第10話 生きた証

 アマーリエはクリスタルガラスを埋め込んだ、ガラス窓越しに外の様子を伺う。

 先ほどまで晴天であった春の空は、暗く重い雲に覆われ、強い風がガラスを揺らす。

 冷気が肌を指し、近寄るだけでガラスが吐息で曇る。

 ガラスに映る、自分の顔は、青ざめているようだった。

 その顔が、不意に微笑みを浮かべると、空の彼方へと飛び去っていく。

 自分の顔ではなかった。

 今の光景に、見覚えがあった。

 空を舞う、邪悪な霊…オレリア山の吹雪の中で見た…。

 アマーリエは無くなった指を摩りながら、窓から後ずさった。

「攻撃が…始まっている」


 5月だというのに、雪が舞い始めた。

 騎士たちは寒さに堪えきれず、従者に外套を持って来させる。

 やがて暖炉に火が灯り、外套は、毛皮の防寒具に変わった。

 歯をガチガチ振るわせながら、ラバーニュがギレスブイグに言う。

「お前の得意な魔術で、この天候を何とかならんのか!?」

 ギレスブイグからは、いつもの憮然として横柄な態度が消え失せていた。

「俺の専門は、分析と解明だ。触媒魔術は、その応用に過ぎん」

 ラバーニュは苛立つ。

「何言ってんのか、分からんよ。城壁をぶっとばった、って話を聞いたぞ。何か、あるだろう。すげぇヤツがよぉ。もったいぶるな」

 ギレスブイグはギロリとラバーニュを睨みつける。すると、思わず身構える彼を他所に、床に座り込むと外套を広げて、何かを床に並べ始めた。どうやら、外套の内側に無数のポケットがあるようだ。

 瓶に何かを詰め込み、怪しげな呪文を唱えると、それをラバーニュに放り投げた。

 急に瓶を投げつけられ、慌てながらも、ラバーニュはそれを受け取ると、顔を輝かせる。

「…温っけぇぇぇっ!」

 騎士たちが、ラバーニュに群がり、瓶を奪い合った。

「ちょっと、何をしてるのよ、馬鹿なの?外は大変だってのに!」

 イネスが部屋に入ってくるなり、騎士たちを怒鳴りつけた。

「お前も、これ持ってみろ」

 シュタッツが瓶を彼女に渡す。

「わっ、何これ…温かい…」

 イネスの顔が、幸せ色に染まった。

 束の間のほんわかムードを、ラバーニュの怒声が掻き消す。

「…て、こんなんじゃ、全然、話が吊り合わねぇだろ!こじんまりしすぎなんだよっ!」

 ギレスブイグは、ため息をついて静かに語る。

「そうある物を作り、魔力を注ぐ事で、その作用を数倍に促進させる。俺の魔術は、所詮はその程度のものに過ぎん。発起する力を強めれば、瞬時に反応は終結し、逆に時間を伸ばせば、力は弱まるものだ」

