第2話 なれ果て

 フラムの軍船5隻と、モルテ=ポッツの軍船12隻から成る両国の連合艦隊は、竜の襲撃を受けた蛮族と人族が共存する海洋都市、クェルラートに入港した。

 港は鉄鎖による封鎖もされておらず、組織的な妨害も受けなかった。

 モルテ=ポッツの海兵たちが、勢い良く港に攻め入り、蛮族の小集団を蹴散らすと、そのまま街へと侵出した。

 フラムの船に乗っていた辺境騎士団たちは、甲冑を着込み、バーディングを馬に装着し、悠々と下船する。

 騎士100名、従者・馬丁ら250名、軍馬が500頭。これらが、蛮族たちの地とされる“向こう側“へと上陸を果たした、辺境騎士団の戦力だった。


「2日、馬を休ませる。落ち着き先を確保しろ」

 アマーリエの号令で、彼女の騎士たちは抜き身の剣を携え、街へと散った。

「人よりも蛮族の方が、竜を恐れると聞きます。なんでも、竜信仰なるものが蛮族の間ではあるようで」

 海の日差しを受けて、いっそう美しく輝く金髪の持ち主が、アマーリエの横に馬を付けた。

 パンノニール伯ランメルト・フォン・フラムが、此度、騎士団長の参謀役を務める。

 無論、アマーリエの采配だ。参謀長として馴染みのミュラーには、別の任務を託してある。

「蛮族の方が、賢い、ということね。喉元過ぎれば熱さ忘れる、が人族のモットーだから」

「相変わらず、ご辛辣で」

 アマーリエは、数日の船旅で日焼けし、赤くなった頬に手の甲を当てた。

「赤い顔を見せたら、また鞍替えしたと噂されそう…困るわね…日に焼けない体質というのも」

「流石に、今その噂は…私も些か困ります」

 ランメルトは、端正な顔立ちをいっそう魅力的にする微笑みで応えた。

「騎士団長、どう戦いますか!?」

 二人の元に、紅の焼き付け塗装を施した甲冑の一隊が、指示を仰ぎにやってきた。

 先頭の騎士がバイザーを上げると、眉尻を吊り上げた、フラム伯イナヤの顔が現れる。

 今回のクェルラート遠征にあたり、彼女は同じ赤備えの騎士5名を連れて来ていた。

「誰よりも、戦意旺盛だな。立派な事だ」

「あまり前じゃないっ!私の初陣なのよ?」

 夫の評価に、妻は甲冑を鳴らしながら応える。

「蛮族たちは、物陰に潜んでいるわ。不意打ちに充分、警戒すること。彼らの中には毒を使う者たちがいる。傷を受けたら、すぐに戻って神官騎士の治療を受けること。いい?」

 アマーリエの忠告に、イナヤは「はいっ」と素直に答える。

「では、港の安全確保を優先して。街の中は、タンクレディたちの歩兵の方が対応しやすいから、彼らに任せるわ。どうせ、占領後は彼らの土地になるのだから」

 イナヤは、バイザーを下げると、くぐもった声で答えた。

「了解しました!港に隠れる敵を掃討します!フラム騎士隊、続けっ!」

 赤備えの騎士たちが、領主の後見人に遅れまいと港を駆け巡る。

「あの格好で海に落ちなければ良いのですが…」

 ランメルトは、ため息混じりにこぼした。

「戦に連れ出すように頼んだのは私だけれど、少々焚き付けすぎたんじゃない?」

「とんでもない。私が一言告げるだけで、彼女の瞳は大きく開かれ、まるで夜空を仕舞い込んでいたのではないかと思えるほどに、キラキラとした輝きを放っていましたよ。何でも、子どもの頃からの夢だった、らしいです」

