第6話 反撃

 丘の稜線に上がると、クラーレンシュロス城の全容を一望する事ができた。

 6mを超えるカーテンウォール、クリスタルガラスの並んだコートヤードの神殿、ゲートハウスの櫓の様子は、二年前の記憶と変わらない。

 大きな破壊からは、どうやら免れているかに見えた。


 アマーリエの心に郷愁が蘇る。

 あそこで生まれ、あそこで育ち、二年前にあそこから、逃げ出したのだ。

 堀の前に陣取っていた敵の小部隊に、辺境騎士団の騎馬が突撃していく姿が見えた。

 先鋒を務めるスタンリー=ハーレイとワルフリードの騎兵部隊が、敵と会敵する。

 クラーレンシュロス城は、やや小ぶりではあるものの、キープを中心に二重のカーテンウォールを有した、コンセントリック型の城塞だ。深い空堀に囲まれ、四つある羽橋を上げて仕舞えば、その攻略は容易ではない。アマーリエは、城の近くに布陣し、近場の林を伐採して、攻城兵器を拵える段取りでいた。


「報告。敵部隊は、五十人ばかりの歩兵と数騎の騎兵のみ。ろくな抵抗も示さずにあっさりと撤退しました」

 スタンリーが、近衛の間を縫って、アマーリエの元へ報告に上がる。

「ご苦労様。スタンリー、城に敵性の旗が見えないのは、なぜだと思う?」

「それですが…敵は城へは戻らず、ハロルドの方角へと逃げていきました。北と南、そして西の門外からも、敵の撤退を確認。あまりに不可解なので、追撃は自粛致した所存」

 その様子は、アマーリエも丘から視認していた。

 不可解な事は、さらにある。

 城の羽橋が降りたまま、城門までも開いているのだ。

 ミュラーは、口に手を当てながら独り言のように言った。

「きっと、罠があるに違いないよ。自分たちがそれに引っ掛からないために、城には戻れない」

「でも、行ってみる以外、ないんじゃない?」

「へっ?」

 ミュラーは妙に高い声を漏らした。

「いやいや…罠にも、いろんな形態があるんだ。まずは、少数の兵を偵察に送ろう」

「それは、相手だって想定しているでしょう。もう、全軍で行きましょうよ。ただし、身軽な者たちを先頭に、警戒しながら、ゆっくりと」

「アマーリエ、それでは全軍が一網打尽に…」

「できるほどの伏兵がいるとも思えない。居ても少数。だから全軍であたる。けれど、魔法の罠の場合は話が変わってくる。毒霧とか疫病とかの罠なら、全滅する危険があるわ。ギレスグイグに相談して、魔術の痕跡を調べてもらう。できる対策は、その程度しかないのが残念だけれど。危険性を回避してばかりでは、前には進めないわ。時には、リスクを負ってでも正面からそれを乗り越えないと」

 ミュラーは息を飲んで、アマーリエの顔を見つめていた。

「そうか。あの日から、もう二年が経ったのか…」

「何て?」

 アマーリエは聞き取れず、ミュラーに尋ね返すが、青年は栗毛の髪を掻き上げてアーメットを被った。

「了解だ、騎士団長。君の命に従うよ。野伏たちを先行させながら、城へ突入する!」

「ならば、俺が先鋒を務めよう!」

 オラースが馬を寄せて来た。

 背丈は並だが、重量級の彼は闘志を漲らせて意気込む。

「頼むぜ、姫。歩兵の指揮なら、スタンリーやワルフリードの出番じゃねぇだろ?」

 ミュラーの目には、アマーリエが一瞬、ためらったかのように感じた。

 スタンリーがその隙を見て、食い下がる。

「ベイリーに敵が待ち構えているかも知れぬ。騎兵を先頭に強襲すべきだ」

 オラースの前に、アマーリエの銀色の籠手が伸ばされる。

「恩に切るぜっ!」

 オラースはニヤリと笑うと、その手の平を下から、パンと弾いた。

 スタンリーが苦虫を噛んだような表情でいるのを他所に、意気揚々と走り去るオラース。強襲偵察部隊を編成するためだ。彼を追うアマーリエの視線を、ミュラーは怪訝な表情で眺めた。