「左様かい。じゃぁ、この外の凶悪な“作用“は、どんな仕様なんだ」

「原理自体に、相違はあまりないはずだ。元から存在する者に、魔力を注ぎ、力を強めた。元から存在するが故に、効果が長い。差し詰め、精霊の行使術式であろう」

「精霊の力だって言うの?」

 イネスがギレスブイグに問う。

「アールヴならば、それくらいの魔力を有していても不思議ではない」

「あーるぶ?」

 首を捻っているイネスに、アマーリエが横合いから尋ねた。

「それより、持ち場を離れてどうしたの?敵は、約束をすでに破っている。警戒を怠らないで」

「あ、それなんです、姫様。報告のために走って来た警邏の兵たちが、一斉に吐血して倒れてしまいました。ミシェル姉が手当をしていますが、すごく重症っぽくて…」

 アマーリエはツカツカと歩み、テラスに出るための扉を開いた。

 暴風が部屋に吹き込み、肌を刺す冷気が、瞬時に部屋を覆う。

 騎士たちは縮み上がった。

 外は雪に覆われ、視界が許す限りでは、すでに白一色の世界に変貌していた。

 雪の中に、こんもりと盛り上がったものが…あれは、人の形か…そして、大きな馬の形も…。

 肺が冷気を吸い込み、まるで焼けるような痛みが走る。

 アマーリエが部屋に戻ると、騎士たちは慌てて扉を閉じた。

「警邏はいい。どうせ見えない。すぐに兵を下げて。暖炉があれば、各自、火を炊くのも許すわ。それと、馬を屋内に収容して、藁をかけてあげて」

「わかりました」とだけ言い残し、イネスが部屋を出る。

 ラバーニュは、ジャンプを繰り返しながら嘆いた。

「寒いっ、寒すぎる。ギレス、さっきのをたくさん作ってくれ。それと、暖炉の火を強くできねぇか?」

「暖炉を破壊し、薪を瞬時に使い果たして良い、のならな。懐炉の件は、四、五十ほどは作れよう。取り掛かる…工房ならば、もっと良い物が出来たのだがな…」


 暖炉の前で、小一時間ほどを過ごしたのち、アマーリエは部屋を出る。

「兵を励ましてくるわ」

「僕も付き合うよ」

 アマーリエとミュラーは、キープのギャラリー内で寒さを耐えて身を寄せ合う、兵士たちの姿に愕然とした。カーテンウォールの上部にある、アリュールでは多数の凍死者を発見した。ミシェルたち、神官位を持つ者は、兵士たちの看病にかけずり回っている。

「この天候は…」

 アマーリエの足元で、凍結したタイルが割れた。

「まさか、そんなっ…」

 ガントレットを脱いで、石壁に手を当てると、冷えた石はアマーリエの白い手を張り付かせた。

「また、先手を取られた。私は…いつでも後手に回っている」

 そう呟くと、ミュラーに向き直る。

「毛布でも、タペストリーでも、毛皮の敷物でもなんでもいい。兵士たちに配って頂戴。それと、暖炉のある部屋に集まって、身を寄せ合うように伝えて」

 真っ白い息を吐きながら、アマーリエは彼に命じた。


 深夜まで続いた寒波に対し、辺境騎士団は耐えることしかできなかった。

 城中の暖炉に一斉に火が灯され、備蓄の薪はすぐに底がみえた。マチコレーションで熱砂を焼くための薪や、足を滑らせるための油も、全て暖をとるための燃料に消費された。 


 翌朝、空は嘘のような晴天。

 外にいた者は、凍りついた雪の中で凍死した。

 城内にいた者も、無事では済まない。

 昨晩の凍死者は、全体の1/3にまで及んだ。

 城の周囲にだけ雪が積もり、外界は春の息吹に活きづいている。

 アマーリエに選択の余地は無かった。

 城外での会戦…それしか、無い。

 使いが持ち帰った返答は、是。

 皇帝軍はすぐに、陣形を動かし始める。

 アマーリエも門を開き、雪を踏み締めながら城外へと馬を進めた。


 東からの初夏の風が、両陣営に立ち並ぶ紋章旗をなびかせる。

 もう数週間もすれば、風は南からに変わり、日差しも厳しさを増すだろう。

 緩やかな丘陵地に布陣した皇帝軍は、重装歩兵を中心に、両側に槍を持つ軽装歩兵、さらに両翼には、弓兵。その少し後ろに控える形で、両端に騎兵を展開した。

 本隊は中央後方、皇帝も参戦の構えだ。

 たった一晩で、数の差が生じた。

 その優位を活かし、皇帝軍はV字型に包囲する陣形。

 その数、およそ五千。


 対する辺境騎士団の陣形は、一点突破を目論む、密集した紡錘形だ。

 しかし、シュバルツェンベルグの重装歩兵は、甲冑を着込んだ、これ以上ない“重装部隊“だ。これほどの武装は、きっと、どの国の軍隊にも成し得まい。突破を食い止められることがあれば、瞬く間に包囲されかねない。

