルハイムは、自分に起こっていることに気がつき、耳の穴から生えたカラスの羽根を手で撫でる。

「ははっ、くすぐったい。これは、初めてだ」

 シャルルは、老人たちを見渡すが、彼らも慌ててはいなかった。

 ただ、奇妙な表情をして顔を曇らせるだけ。

「すぐ治るよ。魔術の反動なんだ」

 カラスの羽根は、まるで空へと帰りたそうに、パタパタと羽ばたいた。


 それから三日の間、酒場での騒動は起きなかった。

 その時間は栄養補給と情報収集に費やされ、それによって集めた情報によるところでは、竜は草原の北端の砦に現れたらしい。

 なんでも、東方騎士団という軍隊が領有するその砦は、煙を見て駆けつけたハイランド軍の話通りであるのならば、積み木を崩して火を付けたかの有様だったという。

 その話を聞いた次の日、深酒をしたベルトルトは、何度目か数えるのも面倒になる乱闘騒ぎを再び起こした。

 そして、今回はついに人死が出た。


 近隣の砦から兵が派遣され、一同は取り調べを受けた。

街のごろつきだと思っていたが、死んだのはこの地域の領主である侯爵に、軍指南役も務めたことがある有名人だったらしい。

 一行の主人がシュバルツェンベルグ公と知るや、上役に確認を取るまで、街での待機を命じられる。

「あなた方には、もう掛ける言葉すら見つかりません」

「申し訳ございません…」

「しばらく、宿には戻らぬように。そこで立っていなさい」

 ヒルダ殿下は、並んで頭を下げる30は歳上の戦士たちに向かって、それだけ言い残し、ひとり宿屋へと去って行ってしまった。

 彼女がいなくなると、老人一同は酒場の壁に寄りかかって腰を下ろす。

「なんで、あんなにムキになる。止めるのが、一苦労だったぞ」

 いつもは黙って従う老人たちのひとり、ビョルンがベルトルトに苦言を呈した。

「知った顔だった」

「…お前さんは、知人と会った側から、みんな殺すのか?」

 面倒臭そうに、老傭兵はため息をついた。

「傭兵隊長時代の、だ」

「なるほど…あの頃には、好き放題暴れておったからな…殺したい相手など、数えきれん」

 ビョルンは納得したのか、それ以上語らなかった。

 彼ほど、聡いわけではないシャルルは、質問せずにいられない。

「ライヴァルか?」

 ベルトルトは、何かを言いかけたが、それを飲み込んで、こう答えた。

「…まぁ、そんな感じだ」

「どんな因縁があった」

「お前に言うようなことじゃない」

「今後、俺は安心してお前に背中を預けられると思うか?え?…訳を聞かせろよ」

 ベルトルトは、懐から巻きタバコを取り出すが、手が震えて思うように巻けなかった。

「弟の生皮を剥がれた」

「はぁ?」

 ベルトルトはタバコを懐に戻し、説明を続けた。

「勢力争いで、しょっちゅう小競り合いをしてたんだ。とっ捕まった弟は、生皮を剥がれて、川に捨てられたんだ。酷い最期だった」

 シャルルは、かける言葉を選ぼうとして、断念した。

 そして、別の思いに至る。

「それにしては、相手も本気で応戦してたな。いや、むしろ相手の方が殺気だってたように思うぞ」

「母親を犯した」

「…なんだって?」

 ベルトルトは、苛立ちながら説明した。

「意趣返しだ。奴らを殲滅させた後で、奴の親を犯したんだ」

「それは…まぁ、よくある?話では…あるな」

 シャルルは言葉を選びながら応えた。

「奴の目の前で」

「…娘でなかっただけ、マシだ」

 シャルルは、ため息をついた。

「まさか、こんなところで会うとは…」

「まぁ、そんなもんさ。どこで会っても、まぁ…結果は同じだったろうがな…」

 シャルルは、話題を変えた。

「…ところで、ヒルダの跡を付いていった奴のことは知っているのか?」

「敬称をつけろ…なんだって?」

「さっき、お母君が俺たちをここに居残らせて、宿へ戻って行ったろ?」

「あぁ、それでなんだ?」

「フードを被ったやつ…男か?そいつが、跡をつけて行った」