「オラースでは、不安なのかい?」

「不安しかない!」

 スタンリーが答えると、なぜかイネスまで、うんうんと頷いた。

 アマーリエは威勢よく弾かれた手を眺めると、ミュラーに視線を移し、片眉を上げて答えた。

「いいえ。不安は、無くなったわ」

 スタンリーが、力無く肩を落とした。


 四つある城門のうち、北と南が大きく、西と東は小さい。アマーリエは隊を四つに分け、それぞれの城門に配備する。南にはスタンリーとワルフリードたち騎兵が主力となり、シュタッツが率いる随伴歩兵たちが敵の突出に備える。西にはギレスブイグ、ジャン=ロベール、東にはオランジェ、ケレンたちが待機し、自身は近衛と共にミュラーを連れて北門から、オラースを先行させつつ突入することにした。

 物資と予備兵、非戦闘員は、ハルトニアから従軍し、今は騎士になったイーサンに任せる。

 北門から主力部隊を押し込み、圧殺する作戦だ。

 配置が済んでも、櫓かもクレノーからも、矢の一本も飛んで来ない。

 ギレスブイグによれば、魔術の痕跡は“視認“できないと言う。大掛かりな魔術の可能性は消えた。しかし、小さな規模でいて効果の大きい、伝染病の魔術ならば、視認しようがないとも言う。

「しかし、そのような魔術は古代の文献に記述がある程度、失われた禁呪の類だ。傭兵男爵の軍勢相手に、危惧する必要はない」

 ならば、建物に潜む伏兵を前提に行動するのみ。

 城門付近で待機する兵たちは、ギャラリーを移動する人影を複数、目撃する。

 そして、城門付近の地面には、無数の矢と槍が突き立っている。二年前に、籠城を試みた民たちがしたことか、とはじめは憶測したが、調べてみると、ここ数ヶ月の内に城から外へ向けて、撃ち出された新しいものだった。

 これを射った相手が、中に潜んでいることは、もはや確実だった。



「気配はある…気をつけて」

「伏兵が怖くて、城を陥せるかってんだ」

 オラースが不敵に笑うと、アマーリエの元を離れて最前列まで馬を進める。

「いいか、お前らの役目は、釣り餌だ。敵の狙いと、規模がわかればそれでいい。だが、ミミズや小エビと違って、お前らは大事な餌だ。呑み込まれるなよ!無理なら、逃げろ!闘う事よりも、城内に散って情報を集めることを優先しろ!それが、お前らの今回の役目だ!いいか、お前ら!」

 オラースの号令が、丘陵を駆け抜けた。

「突入だぁぁぁっ!行け行け!走れ!」

 橋桁を揺らしながら、オラースたちが北門をくぐると、すぐにその列が乱れた。

「アマーリエ!」

 ミュラーが叫んだ。

 カーテンウォールの左右に潜んでいた敵に、襲われたのだ。

 アマーリエは、アインスクリンゲを天に翳して叫んだ。

「我に続けぇぇぇっ!」

 五千もの兵士たちが、一斉に城内へ躍り込む。

 兵たちの足音と、雄叫びが飛び交う怒涛の進軍。

 ツインタワー型のゲートハウスを抜ける際、最も危険なマチコレーションの洗礼は無かった。

 内側のカーテンウォールのパラペットから、矢が打ち込まれるが、数は少ない。

 瞬く間に、ベイリー内には味方の兵士たちで溢れ、すでに敵影はない。

「散開しろ!隈無く、敵を探せ!」

 ミュラーが指示を飛ばす。

「敵の死体はっ?」

 アマーリエはミュラーに問うが、彼の馬も一緒に、兵たちの流れに押し流されてしまう。

 近衛の一員でもあるイネスの馬は、別の流れに乗ってしまい、離ればなれになってしまった。

「だめだ、引き返せない。このままキープを目指そう!」

 兵士たちの流れと共に、石階段を馬に登らせ、コートヤード脇のバービカンを通ってキープの正面口を目指す。


 バービカンとは陸橋状の細い歩廊で、この城砦では直角に曲がっている。兵士たちの列を細くし、直角に曲げることで渋滞を促し、歩廊から転落させる意図があるのだ。当然、射撃手からは良い的となるように設計されてもいる。内城壁のパレペットとキープのギャラリーからは、丸見えの構造となっていた。奥へと進むごとに、兵たちを襲う危険が高まる。城砦を設計するマスターメイソンが真骨頂とする、縦深防御の基本だ。アマーリエは今、自身の城による防衛能力の洗礼を受けているのだった。