 アマーリエは、ミュラーに尋ねる。

「中央の重装歩兵と、両側の軽装歩兵は?」

「知らないのか?泣く子も黙る、ランツクネヒト…要は傭兵部隊だ。結束が固くて、そう易々と引く相手じゃないぞ。その両側は、市民兵だろう。と言っても、僕たちのような訓練された民兵組織は無いから、徴兵された農奴だろう」

「騎士たちは、どこに?」

「皇帝は、部隊を兵科ごとに分けている。それぞれに、指揮を執る騎士がいるはずだ。だが、主力部隊はおそらく、中央ランツクネヒトの後方、皇帝を守護しているに違いない。相手は、騎士を主力に据えるこちらの出方を、前から予想していたんだ。奥に行くほど、強固になる陣形だよ」

 さもありなん。こちらの出方を予想するなど、容易いことだ。

 相手には、ロロ=ノアがいるのだから。


 事前の書簡交換で、開戦は正午と決められていた。

 間もなく、その刻だ。

 再び、皇帝が従者二名を従え、進み出る。

 それに応える形で、アマーリエも、ミュラーとギレスブイグを連れて進み出る。

 皇帝の従者は、豪華な出立を纏った近衛の長と、紋章官ロロ=ノアだった。クルトは、この最期通告への動向を拒んだのかも知れない。

「七日を与えたのに、たった一日しか活用せぬとは、なんとも愚かしい。この世の素晴らしさに気づけるのは、生きている間だけなのだというに…さて、降伏するなら今ぞ。貴殿はせっかちな様なので、三秒だけ、返答を待つことにする」

 色白で端正な顔立ちに、青い瞳のマクシミリアン。アマーリエは彼を一瞥しただけで、無言で馬主を返した。


 挨拶すらも交わさない、短い会見を後にしたアマーリエの若草色の眼は、自軍を正面に捉えていた。

 皆、不安と覚悟とを織り交ぜた、微妙な表情だ。

 ふと、その中に、青白い顔の少年を見た。

 当時、石工の長男だったその少年は、マーリアに身を包み、どこから持ち出したのか槍まで構えいている。亡霊ならば、もっと自己主張しても良いものだろうに、兵に紛れて立つ姿は、危うく見逃すところだった。口から垂れたままの血を拭えと合図を送るが、彼は前呆然と見据えたまま、気づく様子もない。隣にいた兵が、私ですか?という素振りを見せた。

 気を取り直し、アマーリエは大きく息を吸い、兵たちに告げた。

「歴戦の辺境騎士団の勇者たち、そして愛するアマーリエの民たちよ」

 アマーリエが視線を巡らすと、兵たちは姿勢を正して彼女の言葉に傾注した。

「この戦を、後世の者たちは愚かな行為と、揶揄するかも知れぬ。西方世界への裏切りと、断ずる者もいるかも知れぬ。だが、私の想いは、ただ一つだ。ただ一つの想いで、この戦に望む。私を産み、育んでくれたこのアマーリエの地を、私は二度と失いたくはない!二年前の心を割かれるような、あの苦しみだけは、もう二度と御免だ!私は平和を皆に約束した。その舌の根も乾かぬうちに、また戦かと思う者はしかと聞け!ここで私たちが兵を引けば、この地は搾取され、断裂するだろう。この地に群がる虫どもは、シュバルツェンベルグ、パヴァーヌ、ハイランド。我ら家族は、これら虫どもが群がり、互いに領土を貪り合う醜い争いの場となり、荒廃し、搾取され、分断され、夫や子は奴隷に売られて離れ離れとなるのだ。その先は、さらに辛い時代が来るだろう。元は一つの故郷と一つの民族、血族の繋がりが隔たれ、家族や仲間が敵同士として戦う日々が来るのだ!」

