第3話 渡河

 イナヤがフラムの港へと戻る前にまで、少し時間を巻き戻す。


 辺境騎士団が葦原にてパヴァーヌ軍を翻弄し、古代の竜がクェルラートを襲撃、さらにその後、竜がバヤール平原の北の砦へと翼を伸ばし、それを粉砕する場面に居合わせたアシュリンドたち、捜索隊の面々であったが、その後の捜索はどうなったのだろうか。

 彼らは、辺境騎士団の副長であるクルト・フォン・ヴィルドランゲと合流を果たすまで、あと一歩のところまで到達していた。小舟に乗ったクルトとハルトマンと思しき者たちが、水路を伝って大河へと向かう姿は、パヴァーヌの騎士クルムドが目撃していたのだ。

 だが、結果から言ってしまうと、再び大きく差が開くこととなってしまう。

 

 そもそも、クルムドの使命は、パヴァーヌ王家の血を受け継ぐ者の生存確認と、その身柄の確保である。西方諸国の雄たる騎士国の頂点にいながら、男子に恵まれない一事が、王の悩みの種であるからだ。今のクルムドには知る由も無いが、葦原での戦闘にまで発展した、王の辺境騎士団に対する執着の理由もそこにある。女子しか宿さない現王妃と離婚し、新たな再婚相手と、領土拡大の両方を成そうとした焦燥の理由がそれなのだ。

 だから、クルムドが執拗に二人を、いや、ハルトマンを追いかけたのは当然だった。

 そして、ハルトマンの位置を追うペンダントの示す方角は、グランヒューメの対岸であった。


 しかし、舟が無ければ大河は渡り切れない。馬も装備も捨てる気があれば、泳いで渡る事は可能だったかも知れない。だが、水路から出た先の二人の姿は確認できていなかった。流れに沿って下流に向かったのかも知れないし、すぐに川を渡り切って、北上したのかも知れない。3頭の馬と、アシュリンド、ナタナエル、クルムド、そして新たに加わったル=シエルと、他11名の全員を運ぶには、それなりに大きな舟で数回の往復をする必要がある。

 その舟が、見つからなかったのだ。


 一行は、川沿いにある集落を捜索し、それらが蛮族たちによって散々に破壊され、略奪され、焼失していることを知る。そのまま居座る蛮族らを追い払い、わずかに残された生き残りに少量の食糧を分け与え、西に向かうようにと勧める事しかできなかった。

 その彼らから、上流にも下流にも、まだ集落があることを知らされる。

 大河のほとりで生計を立てるのならば、少なくない数の舟を必ず有しているはずだ。

「アンカンシエルに近いほど、被害は大きいはずだ。北にある集落を探そう」

 クルムドがそう提案すると、一同は賛同した。


 再び移動を開始したある日、野営のための薪を集めている時に、アシュリンドはル=シエルと二人だけの時間を得た。

「山が近くなるにつれて、木が多くなったね。僕はだだっ広い平原よりも、森の方が好きだ。色々と手に入るし、気持ちが安らぐ」

 枯れ木を拾いながら語る、ハーフエルフの少年の言葉に、アシュリンドは答えた。

「俺が育ったラステーニュという地方も、丁度こんな感じだよ。でも、今は望郷の念よりも、隠れられる場所があることの方が安心する」

「全くだよ。蛮族の軍勢に、竜まで現れたんじゃ、とても平原が気持ちいい、なんて気分じゃ無いよね」

 ル=シエルは手を休め、灰色の頭髪をもつ若い騎士に向き直って、話を続けた。

「ところで、旅は続けるので、いいんだよね」

 アシュリンドも手を止めて、ル=シエルのそばへ近寄り、腰を下ろした。

「どういうことかな?」

「つまり、二人は…クルトとハルトマン卿は、ひとまず窮地を脱したようじゃない?この先、無事であるかどうかは、神のみが知る、だけれど。彼らが辺境騎士団に合流する気があるのなら、すぐに南下するはずだ。けれど、そうじゃない。ペンダントは、北を指している。きっと、別の意図があるのか、そうする理由があるのだと思う」