 アマーリエは、イナヤたちの姿を眺め、どこか切なげに微笑んだ。

「乗馬が上手なのね…」

 そして、急にランメルトを振り返る。

「初陣じゃないわよねっ!?」

 彼は笑って答えた。葦原の戦闘で、軍船に乗って弓兵を指揮したのは、彼女だ。

「そういう一面がある女性なのです。どうぞ、大目に見てやってください」

 それと、と彼は続ける。

「余計な事かも知れませんが…蛮族のことを“彼ら“と呼ぶのは、おやめください。君主会議の軍勢の前で、それが口癖になっていては、心象を損ないます」

「そう。気づかなかったわ…憎いだけの相手なのに」


 クェルラートの街は、海に面した崖を切り拓いて造られた、半円形の城塞都市だ。

 陸からの防衛に易く、海上封鎖なしでの攻略は不可能だ。

 彼らにとっての防衛とは、西方世界の人族が相手ではない。“なれ果て“からやってくる同族たち…蛮族から、街を守る必要があった。逆に、海の防衛については、気にする必要すらなかった。なれ果てから船を担いでやって来る蛮族たちはおらず、海上を荒らし回る海賊業は、彼ら自身の専売特許なのだから。

 陸を守るカーテンウォールは、長年、メンテナンスを怠っていた所為による痛みが激しいが、ほぼ無傷で残っていた。代わりに街の中心部、港を見下ろす位置に設けられたキープは、ほぼ全壊していた。

 上陸前に、沖から見た街の姿は、その中央部分が真っ黒に焼けていたのだ。

 それはこの街を襲った竜が、支配者を狙い撃ちしたことを意味していた。


 それでもまだ、相当数の蛮族たちが裏路地や、コンドミニアムの奥に潜み、タンクレディ率いるモルテ=ポッツの軍勢を手こずらせる。

 モルテ=ポッツの兵の士気は高く、指揮官の段取りの良い掃討計画により、2日間の掃討戦でひとまずの追い出しと、討伐に目処がついた。

 最後まで抵抗した蛮族たちの遺骸は、伝染病予防のため、廃材を用いた焼却処分とされる。

 至る所で、このための黒い煙が、天へと伸びた。



 さらに、その2日目の午後、城壁の上で二人は落ち合った。

 眼下では、午後の日差しが海を深い青色に染めている。

「念願、叶った…てとこ?」

 海風が、アマーリエの銀色の髪を靡かせる。

「どうだかな。だとしても、それは俺の念願ではない」

 タンクレディは海を眺めた。

 その先には、彼の故郷がある。

「兄の事を想っているのかしら?」

 タンクレディは振り返らずに答える。

「あいつは、周囲の期待に敏感だった。きっと商人にでもなれば、そこそこ上手くやってのけただろう…君主の家なんぞに、生まれなければ良かったんだ。苦手なことばかり、背負わされた…それがあいつの不幸だ」

 アマーリエは、彼の隣に立ち、同じく海を眺める。

「魔剣に身体を委ねた時のロベールは、意外と楽しそうだったわよ。第二の人生を味わえたのかも」

「俺には、まるで子どもが火で遊ぶような、そんな顔に見えた」

「それでも、きっと心が躍ったのよ」

 彼は息をついた。

「一生分、楽しんだのなら…」

 そして、彼女に振り返る。

「笑って送るべきだな」

「そうね。私の時にも、笑って欲しい。きっと、みんなそうよ」

「…どうしてだろう。二度と会えないような気がする」

 アマーリエは首をすくめて微笑んだ。

「ただの偵察よ。興味本位から来る、敵情視察。地勢も調べておきたいし、集落や砦の位置も知る必要があるわ」

「穢れに汚染されている、という話もある」

「古竜たちとの戦争で乱用された、禁呪によって汚染された土壌…“戦記“には、そうあるわね。でも、こういう話もある。“なれ果て“には、人族の集落があって、蛮族たちと交易を行っている、とも」