 アマーリエは軍勢に沿って馬を進めながら語り、拳を突き上げる。

「その未来が想像できるか?許し難い悪夢のような未来だ!故に、私がこの戦にかける想いとは、すなわち故郷への愛なのだ!」

 兵士たちが盾を鳴らして、賛同の意思を送る中、アマーリエはさらに続けた。

「蛮族との戦争の定中にありながら、私利私欲に狂う邪悪な為政者は誰か!?世の誹りを受けるべきは、誰なのか!?聖戦を利用し、利権を得ようと目する皇帝の侵略行為は、まさに人族への裏切りに他ならない!青き血の高潔さを失った、皇帝の行いを決して許してはならぬ!剣の子らの清き魂は、真の青き血潮の流れは、諸君らの中にこそある!これは、アマーリエ地方だけの戦争にあらず、西方世界の穢れを祓う我らが聖戦なり!我らが全世界に発する、聖なる警鐘なり!私はクラーレンシュロス家に伝わる魔剣の主人として、アマーリエの地の平和を守護する責務を果たす!」

 ありたっけの声で、アマーリエは宣誓した。

「諸君らと共に、誇りを胸に!民を守る!例えこの身が朽ち果てようとも!それが私の“生きた証“となるであろう!諸君らと共に、私は最期の瞬間まで、足掻いて生きるのだ!アマーリエに永劫の平和を!」

『アマーリエに永劫の平和を!』

 兵たちの唱和は、地鳴りにも似た音となり、三回繰り返された。


『・・・剣の姫!剣の姫!剣の姫!・・・』

 三唱の次に、熱気が収まらない兵たちが、別の言葉を連呼し始めていた。

 アマーリエが騎士たちの前を通り過ぎるたびに、騎士たちは彼女に声をかけた。

 スタンリー=ハーレイ・オブ・ギャレットは、紳士的な儀礼を添えて告げる。

「西方諸国において、我らほど連戦連勝を重ねた軍はないでしょう。騎士として、貴方に仕ることができた事は、至福の至り。改めて、感謝いたしますぞ」

 神官騎士三姉妹の末女、イネス・ヴァンサンが言う。

「末妹だった事を、今日ほど好ましく思ったことはありません。しがらみのない、身勝手に生きてる実感ってやつです。全身全霊で、お供させていただきます」

 勇猛果敢な騎馬突撃でもって、“ワルフリードラッシュ“の異名を持つ、ワルフリード・ディアカーティスが言う。

「ま、成るようにしか成らんでしょう」

 知識の守護神ライノアのトリスケルを首から下げた、オレリアの騎士ケレン・バレンヌが言う。

「これと言って才なき私が、この騎士団の盟友たちと共に戦に馬を並べることができた事、心より姫に感謝いたします。戦記の一頁に残る戦いを、してご覧にいれます」

 辺境の村ハルトニアから従軍してくれた、イーサン・ウォーカーが叫ぶ。

「辺境の英雄!剣の巫女!」

 北砦防衛の英雄、ラバーニュ・ローズルージュが笑う。

「久々の本隊復帰の相手が皇帝軍とは、あの陰気臭かった小娘も、随分と大胆になったもんだ」

 黒衣の騎士にして魔導士の、グリゴア男爵ギレスブイグが言う。

「苦難の旅路も、これで終焉となる。最期まで、共にあらん」

 幼馴染のライノア信徒、ミュラー・オルレアンドが言う。

「僕たちの戦いの歴史は、きっと後世にも語り継がれるよ。まだ、その実感はないけれどね」

 

 かつて、この地から逃げ出した時には、22名の騎士しか連れていなかった。しかし、領土を奪還した現在は、戦前の比ではないにしても、ここには68名の騎士たちが参集している。