 キープの城門が降りており、金格子を持ち上げる作業待ちとなった。

 殺到した兵士たちは、バービカンの上で無防備な渋滞を作る羽目になる。

 矢を警戒して頭上を見渡していたアマーリエは、信じがたい光景を目にした。

 小さな身体の人物が、櫓の跳ね上げ窓を開けて、飛び降りて来たのだ。

「バカなのっ!」

 その影は、蛮族だった。

 一人、飛び降りたのを皮切りに、次々と落下してくるではないか。

 ある者は飛び降りざまに、兵士の肩に蛮刀を差し込み、それが抜けぬと分かれば、首元に尖った黄色い前歯を突き立てた。ある者は着地に失敗して脚を折り、ある者は兵士の兜に頭を打ちつけ、互いに揃って昏倒する。

 アマーリエたち馬上にある者は、渋滞のため武器を振り上げられない兵士たちに代わり、蛮族たちを迎撃した。

「こつら、どうかしてる!」

 兵士の肩に取り憑いた小鬼の頭を横薙ぎに払い、アマーリエは叫んだ。

「違う、こいつらは飢えているんだ」

 ミュラーは槍に持ち替え、落下してくる小鬼の脇腹を突いた。

「じゃぁ、外に出ればいいじゃない!」

「違うんだ…だから、男爵の兵に囲まれて、外へ出られなかった。矢も槍も、全て使い果たし、城門を開けて待ち伏せしても…誰も中へ入って来ない」

「城を占拠したのはいいけれど…そのまま、閉じ込められていたって訳?」

「どうやら…そのようだっ!」

 二人は蛮族たちを蹴散らしながら、状況を理解した。

 櫓から飛び降りた三十体ばかりの蛮族らは、程なくして掃討されたが、斬りつけられたり、噛まれたり、バービカンから落下したりなど、負傷者は百人に及び、九人が戦死した。

 キープに繋がる落とし戸が開けられ、アマーリエたちはようやく、一息がつけた。

「南門に伝令。蛮族たちを一旦やり過ごし、逃げていくところを騎兵で追撃。ただし、深追いせずに戻ること」

 ミュラーは、その伝令の肩を掴んで止めた。

「いいのか、蛮族がこの地を蹂躙することになるぞ。民が襲われ、土地が穢れる」

 暗がりの中でも、ミュラーは自分を見返すアマーリエの瞳に、憂いがあることを感じ取っていた。

 アマーリエはため息をつく。

「…斥候からの報告を聞くのが怖い。もう、きっと手遅れよ。男爵軍には、城に居着いた蛮族を、掃討するほどの余裕もない。手一杯なのよ。ここで損害を大きくするよりも、男爵軍のいる方へ送り出して、奴らの酒保隊を襲わせた方がいい」

 ミュラーは、どもり、すぐに反論できなかった。

「でも…でも、村が襲われるかも知れないよ」

 アマーリエはアーメットを脱ぎ、汗で濡れた髪を掻き上げた。

「だから、もう、襲われてる。生き残りがいるなら、すでに対策を取っているはず。でも、恐らくは、遠くに逃げていることでしょうね。人の移動を制限できるほど、男爵たちに兵の余裕はないのだから」

