第9話 皇帝軍襲来

『まず先立ち、クラーレンシュロス伯ルイーサ・フォン・アマーリエに対し、君主会議はその覇権復帰の偉業を讃え、アマーリエ地方での統治権を再確認するものとする。その上で、貴殿には火急の要請を通告するものである』

 それは、ハロルド奪還作戦から4ヶ月ほどが過ぎた秋のことだ。

 ミュラーは主だった騎士たちの前で、聖教皇国からの伝達文を読み上げた。

『昨年、クロエの守護する冬、アンカンシエルが陥落し、蛮族どもの群れが怒涛の如く堰を切り、バヤール平原に来襲せり。数多の集落が、虐殺と略奪の悪夢に苛まれている現状は、すでに貴殿も聞き知に及んでおるところと推察する。この未曾有の事態において君主会議はシュバルツェンベルグ公を“皇帝座“に推し、聖教皇の後援の元、討伐軍の結成を決議した。これにあたり、貴領からも討伐軍の派兵を請うものである』


 アンカンシエル。

 単に“大橋“とも言われるそれは、古代に建造された長さ2kmを超える長大な石橋だ。虹のような半円形の橋脚部分を指して、パドヴァ人が呼び始めたのが、その名の由来。

 人界と異界とを隔てる大河グランヒューメに橋を渡した古代バヤール人は、“なれ果て“と呼ばれていた不毛の地へと侵攻し、それを勢力圏に収めた。かつては開墾されて多くの集落が生まれた彼の地だが、しかし今となっては、蛮族の跋扈する危険地帯へと逆戻りして久しい。

 アンカンシエルは、領有権を持つハイランド王国と、蛮族の侵攻から西方世界を守護する責務を負う聖教皇国の財力によって、要塞化が推し進められ、現在は橋そのものが、防衛拠点として機能している。

 いや、していた…だ。

 分水嶺とも言うべき、剣の子らの絶対防衛線が、此度、破られたのだ。


 ミュラーは、先を黙読し、思わず口ごもる。

「騎兵二千、歩兵二万からなる…遠征軍だって?」

 騎士たちは、一斉に騒ぎ立てた。

「無理だ、そんな数」

「グラスゴーからの援軍は、すでに大半が帰郷しているのだぞ」

「山の民とて、一年を過ぎれば、兵糧と給与はこちら持ちとなるのだ。そもそも、そういつまでも兵を貸しはしまい。戦後復旧に人手がいるのは、彼の地も同様なのだから」

「ランゴバルトの残党もまだ、領内に潜伏しておる」

「蛮族の掃討は、ここでも現在進行形で行われているのだぞ。今は他所へなぞ、目を向けられる状況ではないわっ」

 アマーリエは手を挙げ、無言で騎士たちを鎮まらせる。

「情勢が怪しい。ハロルド城市、並びにクラーレンシュロス城の復旧作業は、ピッチを上げる必要がある。騎士たちには、領内の蛮族の掃討。さらには敵残存兵の駆逐。これらを継続してもらいます。城壁の改修と、農地の開墾に割り当てた民兵も、そのまま異動はなし。辺境を繋ぐ古代の街道整備も、予定通りに進めます」

 ボードワンが苦言を呈す。

「ハインツ様も参加なされた事があるので、君主会議については、幾分か承知しておる。そもそも、対蛮族の連合軍を結成することが、その主なる目的。王も諸侯も、召喚される理由は、その軍事力ゆえ。この要請を無碍に断るわけには、行きませぬぞ」

 ミュラーも同意する。

「この中では、辺境各地での実効支配に関しては、言及されていない。諸侯たちの心象を思えば、雲行きが良いとは決して言えない状況だよ。急速に領土を拡張した辺境騎士団に、危機感を覚える者たちは少なからずいるはずだ」

 アマーリエは言い返した。

「私自身、甲冑を脱いで街の復興に携わっているのだと、正直に伝えれば、手が足りないのだと理解してくれるかも」

 ミュラーは手を広げて、否定した。

「真面目に考えてくれ。自分のことだけで精一杯、だなんて返答は、君主会議には通用しないよ。もとより、王や諸侯たちによる会議体なんだから、それがまかり通ったら、組織運営そのものが、成り立たない」

