第7話 ハロルド城市奪還戦

 ここに来て、ジャン=ロベールが本性を現した。

「他に追従した者は?」

 伝令は笑顔で答えた。

「どうやら、作戦を知らぬ者がいたらしく、10名ほどが伴いました。もしかすると、卿のシンパでお供を希望したのかも知れません」

「ありがとう。想定通りよ。隊に戻って、アッシュの指示に従って頂戴」

 伝令は敬礼し、駆け戻る。

「どういうわけだ。何か策を弄じたな。俺は聞いておらんぞ」

 ギレスブイグが怪訝そうな顔で言う。それに答えたのは、ミュラーだった。

「ジャン=ロベールは元々クリューニの配下だった。危惧した通りに敵の密偵だったのさ。あるいは、学会かも知れないけれどね。ロロ=ノアが、彼の顔を学会支部で見たことがあると、教えてくれのさ。以前から素行が怪しかったんで、彼の部下に、アマーリエはアッシュを通じて偽の計画を流布した」

 そこまで聞いたたけで、ギレスブイグは全容を悟った。

「なるほど、察しはついた。マクシム卿は、極秘任務のため隊を離脱するが、それは計略であるから、黙って見送れ、というのだな。計略が敵に露見せぬようにと、口止めもした。それで、アッシュがここにおらぬのか」

 ギレスブイグの推論に、アマーリエが答える。

「後の指揮を引き継ぐ者を用意しておく必要があるけれど、騎士を忍ばせたら、あからさまに警戒されるでしょ?アッシュなら潜伏できるし、彼の姿を見た兵士は、その意図を汲み取って納得してくれる」

 ギレスブイグは、団長の言葉を聞いて感嘆の声を上げた。

「それを、お前が思いついたのか?ミュラーではなく?」

「一体、何の話を…?」

 イネスが怪訝な表情で割り込んだが、誰にも相手にされなかった。

 思わず唇の端を吊り上げたアマーリエだったが、背後からやってきた伝令によって、その一瞬の笑みは掻き消された。


「報告!林の影に、敵の大規模な騎兵集団を視認!」


 その森ならば、アマーリエはよく知っている。

「ここから北にある大きな林といえば、ユースの泉…五キロはあるわ」

「随分と時間をかけて迂回したものだ」

「あの一帯は、川と湿地が多いから、不慣れな者は迷いやすいのよ」

 ミュラーは、クリューニによる一打逆転の意図を悟った。

「先ほどの狼煙は、離反と奇襲、両方の合図だったわけか」

 前線の戦力減退と離反によって生じる混乱、それと同時に迫る背後からの襲撃。それが、クリューニ男爵の計略。

「お前の一計が功を奏したな。だが、流石に前線から兵を戻す訳にもゆかぬぞ」

 ミュラーは顎に手を当てて思案する。

「戦線全体を回転できれば…いや、できたとしても無意味だね。敵は騎兵だ」

 アマーリエは反論した。

「クリューニの本隊が動きに追従しなければ、こちらの本隊で襲えるという流れには、意味はあるけれど、大掛かりな仕掛けをする時間はない。グラスゴーの兵たちだって、きっと対応できないわ。本隊と騎兵を反転させて、迎撃する」