 アシュリンドは、隣に座ったル=シエルの言葉に頷いた。

「それは、クルムドとも話した事があるよ。俺たちの想像では、蛮族を避けるため、東方騎士団に身を寄せるつもりなんじゃ無いかと思う。だが、実のところはよく分からない。何せ…」

 ル=シエルは、アシュリンドの言葉の続きを引き継ごうとし、一度躊躇い、だが口にすることにした。

「…ハルトマン卿が、普通の状態であるかどうかが、分からないから、だね」

 二人の間に、無言の時間が流れた。


 アシュリンドにとって、ハルトマンはかつて仕えた、恩義もあり尊敬もする立派な騎士だ。ハルトマンの名を語るようになる経緯も含めて、彼のことを慈しんでいた。そして、本物のハルトマンに拾われて育てられたアシュリンドには、次代のハルトマンの他に、親族も身寄りも存在しない。

 一方、ル=シエルにとってのハルトマンは、幼馴染の友であり、それ以上でもそれ以下でも無い。ル=シエルには、同行しているクルトの身が気がきでならないのだ。そして、戦災孤児であるル=シエルには、彼の他に親族も身寄りも存在しない。


 ル=シエルは続けた。

「僕は、クラーレンシュロス伯から、クルトの捜索を頼まれている。でもそれは、きっかけに過ぎないんだ。僕たちは、仕える相手を分った事がある。色々あったんだ…。でも、僕の主は、政権争いに負けてヒルダ公妃の一派に暗殺されてしまった。でも、その時に思ったんだ」

 ル=シエルは、雲を見上げて言った。

「あぁ、これで、クルトのところに向かえる…とね。だから、クルトが辺境騎士団の元へ戻る気があるかどうかはともかく、合流は果たしたいと願うんだ」

 アシュリンドはル=シエルの顔をしばし見つめてから、口を開いた。

「俺は、クルト卿を探すのが任務であり、俺の心の贖罪でもある。けれど、クルムドと出会い、ハルトマン卿の存在を知った今となっては…」

 アシュリンドも、雲を眺めて心の底をつぶやいた。

「もう一度、ハルトマン卿と会ってみたい。それが、本物であっても、別の誰かであったとしても」

 二人は、互いに笑顔を見せた。

「なんか、僕たち似てるね」

「…そうだな」

 アシュリンドは、ふと何かを思い出したかのように、気まずい表情を見せた。

「どうしたの?」

 ル=シエルの問いに、彼は重い口を開いた。

「砦で竜に襲われたとき、本当に助かった。ありがとう、心から感謝を」

「うん。それは、前にも礼を言ってもらってるよ」

「そうなんだが…あれから、鳥を使っていない。二人の捜索に、鳥がいれば便利なはずなのに…」

「…それを、気にしていたんだね」

 アシュリンドは、姿勢を正して尋ねた。

「もしかして、大事な鳥たちを失って、もう不思議な力は使えなくなったのか?」

 ル=シエルは、微笑み返した。

「鳥の数だけ、ギフトは使えるから大丈夫だよ。ただ、瞬間的に使役するだけでなく、捜索となると“友だち“になる必要がある。それには、結構な時間がかかるんだ」

 アシュリンドは、“友だち“というくだりで表情を固くし、頭を下げた。

「本当に、すまない!」

「騎士の君が他人の従者相手に、そんな謝り方をしちゃいけないよ。あ、今は従者でも無いか」

 ル=シエルは慌てて、アシュリンドの肩に手をかけた。

「それに…どうせ言うなら“ありがとう“の方が、あの子たちもきっと喜ぶ」


 彼は、鳥たちを友だちと言った。

 時間をかけて、意思疎通ができるようになった、その鳥たち全部の命を犠牲にして…。

 