「あぁ。それは、色彩豊かな工芸品で、その一部が、大橋を渡って西方にも輸出されてるって話もある。色染めに使う鉱石が、かの地では西方には無い、特殊な物ばかりだとか」

「毒の沼地ばかりで、草木は一本も生えないって書いた本もあった」

「大地は赤々と燃え、炎の泥濘が這いずり回り、山肌はガラスのように硬く黒光りしている…とかな」

 二人はついに吹き出した。

「その魔境がすぐ目の前なのよ?知る必要があるし、知っておきたいわ」

 タンクレディは、風に靡くアマーリエの髪を指先に絡めた。

「だが、心配だ。俺も…」

 アマーリエは人差し指を立てた。

「だめよ。貴方は、この街を修復するの。もし、私が敵を連れて逃げて来た時に、城壁から滑り込めるようでは、心許ないわ」

「それほど、城壁は傷んでいない。竜は、城壁なんぞ壊す必要がないからな」

「それでも、早く人が住める状態にして頂戴。フラムの商人の居留区も、ちゃんと整備しておくのよ」

「グランマエストロ…いや、ルイーサ」

 タンクレディは、アマーリエの指先を包み込んだ。

 二人の間で、時が止まった。


「キスをしていいか?」

 アマーリエは何かを言いかけ、一度やめ、そして微笑んだ。

「誰かに知られても、軽く嫉妬される程度になら」

「なら問題ない、俺から伝えてやるよ。お前が目を離した隙に、一矢報いてやったまで、とな」

 二人の唇が、軽く重なり合った。

 二つの唇はゆっくりと離れ…そして名残りを惜しむように、再び近づく…。

「おしまい」

 アマーリエの左手の指が、タンクレディの唇を阻止した。

「両手を抑えておくべきだった」

「心配しないで。本戦は来年のつもりだから、今年は偵察と経過観察に徹するわ。でも、艦隊はグランフューメをいつでも遡上できるように支度しておいて頂戴。戦況が、私の都合を無視する場合に備えて、ね」

「あぁ、だが、海賊船がまるで見当たらないのが気がかりだ。港の防衛に、4隻は残しておきたい」

「あなたの軍なのだから、あなたの判断に任せるわ」

 騎士団長は口にかかった髪を撫で下ろすと、背を向け、それきり振り返ることもなく、城壁の階段を降りてゆく。

 それを見送ってから、タンクレディはクレノーを拳で叩いた。

「くそっ、意気地なしめがっ」



 翌日の早朝、クェルラートの城門前に、辺境騎士団の騎馬たちが勢揃いした。

 今回の任務は、敵地の情報収集。

 可能ならば、嫌がらせ。

 出陣する代表的な面々は以下の通り。


 騎士団長はクラーレンシュロス伯ルイーサ・フォン・アマーリエ

 副官は、念願叶っての参戦となるラバーニュ・ローズルージュ

 参謀長 パンノニール伯ランメルト・フォン・フラム

 参謀補佐 ホーランド・ギーム

 近衛隊長 ケレン・バレンヌ

 第一小隊長 ワルフリード・デアカーティス

 第二小隊長 ペルスヴァール・サン・メール

 第三小隊長 シュタッツ・メイヤー

 第四小隊長 ランパート・アルチュール 新任の彼はマーリア姿で戦列に並ぶ

 各小隊には、二十騎の騎士たちが配属された。

 アマーリエの指示により、今回に限っては従者や馬丁も含め、全員が馬上の人となる。さらに重装備の騎士のため、替え馬も用意してある。

 各々が食料と水を携帯し、予備の武装や携帯できない物資は、替え馬の背に乗せた。本来、戦となれば欠かす事が出来ない、各騎士たちの紋章旗は街に置いておき、近衛隊が騎士団の軍旗だけを携行する。さらに、天蓋など荷物となる物は持参せず、雨除けとしてオイルドコットンだけを携帯した。現地で調達できなければ、一か月毎に補給に戻る必要がある。