「あの紋章官ほどはいかぬが、ここは俺の出番だな」


 ギレスブイグが左右の丘に登り、順に魔術の仕掛けを施していく。

 その様子を見ながら、ミュラーはアマーリエに尋ねた。

「ロロ=ノアが、魔術を使ったのを見たことあるかい?」

「…二年前、地下の魔物と戦った時、あなたも一緒に居たじゃない」

「そうだが…ギレスブイグが…あの、城壁を粉砕する力を持つギレスブイグが、謙遜するほどの何かを、君は見たことがあるかい?」

「そうね。確かに、あの、ギレスが…自分を下に置くなんて事、あるのかしら。冗談のつもりだった?」

「いや、どうだろう」

 ミュラーは、眉を寄せて腕組みをした。

 何はともあれ、今は人の心の底を慮っている時間はない。

 アマーリエは本隊の騎士と従者、歩兵たちの前で出て、指示を飛ばす。

「間も無く、敵の騎兵が現れるだろう。両翼の騎兵たちが、迎撃にあたる。我ら本隊は、歩兵を前列、騎士を後列に置いた三列横隊でこれを迎え討つ。敵の狙いは、この本隊だが、もしその一部が迂回し、突破されることがあれば、前線の兵たちは挟撃の憂き目にあう。近衛の騎士たちは、臨機応変に敵の突破に対し、対応するのだ!敵を後ろに逃してはならない!」

 白いサーコートを纏った近衛たちは、声を揃えて呼応した。


 アマーリエは、アルヴィの背中に立ち上がり、兵たちの頭越しに遠くを見つめる。

「姫、何を!?」

 ボードワンが慌てて馬を近づけ、手を伸ばした。

「土煙が見えるわ」

「分かったから、早くお座りなされ!鞍から落ちずとも、矢の的になりますぞ」

 渋々…アマーリエは鞍に座り直すと、ミュラーに向けて舌を見せた。


 そうこうしている内に、ギレスブイグが準備を終えて丘を降りる。

 ここの丘は雨で土が流され、残った岩が露出し、その合間に茂った草がそれを覆い隠すように伸びている。歩兵は構わず展開できるが、騎兵には不向きだ。

「正面には、細工しないの?」

 アマーリエが尋ねると、ギレスブイグは意見されるは心外だとばかりに、憮然とした表情で答える。

「敵がさらに迂回して、本隊よりも前線両翼の後背撃破を優先されては、逆に困るだろう。進軍に最も適した場所を残しておけば、敵をそこへ集中させることができる。それよりも、丘の上からは、すでに騎影が見えた。間も無くだぞ」


 辺境騎士団が進んできた道を、クリューニ男爵の騎兵隊が突き進む。

 先頭を進む騎兵の姿は、はっきりと視認できるまで至った時、敵の左右から別の騎士たちが出現した。

 丘の合間から出現したのは、スタンリー=ハーレイと、ワルフリードの騎兵たちだ。

 左右から挟撃し、そのまま乱戦にもつれ込む。

 たちまち、砂塵に覆われ、様相が分からなくなってしまった。

「来るぞ!シールドウォール!シールドウォール!恐れるな!近衛の意地を見せろ!」

 ミュラーが果断に、指示を飛ばす。

 いよいよ、砂塵を掻き分け、乱戦を突破した騎馬が出現する。

 その数、十や二十ではない。

 丘陵の合間に広がる街道の幅では収まらず、騎馬の集団は丘の上にも展開していく。

 本隊に属する近衛騎士は約五十騎。随伴歩兵は三百にしか届かない。

 正面からの騎兵が、近衛の壁に激突した。


 馬という生き物は、いくら騎手に命じられても、並び立った槍に、自らの身体を突き刺しに行くような真似はしない。それは、象であっても同じことだ。兵たちが急接近する巨大な馬の恐怖に打ち勝ち、隙間なく身を寄せ合いながら踏み止まることができれば、馬は止まるしかない。だから、正しくはそれは、激突ではない。だが、騎馬は後ろから、さらに後ろから尻を押し、押し出された馬は、眼前の兵士たちを巨体に任せて押し退けていく。


 無数に突き出される槍を払いながら、クリューニ騎兵は歩兵の頭や肩を串刺しにする。

 歩兵たちは盾で頭上を守りながら、ある者は馬に斬りつけ、ある者は騎兵の足を掴んで引き摺り下ろした。落馬した騎兵は朦朧状態から立ち直る前に、馬乗りにされて顎の下を短剣で突き刺された。突き刺した兵士は、今度は別の騎兵の剣によって、後頭部を叩き裂かれる。

