千尋の休日

 土曜日。7時15分。


 スマホに設定していたアラームが鳴り、僕は欠伸交じりにベッドから起き上がった。


 カーテンを捲り窓に反射した陽の日差しと共に、大きく背伸びをする。


 自室から出た僕は、隣の部屋で寝息を立てる兄の姿を扉越しに見ながら階段を下りた。


 今日は友達が所属しているバレーボール部の応援に行く。


 昨日の昼休み、練習試合だし試合に出られるかも分からないけど、試合を見に来てほしい――と友達に頼まれた為、特に断る理由もなかった僕は二つ返事で頷いた。


 朝食を終えた頃には8時30分を過ぎていた。ちょっとゆっくりし過ぎたみたい。


 パジャマから特に当たり障りのないラフな服装に着替えた僕は、身支度を済ませて家を出た。


「――千尋ちひろ?」


「――ナオちゃん? おはよう」


「おはよう」


 玄関扉に手を掛けたタイミングで――幼馴染のナオちゃんが居た。苦笑気味に挨拶を交わす。


 丁度、インターホンを押すところだったんだろう。


 僕は、ナオちゃんが大事そうに抱えている物に視線を移して言う。


「兄さんのパーカーを返しに来たんだね」


「うん、まあ、そんなところ」


 微笑交じりに頷くナオちゃんに家へ入るよう促した。


「朝からどこかに行くの?」


 玄関先に足を踏み入れたナオちゃんは、僕の姿を見て小首を傾げなら問うた。


「うん、友達の応援に行くんだ」


 靴紐の結び目が緩かったのか、早々に解けてしまった蝶々結びを硬く結び直して、僕はナオちゃんの言葉に頷いた。


「兄さんならまだ寝てるよ」


「そっか」


「今なら兄さんの寝顔が見放題だよ?」


「……むっ、別にそんなことしないよ」


「あははっ、ごめんごめん」


 少しばかり口を尖らせながら言う彼女に苦笑しつつ、最後に、行ってきます――――と、言ってナオちゃんと手を振り別れた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 バスが渋滞により20分程遅延した。又、練習試合の場所が相手校だったこともあり少し道に迷った。


 目的地である高校に辿り着いた時には、9時30分を過ぎていた。


 体育館上の観客席へ足を踏み入れる。


 試合は既に始まっていた。観客席には結構な数の人が居た。


 応援していた近くのママさん達に話を聞けば、私立浅倉学園女子バレー部は県内では結構名の知れた高校とのこと。又、相手校も去年のインターハイベスト8とかなりの強豪のため、この練習試合はかなり熱いとのこと。


 此処に来て、実は一つ後悔したことがある。それは、


「……僕も制服で来れば良かった」


 周囲の観客を見渡せば、私立浅倉学園の制服を着た生徒達が居ることを目視で確認。


 端的に言えば、僕は少し浮いているのかもしれない。


 さっきから周囲の視線が痛い。相手校の制服を着た女子生徒達と目が合えば、


「……っ」


 途端に視線を逸らされてしまう。仕舞には此方を見ながら友達同士で集まってナイショ話をする始末だ。



(ねえ、あの子めちゃくちゃ可愛くない?)


(わかるめちゃくちゃ可愛い!)


(睫毛長っ!?)


(舐めたい)


(((それは絶対にやめろ)))



