第5話 奈落へ

 …は?

 クルトは、自分がアインスクリンゲを取り戻すと言った。

「待って…闘うの?そんなことしなくても、グリッティ卿に話せば…」

「見てみろ。収まりがつく状況だと思うか?魔剣が景品なのは、今朝方に告知が回って、起きていた奴らは、みんな知ってる。お前の魔剣なら、城が一つ建つほどの金になるんだ。だから皆、大興奮さ」

 私は、父の剣が現金で換算してどれほどのものか、見当もついていなかった。

「そうなの?…じゃぁ、なんで…手放すの?」

「だから、詳しくは分からん。最初に話を聞いて来たのは、アッシュだ。彼は、方々の従者たちに顔が効くらしい。それによると、どうやら深夜になって侯爵が突然、言い出したらしいんだ。俺はその話を聞いてすぐに、グリッティ侯の天蓋に行ってきたが、誰とも会わない、の一点張りで門前払いだった」

 何があったのだろうか…昨日の様子からは、グリッティのあの人柄からは、思いもよらぬ変心ぶりだ。酒でも煽って、勢いで決めてしまったのだろうか。彼は主催者として、多くの貴族・騎士たちを接待しているはずだ。それは、有り得る話ではある。

「でも、あなたが闘うのは、おかしい。私が出る!」

 クルトは私の頭をポンと叩いた。

「俺もそうして欲しいところだが、残念ながら貴族は出場できない。これは、代闘士の祭りなんだ。男爵と放浪騎士だけは、かろうじて制限から除外されるらしい。前例がどう、とかでな。ま、何はともあれ…ル=シエルの反対を抑え込むだけで、俺はもうくたくたなんだ。大人しく、ここで見ておいてくれ」

「そんな訳に行く訳がないじゃないっ」

 私が伸ばした手をすり抜け、クルトは人混みを器用に躱しながら、階段を降りて行く。

 ついさっきまで寝ていたのに、どうして、こんな事に…。

 司会役の女性が、まるで海賊のような装束で現れると、私は立ち上がって歓声を飛ばす観客たちに揉まれた。

 なんなの?まだ、早朝なのよ!?

 観客たちの興奮ぶりは、不穏とも言える状況だ。

 嫌な予感しか、しない。

 どうにか、クルトには諦めてもらわないと…。

「まぁ、走り出したら止められん奴だ。好きにさせてやれ」

 不意に、後ろから両肩を掴また。

 振り返ると、私の後ろの席に、ちゃっかりとハルトマンが陣取っている。

「何…見張り役ってわけ?」

「どうにも、言い方がいかん。自分のために、一人の男が身体を張ろうというのだ。せめて、一部始終を見てやることくらい、してやるのが女の矜持ってものではなかろうか」

「男に女の気持ちは、理解できないわ」

 この人たちは、私のことを世間知らずのただの小娘だと、思っているに違いない。守ってやらねば、すぐに萎れてしまう、か弱い草花かのように。


 …助けられたのは、事実か。

 …世間知らずなのも、否めない現実ではある。


 参加者たちの名を順に紹介され、クルトは自分の名を呼ばれると、観客に手を振った。

「二つ名は、シュバルツシルトの金狼か…悪くないな」

 ハルトマンは、まんざらでも無い様子で…いや、心底、楽しんでいる。

 自分で考えたとするなら、あまりに子ども地味ていて、頭痛がしてきそう。

「何なの?みんな、そんなに血を見たいの?」

「自分の血では、無いからな」

 クルトは、笑顔で観客の声援に応えている。

 何だか、ル=シエルの日々の心労を慮る光景だ。

「…わかった。どうやら私の頭の中と、現実との間に隔たりがあるみたい。とりあえず、様子を見るわ」

「その息だ。楽しもう」

 ハルトマンはもっと、思慮深くて紳士的な男性だと信じていたのに…裏切られた想いに、私は大きくため息をついた。

「夢だ、夢だ、これは夢だ」


 トーナメント形式に行われる旨が説明され、最終的な勝者に与えられる景品が紹介される。

 観客たちの歓声は、頂点に達した。

 司会者が両手に掲げる大剣。

 針金と革で分けられたツートーンのグリップ。光輪と翼のモチーフが描かれた菱形のリカッソ。スラリと伸びた薄刃の白い刀身には、溝が彫られて強度の補強と、軽量化が図られている。間違いなく、アインスクリンゲだった。