 士気は高いが、近衛の壁は薄い。

 アマーリエ目指して、たちまち殺到する騎兵たち。

 イネスが次々と馬の首を射抜き、近衛騎士たちがとどめを与える。

 そこへさらに、両脇の丘の稜線を越えて、新たな騎馬の集団が襲いかかった。

 

 が…その騎兵たちはまるで地面に吸い込まれるかのように、草むらの中へと姿を消した。

 落ちているのだった。

 ギレスブイグの魔術だ。

「姫よ!両翼を前進させろ!丘に近づけるんだ!隙間が広すぎる!」

 ギレスブイグが、剣を振るいながら、アマーリエに合図を送った。

 道を狭められた敵兵は、街道中央に殺到し、アマーリエの歩兵を押し倒しながら本隊目指して雪崩れ込む。

 アマーリエの胸元へ、騎兵の槍が伸びた。

 大剣を槍の穂先へあて、僅かに上へ逸らす。穂先はアマーリエの肩を守るボールドロンで火花を上げた。そのまま槍のシャフトに添わせた大剣の刃は、相手が近づく勢いを利用し、そのまま槍を持つガントレットの隙間に入り込み、手をスライスする。

 アマーリエの魔力を封じた刃は、ガントレットの素地の革など無視して切り裂く。

 慌てて右手を離した相手は、しかし、その切先が自分の首元へ向けられる瞬間を見逃さずに、槍を立ててその切先を外へ逃した。

 二組の騎馬が、横に並ぶ。

 アマーリエは急に身を乗り出し、馬の手綱を鷲掴みにすると、一気に引っ張り上げた。

 クリューニ騎兵の馬は前脚を持ち上げ、手綱を握っていなかった騎兵は後頭部から落下した。


 アマーリエの剣技は、普段通り、の一言に尽きた。

 派手な大振りや、迅雷のような素早い機動も見せない。

 いつものように、少ない手数。

 防御を兼ねた攻撃。

 後の先。

 今までの戦いでも続けて見せている、彼女の得意技だった。

 一見、緩慢のようでいて、相手が対応する隙を与えない、理詰めのような連続技。


 そして、バイザーの奥にあるアマーリエの瞳は、忙しなく戦況を読み取る。どこを見つめる風でもなく、全体として捉えながら、多くの情報を集める。

 次の敵の動き、次の次に控える敵の動き、弩を構える敵の照準。

 ミュラーの動きも捉えていた。

 同門の彼は、大剣ではなく長剣を振るう。動体視力と反射速度に優れた彼は、よく攻撃を躱す。反面、体力の消耗が心配だ。

 イネスは長弓の弦を引き、味方の援護に集中している。

 ボードワンは敵の打撃を盾で受け、メイスで反撃する。全身甲冑を着た敵であっても、打撃武器の衝撃は緩和しきれない。アマーリエの魔法の甲冑であっても、それは同じなのだから、手首や側頭部にそれを食らうクリューニ騎兵には、たまったものではない。

 一方、ギレスブイグの動きは、人間離れしていた。

 どんな攻撃を喰らっても、平然と反撃して、大ぶりな長剣で力任せに薙ぎ倒す。およそ、剣術と呼べるような技法は見受けられないが、異様なほどの無敵ぶりだ。彼の長剣も甲冑と同じで、黒い鋼で造られている。魔術師でもある彼には、何らかのタネがあるのかも知れない。だとすると、魔術の効果が切れた瞬間が、危ないのかも。

 やがて、敵の攻撃が途絶えた。


 砂塵が収まりつつある街道では、多数の人馬が転がっているあり様が浮き彫りになる。

 どっちが優勢だ!?