 アマーリエは、皆に応えた。

「貴方たちと、この一戦に臨めることは、人生最大の栄誉です。アマーリエの名を冠するものとして、私はこの地に、私が生きた証を、この戦場に刻みます」


 戦の刻がきた。

 戦法は互いに知れている。

「皆、手筈通りに動け!全軍、突貫せよ!」

 騎士の従者たちが掲げる色とりどりの紋章旗が、風を受けながら平原を駆け進む。

 ランスを構えた先鋒の騎士たちが、若草を巻き上げながら、その旗を追い越して行く。

 歩兵たちもそれに遅れじと、必死に駆け進む。


 皇帝軍の両翼から、夏の雨の如く、無数の矢が降り注がれた。

 全身甲冑とバーディングに身を包んだ騎士たちは、その雨を弾いて突き進む。

 弩のクォレルを全身に浴びた者が、馬上で気を失い、落馬する。

 次は、槍が投げ込まれた。

 1mmにも満たないバーディングは穂先を弾ききれずに、馬を苦痛に悶えさせる。

 疾走中に制御を失った騎士が、またも草原に転がる。

 歩兵の接近前に、皇帝軍の弓兵は後退し、槍を投げた者たちは、空いた手に剣を構えた。

 ポールウェポンを並べた重装備の傭兵部隊が壁となって、騎士たちの眼前に立ち塞がる。


 車掛の波状攻撃、次いで懐に抱え込んでの、包囲殲滅。

 それが、マクシミリアンの筋書きだ。


 先陣で愛馬アルヴィを駆るアマーリエは、左へと馬首を向けた。

 槍を並べて足を踏ん張るランツクネヒトの眼前で、辺境騎士団の騎馬たちは二手に分かれた。

 二本の牙と化した鋼鉄の奔流は、傭兵と民兵の境目に食らいつく。

 アマーリエとミュラーの読みは、的中していた。

 徴兵された農奴たちは、敵の正面突撃は、頼れる傭兵たちが受け止めるものと、すっかり思い込んでいたのだ。自分たちの仕事は、足の止まった騎兵たちの中に突撃し、騎手を引きずり下ろすことであったはず。途中まで、確かにその流れに見えていた。

 不意を突かれた民兵たちは、疾走する騎馬の衝突から逃れようと、逃げ腰になった。

 傭兵の一団から民兵たちを剥ぎ取るかのように、騎馬の流れは刃物となって、軍勢を切り離す。

 ギレスブイグは肩から下げていた鞄を、傭兵の中へと放り投げる。

 やや間を置いて、激しい爆音が轟き、土砂と共に傭兵たちが空へと舞い上げられた。

 指を立てて、彼の魔術に賞賛を贈ると、アマーリエは後方を確認する。

 自軍の歩兵たちが、包囲陣の中へと雪崩れ込んで来ていた。

 その歩兵に対応するため、傭兵の指揮官たちは、騎兵につられて乱れた陣形を、収束しなそうと懸命に声を振り絞る。

 アマーリエはアルヴィの脇を蹴り、民兵を押し分けながら、先を急いだ。

 目指すは、傭兵部隊の後方に構える本陣。

 突き上げられる槍と剣の荒波を抜けると、不意に無人の草原が広がり、その先には鋼の壁が待ち構えていた。

 数百名の騎士に囲まれた中に、シュバルツェンベルグ公の軍旗を認めた。

 だが、こちらの騎士、騎兵を合わせても、なお数は敵が上回る。

「左手に、遊撃隊!」

 ミュラーが、軽騎兵の一団が迫っていることを警告する。

 右手に別れたアマーリエの騎士たちも、民兵の群れから抜け出し始める。

 アマーリエの考えは、一択のみだ。

「皇帝旗を狙え!」

 迎撃の構えをとった皇帝軍の騎士たちと、辺境騎士たちのランスが、互いに火花を舞あげ激突した。

 折れた槍を投げ捨て、シュバルツェンベルグの騎士たちが、アマーリエに迫る。

 イネスの長弓が馬を射倒し、ミュラーが前に出て立ち塞がる。

 その脇から飛び出した後続が、アマーリエにランスを突き出した。

 アマーリエは冷静だった。

 稲妻の如く繰り出される穂先を、いつものように、大剣で上に向けて逸らす。

 ランスに絡みついたアインスクリンゲの切先は、火花を上げながら、敵の喉元を襲った。

 慌てて盾で受け止めた騎士は、盾から伝わる衝撃が弱いことに気づいたか。

 大剣はアマーリエの頭上で回転し、すれ違いざまにアヴェンテイルに覆われた騎士の頸を砕いた。


 右手側からも、ワルフリードを先頭に辺境騎士団が、皇帝へと迫る。

 辺境騎士たちの突撃は、止まらない。

 すでにシュバルツェンベルグの旗は、眼前にあった。

 アマーリエの目に、突出するギレスブイグの姿が映った。

「ギレスっ!」

「おう!」

 アマーリエの掛け声に、黒の騎士は二つ目の鞄を前方へ投じた。

 アマーリエは、アルヴィのクリネットを叩く。

 次の瞬間、爆炎が視界を覆った。

 両軍の馬たちが浮き足立つ中、アマーリエは倒れた敵の騎士の後方に、マクシミリアンの姿を捉えた。いち早く、乗馬の制御を取り戻し、前傾姿勢を取り、アルヴィの腹を蹴った。