 ベルトルトは、即答しなかった。やや考え、芝居がかった表情で答える。

「不審な奴だな…ヒルダ様を警護した方が…」

「知っているんだろう?」

「…なんだって?」

 眉を顰めるベルトルトに向かって、シャルルは一旦間をおいてから、同じ言葉を繰り返した。

「だから、何をだ?その不審者をか?俺の知り合いだとでも?」

「きっかり、3日置きに、ヒルダに会いに来ている」

「知らん…」

「気づいているはずだ。荷車の上で寝させられた時、お前は起きていた」

「知らねぇよ、寝ていた」

「知ってる。きっと、仲間みんなが知っているんだな。だから、人払いもしない」

 ビョルン、フーゴ、ラルク、ヴィクトルの4人は、聞こえているのに知らん顔を決め込んでいる。アーデルハイムは、少し離れた場所で、剣を振るっていた。きっと、居酒屋での戦闘を目の当たりにして、何か閃いたのだろう。何度も同じ動きを練習していた。剣士としては立派な心意気だが、6歳児の環境としてはどうなのだろう。


「芝居が下手だな、お前ら」

「知らないフリをしろ。良くない相手だ」

 ベルトルトは観念して態度を変えた。

「何者だ?」

「知らない方がいいと言っている」

「俺は、アーデルハイムの騎士だぞ?その母上に何かあったら困る。今日この後か、また3日後に直接、聞いてみることに…」

「学会の奴らだ」

 シャルルは、記憶を総動員した。

「魔術を研究する学会か?貴族の研究会だろう…サロンだか、座談会の…危険なのか?」

「裏の顔があるんだ。公爵の魔剣も、奴らが作って、提供したものだ」

「作った?魔剣てのは、作れるのか?」

 眉を顰めて、ベルトルトは反論する。

「町でも売ってるだろ?」

「あぁ、買ったことがあるから、それは知ってる。だが、あれらは強度を高めて、切れ味を良くする程度のものだ。本物じゃぁない」

 老戦士は肩をすくめて、首を振る。

「詳しくは知らん」

 シャルルは、ふんと鼻から息を吐いて質問を変える。

「じゃぁ…なんのために…」

「それ以上は、分からん」

 シャルルは、しばし思案に耽ったあと、ボソリと呟いた。

「姫に勝てると本気で思っているのか?」

「姫?」

「辺境騎士団の団長のことだ。仲間内では、そう呼ばれている」

「…詳しいな。面識があるのか?」

 ベルトルトは喰らい付いた。

「俺の見立てでは、坊ちゃんの腕前は、筋はいいが、まだ二流でしかない。対して、姫の腕前は超一流だ。それに…さっき噂を聞いた。気になっていたんだ。“輪光“と言うフレーズをな。俺が居た時には、なかった二つ名だ」

「噂が本当とは限らない」

「だが…あまりに広がり過ぎている。これには、信憑性がある」

「何を言いたい?坊やが、団長に勝てないと?」

「当たり前だ。神になる直前までいった騎士だぞ?それも、連戦連勝の戦さ馬鹿たちの長だ」

「だから、学会は魔剣を持たせた」

「姫だって、魔剣を持ってるぞ」

「あぁ、だろうよ。そんなんは、流石に俺だって知ってるさ。シュバルツェンベルグ公のヴァールハイトだろ。二人は、きっとその魔剣を取り戻したいんだ」

「アーデルハイムの目的は、竜じゃなくて、辺境騎士団の団長に親の仇を取ることか?」

「いや、坊ちゃんの心は、竜退治が本命だ。後者は、母親の悲願とするところだ…きっとな…」

 シャルルは、ベルトルトの瞳を覗き込んだ。

「本当にそうか?…逆じゃないのか?」

 ベルトルトは、騎士を突き放した。

「どっちだって、いい事だ」

 シャルルは、話を続けた。

「竜は、まだいい。あまりに未知数だから、どんな夢でもみれるだろうさ。だが、姫を倒すなら、毒殺しか望みはない」

「くそ…いいか?これは、俺の考えじゃないんだ。ヒルダの考えだ。坊ちゃんに、そういう流れを吹き込んだ」

「…本気で成功すると?」

「俺だって、どうかしてると思うさ。だが、軍事力も同盟者も無い二人にとっては、学会の提案を受け入れることしか、その手立てが無いと考えたんだろう。きっと、渡りに船とでも思ったんだろうさ」