 ボードワンが頷く。

「会議が荒れ、時間を無駄にしてくれれば、好都合なのだが…しかし、王侯たちがまとまらぬ、とあらば、いよいよ聖教皇猊下が主導権を発揮してくる危険性もある」

「それを避けるために、パヴァーヌもハイランドも、本気で諸侯たちを統制しようとするはずだ」

 アマーリエは手をひらつかせて、うるさい蝿を追う払うような仕草を見せた。

「無理よ、今は無理。クリューニ領の掃討戦で、パヴァーヌとの国境だって、きな臭い状況だってのに、大規模な軍勢を外へ出せるわけがない」

 オラースが笑いながら言う。

「まさに、それが狙いなんだろうよ」

 アマーリエが結論を告げる。

「領内での蛮族掃討戦に四苦八苦しているクラーレンシュロス伯は、来年いっぱいの遠征軍の編成は困難です。領内の蛮族掃討が済めば、君主会議だろうと、遠征軍だろうと、顔を出す。そう伝えて頂戴」

 ミュラーはため息混じりに答える。

「了解。それを、どうにか上手い具合に語彙を駆使して、お偉方の逆鱗に触れぬよう上等の外交文書にまとめさせてもらうよ…胃が痛いけれど」


 しかし、現実はそれほど甘くなかった。

 連合軍といえど、その指揮権を掌握した者が…強大な軍事力を意のままに動かせる立場となった者が、行き掛けの駄賃とばかりに、私利私欲を満たすために、その矛先をずらす。それは、歴史の中で繰り返されて来た行為でもある。

 君主同盟による連合軍を率いた皇帝座、シュバルツェンベルグ公の指揮する人族の軍隊が、バヤール平原を南下する進路を取った。行き先は、アマーリエ地方。

 クラーレンシュロス伯領への侵攻が始まったのだ。


 皇帝軍南下せり。

 ハロルド奪還作戦から丸一年が過ぎた、ジョルジュの木槌が守護する5月。

 その知らせを受けた辺境騎士団は、蜂の巣を突いたような騒ぎだ。

 皇帝は予想よりも早く、軍を動かした。

 その行先は、本来ならばバヤール平原を東へと進路をとり、アンカンシエルへと向かうはずだった。

 アマーリエは急遽、領内の掃討戦に散らばった兵士を呼び寄せ、辺境各地にも援軍を要請した。

「大体、情報は掴めた。皇帝軍の陣容だが…」

 ミュラーが首脳会議にて、諜報から得た情報を開示する。

「その数、一万と少し。諸侯たちの軍と、聖教皇国からの神官戦士たちを含んでいるが、そのほとんどは、シュバルツェンベルグ公の民兵と、彼が雇った傭兵だ」

 スタンリーが、ミュラーに問う。

「パヴァーヌ軍は、合流しておらぬのか」

「あぁ、集結にはあと二ヶ月はかかりそうだ。ハイランド軍もすでに、バヤール平原にて軍を展開させているから、これも含まれない」

「身軽なうちに、独断行動を済ませておこう、という魂胆だな」

 皇帝の腹の内を語るオラースの洞察に、アマーリエも頷いた。

「南砦の奪還が間に合って幸いだった。ミュラー、グラスゴーからの増援は?」

「ミシェルとイネスが、志願兵を募って急行している。だが、数は千ほどしか…」

 ワルフリードが珍しく、声を荒らげた。

「志願兵とは悠長な!なぜ徴用しないのですか!相手は、皇帝軍ですぞ!」

 オレリア公領の民たちが、恭順の姿勢を鈍らせていると感じた彼は、それに苛立っている。

「その“皇帝“と言うのが…」

 アマーリエは不機嫌そうに、目を閉じて唸った。

「対蛮族の連合軍は、剣の子らにとっては、絶対的な正義の象徴なのよ。現生における、“神の軍勢“と言っても過言ではない。信仰が厚い民たちにとって、それに争うため出兵せよ、と言われては…尻込みするのでしょうね。加えて隣国のハイランドが参戦する可能性だって、まだ否定できない。グラスゴーにとって、ハイランドは往年の天敵なのだから、尚の事よ。オレリア公領の民たちを、真に従える事ができるのは、どの道、この戦の後の話になるわ」