 バイザーを上げて確かめるアマーリエの瞳が、悲痛な色に染まった。

 倒れた人馬を飛び越えて、また新たな敵騎兵たちが押し寄せて来たのだ。

「落とし穴の効果が切れる頃だ」

 ギレスブイグが渋い声を発する。

「体勢を整えろ!密集しろ!隙間を開けるな!」

 ミュラーが騎兵の突撃に備えて下知を飛ばすが、数を減らした近衛の隙間はなかなか埋まらない。

 第一波を防ぎ切った代償は、近衛隊半数の消失だった。

 再びの防衛は、困難だ。

 そんなことは、分かり切っている。

 希みは薄い。

 だが、ここを退けば、前線で優勢を維持している辺境騎士団は、後背を襲われ崩壊してしまう。

 逆に耐え忍ぶことが出来れば、崩壊するのはクリューニ軍の方なのだ。

 時間だ。

 時間さえ稼げば、自軍の勝利は確実なのだ。

 街道の正面から、両脇の丘の稜線から、クリューニの騎兵たちが殺到する。

 イネスがその内の数騎を、長弓で射抜くが、大勢は変わらない。

 数の差がありすぎる。

 防壁役を続けるのは、すでに不可能だ!


「方円陣!」

 アマーリエの号令で、近衛たちは陣形を変える。

 アマーリエ、ミュラー、ギレスブイグ、イネスを囲んで、円形の陣を形成した。

 疾走して来た馬は、直前になって人だかりへの激突を嫌い、円に沿って周回を始める。

 それは二重三重の円となり、瞬く間に近衛たちを包み込んでしまった。

 方円陣は、退路を諦めた、最期の時間稼ぎだ。

 クリューニ軍も、その対応には心得があった。

 無理に接敵せずに、槍を伸ばして牽制し、その背後から弓を射かけて来た。

 逃げ場を失った相手をじわじわと追い詰め、削り落とす。

 イネスは、矢を撃ち尽くして、剣を抜いた。

 近衛たちは盾を並べて、必死に攻撃に堪えた。

 時間はあと少しだけ、稼ぐことができる。

 このまま…このまま、密集していれば、時間を確実に稼ぐことが…。


「大将首に釣られおって!敵の背中が目の前ではないかっ!何をしている!」

 毅然とした声で、騎兵たちを下知する者が現れた。

 騎兵たちを掻き分けて姿を見せたのは、高価な七色虫の甲羅を大量に用い、精緻な意匠を施した甲冑の持ち主。バイザーを上げると、陽に焼けた細面に金色の口髭を蓄えた、神経質そうな顔が現れた。

「クリューニだ」

 ギレスブイグが、アマーリエに耳打ちをした。

 アマーリエの瞳が、傭兵男爵の顔を射抜く。

 クリューニの顔は、やや、やつれているように感じた。

「お初にお目にかかる。ルイーサ殿、貴殿の行動は、間者から聞き及んでおった。しかし、まさか本当にこの短期間の内に再起を図ろうとは、信じ難い足掻きようだ。“悪あがき“にも、ほどと言うものがあると知られるがよい」

 戦場を駆け巡った疲労感と、高揚感で、声は上擦っている。そして語尾には、高慢な気質が顔を覗かせている。

 アマーリエはアーメットを脱ぎ捨て、後ろで三つ編みにした髪を風に晒した。

 前髪を指先で整えると、返り血が額にこびりつく。

「てっきり、煙に涙を流しながら、懸命に狼煙を焚いている最中だと思っていたわ。自ら騎兵を指揮するほどの豪胆ぶりに、感服いたしました」

 ロロ=ノアのような、慇懃無礼なお辞儀をしてみせると、クリューニも面白がって返礼した。

「では、その剛気に敬意を表し、一騎討ちでお答えします」

「アマーリエ」

 ミュラーが小声で戒めるが、アマーリエはそれを無視した。

 クリューニの目に、狼狽の影が走った。

「なぜ、俺が貴様などとわざわざ…」

「戦況は百歩譲って、互角…としましょう。私は、伯爵家の当主。オレリア公爵にして、シュナイダー侯爵を継ぐ者。そして、騎士団の“女“団長でもあります。…して、貴殿の肩書きは?」