「その、学会とやらが、魔剣を提供してまで協力する理由はなんだ?」

 ベルトルトは、束ねた髪をほどき、乱暴に首を振った。

「推測だが…ひとつめの目的…竜を倒す事だろう。きっと、その後は好きにしろと言って、見放すに違いない」

 シャルルは、赤色の目を細めた。

「学会の魔剣が、竜を倒せば…」

「世間の注目は、騎士たちにではなく、魔剣に向けられるだろう」

「つまり…王や諸侯たちの影響力が弱まり、魔剣を造る技術を持つ、学会が発言力を増すと…」

「それが、年端もいかない子どもが成したとなれば…尚更だろう。実際には、竜を倒そうなんざ本気で考える大人がいなかっただけだがな。少なくとも、学会がコンタクトを取れる相手の中に…」

 小さな魔剣を手にしたアーデルハイムは、手首の返し方を納得できないらしく、まだ同じ動きを何度も繰り返している。

「どうかしてる…人間の手練れを相手にする前に、砦を子どものおもちゃのように壊す、古代の竜を倒すなんざ…隕石並みの破壊力だぞ?この鉄球で打ち返せってか?土台、無理な話だ。あまりに、遠回りすぎて馬鹿げている。まるで、沖に浮いた小舟に乗るために、軍船を造るようなもんだ」

「俺たちは皆、ハインリヒ3世に恩義がある。だから、この旅に同行した」

「だが…その目的を知って、旅が最終目的地へ到達しないように願っている…」

「まぁ…正直なところ、そういう話だ」

 シャルルは、短い腕を組んで考え込んだ。

「思ったんだが…俺たちが竜の居場所を知ったのは、つい昨日の話だ」

「酒場で聞いた話だな」

「そうだ。だが、俺たちは今まで、その居場所…正確には目撃された砦だったな、そこへ、ほぼ一直線に進んで来ているぞ。なぜだ?バヤール平原は南北に伸びた広大な土地だ。これは、妙な話だと思わないか?」

「きっと、その男が情報をヒルダに伝えている」

「まずいだろ」

「そうだな…」

「それは、まずいだろ。どうにかするべきじゃないか」

 ベルトルトは、両手を広げた。

「相手は、魔術師だ」

「だが、一人だ」

「ああ、一人だが、魔術師だぞ?お前は、知らないだろう?」

 突き出された指を、シャルルはちょいと摘んで傍へ寄せた。

「俺たちよりかは、弱いはずだ。でなければ、こんな老人たちに任せずに、自分で護衛をするはずだ。竜だって、自分たちの構成員で倒せばいいだろうに…俺の思うに…」

 シャルルは再び短い腕を組んで続けた。

「奴の得意な魔術は、移動に関するものだ。だから、どんなに俺たちが移動しても、きっかり3日で追いつける。奴は、単に連絡役なんだ」

「だからと言って、指先から炎を出せ無いとか、一言念じるだけで呪い殺せ無い、と決まった訳じゃない。護衛役は、見ての通り老人が5人と、妙なうさぎが一匹だ。その中で二、三人殺そうが、奴が困ることはないだろう」

「ならば、奴と戦闘にならない方法を考えればいい。それこそ、これ以上、人死が出ない方法をな」

「…それで、ヒルダの思惑が失敗すれば、逆に俺たちの思惑が叶う訳だが…お前はいいのか?期限付き、条件付きとは言え、騎士の忠誠を交わしたんだ…まぁ、気にする玉でも無いか」

 シャルルは腕に顔を埋めて、しばし間を開けてから静かに話しを続けた。

「俺が騎士を辞めると口走った時、二人は反応しなかった。最初に言われた通り、望んでいるのは“道化“なんだ。だから、どこの馬の骨かも知れない、この妙な姿の種族をヒルダも容認しているんだろう。だが、それだけに、二人が抱える不安は大きなもののはずだ。気晴らしの一つでも無いと、気が持たないんだろうよ。道化の一人くらい、いた方が丁度いい心境なんだ」