 ミュラーは伝令の肩を離し、南門へ向かわせる。


「君は、変わったな」

「…非道になった?」

 暗がりから襲いかかってきた小鬼を槍で串刺しにし、ミュラーは首を振った。

「お父上に、似てきたよ」

 アマーリエは何かを言い返そうとするが、別の人物に話しかけられてそれを飲み込んだ。

「何、口説いてるんすか」

 乱れた髪で現れたイネスの肩を、ミュラーは拳で殴りつけた。

 さらに、オラースたちも現れた。

「無事か?まさか、自分の城で怪我しちゃぁないだろうな」

「えぇ、あなたも怪我はない?」

「俺を誰だと思っている。だが、蛮族の中には、毒を使う奴らがいるから、気をつけろよ。じゃぁ…俺たちは、潜んでいる奴らを掃討してくるとする」

「頼んだわ」

 アマーリエはオラースたちを見送ると、残りの兵たちに命じた。

「蛮族を追い立て、南門へ誘導しろ!」


 城の掃討戦が片付いた頃、斥候たちが戻って来た。

 汚物の腐臭が漂う謁見の間に腰掛け、アマーリエは彼らの報告を受ける。

 近隣の村々は荒らされており、もぬけの殻。軍隊が略奪した後に残されるはずの、老人や子どもの姿もなく、蛮族どもの死骸と、黒焦げになった住民たちの遺体のみが野晒しとなっているという。

 ミュラーは沈んだ声で、状況をまとめ上げる。

「村人たちが別の場所へ落ち延びたんだとしても、旅に同行できずに村に取り残される者は、必ず現れるだろう。なのに誰もいない。とすれば、それは連れ去られたからだ」

 アマーリエは床を見つめながら、ポツリポツリと呟く。

「労働力として価値のない者は、奴隷に売れない。そして、連れて行くのならば、食べ物を分け与えねばならない。略奪者は、そんなことはしない」


 …だから、答えは絞られる。

 連れ去ったのは、蛮族たちだ。


 震える声で、アマーリエは独り言を口にする。

「グラスゴーで冬を越している間に…民たちは戦災に苦しんだだけでなく、蛮族にも襲われていたのね」

 帰還した騎士たちが整列する列を伸ばす中、アマーリエは城代の椅子に腰を下ろし、姿勢を正した。

 しっかりと前を見据える瞳は、潤んでいる。

「冬越えは必要だった。冬季の出兵を強行していれば、あの山で全滅していた」

 懸命に言葉を吐き出したミュラーだったが、視線はアマーリエには向けられず、足元を見据えたままだった。それは、他の騎士たちも同じだった。


 悲痛な沈黙の中、ハロルド方面からの斥候が戻る。

「ハロルドは、未だ健在!」

 その一言で、騎士たちが歓声を上げ、重苦しい空気が一変した。だが斥候は報告は、まだ途中だった。

「…しかし、二万余の敵軍に包囲されている模様」

 ボードワンがため息混じりに言った。

「だいぶ増えておるな。集結したのか、それとも援軍を得たものか」

 斥候はさらに、報告を続ける。

「敵包囲軍の中から一部が離脱し、こちらへ向っております。軍旗はクリューニ男爵。こちらに向けて、今なお進軍中とのことです。その数、騎兵が一千、歩兵がおよそ八千から一万」