 普段は静かで目立たない性格のケレンが、拳を当てて毒付いた。

「つまり、日和見か…」

 沈黙が生まれる。

 クリスタルガラスからは、小鳥の囀りさえ、届かない。

 アマーリエは無くなった指を、まるで今でもあるかのように、摩っていた。

 重い沈黙を破り、ミュラーは独り言のように、つぶやいた。

「クリューニ軍との戦闘では、想定に倍する損害が出た。軍装が行き渡り、練度も高い相手と正面から当たるには、一兵卒の練度がまだまだ不足しているんだ。それでも押し切れたのは、連戦連勝の気概…高い士気のおかげだったのさ。でも、今回は…皇帝軍相手となると…その士気も落ちるだろう」

 それは、彼が心底に秘めていた懸念だったのだろう。顔が白くなっている。

 アマーリエは、彼の横顔を見つめ、気を紛らわすように、スッと息を吸い込んだ。

「そう嘆く事ばかりではないわ。山の民も、応援を寄越してくれると返答があった。それに、今回はアマーリエの民たちが武器を取る。その武器は、鹵獲した物がたんまりとある。数では、負けていないわ」

 しかし、質では…アマーリエは心の中でつぶやく。

 百戦錬磨を謳う辺境騎士団の騎士たちに、今やその面影は見られない。


 閑話休題とばかりに、ミュラーが咳払いをしてから、席を立った。

「ここで、皆に紹介したい者たちがいるんだ。開けてくれ」

 会議室の扉を、衛兵たちが開くと、背の低い人物がのこのこと現れた。

 アマーリエの表情に、パッと明るい花が咲く。

「岩の斧殿!お久しゅう」

 近隣部落の代表を務めるドワーフは、アマーリエの抱擁で迎えられた。

「おぉ、ぉほほ」

 岩の斧は、丸い大きな鼻を赤らめて、にこやかに微笑んだ。

「あはは。まるで、爺やと孫娘みたいだ…」

 イーサンがそう言って笑うと、ボードワンは難しい表情で腕組みをした。

 アマーリエは、声のトーンをひとつ上げて岩の斧に語りかける。

「お元気そうで、なりより。どうしたの?また、武具の売り込みかしら?いいのが、出来たとか?」

 抱擁から解放されたドワーフは、アマーリエの好意的な視線から、なぜか目を逸らした。居心地の悪そうな態度で、鼻を掻く。

「実は、の…いや、まずは領地の復権に、心よりのお祝いを…」

 岩の斧は礼を示し、背後の者たちが麻布に包まれた荷物を床に置く。軽く持っていたように見えたが、彼らが手を離すと、ずしり、と重い音がした。

「上等な剣を千振り、持参した。お主には、華美な髪飾りなどよりも、よっぽどこちらの方が重宝するだろうて。残りは、外のロバに背負わせておる。後で受け取るが良い」

「素敵っ」

 豪華なドレスでも贈られたかのように、アマーリエは顔を輝かしてドワーフに再び抱きついた。

「アマーリエ、サービスしすぎだよ…」

 ミュラーが心の声を漏らす。

「姫は、武具マニアだからな。お前の骨董好きと同じだよ」