 状況だけ見れば、クリューニには申し出を断るに足りる名目を持っていない。だが、断ることはできる。戦の決闘は、決闘裁判ではない。必ず、応じる必要はないのだ。しかし、その場合には…。

「無駄だよ。こいつに、そんな度胸はないだろう」

 ミュラーの言葉に、クリューニは顔を赤くして憤慨した。

「クラーレンシュロス伯爵の家徳など、もうとっくに消え失せたわ!それに辺境の爵位など、古びた慣習の名残でしかない。たった少し、生きながらえただけの、敗残の亡霊どもめ。この私に、虚勢をこいて喚き立てるな!」

 流石に、ミュラーの言葉は、挑発だと見透かされた。

 クリューニはサーベルを抜き、天へ掲げる。

 それが振り下ろされる時、騎兵たちは一斉に攻撃を仕掛けるだろう。

 アマーリエの背後で、イネスが彼女の鞍から矢を引き抜き、ひっそりと弦を絞る。


 …だが、その矢が発射されることは無かった。

 クリューニはびくんと震えると、馬の首に抱きつくようにして倒れ、そのまま頭から落馬した。

 後頭部に、弩の太矢が刺さっていた。

 クリューニの騎兵たちの背後から、さらに別の騎兵部隊が襲いかかる。

 武装は貧弱な軽騎兵たち。

 旗が翻る。

 その手には、クラーレンシュロス伯の軍旗が握られていた。

「姫様っ」

 援軍の中から、懐かしい顔が現れた。

 二人は馬を飛び降り、互いの身体を抱き止めた。

 父の側仕えを務めていた、サンチャという使用人だった。

 城内の使用人たちのまとめ役で、アマーリエは生まれた時から、彼女に世話になっている。

「よくぞ、無事で」

「姫様こそ、よくぞ…」

 アマーリエはサンチャの肩で、涙をこぼす。

 戦場の只中で、二人はきつく抱き合った。


 サンチャは、武芸の達人では決してない。しかし、幼少期のアマーリエに、もしもの時があればと、父から定期的な訓練を施されていた。その成果を発揮する機会など、来なければいい。彼女はそう願っていたのだが。

 

 サンチャはアマーリエの腕を引き剥がし、早口で近況を述べた。

「二年前、騎士たちは夜襲に遭い、多くが戦死なされました。残された民たちの一部が、野に隠れ、南部で民兵組織を作り、南砦へ応援に向かいましたが、戦果は振るわず、砦は敢え無く陥落してしまいました。その後、私たちは敵の追撃を受けながら、放浪していたところ、姫様からの書簡を見たのです」