「お金と気合が十分なのは分かるけど…」

 アマーリエは傍に控えるラバーニュに、冷ややかな目線を送った。

 ラバーニュは、この戦のために波打つ刃を持つ大剣フランベルジュと、金の縁取りをされた、深い葵色に焼き付けされた甲冑を新調しての参戦だった。

「なんだ、いつも同じ甲冑で飽きたのか?お望みなら、交換してやらん事も無いぞ」

 アマーリエの剣と甲冑は魔法の品だ。およそ人が造れる品とは、価値は吊り合わない。

「派手すぎる、と言っているのよ…でも、ベサギューは、精緻で素敵だわ。それに、コーターも滑らかで、丁寧に仕上げてある。この形状で、可動域は申し分ないの?」

 ラバーニュは、ご満悦そうに微笑んだ。

「当たり前だ。いくら使ったと思ってる」

 最後尾準備良し、との伝令を受け、いざ出発、という段になって、アマーリエは駆け寄る騎士に呼び止められた。

「お待ちを、私もぜひお連れください!」

 赤備えのイナヤだった。

「おやおや。前もって、役割分担は話しただろう」

 ランメルトが妻を宥めようとしたが、アマーリエが前に出て対応した。

「どうしたの、切羽詰まったような顔をして。少し落ち着いて」

「すみません、騎士団長。あの、やっぱり…どうしても私も“なれ果て“を見てみたくて…その、ダメでしょうか?」

 間髪おかずに、アマーリエは即答した。

「ダメね」

「どうしても?」

「どうしても、よ。いいこと?イナヤ」

 紅の騎士は、両手を閉じてしゅんとなった。アマーリエは、彼女のそばに馬を寄せて続ける。

「あなたの役目は、二つよ。一つは、私たちが補給に戻った時に必要な物を必要なだけ、すぐに調達できるように、しっかりと物資の準備をしてくれる事。そして二つ目は、フラムの商人たちのために、具合の良い居留区を確保し、整備しておく事よ。物資の荷下ろしに効率のいい場所で、尚且つ海賊に襲われた時の事も考えて、防衛しやすい場所でなくてはならないわ。荷下ろしに便利だからといって、港の先端部分に陣取っていては、戦闘になった時に孤立してしまうのよ」

「はい…それは、夫からよく説明をいただきました。でも…私でなくても…」

「これは、あなたでなくては、ならないの。フラムの居留区よ?今後、ずっと使われ続けるの。そこを獲得するのは、あなたでなくてはならない。それが、今後のあなたを形作っていく“実績“となるの。それに、代わりの者に任せたら、タンクレディにいいように言いくるめられちゃうわよ」

 イナヤは、唇をギュッと噛んだ。

「彼は、男にはめっぽう強気に出るのだけれど、女性には案外、甘いのよ」

 アマーリエは、そう言って笑った。

「ありがとうございます。分かりました。ご厚意に感謝し、お勤めを果たします。お引き留めしてしまい、申し訳ございませんでした」

 イナヤは、一礼してから馬を下げ、道を譲った。

 アマーリエは彼女に手を振り、全軍に出立の合図を送る。

「ありがとうございます。姫と直接、話しをしなければ、はやる気持ちが、どうにも収まらなかったのでしょう」

 ランメルトは、騎士団長に礼を告げた。

「分からないでも無いわ。甲冑まで新調したのだし…少し、私に似ている部分もある…だから、きっと分かってくれる」

 アマーリエは馬を進めながら、ギュッと目をつぶり、誰にも聞こえない声で呟いた。


 ごめんなさい。


 かくして、イナヤの赤騎士たちと、カーテンウォールの上に並んだモルテ=ポッツの一団に見送られながら、辺境騎士団の面々は、魔境の地と呼ばれて久しい“なれ果て“へと足を踏み入れた。


 斥候隊を先行させながら、ゆっくりとした歩調で、馬の背に揺られる。

 一日目は、右手に聳える岩山を眺めながら、低木と乏しい下生えが点在する、乾燥した荒れ野を進んだ。

 二日目も、同じ光景だった。ただ、落伍者か脱走兵だろうか、行き倒れた蛮族を数体発見する。

 三日目は、前方に一段低い低地を見下ろせる場所まで来た。川を挟んで、バヤール平原に連なる低地だ。そこは、青々と茂る草原地帯になっていた。右手の山脈は、一際高く天を突く離れ山を最後に、途切れた。