 スタンリーが、ミュラーを揶揄して笑った。

 ところが、岩の斧が声を強めて、抱きつく彼女を引き剥がした。

「…ぉ、のぉ…やめておくれ、まだ、話の続きがあるのじゃ」

「どうしたの?あなたと私の仲じゃない?」

 両膝をついて抱きしめながら、アマーリエはそう言うと、騎士たちを振り向いた。

「珍しく、楽しんでるぞ…」

 誰かが小声で、ぼそっと漏らす。

「やぶさかでは無いが…今は、話があるのじゃ。聞いておくれ。実は、儂らの取引先は、北の公爵だったのじゃ」

 アマーリエは首を傾げながら、思案を巡らせる。

「あの、焦げ付いていた武具の取引先の話かしら?」

「そうじゃ。昨今、使いがあり、ようやっと現金化することが出来たのじゃが…まさか、その武具を手に、この地へと攻め入ろうなどとは…予想だに出来なかった」

 岩の斧は、床を見つめたまま、拳を握り締めた。

 騎士たちは黙って、ドワーフを見つめる。

 アマーリエは、彼の手を取り、両手で包み込んだ。

「それを気に病んでいたのね。態度がちょっと変だと思った」

 両手を揺らしながら、アマーリエは続ける。

「あなたは、部族のために、正当な取引をした。気に病む事じゃないわ。武具の取引なんて、もともと、そんなものでしょうに」

「お主の領土が危機にあることぐらい、穴蔵暮らしの儂らにも察しがつく。儂らは隠しておったのだ。お主らが現れた折に、足元を見られぬように…お主の想像するよりも、はるかに儂らはひもじい思いをしておった。お主の取引が、幸運にも儂らの命を繋いだのだ」

 アマーリエは笑った。

「そんな、おおげさ」

 岩の斧は、アマーリエの両手から手を引き抜くと、彼女の両肩をわしっと掴む。

「儂らも参戦するぞ!大した数では無いが、人間相手に遅れを取る儂らでは無い!一人で十人分の働きをして見せよう!」

 騎士たちが、ゴクリと唾を呑み込んだ。

「え、でも、それって軍事同盟よ?わかってるの?今後の取引にし…しょう…」

 ミュラーがアマーリエの甲冑を引っ張り上げて、小声で告げた。

「だめだ、断るなっ」

 しかし、誰の耳にもそれは聞こえていた。

 …。

「ありがとう、恩に切るわ!岩の斧!」

 芝居がかったアマーリエの声に、騎士たちは歓声を上げた。


「なんだ、盛り上がってんな…この非常時に呑気なもんだ」

 ドワーフたちの背後から、派手なビロードの外套を纏った騎士が現れた。

「俺様の到着に、勇気百倍、感謝感激か?」

 無精髭の似合う、まぁまぁに整った顔立ちに、不敵な笑みの持ち主は、アマーリエ地方の西を守る、別名“北砦“の城代、ラバーニュ・ローズルージュ。クリューニ領からの侵攻に対し、最後まで抵抗を続け、砦を守り通した“英雄“だ。その後は、クリューニ領への逆襲を仕掛け、華々しい戦果を挙げている。