「現実かぁ…」

 どうして、こんなおかしな事に…。


 数分後、売り子から受け取った、行者ニンニクの茎と、薄められた葡萄酒のオレンジ割りを手に、私は代闘士たちの剣技に見入っていた。

 どれも、荒々しい。

 初めは互いの盾を殴り合う攻防が続き、先に疲労と腕の痛みに耐えかねた方が、押し負ける。

 泥試合だ。

 研ぎ澄まされた斧の刃、尖った棍棒の鋲を向けられると、それを少しでも身体に近寄らせたくないと願うのは当然だ。だが、それでは身体が動かなくなる。前に足を運べなくなってしまう。

 恐怖と緊張が、身体を急速に疲労させる。


「息を吐かないと…吸ってばかりでは、力んでしまう」

 明らかに実戦経験の乏しい若い剣士が、巨漢の振るう棍棒によって押し倒された。トドメを振り上げる巨漢に、剣士は降参を告げ、観客たちの落胆を呼んだ。

「えぇいっ意気地なしめ!やはり、口先ばかりだったか。無駄金を使ったぞ。魔剣が賞品だと知っておれば、もっと投資したものを!くそっ!口惜しい」

 近くの席にいた貴族が、怒りを込めて喚き散らした。きっと、あの剣士のパトロンなのだろう。

「次の試合は、クルトの番だ」

 ハルトマンが、私の後頭部に向けて告げる。

 柔軟体操をしていたクルトが、長剣を手にして立ち上がった。

 全身甲冑にアーメットは被らぬまま、ターゲットシールドも背中に背負ったままの登場だ。

 クルトの表情は固いが、肩も膝も弛緩し、まるで緊張感がない。

 相手は、黒い甲冑の中年男。無精髭の似合う細面の顔は、悪くない。甲冑は傷だらけで、長剣の刃は綺麗に研ぎ澄まされている。

「いきなり本命が来たな。ロンバルト伯が抱える、“ダークウィドー“だ」

「二つ名で紹介するの、やめてくれる?返って弱そうに感じるわ」

「はははっ、これは手厳しい」

 ダーク男も、盾を置いてきたままだ。

 腕に自信がある。長期戦を避けて、体力の消耗を抑える腹積り。

 司会の海賊が号令を出すと、礼節もなしに、試合が始まる。


 二人は、無造作に距離を詰め合った。

 互いに構えも見せず、顔を見つめあったまま…見栄の張り合い。

 ダーク男の方が、やや重心が高い。

 二人の距離が、2mを割り込んだ。

 …今!

 ほんのわずかな予備動作だけで、二人の剣は閃光と化してぶつかり合った。

 身体を寄せ合い、硬いバインド状態となる。

 間髪おかずに、クルトは手首の力を緩めた。

 相手の刀身を、自分の肩で受け止める形でいなす。

 ダーク男の刀身は、今の体勢からスライスを試みてもクルトの甲冑を削るだけだ。

 ダーク男は手薄になった左半身を守るため、すかさず刀身を引き戻す。

 クルトはその動きに争わず、ハーフソードに持ち替えながら、相手の剣とは反対方向へと円運動をする。

 自分の勢いを利用されて、今度はダーク男の刀身が左半身側へと移される。

 そこだ!