 ここまでに、集落はなかったが、数年前に大軍勢が野営したらしき痕跡はあった。

 アマーリエは騎士たちと話し合い、先へ進むのを一旦やめ、山岳地帯に見落としがないか探る事に決めた。


 小隊ごとに分かれて、広い範囲を探索する事になった。

 岩山を形成する赤茶色の砂岩はもろく、踏破には注意が必要だった。

 常に南風が吹き続け、海から山脈にぶち当たった風が生み出す雲は、時折、激しい雨を降らせた。全般的に大地が渇き、痩せていることから、春先に限った季節風ではないかと、ランメルトは推測した。

 頂上から山脈を見渡した一行は、声にならない感動を覚える。

 どこまでも続く、赤茶けた大地。

 端が見えないほど、東へと連なる山脈の尾根。


 雄大でいて、荒涼とした大自然の姿。

 しかしよく目を凝らせば、ところどころに森林が点在している事も知れた。

 山間に切れ込みを入れるような、それら森の形状から、川の存在も推測できる。

 羊皮紙を広げたホーランドが、ざっくりと山脈の形を描き、川や森などの情報を薄く、下書きしていく。

 その作業の様子を眺めながら、ラバーニュは皮袋の水を飲む。

「想像はしていたが…いや、それ以上に、何もねぇ場所だな。幻滅するぜぇ、まったく」

 ホーランドが手を止めずに応える。

「ここが住みやすい場所なら、蛮族たちはもっと頻繁に攻めて来ていたはずです。奴らの本拠地は、もっとずっと奥地なのでしょう」

 ラバーニュは、額に手を当てた。

「ランメルトの子飼いだけあって、優等生らしい発言だな、おぃ。なんか洒落っ気のある返しはねぇのか?」

「それでは…」

 ホーランドは、ペンをひと舐めしてから言い直した。

「この山は“幻滅山“と名付けましょう」

 ラバーニュは、皮袋をホーランドに譲った。

「いいねぇ。名に困ったら、俺に尋ねろ。イカした名を地図に刻んでやるよ」

 それでは、彼の荒野のような感性が、後世まで地図として引き継がれる事になってしまう。

 ホーランドは、彼の見えないところで、首を振った。

「空が荒れているようね…」

 急に団長に声をかけられ、ホーランドはインク瓶を落としそうになった。

「あ、はいっ。どちらでしょう?」

 アマーリエの指差す方向は、彼が見ていた方角とは真逆だった。

「アンカンシエルですね…確かに、この数日はあの周辺にだけ、ずっと雲がかかったままです」

 太古の文明が築いた、2kmを越す大橋は、ここからざっと30kmほどに近づいているはずだ。

「魔術で天候を操作しているのかも」

 ホーランドは同意した。

「この後、アンカンシエルに近づくのですか?」

「まさか、たった百騎よ。気づかれないように、東に進むわ」

 ホーランドはほっと胸を撫で下ろした。


 山岳地帯の調査に三日を費やし、一日休息を入れた。

 味気のない風景だが、しかし夜だけは違った。

 大きな赤星から、微細な白い星まで、満天を覆う夜空の華の美しさは、ここが魔境のほとりであることを忘れさせた。


 クェルラートを出立して早一週間。辺境騎士団たちは、草原地帯へ降り立った。ここから徒歩で丸一日ほど北北西に直進すれば、大橋に陣取る蛮族軍に遭遇するはずだ。一行はそちらへは向かわず、東へと進路を取る。

 それから三日目、突然の雨に見舞われた。

 馬の背にオイルドコットンを掛け、馬に寄り添うように雨を凌いだ。

 桶を返したかのような雨は、小一時間ほどでやんだ。

「おい、なんか、蛙が出てきたぞ」

 従者たちが騒ぎ始めた。

「見たことのない色だな…」

「おいおい、すごいいるぞ、俺は苦手なんだ、くそっ、気持ち悪い」

 草の根元か、あるいは土の中からなのか、横腹に虹色のラインを持つ、美しい蛙がまるで大地が生んだかのように、平原全体に出現し始めた。その数は大量だ。どれほどいるか、とても想像できない。