「なんだよ、すげぇ久々に会うのに、反応薄いじゃねーか、帰るぞ」



 ハロルド城市には、五千の市民兵が籠り、アドルフィーナ大司祭となったボードワンが指揮する。

 紛争の続く北砦には五百、南砦には百、その他、各所の防衛拠点にも、守備兵を配置した。

 傭兵たちの雇用は、叶わなかった。

 相手が君主会議の軍となれば、当然だ。

 辺境南部へと派遣し、現在はフラム伯爵からの恭順を漕ぎ着けるため奮闘中のランメルトへは、援軍の派兵を見送るようにと通達してある。

 しかし、山の民をはじめ、オレリア公領、シュナイダー侯領からの援軍、ドワーフ族の援軍を得ることはできた。

 アマーリエたち主力となる騎士団の面々は、クラーレンシュロス城に、諸々の援軍を加えた三千の兵と共に守備につく。


 今回は、時間が味方をしてくれる。

 蛮族の軍勢は、バヤール平原を我が物顔で荒らしまわっていると聞く。

 皇帝がいつまでも、クラーレンシュロス領にうつつを抜かしている訳にはいかないはずだ。

 満足に収穫がない、今年の兵糧は乏しい。

 だが、今回は“籠城戦“で凌ぐと、アマーリエは決意を固めていた。


 細長い蟻の大群のような、黒い列を成して、皇帝軍はアマーリエ地方へと侵入した。

 城から2kmほど離れた、なだらかな丘陵地で集結する。

「斥候からの報告では、あれは先遣隊じゃない。皇帝軍の本隊だ。だけど…数が少ないよ…半分ほど、五千程度だ。残りは、一体…くそっ、どこへ向かわせた」

 パラペットの上で、敵軍の様子を観察していたミュラーが、焦りの声を漏らす。

 ギレスブイグが、独特の地鳴りのような声で答える。

「蛮族の掃討戦に向けたのやもな。五千の兵も、広大な平野に分散させてしまえば、一万と号しても誰も疑えぬ。するとだぞ…奴らは想定よりも、長居することができるぞ」

「しかしっ、町や村を襲う訳じゃないんだ。城攻めだよ?あの数だけで攻め入る訳が無い。何か、奥の手があるに決まっているよ。何か…まだ見えない、何かが…山脈を踏破して後背から奇襲する気かも知れない。アマーリエ、斥候の数を増やそう」

「任せるわ」


 早々に、使いがやってきた。

 その姿を認め、アマーリエたちは塔を降り、北門を開く。

 アマーリエは、ミュラーとギレスブイグの二名と、馬丁たちを連れただけの三騎で迎う。

 そして、対峙した面子を前に、アマーリエは愕然となった。

 平静を装うのに、必死だった。


「出迎えご苦労。シュバルツェンベルグ公マクシミリアン・ハインリヒ3世である。返礼は、良い。知っておる。クラーレンシュロス領に蛮族の一軍が出没した、との報を受け、討伐に馳せ参じた故、疾くと城門を開き、余の軍を迎え給え」

 黒い軍馬に跨り、黒狼の全身毛皮を纏った男が、アマーリエに語りかける。軍装は、黒ではない。華美過ぎず、偏向過ぎず、しかし上質で高価な出立ちを好むのであろう、この男は、君主会議の委譲を受けた、現皇帝座。略式を好み、かといって無礼千万とも言い切れぬのは、風格の成せる技か。

 しかし、アマーリエはどこか上の空であった。

「ご高配に感謝を。しかしながら、領内の些事は自前で対処いたします。皇帝陛下におかれましては、どうか、崇高なるその“本懐“にご専念頂きたく、剣の子の一人として、切に願う所存であります」

 ミュラーは頬に汗をしたらせ、ギレスブイグはいつものように憮然とした表情で相手を見据える。

 三人の目線は、皇帝の脇に控える人物を忙しなく、行き来していた。


 銀色の見事なバーディングで武装した馬に跨るのは、金髪を短く刈り上げた、優れた体躯の騎士。

 正反対に鞍もない裸馬に跨るのは、貴族式の軍装に身を包んだ、男装の麗人。


「蛮族の掃討は、現在進行中だと?」

 アマーリエは、皇帝の言葉に意識を集中させようと努めた。

「はい。しかし、問題はありません。今年中には掃討を完了し、バヤール平原へ援軍に駆けつけます」

「それでは、悠長が過ぎると言うもの。余の助力を得れば、すぐにでも掃討は完遂できる。余は自らの責として、西方の蛮族をいち早く一掃し、また同時に、貴殿からの援軍も催促せねばならないという面倒な立場にある」

「適材適所、という言葉がございます。皇帝陛下の兵は、軍装も整い、練度も高いとか。どうか、敵の主力へこそ、その偉大なる矛先をお向けください」

「このような辺境のほとりでは、余は相応しくないと?」

 間髪入れずに返される、言葉が重い…言葉の意味ではなく、抑揚の掛け方に、技法があるのだろう。

 アマーリエは、舌戦では後手になると悟った。

「相応しくないのは、この地です。陛下。陛下に相応しい地は…より華々しく、激戦繰り広げられる戦場が、他にございます。その地が、陛下のご到来を心待ちにしていることでしょう」

「心にも無いことを、よくもそれらしく言えるものだ。女というものは、よく口が回る。どうだ、ロロ=ノアよ。そうは思わぬか」

 アマーリエの瞼が、ぴくりと引き攣った。

「それを私にお尋ねとは、陛下もお人が悪い。クラーレンシュロス伯は、どうやら勘違いをなされているのでしょう。きっと、陛下がこの地を陥しに参ったのではないか…そう危惧しておいでなのです」