 ダーク男の十字鍔をロックした瞬間、クルトは片手を離し、肘打ちを顎へ喰らわした。

 ダーク男の左足が、半歩下がる。

 体勢的に、強い打撃とはいかない。

 だが、この動きをきっかけに、相手は後ろに下がって、バインドから抜け出そうと試みた。

 肘打ちを受けた瞬間に、自身の右足が、クルトの足にロックされている事に気が付かない。

 足を抜く動作のために、ダーク男が一手失う。

 重心を崩した相手に向けてクルトは…頭突きをかました。


 歓声が沸いた。

 鼻をへし折られたダーク男は、自分の喉元に剣先が伸びていることに気がつくと、あっさりと剣を落として降参したのだった。

 二人は握手をして、互いの健闘を讃えあう。

 なんだか、クルトの試合だけ、雰囲気が異なる。

 私はいつの間にか浮き上がっていた腰を下ろし、葡萄酒の割り物を一口啜る。

 クルトの戦い方…あれは、天賦の才だ。

 父の道場で稽古をする者たちの中にも、稀に存在した。

 身体に染み込ませた動作であっても、戦いながら頭の中で次の選択をし、予備動作の後に挙動へと移るのが、凡人の動きだ。

 ほんの少しの躊躇、迷い、未来予測のための思考の瞬間。

 それらが、わずかな一瞬の動きに、現れる。

 しかし、クルトの動きには、一切の無駄が無かった。

 考える前に、染み込んだ動きを身体が勝手に実行に移す。

 実際には、思考しているだろう。

 だが、そんな事を微塵にも感じさせない動きだった。


 口に溜めた葡萄酒を飲み込み、ハルトマンを振り返ると、彼の表情は真剣だった。

 私の視線に気がつくと、ニヤリと微笑んでから言う。

「次の試合は、なんだか妙なことになりそうだ」

 午前中に全試合を終わらせないとならないという、タイムスケジュールの都合だろうか。試合は足早に進行される。余韻も収まらぬままに、円形闘技場の中に進み出た二人組は、相対的な闘士だった。

「これなるは、火吹き山の放浪騎士モロゴル。前回の優勝者であります。対するは、疾風の美剣士ロロ=ノア殿。知る人ぞ知る、キングメーカーの登場です!」

 会場は騒然となった。

「知っているぞ、あのエルフは紋章官のはずだ」

「なんて、お美しい!」

「いくらなんでも、相手が悪いだろ。モロゴルは容赦がない。殺されるぞ」

 贅肉と筋肉とをバランスよく蓄え、黒く日焼けした巨躯を見せびらかすように、モロゴルは半裸の上に部分鎧を装着している。まるで、蛮族だ。

 それに比べ、羽根付帽子に白いタイツ、足元は乗馬ブーツという、男性用の戦装束に身を包んだエルフは、スラリとしたスタイルで、逆に言えばか弱い。

 そして何より…美しい女性であった。

 腰には、精緻な意匠を施した細身の長剣レイピアと、反対側のポーチの裏に、防御用の短剣ポニャードを下げている。その他は、盾も鎧もなしだ。

 モロゴルの得物は、両手持ちのアックス。

 分が悪い、どころではない。

 あれだけの重量の斧を喰らえば、レイピアの刀身はぐにゃりと曲がってしまう。ポニャードで受ければ、たちまち吹き飛び、手首を失うだろう。

「有名人なの?」

 片目でエルフを見据えたまま、私は後ろのハルトマンに尋ねた。

「あぁ、いわゆる、戦争屋だ。魔術も使うと言うが…はっきりとした事は分からない。前に出ないからだ」

「前に出ない?」

「そうだ。頭脳労働者というやつだな。領主の傍にピッタリと控え、情報を提供するのが役割だ。だから、私も正直、驚いている。魔剣が目当てだとは思うが…あのナリで、どう戦うつもりか…」