「これは、なんて綺麗な色だ!ペットにしたいくらいだよ」

 ペルスヴァールが蛙を取り上げ、手に乗せてしげしげと眺めた。

 しばらくして、彼の手は赤く腫れ上がり、痒みが止まらなくなる。


 しばらく振りに足を踏み入れた森の中では、ちょいと触れると、ぷっと粉を噴き出す、不思議なキノコを見つけた。

「ははっ、見てごらん。こいつ、面白いぞ」

 この後、ペルスヴァールは丸一日、鼻水とくしゃみに苦しめられる。


 森の中で、澄んだ清流を発見した。

 念の為、くじで当たった3人がその水を飲み、半日ほど様子を見る事になった。

 その間、海老や蟹を探そうと、川の岩場に手を突っ込んだ男は、巨大なナマズに手を呑み込まれた。

 その男の名も、ペルスヴァール・サン・メールといった。


 幸い、彼の手は無事に繋がったままで、結果として大きなナマズを生け捕ることができた。

 水を飲んだ者たちも、体調の変化は見られない。

 この日の夜は、ナマズを焼いて食べた。

 ランメルトの用心で、食べるのは10人まで、との規制はあったが。


 奥地へ進むにつれて、“なれ果て“の地は、個性豊かな一面を見せ始める。

 猿が吠える、鬱蒼とした森。

 虫とヒルが大量にいる湿地では、萱鼠を咥えて飛ぶ、カラスよりも大きなトンボを目にした。

 火山岩で出来た黒い山では、足を怪我する者が多かった。

 青白く輝く池の水は、酸っぱい味がした。


 そして、出立から12日目。

 辺境騎士団は、周辺の岩とは材質の異なる、巨大な黒い砦を発見する。

 カーテンウォールの高さは10mを超え、堅牢な二対のゲートハウスに加え、連携して機能する尖塔は20を数えた。クレノーの合間から、内側にも別棟のキープがある事が垣間見え、二重城壁のコンセントリック型の城塞であることが知れた。

 これが、荒野のただ中、小高い丘に聳えているのだ。

 岩陰に潜みながら、ランメルトはアマーリエに語りかけた。

「岩の材質は、黒い砂岩でしょうか。一つの岩がとても、大きい…まるで、古代からある城塞のようですね。姫の鎧が納められていた、シュナイダー侯領の砦を思い出します」

「草原砦ね。でも、魔法の迷宮にしては、立地が理に叶い過ぎているわ。古代の大戦時に造られたものか…あるいは、蛮族たちにも相当に腕の立つ、マスターメイソンがいるって話になるわね」

「砦に篭って防衛する、という戦法は、およそ蛮族的な発想とは思えませんが…」

「じゃぁ、魔術による物なのかも。魔剣が自身に相応しい主人を選別するため、宝を置いた迷宮を造るくらいなのだから、蛮族の中にいるすごい魔術師が、それをできても不思議じゃないんじゃない?」

 ランメルトは、顎に手を当てながら、結論を述べた。

「砦がどのように造られたかは、この際脇へ寄せておいて…我々としては、この位置にある砦を捨て置いたまま、この先に進む事はできません。危険すぎます。ここから見たところでは、もぬけの殻のようにも見えますが、しっかりと内部を調べて、できる事ならば帰路の安全のため、掌握しておくべきです」

「同意ね」

 砦の周囲には溝が深く掘られているが、跳ね上げ式の正面ゲートの橋は降りたままだった。

「罠である可能性もあります。姫はここにお残りください」

 アマーリエはランメルトに人差し指を立てて、それを否定した。

「これだけ上手に息を潜められるとしたら、せいぜい百人程度。ここは、全員で突入するわ。でも、先に城門まで近づく役割は、少人数で静かに行動できる者たちを選びましょう」