 アマーリエは、自分の唇が歪むのを堪えるため、下くちびるを噛み締めた。

「そうなのか?」

 ロロ=ノアと異なり、皇帝の芝居は、やけにあっさりしている。

「恐れながら、その通りです。それを危惧するのは、領主としての勤めでもあります故、ご容赦を」

「ふむ。咎めはせぬよ。して、話は逸れるが…貴殿は、この二人を存知ておるか?」

「はい…」

 皇帝は、背景をよく知っているのだろう。だから、配下の重鎮ではなく、この二人を連れてきたのだ。

「ロロ=ノアのことは、憎んでおるか?余へ寝返ったのだ。どうか?」

「…雇われの身である以上、それも道理の内かと」

「寝返るのも、道理だと?しからば、許せると」

 …。

「許すのか?」

「…いいえ」

 皇帝は初めて、微笑んだ。

「では、シュバルツシルトの騎士、クルト・フォン・ヴィルドランゲはご存知であらんや?」

 なんで、このような質問をするのか…煽っているのか…アマーリエは心の底に怒りが煮え、湯気がたちのぼるのを覚えた。

「知っておるのか?余は貴殿と交渉するにあたり、前提条件を踏まえておきたい。必要なことぞ。答えよ」

「知っております」

「では、貴殿は…」

 不意にギレスブイグが、アマーリエに語りかける。

「無理に答えるな」

 皇帝マクシミリアンは、一転して強い口調で叱咤した。

「配下の騎士に、発言を許した覚えはない。身の程をわきまえよ」

 アマーリエは、クルトの瞳を見据え、淡々と言い放った。

「憎んでいます」

「ほぉ…」

 皇帝がクルトの方へ視線を送ると、彼は無表情のまま、目を背けた。

「お前はどうなのだ?」

「…俺に話しかけるな」

「これは、怖い…余も他人の事は言えぬようだな」

 クルトは憮然とした表情となり、マクシミリアンは楽しげに笑う。

 豪を煮やしたアマーリエは、結論を急いだ。

「即刻のご転進を願います。この地の蛮族は、当方で対処…」

「それは、すでに聞いた」

 皇帝は手を伸ばし、アマーリエの言葉を遮る。

 アマーリエは、負けじと食い下がる。

「では、ご実行を」

「できぬ理由があるのだ。余は、貴殿に疑念を抱いておるからだ。何でも、クリューニ男爵との戦闘の折り、貴殿は蛮族の助力を得たそうではないか?」

 助力…!?アマーリエは混乱した。

「ちょ…蛮族の助力…それは、偶然にクリューニの敗残兵が襲われただけ…いわば落武者狩りにあった、というだけの話です」

「ならば、それを率いていたという、黒装束の騎士も知らぬと?」

「姿は…見ました…遠目から、一瞬ですが」

「“その男“を知っておるのだな?」

 ギレスブイグが、アマーリエの名を再び口にする。

「ルイーサ」

「知りません」

「ほぉ、そうか。ならば、仕方がない…」

 何が…“仕方がない“…のか。

 アマーリエは、クルトが眉間に皺を寄せている事に気がついた。

 ロロ=ノアは、視線が合うと、ウィンクをして返す。

 この問答は、何だ…?

「クラーレンシュロス伯は、嘘をついておられる。余は、余に課せられた使命に基づき、蛮族と共闘し、剣の子らを貶める叛徒どもを、ここに殲滅すると宣言せねばならぬ。いと、悲しきことだが…やむなしかな。さて、言質は得た。これにて失礼する」