「やめろ、勇足だ!」

 ミュラーの声が、後方で聞こえた。

 アルヴィはすでに、疾駆に移っていた。

「目が合った!」

 アマーリエは、思わず口にした。

 上体を起こし、大剣を進行方向へ真っ直ぐ構える。

 シュバルツェンベルグの騎士たちは、味方の馬を避けるのに手間をとった、その一瞬の隙を抜かれ、辺境騎士団の女団長の通過を許す。

 恐怖の目。

 マクシミリアンも、その騎士たちも、その瞬間、アマーリエに恐怖の視線を向けていた。

 マクシミリアンのその顔が、光にかき消される。


 アマーリエの身体に、いく筋もの光の筋が襲いかかった。

 まるで追尾するかのように、胸を射抜かんと収束した魔法の矢は、アインスクリンゲの刀身によって弾かれた。

 だが、その衝撃は彼女の身体を鞍から弾き、疾走する馬上から地面へと叩き落としたのだった。

「流石の暴れ馬も、エルフの魔術には抗えぬか」

 マクシミリアンは、大の字に倒れる女騎士を見下ろして笑った。

「アマーリエ、起きろっ」

 ミュラーが馬を馳せるが、敵の騎士たちが群がり、押し戻されてしまう。

 そこへ、敵の遊撃兵が襲いかかった。

 ギレスブイグも、ワルフリードも、スタンリーさえも、数を増した敵の前に、馬の足を止められてしまう。


 マクシミリアンは大勢を眺め渡すと、隣のエルフに向けて、満足げに語った。

「どうだ、紋章官。これでも、まだ油断するなと言うか?」

「その通りでございます」

 ロロ=ノアは、馬上で貴族式の礼を器用にこなす。

 エルフが目を閉じたその瞬間、一筋の閃光が通り過ぎた。

 アマーリエが投じた短刀は、マクシミリアンの眼前で握りしめられていた。

「らしくない、手を使うようになった」

 アマーリエは、短刀を受け止めた騎士を睨みつけた。

 クルト・フォン・ヴィルドランゲ。

 シュバルツシルトの騎士は、馬から飛び降りて、主人に向けて提案した。

「なぁ、最期にひとつくらい、余興があってもいいんじゃないか?」

 マクシミリアンは眉を顰めると、帯剣を握りながら、騎士に尋ねた。

「では問おう。お前に、その女が殺せるのか?」 

 アーメットを脱ぎ、後頭部を掻きむしりながら、クルトは面倒臭げに答える。

「それが“俺の役目“だ」

 皇帝の返事には、やや間が合った。

「余を救った功に免じて、許す。だが、やはり殺すな。殺しては、ハロルド攻めに時間を浪費することになる。あの街はデカ過ぎると、紋章官殿がぼやいているのでな。領主自身に、城門を開けよと、命じさせるとしよう」

 クルトはそれを聞き流し、アマーリエの元へと近寄り、手を差し伸べる。

 アマーリエはそれを無視して、身体を起こすとアーメットを脱ぎ捨てた。

「私に勝てると思ってる?」

 口元にまとわりついた銀髪をガントレットで退けながら、挑発するアマーリエに対し、クルトはニヤリと笑い返した。

「あぁ、そうだった。ロロ=ノアから聞いたんだが、山の民の湖で、俺は大きな蛇のような魔物を倒したんだ。お前にも話したろ。実はあれ、竜の一族だったらしい。つまり、俺は“竜殺し“を名乗れるらしいぞ」