 シャルルは、二人の境遇を慮ってため息をついた。


「まったく、どんだけ追い詰められれば、そんな考えに至るのか…継承権争いでボロボロなんだろうが…そんなもん、捨て置いて別の生き方だってあるだろうに…」

「それが、青い血を持つと言われる所以なんだろう。人生への価値観が、下々の者たちは違うのさ」

 シャルルは、一度目を瞑り、話を戻した。

「話をまとめよう…学会の狙いは、貸し与えた魔剣で竜を倒させ、“竜をも殺せる魔剣を創り出せる“ことをアピールしたい…学会の目的は、恐らくソコまで。実際、蛮族の大侵攻に対する対処も、公爵の仇打ちの事も、どうでもいい訳だ。そして、フード男の役目は、情報提供と同時に、二人の監視なんだろう…いや、もしかすると、経過観察なのかも知れない。二人が竜を退治できなくても、魔剣はまだ創れる。改良して次の魔剣を使って、また、別の人間で試せばいいと考えているのかも…決めた。俺は、魔が差しただけの騎士の忠誠心を持って、二人の将来のために力を尽くすことにする。たとえ、それが“裏切り“と言われようと…な」

「それは…俺たちと協力する路線は、継続ってわけでいいのか」

「その通りだ。いい加減、遺恨や妄執からは、解放されるべきなんだ。この世の中はな…これは、労わりであって、決して裏切りではないはずだ」

 ベルトルトは手を差し出し、シャルルはそれを力強く握った。


 夕刻が近づいた頃、ようやく使いに出ていたハイランド兵が戻ってきた。

「くだんの件についてだが、侯爵殿下が蛮族討伐の遠征中であるため、奥方様がご采配になられた。その結果を申しつける」

 兵の言葉は、この地を治める領主の言葉だ。アーデルハイムもヒルダも、姿勢を正すまではしなかったが、彼の口から次の言葉が出てくるのを大人しく待った。

「此度の一件は、重罪である。しかし、両者ともに過去の遺恨を持ち合わせ、その振る舞いには過失があるものと認め、さらには現在、公爵殿下の負われておられるお役目を鑑み、領内での街、集落への立ち入りを禁止することで、此度の沙汰とする。とのお達しでございます」

 一同は、胸を撫で下ろした。

「さらに…」

 兵が言葉を続けたことに、ギョッとした。

「可能な限り、速やかに、この宿場からもご退去をお願いいたします」

 驚くほどの追伸ではなく、一同はほっと胸を撫で下ろした。

「やれやれ、また野宿か…そろそろ、老体に夜風は堪える季節だと言うのに」

 フーゴが愚痴を垂らすのを他所に、ヒルダは兵士に礼を述べた。

「ご寛大なご配慮に感謝いたしますと、お伝えください」

「レディ同士の良好な関係性は、時として戦争をも越える、だ。覚えとけよ、坊ちゃん」

 ラルクが、アーデルハイムの頭を撫でると、6歳の坊やはそれを跳ね除けた。

「生まれた頃から知っているとは言え、無礼は慎め。もう立派な領主なんだぞ」

 ベルトルトが、アーデルハイムの対面を保つために、ラルクを諌めた。

 急に立つ事となったためか、ヒルダは何やらソワソワしていた。

「さぁ、出発しましょう。いつまでも、もたもたしていた…なんて報告されてはコトです。ここは、迅速に。馬にお乗りください。荷物はすべて、ビョルンとラルクが宿から運び出します」

 口を尖らせたラルフは、お前も来い、とヴィクトルの腕を引いた。

 ベルトルトに、ささ、と催促されて、ヒルダは仕方なしに歩き出す。

 宿場を出てしばらく歩き、荷物を取りに戻った三人を出迎えるフリを見せて、ベルトルトは最後尾を歩くシャルルに話しかけた。

「フードの男には、何か妨害を仕掛けたのか?」

「まぁな。うまくすれば、これで少なくとも二、三日は足止めを喰らうだろう。瞬間移動なんて芸当ができない限りは…だけどな」

「何をした?」

 二人は、前を歩く貴族に聴かれないよう、小声で会話を続ける。

「罪状をでっち上げて、懸賞金を掛けた」

「お前が、か?」

「侯爵の名前で、お触れ書きを書いたんだ」

「どこにも、そんなん見なかったぞ」

 シャルルは、老傭兵の膝を軽くこづいた。

「母君に見つかったら、バレるだろう。酒場の中に貼り出したんだ。俺が知る限り、酒場には、彼女は一度も足を踏み入れていない」

「上手くいくといいがな…」

「乱闘の時、酒場には手練れと思しき者たちが、それなりの数いた。きっと、蛮族討伐の報奨金目当てに、フリーランスの傭兵から、デュエリストやら、危険請負人やらといったならず者たちが集まって来てるんだろう。まぁ、五分五分、といったところか…」