 少し考えたのち、ランメルトは頷いた。

「…了解しました。敵が潜んでいたとして、それはきっと蛮族です。どうせ夜目が効くでしょう。暗くなる前に決行するのが良いかと」


 作戦はこうだ。

 まず先に従者たちが徒士で近づき、正門とゲートハウスの扉を調べる。

 開けることが出来ない場合は、ロープを投げてカーテンウォールを上り、内部に侵入し正門を開ける。

 敵が応戦してきた場合は、騎士たちが救出に向かい、撤退する。

 正門が開いた場合には、全員で突入。


 選抜された従者たち25名が、岩場から飛び出し、200m先の城門まで一気に走る。

 ランメルトたちは、その様子を固唾を飲んで見守るしかない。

 従者たちはクレノーから矢を撃たれることもなく、無事に羽橋を渡り切り、正門に取り着いた。

 従者の合図を確認し、ランメルトはアマーリエに向かって大きく頷いた。

「全軍、突撃!突撃!」

 アマーリエが剣を振り上げると、馬上で待機していた騎士たちは一斉に馬の腹を蹴った。

 岩陰から飛び出した百騎の猛者たちは、土を巻き上げながらカーブを描いて岩場を抜けると、砦へ向かって直進の進路へと変更する。

 先頭を走るのは、ワルフリード。

 それに半馬身遅れて、ラバーニュが追いすがる。

 ランメルトは甲冑の重さなどまるで感じさせない華麗な動作で馬に跨ると、アマーリエとケレンたち近衛の騎士たちと共に、先発した第一から第四小隊の後を追った。

 騎士たちが到着する直前に、正門は従者たちによって持ち上げられ、開かれた。


 騎士たちは意気揚々と突入したが、砦の内部は、もぬけの殻だった。

 蛮族の亡骸が数体、最近まで生活していた痕跡。

 天日干しされている人の皮が十人分。

 隠れていた山羊が二匹。

 蛮族だか獣だかの糞尿の臭い。


「なんだこりゃ…」

 剣を片手に内部を探索するラバーニュが、大きな太鼓を拾い上げた。

「行軍用の太鼓でしょうが…皮を張る作業を途中で止めたようです。鋲打ちが半分しかされていない」

 ペルスヴァールが、答えた。

「つまり、長期間滞在していたんだな。それが、今は全員出払った後ってわけだ」

 ラバーニュは、太鼓を手で叩くが、腑抜けた音しか出なかった。

「それ、人の皮ですよ」

 ラバーニュは太鼓を投げ捨てた。

「ちくしょ、なんでわざわざ人の皮なんて…」

「丁度良いタイミングで材料が手に入ったものか…あるいは、あれですね。倒した敵の身体の一部を身につける事で、その者の強さを宿すという…つまり、お守りのような風習なのでは?」

「蛮族に殺されるのだけは、なんとしても避けたいな」

「同意です」


 騎士たちが砦の内ベイリーに集結し、団長と参謀長を囲んで探索で得た情報を交換した。

 ランメルトは、情報を集約してまとめる。

「この砦は、五十から百程度の蛮族と、十匹程度の狼がいた。山羊も百頭前後。武具などの軍装品は、予備がまだ多く残されていることから、ここは補給基地として運用されていたのだろう。蛮族の死体については、前線への異動を反対した者、あるいは不正を処罰されたものか…少なからず、橋を突破した西方諸国の軍勢による攻撃、またはこの地の野盗どもの襲撃を受けたという線は、戦いの痕跡が無い事からして考え難い。同様に、内輪揉めの結果、戦場放棄したという場合でも、大きな争いの跡が残るはずだ。つまりは、この砦の蛮族どもは大橋の方面へと異動したものとみる」

 ランパートが意見を述べる。

「守りを残さず、という事は大橋で蛮族どもの損耗が激しい、という意味でしょうか」

 ランメルトが答える。

「可能性はある。だが、蛮族のことだ、短絡的に“全員来い“という命令を下しただけかも知れぬ」

「んな、アホな、と答えた者が斬られたのか。ご愁傷様だな」

 ラバーニュの意見に、笑いが起きた。笑いが収まるのを待って、ランメルトは続けた。

「そもそも、蛮族どもが砦に篭って戦うという事例が少ない。かのクェルラートは特殊な例なのだ。だがしかし、数多の部族を統率する手腕からして、この砦を軽視していると考えるは早計だ。すぐに戻ってくるやも知れぬ」