「北砦は?」

「未だ健在、との噂を聞きましたが…詳細までは…」

「ありがとう。みんなの努力のおかげで、今があるのよ。兵の規模は?」

「それが…あの、よく分からないのです。私のウィダスタンズは、二百人程度だったのですが、城へ移動中に大勢が加わり、今では十倍ほどに膨れています」

「指揮官は?」

「あの…それが、私です」

 アマーリエは目を丸くした。

「恐れ多いことですが、その…騎士様もおらず、見習いや従者の皆さんがご辞退したので、皆が…その…。年甲斐もなく、平民の血である身で僭越なことで…」

 アマーリエは、改めてサンチャを抱き寄せる。

 苦しそうに、サンチャは報告を続けた。

「そ、それと…スタンリー卿とワルフリード卿はご無事です。今は、癒し手の介抱を受けている頃です」

 不意に前線から、鬨の声が上がった。

 振り向くと、兵士たちが前に走り始めている。


 圧殺されたクリューニ軍が、ついに敗走を始めたのだ。

「行きましょう!」

 アマーリエとサンチャは、颯爽と馬の人となる。

 辺境騎士団は、掃討戦に移行した。

 味方を追い越し、突き進むアマーリエの姿を見つけ、騎士たちが彼女の元へ集まり始める。

 クリューニ騎兵との戦闘から生き残った騎兵たちも、それに続いた。

 拮抗戦を超える際、敵味方、多くの兵士たちがうずくまり、横たわる姿を見る。

 馬たちはその身体のみならず、転がった武器、盾なども、器用に避けて走る。

 アルヴィが飛び越えた影の一つが、負傷者を介抱するアッシュだと認めた。

「負傷兵の治療を優先しろ!追撃は騎兵のみで行う!」

 振り返ると、アッシュは手を挙げて応えていた。

「ミュラー、あなたも残って。すぐにハロルドへ向けて軍を向ける。準備を!」

「深追いせずに、戻ってくれよ」

 そう言い残すと、ミュラーは馬主を転じる。

 近衛の騎士たち、イネス、ギレスブイグ、それに歩兵の指揮から飛び出してきたオラースや、シュタッツたち古参の騎士たちもアマーリエの馬に並んだ。


 騎士たちは、逃げる敵兵士の最後尾に喰らい付いた。

 追い越しながら、次々と打ち倒してゆく。

 このままハロルドの軍勢に、合流させる訳にはいかないのだ。降伏しない以上、負傷を与えるしかない。この追撃で、全員をのす事はできなくても、精神的な打撃を与える必要だってある。この追撃で、どれほどの痛手を与えられるかで、次の戦闘での優勢性が確定し、こちらの損害も減らすことができる。