「それは、今話すこと?」

「お前の相手は、“ドラゴンスレイヤー“だって話だよ」

「怖い、怖い」

 クルトは、主人に立会人となるように頼む。

「承知だ。疾くと始めよ」

 激戦の最中で、不思議な静寂が訪れた。


 アマーリエは、落馬の時に痛めた首をほぐす。

 クルトは盾を構え、重心を確かめるように、剣を手元でくるくると回転させた。

 構えも無いまま、不意を突いて送り出されたアマーリエの切先が、クルトの喉元を襲う。

 クルトは難なく剣先をいなす。

 二人の身体が同時に回転し、互いの眼前で剣を交差させた。

 アマーリエは眉を顰め、クルトは首を捻った。

 バインドからの攻撃を互いにせめぎ合い、刀身をスライスに有利な位置へと移動させたアマーリエだったが、クルトの盾が突き出され、それを頭を下げて躱したのち、後ろへ下がってバインドを解いた。

 クルトの下段からの追撃を大剣で逸らすと、そのまま突きに転じるが、盾に阻まれる。

 今度はクルトが突きを放つと、アマーリエはガントレットでその刀身の軌道を外へ向け、左肩で体当たりを喰らわせた。

 クルトの体躯はたくましく、体当たりの効果は薄い。バランスを崩しながらも、彼はすぐに小回りの効いた袈裟を仕掛けた。

 再び、アマーリエは間合いを詰め、左手でクルトの右手首を押さえて攻撃を封じつつ、右手は腰に溜めた大剣の突きを出すが、やはり盾によって逸らされた。

 アマーリエはそのまま、右手をきめにかかる。


 身体の内側の筋肉は柔らかく、外側の筋肉は硬い。そして、硬い側は、柔らかい側に弱いという性質を持つ。逆くもまた、然り。その性質を理解し、先制した側が、相手の身体を制することができる。


 クルトは手首を回転させながら、アマーリエの手がツボを押さえないように逃れ、剣を守る。

「お前、指が無いのか…」

 クルトの膝蹴りと、前蹴りを続けて喰らい、アマーリエは後退した。

 股間は狙われなかった。

「側から見れば、まるで痴話喧嘩だぞ」

 マクシミリアンが茶々を入れる。

「黙ってろ」

 クルトは剣を咥えて、右手のガントレットのずれを元に戻す。


「行くぞ」

 クルトは剣を手の中で回転させながら、一気に距離を詰めた。見たことのない動きに、瞬間、アマーリエの足が止まる。

「フェイクだ」

 気づいたアマーリエだが、しかし遅い。出遅れたアマーリエは、下方へ切先を下げた“鉄門の構え“で待ち構える。アマーリエが初めて見せる、それは防御姿勢だ。

 クルトは身体を回転させ、横なぎの一撃を打った。

「小手先!」

 フェイントからの奇襲と判断したアマーリエは…しかし、持ち上げた刀身に打撃を感じなかった。

「しまっ…」


 どうしたのだろう…とアマーリエは、刹那の中、考えた。

 剣が重い。

 腰が軽い。

 指に、力が入らない。


 定石破りの、二連続のフェイント。

 本命となる渾身の打撃は、アマーリエの脇腹に吸い込まれていく。

 アインスクリンゲの十字鍔が、その行手を遮ろうとする。

「このまま、ツーハンドに持ち直し、剣を封じて、突きに…」

 アマーリエは自らの次の動きを、思考した。


 閃光が迸り、アマーリエの身体が横薙ぎに飛ばされた。

 アマーリエは、顔が地面に付いていることに気がつく。

 脇を触ると、ブレストプレートがひしゃげている。

 息ができない…。

 アマーリエは、息を止めたまま、勝手に縮こまろうとする身体を伸ばして、なんとか立ち上がる。

「魔法の鎧で良かったな…」

 そう呟くクルトの剣が、薄い七色の光を放っている。

 アマーリエは、震える息で、深呼吸を試みる。

 身体が、痛みに耐えかねずに、左に傾ぐ。

 肋を折ったかも知れない。

 震える手を、力一杯握りしめ、アマーリエは痛みを忘れることを自分に念じた。

 