「相手の手の内も分からねぇからな…直接、対峙する危険を考えれば、妥当な線か」

「それよりも、上手くいったと仮定しても、せいぜい二、三日だ。この時間を使って、ルートを変更しなきゃならん。それで、効果があるか、ないか、まずは見極める」

「なんの効果だ?二人して、内緒話か?」

 いつの間にか、アーデルハイムが歩みを遅らせ、二人に近づいていた。

「公爵閣下、ベルトルトと話していたのですが、竜を倒すには必殺の兵器が必要かと…」

「なんだ、それは!?竜を倒せる兵器があるのか?」

 彼は面白いほど、喰らい付いた。

「とても、大きな弓です。バリスタと言いますが、攻城兵器としても用いられる強力なヤツです。これを、どこかの大きな都市に寄って、仕入れる必要があります」

「大きな街にしか無いのか?」

「はい」

 アーデルハイムは腕組みをして、オレンジ色に染まった雲を見上げた。

「却下だ」

「えぇぇっ!?」

 意外な答えに、二人は声を揃えて身体をよろけさせた。

「あと二日ばかりで、竜が最後に目撃された砦に着く。そこまでに、大きな都市は無い」

「どうせ、もう竜はそこにはいませんよ。少し道を戻っても、バリスタを仕入れましょう。相手は、こう…空を飛んでるんです」

 ベルトルトが手のひらを使って、空を飛ぶ竜の姿を体現するが、アーデルハイムは折れなかった。

「そんなこと、余も知っておるぞ。しかし、母上がどうしても、とおっしゃる。砦の状況を見れば、竜の情報も幾ばくかは知れよう。母のお気持ちは、それでおさまるだろう。バリスタは、その後で仕入れるとよう」

「ご…ご賢明で…」

 彼の十倍は生きている者たちは、いとも簡単に説き伏せられてしまった。


 その日は野宿をし、日の出前に出立する。

 道すがら、戦闘の痕跡をいくつも見るようになった。

 山に積まれて火葬にされた、蛮族の死骸も見つけた。

 半焼けの屍が腐りゆく臭いを嗅いで、公爵家の二人はハンカチで鼻を押さえた。

 ヒルダは見ないように顔を背け、アーデルハイムは苦虫を噛んだような表情で、それを見つめた。

 猛禽類、小動物たちが群がり、肉をひっぱり抜いて、喉の奥へと流す。何よりも不気味だったのは、数えることも不可能なほどに群がった、地虫の類だった。普段は、踏まれないように草の根を逃げ回るだけの彼らは、自分を踏みつける者が敗者となった途端、その肉を少しずつ貪り、遂には骨の髄まで平らげていく…。