 馬の背に揺られながら、背中を槍で刺し、剣で肩を割る。

 業も駆け引きもない、単純な重労働。

 休みなく続く残虐行為。

 高揚した脳が、その苦悩を幾分か、消し去ってくれる。


「警戒!右前方の丘の影、大集団!警戒しろ!大集団!」

 イネスが叫んだ。

 どす黒い、土石流が現れた。

 アマーリエの脳が、それを密集した蛮族の大集団だと理解するのに、数秒の時間を要した。

 丘の影から現れた集団は、斧や蛮刀を振り翳しながら、敗走するクリューニの軍勢を右手から襲いかかった。

 統率も士気も失い、散開したまま走るクリューニの兵士たちは、まるで絵の具に染まる白紙のごとく、黒い群れに吸い込まれていく。

 アマーリエは停止の笛を鳴らさせた。それが耳に入らない興奮した騎士たちでも、流石に眼前の異常に気がつき、馬を停めた。

 黒い土石流の先鋒が方向を変え、さらに敗残兵に追い討ちをかけて行く。

 先頭の軌跡を綺麗になぞる一団の動きは、まるでムクドリの群れを見ているかのよう…。

 ギレスブイグがアマーリエの馬に横付けた。

「蛮族の群れは見たことがある。だが、これは異様だ。異常なまでの、統率力。有り得ぬ事態が起きていると知れ。軍を立て直して備えねばならんぞ」


 アマーリエは目を凝らした。

 奇声を上げ、倒れた兵士に覆い被さり、背中を滅多刺しにする蛮族たち。

 だが、所持品を奪うこともなく、次の標的に向けて走り出す。

 アマーリエの唇が動く。

「…ハルトマン」

 ギレスブイグが、アマーリエの顔を怪訝そうに見つめた。

「何?」

 アマーリエは頭を振り、ギレスブイグに向き直った。

「なんでもない。引き潮!」

 馬を返して、軍勢の元へと引き返し始めた。

 ギレスブイグはしばし、蛮族の群れを見つめていたが、やがて彼も馬首を返す。


 アマーリエは、軍勢に戻るまで、無言で馬を走らせた。

 脳裏には、ひと組の人馬の姿が焼き付いていた。

 密集する蛮族たちの先頭で黒馬を駆る、黒い甲冑の騎士の姿が。

 そして、この光景の意味する事について、思案を巡らせずにはいられなかった。



 数日後、辺境騎士団はハロルド城市の市民たちから、喝采と共に迎え入れられる事になる。

 城市を包囲していたランゴバルト男爵の軍勢は、戦闘の痕跡と大量の物資だけを残して、綺麗に消え去っていたからだ。

 蛮族が襲来し、逃げ遅れた者は、たとえ死体であろうと連れ去られたのかも知れない。

 新鮮であれば、それも彼らの食糧となり得るからだ。

 再びこの目で拝むことが、念願であった城市の街並み。

 固まった血と泥で汚れたアマーリエの頬に、一筋の涙が伝う。

 しかしそれは、喜びや郷愁の念から来るものでは、決して無かった。

 破壊され、ところどころ平原の景色がのぞくカーテンウォール。

 通りを埋め尽くす、崩れたレンガの破片と土と砂。

 屋根に大穴を開けた、投石機の爪痕。

 裏通りに転がる死体とも区別がつかない、力無く横たわる傷病人たち。

 かつて、行き交う人々の出立ち、窓を飾る植木の花々。コンドミニアムのオレンジ色の焼き瓦。白い塗り壁。通りを横断する、色とりどりの洗濯物たち。出店に並ぶ、カラフルな野菜や果物…。

 白っぽい埃色をした雪が積もったかのように、今はまるで…。


 街に、色が無い…。


 細くやつれきった市民たちは、それでも明るい顔で騎士たちを迎えた。

 騎士たちは無理矢理に笑顔を作り、それに手を挙げて応える。

 この光景を目の当たりにした騎士たちは、かつて都市を見放し、辺境へと逃げ延びたことが、自責の念となり、彼らの胸を締め付けていた。


 アマーリエは涙を拭うこともなく、ハロルド城砦の門をくぐり、キープへと馬を進めると、一人の騎士が出迎える。名はペルスヴァール。彼は、戦乱の最中、クリューニ男爵軍からハロルド公に寝返った騎士だと述べた。

 叔父ハロルドの執務室には、内側から鍵が掛けられていた。

 ペルスヴァールが扉を叩き、声をかけるが、反応がない。

「大事かも知れません。扉を破ります」

 アマーリエは、彼に頷く。

 要人を集めて会議を行えるよう設計された広い執務室には、重厚感に満ちた、落ち着いた色調の調度品が並ぶ。

 開け放たれたままの窓から吹き込む風が、羊皮紙の資料を床に散乱させていた。

「ハロルド!そんなっ…」

 アマーリエは、椅子に背を預けたまま天井を見据える叔父の姿を見た。

 左の胸から腰にかけて血で染まり、それは床のタイルにまで流れ落ち、大きな血溜りを作っていた。

 アマーリエがその顔を両手で包むが、目は大きく開かれたままで、わずかな反応すらない。

 すでに、事切れている…。

「つい…先ほどまでは…姫様のご帰還をお知らせに伺った際には…とても、お喜びで…」

 ペルスヴァールは、力無く両膝を床についた。

 叔父の顔を抱きしめ、アマーリエは静かに嗚咽を漏らす。

 ギレスブイグはそっと近寄り、胸元の傷を指先で触り、そして椅子の背もたれを確認する。

「赤い丸いほっぺと、大きなお腹の…ハロルドおじさん…もっと、早く帰って来れたら…ごめんなさい。私が、遅かったから…たくさん、辛い目に…」

 アマーリエの頭に、ギレスブイグはそっと手を当てた。


 父の死から丁度二年後、風のセレスティーヌの守護する4月、クラーレンシュロス伯ルイーサ・フォン・アマーリエ率いる辺境騎士団は、クラーレンシュロス城と、アマーリエ地方最大の都市、ハロルド城市の奪還に成功する。

 クリューニ戦での辺境騎士団の損害は負傷者多数、戦死者も多く、4,326名にものぼった。この二年間でのハロルド城市をはじめとする、各地での戦闘による死者数は、何万になるかも分からない。

 アマーリエが手にしたのは、傭兵、蛮族たちに荒らされ、人が消えた村々。焼けた畑。長期間に渡る破壊工作によって荒廃し、一切の色彩を失った城砦都市。そして、疫病と飢えに苦しみ続け、痩せ細ってしまった民たちだった。

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