「二年前は…とても太刀打ちできない数だったわね」

 アマーリエは、瞳から流れる涙を拭うこともせず、立ち上がって騎士たちを見据えた。

「クリューニを一気呵成に粉砕!そのままハロルドを包囲するランゴバルトを蹴散らす!」


 二年を費やした。

 多大な犠牲を強いて来た。

 ついに、この時が来た。

 それを、ようやく言葉にできる時が来たのだ。


『御意!』

 逆襲を誓う騎士たちの返答が、謁見の間に響き渡った。

 アマーリエは、従者のアッシュに視線を向ける。

 彼はアマーリエへと顔を向け、静かに頷いた。


 明朝、クラーレンシュロス城を出撃した辺境騎士団は、ハロルド城市へと向かう丘陵地にて、クリューニ軍と会敵した。

 雲ひとつない朝焼けの空を、まるでツグミの大群のように、両軍の放つ矢が飛翔する。

 横一列に盾を並べ、その背後から槍を突き出す両軍が、ようやく生え揃ったばかりの若葉を踏み締め、土を巻き上げながら走り、激突する。

 槍の穂先は盾の革張りを削り落とし、相手の鎖骨を突き刺し、振り下ろされたそれは、ヘルメットの下の頭蓋を陥没させた。


 血

 汗

 怒声

 悲鳴


 小隊指揮官たちが声を涸らし、兵を鼓舞して、前進を命ずる。

 アドルフィーナのトリスケルを、首から下げたグラスゴー兵。

 上半身を裸のままで戦う、屈強な山の民。

 辺境各地から参戦し、これまで連戦連勝を自負する市民兵たち。

 彼らは戦慣れしたクリューニの傭兵相手に、一歩も引いていなかった。

 最も、戦はまだ始まったばかりだったが。


「敵の騎兵がいない。スタンリーとワルフリードに、斥候の数を増やすように伝えて」

 横一文字に伸びた戦線から、わずか50m後方に控える馬上のアマーリエは、徒士の伝令を放つ。

 スタンリーとワルフリードが指揮する騎兵隊は、アマーリエの両脇に控える。彼らの任務は三通りの対応を想定していた。

 一つ目は、敵の騎兵が両翼の歩兵を襲った場合。最も定席と言えるこの対応には、両翼の歩兵が、ドワーフから仕入れた槍を並べ、足止めを行っている間に、その側面から撃退する。

 二つ目は、敵の騎兵が迂回し、後方を脅かそうとする場合。これを反転迎撃し、本隊を守護する。

 三つ目は、二年前に参戦が報告されていた、魔術傭兵の遊撃だ。

 だが、こちらの数に勝るはずのクリューニ騎兵は、戦場にまだ姿を見せていない。

 輜重隊と酒保たちは、城に残してある。

 純戦力だけを動員しているアマーリエに、非戦闘員や、それに準じる者たちが襲撃されることを危惧することはない。しかし、一千にも成る騎兵部隊の存在は、戦況を覆すに足りる戦力だ。

 クリューニ騎兵の出方一つで、またその対応一つで、戦局はどうにでも転がる。

 前線での数の差は、圧倒的にこちらに有利。だが、半包囲が完了し、戦況が確定するまでには、まだ数刻を要するだろう。

 それまでに、必ず、敵の騎兵は強襲してくるはずだ。

 そしてそれは十中八九、想定する二項目目、後背からアマーリエの本隊を狙って。


 敵騎兵の動きがないまま、半刻が過ぎた。

 両軍互いに疲労が積もる中、辺境騎士団の兵たちの士気は高く、中でも山の民たちの奮闘ぶりが際立ち始める。起伏の激しい山岳地帯に暮らす彼らは、防具を着る風習がない。シャーマンによる刺青を身体に刻む、“まじない“の力に頼り、防具を装着しないのはどうしたものか、と正直なところ懸念は払拭しきれていなかったのだが、どうやらまじないの効果も馬鹿にはできないらしい。防具の乏しさは、戦闘継続力において不利となるはずなのに、彼らにはスタミナの継続という面で、有利に働いているようだ。

 半包囲された敵の損害は、時間が経つごとに加速度的に増加していく。


「クリューニは、どういうつもりだ…手遅れになるぞ」

 アマーリエは呟いた。

 確信がある。傭兵男爵の戦術が、このままで終わるわけがない。

 突如、数本の矢が、彼女を襲った。

 愛馬アルヴィのクリネットとグラッパーの装甲を削り、軌道を逸らして飛んでいく。押せば凹むほどの薄い鋼板でも、射角によっては絶大な効果を示す。歴戦のアルヴィは、ぶるりと震えただけで動じない。

 三本目は、バイザーを上げたままのアマーリエの顔面へと飛び込んだ。

 彼女はそれを、右手で掴み取る。

 鏃は危うく、鼻先ギリギリで止まった。

 自身の指が欠けていることを、失念していたからだ。

 前線を突破したクリューニ側の騎士たちが、槍に持ち替えて襲いかかる。

 その姿を視認するや、ミュラーとギレスブイグがアマーリエのカバーに入るが、彼らの元へ辿り着くよりも早く、壁の如く立ち塞がる近衛の騎士によって前進を妨害されたところを、ワルフリードの騎兵に側面から打ち倒された。

 戦線は厚みがまばらとなり、後方部隊も突破してきた敵の迎撃のため、散開しつつある。

 乱れを正さねば…。

 アマーリエがそう思った矢先、ミュラーが敵後方から登る狼煙を見つけた。


「報告、マクシム卿が家臣を連れて離反!」

 伝令の知らせが届いた。

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