 最初は土だと思っていたそれらが、無数の蠢く地虫だと知ったアーデルハイムは、ビクビクと身体を震わせた。

 以来、アーデルハイムは言葉が少なくなり、あたりをキョロキョロ見渡しながら、馬の歩を早めるようになる。

 目的地の砦に到着したのは、予想よりも早く、その日の午後になってからだ。


「誰だ…竜を倒せなんて言い出したのは…」

 シャルルが、開口一番、そう述べた。

 砦の惨状を目の当たりにし、竜討伐隊の一行の頭は真っ白になっていた。

 崩れた瓦礫の間を縫って、焼け落ちた砦の内部を探索して回る。

「砦を築いたのも人間だ。人間は、逆にそれを解体して更地にすることだって出来る。それを思えば、竜とは、なんと不器用なものか」

 逆説的思考を駆使したアーデルハイムが、前向きな見解を述べたことに、一同は感心せずにはいられなかった。

「屁理屈はよせ。それに、どれだけの人数と、時間が必要だ。竜は、さして時間もかけずにこれを成したろうよ」

 空気を読まず、シャルルが水を差す。

「やっぱり、バリスタが必要だ。炎を避ける大きな盾も…」

 アーデルハイムは呟いた。

「不可思議だ…鳥の死骸が無数にある」

 フーゴが、一行を呼び止めた。

「鳥なのか?煤の塊にしか見えないが」

 ベルトルトは、訳が分からず呟く。

「足跡が…」

 フーゴは、砦の中から外へ出て、北へと進路をとる複数の足跡を発見した。

 靴を履いた物が、草原を移動し、馬と合流している。

 その他にも、蛮族と思われる裸足の足跡も。

 しかし、裸足の足跡の方は、黒く焼けた草原へと続いていた。

 ベルトルトが、それを観察して考え込む。

「妙な動きをする奴らがいるな…蛮族の討伐部隊ならば、本命は南のはずだ。それに、軍勢にしては、数が少なすぎる」

 アーデルハイムが言った。

「竜を追っているんだよ!」

 それは些か自分本位な見解のようだったが、聖教皇による“竜退治“の御触れは、何もアーデルハイムを一本釣りしたものではなく、広く西方世界に流布されている。

「酔狂なドラゴンハンターが、俺たちの他にもいたってわけか!」

 ドワーフのビョルンが、「馬鹿者たちめ」と豪快に笑った。

「ここにいた、東方騎士団たちが、逃げていったのかも知れない」

 シャルルの言葉に、フーゴが反論した。

「砦には、どこにも騎士団の死体はなかった。蛮族の死骸はあるのに」

 ベルトルトは見解を述べる。

「騎士の死体が一体も無いのは、おかしい。蛮族が先にいて、竜に襲われた。その後に、馬を連れた連中が、一度砦に入り、北へと去っていった。時間経過は、それで合っているか?」

 フーゴは首を振った。

「雨が振った跡がある。どれが新しいかまでは、判断できない」

「北には、何がある?」

 ベルトルトの問いに、シャルルが答えた。

「大きな街があるはずだ。その先には、東方騎士団の砦もある」

「よく、知ってるな。よし、大きな街ならば、バリスタも調達できるかも知れない。北へ向かおう。ヒルダ様、良いですね?」

 戸惑いを隠せないまでも、彼女は首を縦に振った。

 それを見ると、ベルトルトとシャルルは、目を合わせて頷きあった。


「なんだよ、北にもわんさといるじゃねぇか…どっから生えてきやがるんだ奴ら」

 果たして、イーストヴィレッジという名の街を視界に収めた一行であったが、その姿は予想していた活気に満ちた大都市というイメージとは、些か異なる状況にあった。

「これじゃ、近づけないぞ」

 丘の稜線から影を見せないよう、ピッタリと伏せたシャルルとベルトルトは、周囲の状況を観察する。

 イーストヴィレッジは、蛮族たちの集団に囲まれ、今まさに応戦中だった。

 カーテンウォールの上から投石機が、砕いた岩の破片を投じ、蛮族の集団を叩きのめすと、蛮族からは炎の魔術と矢と手槍が投じられる。

 戦い方と装備から見るに、人族の街が圧倒的に優勢のようだが、いかんせん、蛮族は数が多かった。

 すでに、壁に艀をかけて、登頂に成功している蛮族もいる。

 カーテンウォールの内部にも被害が出ているようで、街のあちらこちらから、煙が上がっていた。

「見ろ、街の後ろに見えるのがグランフューメだ。きっと港があるんだろう。そこからも、煙が上がっている。川と草原から、同時に攻撃されたんだ」

 ベルトルトは、専門家らしい分析を見せた。

「この街は諦めるか…」

 シャルルは自問するように、唸った。

「ダメだ…足跡はすでに見失っている。この先は、戦の足跡でもう、尚更無理だ」

 シャルルは自答して頭を抱えた。その様子を見て、ベルトルトが意見する。

「街で情報を得るか、もっと北の先に向かったと判断するか…か。北には、山が見えるな。案外、そこらに竜の棲家があるんじゃないか?」

「お前、竜を見つけたく無いんじゃなかったのか?」

「見つけたくない、訳じゃない。出会さないようにしながら、見つけるんだ」

「なんだそりゃ…」

「見つけられそうな状況、そいつを維持するのがキモなんだよ。ぶっちゃけ、足跡の奴らが、この戦場を目指していた傭兵志願者たちでした、ってのでも俺たちにゃ、一向に問題ない。竜を追っているご同業である可能性だけあれば、足を向けて時間を費やすネタにするまでだ」