 女海賊が、決闘の開始を告げる。


「やめてっ!」

 私は席を立ち上がって叫んだ。

 ロロ=ノアは、巨漢男の鎖骨に突き刺したレイピアを止める。

 切先は肋骨の空洞から肺を貫通し、あと数ミリで心臓へ届くはずだった。

 ロロ=ノアは剣を引き抜くと、優美な一礼を観客たちへ贈る。

 私に対するブーイングと、勝利を賞賛する歓声が、森の木の葉を振動させた。

 戦況は、凄惨を極めた。

 斧を振り下ろすたびに、モロゴルの手足の腱は断ち切られ、ついに膝をついた瞬間に、エルフは巨漢の頭上を華麗に飛び越え、躊躇なくトドメの一撃を差し込んだのだ。

 モロゴルの出血はわずかだ。

 この会場の、どれだけの人が認識しているだろう。

 正確無比に、健だけを傷つけているからだ。

 すでに、モロゴルは戦意を消失していた。

 おそらく、彼は今後二度と、あのような大きな斧を振り回せないだろう。


 日差しが昇り、森の上から陽光を注ぎ込ませ始めた頃、代闘士競技会の決勝が始まろうとしていた。

 勝ち進んだのは、シュバルツシルトの金狼こと、クルト・フォン・ヴィルドランゲ。対するは、疾風の美剣士こと、エルフのロロ=ノア。

 観衆は、番狂せの二人の試合の勝敗を、息を呑んで見守った。

 中でも、私が一番、気を揉んでいたに違いない。

 最初の一撃目から、クルトの動きに違和感を覚え、血の気が引いたのを覚えている。

 結果は、ロロ=ノアの快勝であった。


 私たちは、傷ひとつなく戻ってきたクルトを慰めながら、人気のない木陰に、彼を休ませる。

 すると、騎士の従者たちが、どこからか現れた。

「きっと、魔術を使われたのね。何はともあれ、健を切られなくて幸いだったわ。魔剣のことは、もういいのよ。手放したのは、私の判断だし、後悔はない…だから」

 クルトは私の口に人差し指を当て、周りを気にしながら、小声で告げた。

「金を積まれた」

 理解するに、数秒を有した。

「はぁぁぁぁっ!?」

 慌てて、クルトは私の口を塞ぐ。

「臭い籠手で触らないで!どう言うこと!?信じられない!」

 心の底から、怒りと嫌悪が湧き出した。

 こんな感情は、久方ぶりだ。

 一瞬で、この男が穢らわしい生き物に思えてきた。

「待て、騒ぐなって」

「いくら渡されたの?」

「公益金貨で100枚だ」

「たった、それだけ?」

 眩暈がした。

 ハルトマンが笑った。

「それでは、城は疎か、甲冑も買えないな」

 城仕え兵士の年収、高給取りの石工なら、弟子であってもそれくらいは稼ぐ。

「信じられないっ」

 私はクルトに覆い被さって、彼のこめかみを拳で圧縮した。

「痛ででででっ、待て、待て、まだ話は続いている」

 クルトの脇の地面に、白い大剣が突き立った。

 私たちは、はっと動きを止める。

「それは、彼の名誉を買った代金です。さらに、名目上とはいえ、領土を持つ身である以上、優勝してしまっては、後々面倒な事になるとも、お話しさせていただきました」

 滑舌が良く、耳あたりの良い抑揚の効いた、美しい声。

 見上げると、男装の麗人が立っていた。

 視線があうと、細長い瞳に笑みを浮かべ、丁寧なお辞儀をする。

「お初にお目にかかります。紋章官のロロ=ノアと申します。以後、お見知り置きを」

「脅されたんだ」

 クルトが白状するように、彼女の言葉を訂正する。

「待って、この剣は、どういうつもり?」

 私の質問に、彼女はさして、どうという事もなさげに、さらりと答える。

「あるべき所に、戻したまでです。おっと、お礼は結構。衝撃的な結末によって、私は知名度をさらに上げることに成功しました。今後の仕事も、やりやすくなるでしょう。それに…」