 アマーリエは、両腕を左脇に引きつけて、“猪の牙の構え“をとった。

 不意をついた突きに、転じることができる。

 クルトは腕を腹に引きつけ、正眼の構えをとる。

 それは、“近間の構え“。こちらは、突きを警戒した構えだ。

 アマーリエは、構えを変える。

 切先を上へ上げ、右脇側に構え直す。

 “屋根の構え“。

 これに、クルトも同調する。屋根の構えからは多彩な攻撃方法がある。

 足場を確かめつつ、距離を詰めては、後退し、横へ移動しては、正面に捉え直す。

 探り合いが、続く…。


「二人は、何をしている。次は社交ダンスでも踊るつもりか」

 マクシミリアンは、ロロ=ノアに愚痴をこぼすが、逆に彼に諭された。

「もう、フェイントは使えません。命取りになるでしょう。互いの手の内を知っている間柄ゆえ、正攻法では攻め手に喘ぐものなのですよ。でも、ご心配は無用です。何分、二人とも気が長いタチではありません故」


 アマーリエの呼吸が整った頃、クルトが動いた。

「上段から」

 アマーリエは見切った。

 踏み出さずに、半歩下がりつつ、大剣を振り下ろす。

 クルトの剣は空を切り、その軌道の外側から襲いかかった彼女の剣は、彼の右腕を切り落とす、はずだった。

 しかし、またもクルトの反応は素早い。

 右手の力を一旦抜き、柔軟な軌道でアインスクリンゲを自らの刀身の根本で受け止めた。

 そして、そのままバインドへ移行する。


 両者の膂力を受けた二振りの魔剣が、小さなフラクシン発光の火花を散らす。

 根本で抑えたクルトの剣は、てこの原理で大剣を押し戻した。

 大剣を外側へ押されては、アマーリエは攻撃権をクルトへ譲る事になる。ハーフソードに持ち直して、クルトの刀身を根本にずらし、そして押し戻す。

 力を込めた瞬間に、クルトの剣は弛緩し、内側へと滑り込む。

 力を抜いて、それを阻止すると、今度は盾も使って力押しに転じてくる。

 アマーリエの瞳に涙が滲み、フラクシン発光を照らし返す。


 脇が痛む。

 クルトの踵が、内くるぶしに差し込まれる。

 半歩引いて、それから逃れると、逆にクルトの内膝を、膝で外へと押し戻す。

 首、腕、脇、太ももへの攻撃の機会を、互いに体勢の崩し合いを仕掛けながら、互いに狙い続ける。


「おい、どうした?」

 クルトは、アマーリエの身体から、急速に力が抜けてゆくを感じ取った。

「続けろ」

 クルトは、小声でアマーリエに訴えかける。

「どうして…いなくなったのよ」

「それは、今話すことかっ。戦え」

 アマーリエが視線を下げると、光るものが地面へ落ちた。

「無理よ…だって、敵わない」

 魔剣の発する光が、消え失せた。


 マクシミリアンは、ロロ=ノアに向けて、苦々しげな表情を見せる。

「余は、重要な配下を一人、失ったな」

 アマーリエは、クルトの足元に両膝をついた。

 周囲の騎士たちが見守る中、マクシミリアンは手を天へと伸ばした。

「勝負あっ…」

 その声を、地鳴りのような怒鳴り声が、掻き消した。

「認めんぞぉ!」

 炎を帯びた横薙ぎの一撃が、クルトのブレストプレートを引き裂いた。

 融解し、消失した甲冑の胸元から、焼け爛れた肋骨を露出させながら、クルトはアマーリエの膝に崩れ落ちる。

 目を見開いたまま、アマーリエは振り返る。

 黒い霧を纏った、ギレスブイグが炎を吹き出す剣を手に、仁王立ちしていた。

 壊れた人形のように、アマーリエは首を戻し、クルトを見下ろす。

 焼けて崩れた皮膚から血を吹き出しながら、クルトは目を開いたまま、絶命していた。


 アマーリエの悲鳴が、戦場に轟いた。

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