 ……居心地が悪いよお兄ちゃん。


「――メンバーチェンジ」


「――あ」


 僕の友達でありクラスメイト――三島みしま優希ゆうきは、番号が記載されたプラカードを掲げながらチームメイトと入れ替わった。


 練習試合とはいえ、入部して一ヶ月も経たずに試合に出られるなんて凄いな三島みしまさん。


 不意に三島さんと目が合う。彼女の目が一瞬大きく見開く。けれど直ぐ様緩やかなカーブを描き、安堵に満ちた表情を浮かべた。


 呼吸を一つ整えた後、三島さんはバレーボールを地面に繰り返し叩きつけて審判のホイッスルに促されるがまま、セッターに向けてサーブを放った――。


 ――試合終了のホイッスルが鳴り響く。1試合目は私立浅倉学園の敗北である。しかし、とても見ごたえのある試合だと僕は素人ながら思った。


 不意にスマホから着信音が鳴る。


――百瀬波瑠。


 スマホ画面にはねえさんの名前が表示された。


「もしもし姉さん?」


『ちーちゃんお願い、貴方の力を貸して』


「何事?」


 危機迫る姉さんの重圧の籠もった声音に僕は思わず息を呑んだ。


『……お父さんがぎっくり腰になっちゃった』


「わーお」


『なーちゃんもかーくんもスマホの電源切ってて電話が通じない』


「……なるほど」


『お店は一旦、私一人で回してるけど……お昼時が恐らく地獄』


「OK……大体わかった」


『ありがとうちーちゃん! 大好き!』


「……っ――とりあえず一旦電話切るね」


『了解』


 なんとか平静を装いつつ、姉さんとの通話を終える僕。続けて、三島さんへこの後の試合は応援することができない旨を簡潔にメッセージアプリを通じて伝えた。


 ごめんなさい。


 僕は体育館を後にして、最寄りのバス停まで踵を返した。


 ――喫茶店百瀬に辿り着いた時には、11時30分を回っていた。


 店の出入口に掛かった看板は『We’re closed. 』となっていた。あれ、お店閉まってない?


 僕が裏口に回ろうとしたタイミングで、からんからん♪――鳴る呼び鈴の音と共に、喫茶店百瀬の扉が開いた。


「ちーちゃん来たー!」


 言って、ぎゅっと僕の手を掴む姉さん。


「さあ、準備するよちーちゃん。付いてきて」


「お店閉まってるけど、姉さんが一人で営業してたんじゃないの?」


「お父さんを病院に連れて行くとき、今日は店を閉めるの一点張りだったんだけど」


「けど?」


「今日は稼ぎ時、私にも看板娘としてのプライドがあるの!」


「なるほど……で、本音は?」


「お父さんが居ない今、私のやりたいようにできる!」


店主マスター、病院に置いて来たんだ……」


「そういうこと。と・い・う・わ・け・で、ちーちゃんにはこれを着て接客してもらいます♡」


 にこにこ柔和な笑みを浮かべながら、姉さんはどこから出したか分からない早さで、黒のウィッグと大正レトロを感じる和装メイド服を持って言った。


「それは別に良いけど……今度、僕の友達にケーキセット奢ってね」


「いいよ〜♪」


 ――店主、喫茶店百瀬の看板娘は貴方が居なくなってとてもウキウキしています。……ギックリ腰お大事に。


「頑張って12時半までには営業再開するぞー!」


「おー」


 拳を掲げる姉さんにつられて僕は声を上げた。



 ――時計の針が15時を過ぎた頃、姉さんのメッセージに気付いた兄さんとナオちゃんが慌てた様子でお店に駆けつけた。


 兄さんは、僕の格好を見て地面に跪き、両手で顔を覆いながら叫んだ。


 五月蝿い兄さん五月蝿い。


「なーちゃんいではないかいではないか」


「絶対に嫌!」


 姉さんはナオちゃんに対しても僕と同じメイド服の着用を強要したが、


「――――ひっ!?」


 出入口前に立つ人物に対して、不意打ちとばかりに姉さんは頬を引き攣らせた。


 その人物とは、姉さんとナオちゃんの父親であり、ギックリ腰を患った張本人――喫茶店百瀬の店主である。


「はああああぁるううううぅー!」


「あ……い、いや……お、お、お父様、ここ……コレハデスネ……」


 タクシーを使い、喫茶店百瀬に帰還した店主に、一人勝手に営業していたことがバレてしまった姉さんは、ナオちゃんにがっちりと腕を掴まれ、


「い、いや……なーちゃんやめて……手を離して!」


「ちょっと、お灸を据えに行こうかお姉ちゃん」


 額に青筋を立てながら、強張った笑みを浮かべて言うナオちゃん。


「い、いやあああああああぁ――」


 姉さんは、直ぐ様裏方に連行され――――父と妹にそれはもうこっぴどく叱られた。


「千尋」


「なに? 兄さん」


 何やら真剣な眼差しで僕の名前を呼ぶ兄。続けて彼は口を開いた。


「後で千尋のメイド姿、スマホで撮っていい?」


「あはっ、ダ・メ♡」


「……くっ、かわいい! 好き」


 本当ほんとブレないなこの人。

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