 美しいエルフの女性は、華麗にウィンクをしてみせる。

「何より、あなたに恩を売りつけることができました」

 私は、返答に窮した。

 一同の沈黙すら意に介す様子もなく、再び一礼すると、彼女は立ち去ろうとする。

「待って!この借りは返さねばなりません」

 すると彼女は、横顔だけを見せながら答えた。

「ご希望とあらば、いずれまた是非。しかし、今はこの場を離れないといけません。あなたが止めてくれたおかげで、モロゴルの手下と、彼の雇い主に命を狙われております故」

 私ははっとなり、あたりを見渡すが、まだ、それらしい者たちは見当たらない。

「そうそう…自領へお戻りになるならば、お急ぎになるといい。父君のご遺体を遺棄した者たちは、この会場には姿を現していない様子。さて、予定を変更して、何を企んでいるものか…」

 まるで夏のそよ風のような印象を残し、エルフは立ち去っていった。

 後には、アインスクリンゲが一振り。

「おい…」

 クルトが、神妙な顔でハルトマンと向き合う。彼は、クルトにうなづきながら、低い声で語った。

「グリッティ侯が言っていたな。他にも、無断欠場者がいると」

「地勢的に、北上してくる者たちだ。カンピーノ侯は、長らく留守だと聞いている」

「パドヴァ方面の諸侯たちならば、山脈の切れ目を西から侵入するはずだ」

「ラステーニュのパンノニール伯…いや、クリューニ男爵と…えっと…」

「ランゴバルト男爵だ。二人とも、アマーリエに隣接する領土を持ち、傭兵隊長から成り上がった武闘派連中だ」

「あそこは、パヴァーヌとの緩衝地帯でもある。最悪、王の手先である可能性もあるぞ」

「そこまでは、今の段階で穿つことはない。まずは、参加者の中から…」

 騎士二人の会話に、アッシュが割り込んだ。

「おふた方とも、欠場しておいでです」

 クルトが、私を抱き起こした。

「急ごう、領地が危ない」

「理解したけど、そんなすぐに軍事行動は…」

「トーナメントは、留守を狙ういい機会だ。それに、両男爵とも常駐の傭兵隊を維持している。それが、生業だからな。それに、動機は十分にある」

「遺体を遺棄したのは、発覚を遅らせるためであろう。時間稼ぎを目論む理由は、何だ?」

「父を殺めたのも、彼らなの?」

 クルトは一瞬、身体をこわばらせた。

「…あぁ、そうかもな」

「まずは、急ごう」

「馬と馬丁たちは、天蓋で待機してもらっているよ」

「いいぞ、ル=シエル」


 私たちは天蓋の元へ走って戻る。

 借りた馬は木に繋がれたままだったが、馬丁の姿はどこにもない。

「何やら、騒がしいな」

 人々が、一方向へと走って行く。

 その一人を捕まえて、クルトが何があったかを尋ねた。

「グリッティ侯が…」

 クルトは彼を見送ると、ル=シエルを怒鳴りつける。

「なんで、天蓋を片付けておかない!」

 ル=シエルは、しばしキョトンと立ち尽くす。

 アッシュが、ハルトマンの荷物を急いでまとめる姿を見て、あっと声を上げる。

「まさか、アマーリエに向かう気なのかい!?」

「いいから、荷物をまとめて、馬に乗せろ!天蓋は捨てていい」

「ちょ、待ってよ。代闘士の真似事の次は、救国の英雄気取りかい?領主様の許しもないまま、そんな事が…」

 クルトは両手を広げて答えた。

「俺は、放浪騎士だ。今までだって、好き勝手にやってきた。何を今更」

 ハーフエルフの少年は、私に聞こえないように、クルトの腕を掴んで耳元で伝える。興奮気味の彼の声は、筒抜けだったけれど。

「少しは、頭を使ってよ。勝手によその勢力争いに加担したら、どんな結果に転ぶか分からないじゃないかっ」