「すごいな…君は…」

 アシュリンドは、ル=シエルの表情に思わず見惚れてしまった。

「君のギフトだって、人の怪我を治せるじゃないか。それは、とても素晴らしい力だよ」

 ル=シエルは、小首を傾げながら続ける。

「そういえば、こんな話を聞いた事があるよ。前皇帝が、クルトに話していたのを横で聞いただけだけれど…なんでも、ギフトの力は、多くの人たちに眠っているらしい。けれど、実際に具現化できる力を持つギフトホルダーなんて、千人に一人なんだって」

「そうなんだ。珍しいのは、流石に知っていたけど」

「なんだか、僕たちって、実はすごいんじゃない?」

「千人に一人が、こうして出会える確率って、どれほどなんだろうな…」

「さぁ…算術は苦手だから、わかんない」

 ケラケラと笑うル=シエルに、アシュリンドは右手を差し伸べた。

「俺たち、友人にならないか?」

 ル=シエルは、一瞬驚いた顔を見せ、そして再び笑顔でその手を握り返した。

「うん、もちろんっ」


 秋も深まった頃、一行は美しい紅葉に彩られた町に辿り着いた。

 イーストヴィレッジという、素朴な名とは裏腹に、大河を望む丘に広がる城塞都市と、その下に位置する船着場と市場、倉庫街、宿場街からなる賑わいのある豊かな町だった。

 北は東方騎士団の存在が、蛮族や、北海から上陸して蛮行を振るう海賊たちを遮り、南は大河の利用によって海まで通じ、東は大河が防波堤となり、西はハイランド王国の首都、アッパーガーデンまで通じる街道が伸びている。東西南北の地勢に恵まれたこの町は、ハイランド王国が誇る新興都市なのだ。

 あまりに立派な町であるためか、出現した蛮族たちも攻略を断念してどこかへ消え失せたと、町の住民は笑って話した。

 名物は、オオナマズの唐揚げ。

「野ネズミやトカゲやカエルは、もう飽き飽きよ!今は魚じゃなくて、鹿や猪の肉をたらふく食べたい!」

 ナタナエル訴えに、満場一致の一行であったが、蛮族の襲来によって近郊から動物たちの姿は消えてしまい、狩人たちも町に篭らざるを得ない。よって、市場に出回らない状況だと聞き、仕方なしにそれを注文した。

 特にこれを嫌ったのはナタナエルだったが、ひとくち頬張ると、まるで人が変わったかのように夢中になって平らげてしまう。

 一行は、ここで数ヶ月ぶりの骨休めをする事ができた。


 3日間、休息することを決め、その間にアシュリンドとル=シエルの二人が、従者経験から会得した気配り具合を発揮し、渡河船の手配を済ませ、値切り交渉をしながら物資を補充する。

 軍資金の元手は少なかったが、今まで使う場面も無かったのが幸いした。馬一頭に、人が8人同時に乗れる船を船頭と漕ぎ手を込みで、用立てることが出来た。3往復すれば、渡河は完了だ。

 休息の期間、それぞれに分かれて情報収集をし、宿に戻って共有した。

 近隣はどこも蛮族の小集団が徘徊しており、特に山岳や森林に密集しているらしい。

 東方騎士団の本拠地は、大河の上流にあり、この町まで多くの物資を取り引きに来ているという話しからして、今まさにフル稼働といったところのようだ。

 大橋では、蛮族の大部隊が集結しており、ハイランド、パヴァーヌの軍隊と小競り合いを続けているという。

 辺境騎士団の噂は、ここには届いていなかった。


 かくして、身体を清め直し、栄養と休息を充分にとった一行は、貸切した漁船に乗り込んだ。

 偉大なるグランフューメの川幅は、大橋付近では1kmにも及ぶが、ここでは200m程度まで狭まる。その分だけ流れは早まり、上流の土砂を含んだ水は、白みがかった深緑色をしていた。

 船はのんびりと川の水を分けて進み、ナタナエルたちを運び、次にアシュリンドたちを対岸へ運んだ。

 最後の便には、クルムドとル=シエルたちが乗り込む。

「この季節は、南東から風が吹くでやす。それほど下流へは流されずに着きまっせ」

 人の良さそうな笑みを浮かべながら、上半身を裸のまま櫂を操作する、寂しくなった頭頂部が、すっかり陽に焼けた細身の船頭は、訛りの強い共通語でそう告げた。きっと、同じことを先の二組にも言ったのだろう。

