第12話 エピローグ
アマーリエは深く、息を吸った。
膝の上には、瀕死のクルトの身体がある。
彼女には、何故か直感的に理解できた。
飽和状態の魔剣の魔力を、糸を引き抜くようにして、解放してゆく、その手段を。
クルトの肋骨を抉った傷は、時間が逆行されるかのように癒えてゆく。
しかし、これは自然治癒を早める神官たちの“奇跡“では無い。
魔力を用いた“再構築“だ。
汚染された世界から穢れを浄化し、人が住める世界へと再構築した創生の神々の力。
大地をも生まれ変わらせる、至高の御業。
力尽き、地面に倒れた辺境騎士団たちの負傷も、再構築されてゆく。
アマーリエは自らの中に宿る力を理解する。
それは、(猛る破壊)と〈隆盛たる創造〉。
その源が、アマーリエの民たちが抱く、己へのイメージに起因する事も。
「黒衣の騎士が、姿を消したぞ!魔術師ども、探せっ!ヴィルドランゲに卑劣な不意打ちを喰らわした、冒涜者だ!生かしてはおけぬ!探せ!姿を消しているだけだ!必ず、近くにおるぞ!」
マクシミリアンは、怒りに身を任せて吠えた。皇帝が立会人を務める、神聖な“決闘“を冒涜したのだ。世俗の法でも、神殿の法でも、それは死を免れない罪となる。増してや殺されたのが、直属の騎士ともならば、尚の事。
「ご安心を…クルトは、私が死なせません」
アマーリエの声色に、わずかに異なる響きが混じる。
「おや、おや…どうしました。魔力が、肺から滲み出してますよ」
好奇の視線を向けるロロ=ノアは、白銀の騎士に睨み返されただけで、後退りを始めた。
「貴殿は、まだ戦うつもりか…おい、何処へ行く。紋章官、戻れ!逃げるつもりか!」
マクシミリアンの近衛が、ロロ=ノアの編み込まれた髪を掴もうとするが、別の者に手を取られて投げ倒される。もう一人のエルフ。ロロ=ノアの腹心、レオノールだ。
二人は、風となって兵士たちの中に消えた。
クルトの元に、三人目のエルフが駆け寄り、膝をついた。
クルトの幼馴染の従者、ハーフエルフのル=シエルだった。
「任せたわ」
彼はアマーリエの声に頷くと、騎士の両足を掴んで、引き摺って行く。
「おのれ、キングメーカーめ。契約不履行だぞ。金は払わんからな!」
毒づいたマクシミリアンは、近衛に肩を叩かれて、憮然とした表情で振り返る。
「貴様、無礼っ…!?」
振り返ると、燦然と輝く光の輪を背にした、白銀の騎士の姿があった。
その体が、ふわりと浮き上がる…。
背中の光輪は次第に輝きを増し、直視するのも困難になる。
「陛下ぁ…かぁ、敵軍の兵士たちがぁ…蘇ってぇ…」
健を切られてのたうっていた者も、頭部を砕かれ気を失っていた者も、失血して彼岸を見た者さえも、欠損した身体を取り戻し、再び武器を手に立ち上がり始める。
「私の兵たちよっ!」
アマーリエの声は、魔法の響きを帯びて、全軍の一兵卒までに届き渡る。
片腕を切り落とされていたイーサンも、落馬して背中を滅多刺しにされたシュタッツも、四方を囲まれ討ち死にしたワルフリードさえも、再び軍列に復帰する。
だが、アマーリエの瞳には、別の兵士たちの姿も見えていた。
石工の兄弟、ハルトニアの砂堀りたち、地下洞窟で戦死したノイマン、シュルト、ボルドー、ルキウス、カルロらの騎士たち。マンフリードとの対決で戦死したフェアナンド。山の民との戦死者、タリスマン、ヴィシュタルト。対クリューニ戦で戦死した四千人を超える辺境の戦士たち。
その中に、逞しい軍馬に跨る、父ハインツの勇姿までもがあった。
「勇壮なる我が兵たちよ!今こそ我に力を示せ!」
マクシミリアンは慌てて騎士たちを集結させ、防御を命じた。
「突撃せよ!」
天高く突き上げたアインスクリンゲを、アマーリエが振り下ろす。
亡者たちの群れは、生ける味方を追い越し、真っ先に敵軍へと突入する。
それが見える者は恐れ慄き、見えない者は魂を削り落とされる感覚に悲鳴を上げ、恐怖し、錯乱した。
敵軍によって、完全に包囲されていた歩兵隊でも、同じ現象がランツクネヒトたちを襲う。
亡者に襲われた兵たちは、一人、そしてまた一人と、背中を向けて逃げ始めた。
「踏みとどまれ!数はこちらが有利だ!おい、待て!逃げるな!」
マクシミリアンが声を張っても、兵士たちの敗走は拡大するばかりで、止まる様子がない。
兵たちが恐れたのは、不死身の戦士たちでも、姿の無い亡霊たちでも無く、ましてや領主の懲罰でも無い。
最も恐れ慄いたのは、光輪を背負ったアマーリエの姿であった。
もはや、シュバルツェンベルグの兵たちの敗走は決定的だ。
「陛下!ここは一旦、お引きを!」
近衛の提言を、マクシミリアンは束の間の躊躇を見せただけで、従うことにした。