「めんどくせぇな…」


 シャルルはしばし考え、ベルトルトに質問した。

「ここを迂回して、山に向かったら、どうなると思う?」

「山と言っても、山脈だ。アテもなく捜索しようと話したところで、徒労に終わると、誰もが思うだろう」

「…だよな。目標もなく彷徨っても、悪くすれば、遭難だぁ、滑落だぁ、食糧が尽きただぁ…ヒルダだって、早晩引き返して、学会の情報を得ようと考えるだろうな…」

「遭難しているうちに、祭りが終わってくれれば、それもアリだがな」

 ベルトルトは自分の言葉を、鼻で笑った。

 首を上げ続けることに疲れたシャルルは、顎を両手で支えて話を続ける。

「夜になって、落ち着いた頃に街に入り込むか?まだ、その方がヒルダの支持を得やすいだろうか?」

「情報を得よう、ってか?見たところ、蛮族どもの包囲網はスカスカだ。街の見張りに発見してもらえば、中に入れてもらえるだろう。だが、その先が問題だ。下手すりゃ、坊ちゃんが参戦すると言い出しかねんぞ」

「かなり、有り得る…だが、そうなれば竜退治は、大義名分を得てしばらくお預けだ」

 二人は後ずさって、丘を降りた。

「あぁ…まじか。この歳で戦争とは…心の底から、面倒だ…」

 ベルトルトがぼやきながら、仲間の元に戻ると、血まみれの細身の男が、一人増えていた。

「おい、どこからそんなもん、掘り出した」

 隊長の言葉に、ラルクが髪を整えながら答えた。

「蛮族に襲われていたのを助けたんだ」

 ぷるぷると震える細身の男は、60そこら。傭兵たちよりも、若干年下だ。

「余計なことを。蛮族どもの軍勢がわんさといるんだぞ?」

「剣の民を蛮族から救うのは、同じ民としての責務です」

 ヒルダが、男を庇った。

 思わず、ベルトルトはニヤリと笑い、男に語りかけた。

「お前、何者だ?」

「ブランと申しやす、大将。船頭をやっておりやす。お助けいただき、感謝を」

「船頭?船も持っているのか?」

 ブランと名乗った男は、すっかり寂しくなった頭を掻きむしって答えた。

「蛮族どもに、燃やされちまいました。その、火矢を撃たれたんでやす。向こう岸まで逃げようと思ったんですが…あ、諦めて川に飛び込んで…戻って来たところを、襲われやした」

「そうか、命拾いしたな。街には、まだ船はあるのか?」

「え、えぇ…戦場になってやすが、まだいくらかは、残ってるはずでやす」

「じゃぁ、竜はどうだ?」

「ほぇ?…」

「空を飛ぶ、巨大な生き物の姿は見てないか?」

 船頭は笑いながら答えた。

「そんだ、恐ろしいもんがいたら、街はもう陥落でやす」

 ベルトルトは興味を無くし、男に手を振って去るように示す。

 頭を何度も下げて去ろうとする男を、ヒルダが呼び止め、布で包んだパンを分け与えた。

「まっことに、お優しいお方で…ありがとうございやす。街は食料が尽きてしまい、ひもじい思いをしておりました。ありがとうございやす」

「もう、そんな状況なのか。備えをしとらんから、そうなるのだ」

 なぜか、ビョルンが男を叱りつけると、男は困り顔で答える。

「いえ、ある所には、あるのでやす。でも商人たちが蔵に鍵をかけて、兵士に守らせているんでやす」

「珍しくもない。ブランと言ったか?こっから南は、しばらくは安全だ。街には戻らず、南西を目指せ」

「こりゃ、ご親切にどうも…」

「おい、南から来た、十数人の戦士たちを追っている。何か知らんか?」

 今度はラルクが、男の背に声をかけた。

 すると、男は足を止め、頭を掻きむしった。

「騎士様が3人と、従者の皆様を向こう岸まで送りましたでやす。はて…関係ないお話でやすか」

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