 クルムドは、ペンダントを出して、ハルトマンの位置を再確認する。

「変わった作りだがね。高価な代物だかね?」

 船頭は、退屈紛れで話しかけている素振りで語りかけた。

「宝石も付いていない、安物だ。だが、妹から貰った幸運のお守りでね。誰にも譲るつもりはないよ」

 クルムドが、そう嘯くと、船頭は興味を失ったようだ。

「ところで船頭、あの方角には、何がある?」

 クルムドは川の上流部を指差した。

「上流の方でやすか?トーホー騎士団の山があるでやすよ。あぁ…なんだってかなぁ。シュバル…シュバリツ…」

「バリィ・デ・シュバリエ。騎士の谷だな」

「そうでやす、そうでやす。そんな感じぃでやす。パヴァーヌ語は、難しいっちゃな」

 ここまで黙ってやりとりを聞いていたル=シエルは、クルムドに質問した。

「東方騎士団は、パヴァーヌ人たちなのですか?」

「多国籍の人たちからなる、独立国のようなものだ。正式には、黒剣重騎兵団と名乗っている。だが、今の団長であるユーグ・ド・デゼール卿は、パヴァーヌ王領のあるパドヴァ地方の北端に位置するルノワール伯爵であり、同時にカンピーノ侯爵でもある方だ。他にも、多くのパドヴァ人がいるので、公式言語はパドヴァ語なんだよ。船頭の言うように、世間ではパヴァーヌ語とも言われている」

「自領を離れて、別の国にいるのですか?」

「別に、珍しいことではない。しかし、黒剣重騎兵団は、中でも特殊と言うべきだろう。ステータス目当てとなる、名ばかりの騎士団が多い中、彼らは蛮族たちの掃討を常務としている。“戦う人“に属する者たちの中でも、生粋の武闘派と言えるだろう。その騎士道精神も本物だ。もし、彼らと話す機会があれば、気にしておくと良い」

 辺境騎士団よりも、ですか…とは、聞かずにおいた。

 結果として辺境を征覇し、自領を拡大し続けている彼らを見る他国の目が、どのようなものであるかは、君主を倒されたシュバルツェンベルグ公国にいた彼には、よく分かっていた。

「ありがとうございます。留意しておきます」

 ル=シエルが礼を述べた時、船頭が叫んだ。

「気をつけなされ!」


 何を…?


 こんな長閑な川の上で…そう思ったル=シエルの胸を、何かが強打した。

 水面が荒れたと見るや、船の上には、瞬く間に大量の鯉の群れが飛び込んで、大混乱となった。

 あたり一体から、大量の鯉たちが水中から飛び出して、水飛沫を上げる。

 その鯉たちが、次々と船の中に飛び込んで来る。

「馬を抑えろっ」

 船頭の指示で、クルムドが手綱に手を伸ばすと、彼の手に60cmはあろうかという、巨大な鯉が体当たりを喰らわした。


 ペンダントが、水面へと飛ばされ…。

 ぽちゃり…。

 と可愛い音を立て、濁った川底へと沈んだ。


「なんてことっ…」

 馬が足元でびくびくと暴れる鯉を嫌うと、船が大きく傾いた。

 船上の皆が肝を冷やし、転覆を免れたことに胸を撫で下ろした頃には、グランフューメの流れは静けさを取り戻していた。

 船上に、20尾ほどの巨大な鯉たちを残して、狂乱の群れはどこかへ消えていた。

「驚いたろぉ…たまにあるんでやすよ。俺らは、クレイジーフィッシュと呼んでやす」

「ハイランドの名前は、あるがままだね」

 ペンダントが消失する現場を見ていなかったル=シエルは、胸を摩りながら苦笑した。

「あぁまぁ…騎士様の旅の幸運を祈っておりやす、です…」

 一方、それを見ていた船頭は、呆然と水面を見つめ続けるクルムドに向かって、そう慰めた。

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