アマーリエの視線は、戦場の全てを捉えている。
大きく息を吸い込み、魔剣から魔力を抽出すると、アインスクリンゲは苦痛にもがき叫んだ。
アマーリエの背後の光輪から、一筋の閃光が迸った。
閃光は、逃走する皇帝軍の進路を遮るかのように、横薙ぎに走りすぎる。
一瞬の光。
束の間の静寂。
そして爆音と炎光。
丘陵地帯に爆音が響き、大噴火よろしく猛り狂う炎の熱と、衝撃波が逃げる兵たちの身体を押し戻した。
大地に転がった兵たちの身体に、大量の土砂と岩石が追い討ちをかける。
落下物から生き延びた者たちは、天を覆うほどの黒い煙を見上げて、愕然とした。
この時立ち昇った黒煙は、遠く聖教皇国の山岳都市からも見えたという。
自分たちが登ろうとしていた丘は、大きな陥没となり、溶けた大地は赤々と蕩けた水飴のように沸き立っている。
魂が抜けたかのように、その様子を見つめていたマクシミリアンは、背後に白い光が迫るのを感じ、悲鳴を上げながら振り返った。
白銀の騎士は、皇帝の側に降り立つ。
すると雲海の彼方の雷光のように、背中の光輪が点滅を始め…。
突如、アインスクリンゲと白銀の甲冑は、光の粒と化して消え失せた。
残されたのは、サーコートの下に綿詰めされた上着と、白い木綿のタイツを着た、一人の女性だった。
背後の光は何処かへ消え失せ、白い肌のうら若き女性は、静かに目を閉じたまま、大地に佇む。
上昇気流が、煙をゆっくりと巻き上げてゆく。
両軍の誰一人、声もなく、皆がただ、硬直して彼女を見つめていた。
ややあって、マクシミリアンが引き攣った笑い声を上げ始める。
「…馬鹿め、なんという愚かしさだ。魔剣の力を…使い切りおった?…はっ…ははっ…馬鹿だ、こやつは、前代未聞の愚か者ぞ!なんと言う愚行!…いや、そうではない。違う…違うのだな」
マクシミリアンはよろりと立ち上がり、左手の白い手袋を脱いで、女性の顔目掛けて投げつけた。
アマーリエは、手袋が地面に落ちても、まだ目を開かない。
「これは、余の幸運がもたらしたのだ。余の天命が、まだ尽きておらぬという、何よりの証拠!」
ヴァールハイトを抜き放ち、シュバルツェンベルグの公爵は、足を引き摺りながら、無手のアマーリエへ迫る。
薄い唇には引き攣った笑みを、青い瞳には激しい憎悪を宿し、その顔色は先ほどまでの恐怖が蒼白に染めている。
ゆっくりと、剣の間合いにまで詰めたところで、足を止めた。
「どうした、辺境の阿婆擦れめ。最期のひと言すら、口にする気力を失ったか」
アマーリエはゆっくりと瞳を開く。
春の草原のような、若草色の光が輝いた。
「質問を待っているのだけれど…もう、アノ遊びは、お終い?」
マクシミリアンは、ヴァールハイトを振り翳した。
「…お終いなのは、お前の命だ!」
魔力を込めた凶悪な刃が、アマーリエの顔面に迫る。
「いいえ。お終いなのは、あなた」
その瞬間、マクシミリアンの瞳が開かれ、恐怖の色に染まった。
「あわっ!?」
彼の体重を支えていた大地が消え失せ、宙の人となった彼は、瞬時に暗闇の底へと消えていった。
大地に開いた扉は、ひとりでに閉じ、その悲鳴を永遠に閉じ込めた。
扉は光の粒と消え、再び白銀の甲冑となってアマーリエの元に戻った。
「気は進まないけれど、受け取っておく」
彼女の手には、白い手袋と、一振りの魔剣が握られていた。
こうして、辺境のほとりに位置するアマーリエ地方を巡る一連の戦乱は、シュバルツェンベルグの捕虜たちの身代金交換の後、一旦にせよ終息したことになる。
無敗を誇る辺境騎士団はその名を轟かせ、人口およそ三十万人のアマーリエ地方に加え、辺境という広大な後背地を得たクラーレンシュロス伯の威勢は揺るがぬものとなった。
学会に属し、西方諸国の剣の民の歴史を綴る“戦記“記述者たちは、一度筆を起こしたルイーサ・フォン・アマーリエの神格化の兆しについての記述を消去した。だが、彼女の勇姿は、今後も尚、書き記され続けることとなる。
しかしそれは、人喰い蛮族たちの侵攻が、より一層と深刻な脅威として、この世界を覆い尽くさんとしている凶兆の鏡写しでもあった。
そして、文字は消せても、人々の口を塞ぐことはできない。
やがて為政者たちの間では、この若き領主のことを畏怖を込めて、“光輪“の二つ名で呼ぶようになる。
同時に、数多の民たちの間では、愛を込めてこう呼ばれた。
“アマーリエの剣の巫女“と。
辺境騎士団シリーズ 第一部 第三話 辺境騎士団と剣の巫女 (了)
3.辺境騎士団と剣の巫女【Rewrite】 小路つかさ @kojitsukasa
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