「…何を!」

 馬を進めようとしたアマーリエの肩を、ギレスブイグが掴んで制した。

 ギレスブイグを振り返ったアマーリエに、背後からミュラーが告げた。

 苦しげな、悔しげな、消え入りそうな声で。

「ごめん…アマーリエ。今になって、思い当たった。ヴァールハイトという名の魔剣がある事に…皇帝は…きっと、それを所持している」

 皇帝は、馬主を巡らせながら、言い残した。

「七日間待つ。その間に、辺境へと逃げ延びよ。民を連れても構わぬ。一切合切持って、疾くと消えよ」



「嘘を見抜く魔剣!?」

 首脳会議を参集し、アマーリエはミュラーの情報を聞いて仰天した。

「そうだ。マクシミリアンが所持していたことは、知らなかった。きっと、公言していないのだろう。だが、有名な魔剣だ」

 ミュラーは髪を掻き乱しながら、机を見下ろした。

「でも、あの返答だけで、私を罪に問えるの?」

「君主会議で、ヴァールハイトの所持者であることを明かせば、あとはマクシミリアンの言う言葉は真実味を帯びるだろう。たとえ、それが嘘であっても、本人にしか分からない。独壇場だよ。もしかすると、君主会議の面々は、すでに知っているのかも知れないし。それが皇帝の役目だと訴えれば、彼の侵略行為は正当化される。嘘を看破する力は、それだけ凶悪なんだ」

 アマーリエは、ギレスブイグを見た。腕組みをして黙りの彼も、皇帝とのやり取りの中で、何かを悟ったのだろう。

「クルトの様子がおかしいって、思っていたんだ」

 ミュラーは唇を噛み締めて吐露する。

「奴の主君は、最初からマクシミリアンだ。寝返ったわけじゃない。他の諸侯に協力していたところを、召還されただけ。いつもの奴なら、困り顔で挨拶をしてくる…そんな奴だったのに、様子が妙だった。ヴァールハイトの力を打ち明けられ、それを使って審問することを知っていたに違いない。おそらく、口止めも…だから、無言だった…もっと早く、僕がその兆候に気づいていれば」

 ミュラーの背中に手を当て、スタンリーが慰める。

 アマーリエは、反論した。

「しかし、でも!蛮族との共闘はしていない」

「アマーリエ…マクシミリアンの求めているのは、“真実“ではないよ。“都合の良い事実“なんだ。君が、蛮族の軍勢の中に、何を見たのかは知らないけれど…託けるだけの事実さえあれば、それでいいんだ」

 スタンリーが、アマーリエに尋ねる。

「一体、何を見たと言うのだ」

 躊躇した。

「それは、言えぬものなのか?」

 肩の力を落として、アマーリエは静かに語り始める。

「…ハルトマンよ」

 アマーリエは、自分がおかしな事を言っているのだと理解している。しかし、彼が存命している事は、すでに確認済みであった。


 山の民との戦闘が終わった後、森の中で彼に会った。シャルルという名の、見慣れぬ種族が、旅の仲間の墓を掘った。それを見舞おうと、森の中に入ったところを、待ち受けられたのだ。


「その時、二、三、簡潔な言葉を交わしたわ。以前の彼とは、まるで別人のようだった。けれど、ハルトマンの記憶と、ハルトマンの身体を持つ者であることには、変わらなかったのよ」

「なぜ、黙っていたのだ」

 スタンリーの問いに、視線を逸らしながら、アマーリエは答える。どこか、せつなげに。

「今は、皆に会えない。再び会える時が来るまで、内緒にして欲しい…と」

 沈黙が訪れた。

 クリスタルガラスが、風に揺れる。

「ロロ=ノアが描いた絵だろう。背景を皇帝が知るはずがない」

 オラースが低い声で呟いた。

「今は、ハルトマンの件は後回しだ。皇帝軍との戦闘に専念しよう」

 ミュラーの提言に、スタンリーが返答する。

「しかし、相手は少数だ。城とハロルドを陥せる兵力ではない」

「それは、どうかな…」

 ギレスブイグが、重い口を開いた。

「相手には、リョースアールヴがいる」

 騎士たちは、黒装束の騎士を見つめた。

「リョース…アールヴだって?」

 思わず繰り返したミュラーは、はっと目を見開いた。

 春も深まり、夏を思う季節だというのに、吐いた息が、白かった…。

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