 アマーリエが引き継いだ。

「蛮族の屍にあるのは、刀傷と打撲傷だ。それも、どれもこれも、初撃で致命傷を負わせている。正直なところ、私ですら戦慄を覚えるが…腕などに防御痕がない事から、全てが不意打ちであった可能性もある。さらに、自決としか考えられない死骸も複数体見つかった。これらの意味するところが、推測できない」


 剣の神々たちは、信徒に自決を禁じてはいない。そもそも論として、彼らは守護神であり、その生き様を厳しく規制する戒律の類を持たないのが、その理由でもある。司祭が信徒に説法するのは、司祭の個人的な熱意や思想の具合にもよるのだが、あくまでガイドラインなのだ。高位の者が、さらに高位の者より死刑を宣告された場合、自決が潔し、とする風潮は古来より存在している。しかし、蛮族たちの文化、風習がそれと同じであるのかは、ここに居合わせた者たちでは判断ができなかった。


 不可思議な死の痕跡。

 そう、結論付ける他、手立てが無かった。

 騎士たちは、神妙な顔で団長の次の言葉を待った。

「どのような経緯にしろ、砦は我が手に収まった。そして、この砦はとても危険な位置にある。敵地にあって、包囲されやすい危険な地勢だ…だが、それだけに今後の戦略において、要となるだろう。この砦を目下の拠点とし、周辺地域にある集落を捜索し、可能ならば壊滅させる。砦の周辺地域を征覇し、安全を確保するのだ」

 ペルスヴァールが叫んだ。

「兵糧を締め上げるのですね!」

「その通りよ。ここを抑えることによって、補給ルートを分断できる。安全確保の手段として、平原を戻らずに南西の山岳地帯を抜けるルートで、クェルラートへの連絡路を確保する。番屋を並べて、替え馬を常駐させて頂戴。でも、そのルート確保の前に、食糧を補給しておく必要がある」

 アマーリエの後に、すぐさまランメルトが凛とした声で指令を出す。

「ワルフリードとシュタッツの第一、第二小隊は周辺地域の制圧。ペルスヴァールの第三小隊は、ホーランドと共に連絡路の確立。シュタッツの第四小隊は、来た道を戻り、補給物資の調達だ」

 ラバーニュが、口を挟んだ。

「ケレンたち近衛は、この砦の防衛だろ?だったら、俺にも何か役目をくれ。ワルフリードと一緒に…」

 アマーリエが割って入る。

「あなたは、ここの城代。一端の砦として運用できるよう、再整備を頼むわ。得意でしょ?期待しているわよ」

 ランメルトが葉っぱをかける。

「私も、南方で砦を新規に建造中だ。現地のマスターメイソンから、色々と学んでいる。君が無理ならば、私にも…」

「わかった!嫌だとは言っていないだろう。ただ、地味に重労働ばかりなのが気が重いだけだ。さっき見て回ったが、マチコレーションはあっても、砂を熱する大釜もなければ、ギャラリーから射る弓矢もまるで無い。できれば、空堀の深さももっと欲しいし、ゲートハウスは裸同然、櫓が欲しい。戦が目の前ならば、毛皮だって貼っておきたい」

「私やランメルト、それにケレンたちだって、もちろん手伝うわよ」

「お前もか?勘弁しろ。お前は貸しを忘れないタチだからな」

「あら、心外ね。ハロルド城市の復興にも、労働者として参加したのよ。私の膂力では、力不足と言うのかしら?」

「わかった、好きなようにしてくれ…よし、みんなで取り組もう。だが、一つ要望がある」

 騎士たちは、ラバーニュの言葉に眉を顰めた。

「何よ、まさか“なれ果て“での通商権なんて言わないわよね」

「違う、俺を守銭奴扱いするのは、いい加減やめろ…名前だ」

「…名前?」

 ラバーニュは、ホーランドに向けて指を立てて言った。

「この砦の名前は、“赤薔薇砦“とする!」


 ラバーニュがそう宣言した時、クェルラートで待つイナヤの元に、急使が訪れていた。

 その内容に血相を変えた彼女は、シュタッツの到来を迎える事はなく、使いの船に乗り込んでフラムへと戻ることになる。

 フラムの正統な世継ぎである、腹違いの弟が急死したのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る