「戦争になると決まった訳じゃない。一人の騎士として、一人の少女を、領地へ戻るまで護衛するだけだ」

「一人ではない、がな」

 ハルトマンが笑った。

 クルトが、私に言う。

「お前も、急いで支度をしろ」

「お前って言わないで。アマーリエよ。ルイーサでもなく、クラーレンシュロスでもなく、アマーリエと呼んで」

「…それ、今話すことか?」

「だって、変なことを言うからよ。私には、剣一振りしかないのに」

「…そうだった。ル=シエル、急げよ」

「待って、すっかりその気になってるみたいだけれど…」

 私の声を、クルトは遮った。

「その通りだ。分かってるじゃないか。もう、すっかりその気だ」

 彼の目は、決意に満ちていた。

 とんでもない迷惑な話でしかないはずだ。ル=シエルの考えの方が、間違いなく、正しい。正常な判断だと思う。私は、どうすれば良いのだろう…。

 クルトは、些か子ども地味てはいるけれど、まっすぐで爽やかな男だ。

 ハルトマンは、懐が深く、思慮深さもあるが、彼もどこかやんちゃな一面を持つ純粋な心の持ち主。

 私に出せる答えは、一つだけだった。

「恩に切ります。どうか、よろしくお願います」

 深々と頭を下げた。


 騎士たちは、それぞれに二頭の軍馬を所持していた。旅路では荷物を満載し、トーナメントでは替え馬としての用意だったのであろう。今回は従者を乗せて、五つの人馬と一つの荷馬という編成となる。

 馬の背に跨ったル=シエルは、未練の念をこぼす。

「グリッティ侯は、どうなっちゃんだろう。確かめて行かないの?」

「知らないままの方がいい事もある。巻き込まれる前に、さぁ、出発だ!」


 出会ってまだ五日、私の記憶では二日でしかない、不思議な縁に結ばれた一行の旅は、道中にさまざまな事があった。

 蛮族に襲われた際には、二人の騎士たちの実力を知った。

 足場のおぼつかない山道を馬で進むよりも、船で流れに乗って南下する方が早い、とのハルトマンの意見に従い、集落を目指した事もあった。しかし、その集落にあった舟という舟は、何者かによって焼き払われた後であった。運送業と漁業で食い繋ぐ集落の者たちには、ひどい痛手であったに違いない。

 ハルトマンの見解では、自らは舟で南下し、余った舟は足止めのために焼いたのだと言う。

 川を辿れば、ラステーニュ地方にまで及ぶ。

 馬の速度を出せないまま、領地に入ったのは、六日後のことになった。


 最初に立ち寄った村は、幼馴染みの騎士ミュラー・オルレアンドが収める土地だった。

 古代の骨董品が並ぶ彼の小さな邸宅にて、私は事情を話し、彼に予備兵役を含める市民兵の編成を頼んだ。ミュラーは騎士たちの中でも知見に富み、若いながらも頭脳労働といえば、彼に託す、という立場をすでに確立している。彼の意見で、集結地はクラーレンシュロス城と決まった。彼が馬を飛ばして出立するのと同時に、私たちも次の目的地である、ハロルド城市を目指す。

 ハロルドは、同じ名前の叔父が城代を務める、難攻不落の城塞都市で、アマーリエ地方の中心に位置している。両男爵が侵攻するとすれば、ここを最優先目標とするはずだ。クラーレンシュロス城は、ハロルドから見れば、後背地に位置することになるから。

 しかし、小高い丘の上から望むハロルド城市からは、方々で黒煙が上がり、その周囲には軍勢の姿が見受けられた。


「まだ、包囲はされていないようだが…ここは慎重に動いた方が良い」

 ハロルドほどの大都市を包囲するには、一万や二万の兵では足りない。綻びを見つけ、ハロルドへ侵入するのも、不可能ではないだろうと思えた。しかし、ハルトマンの言うことも理解できた。父の死を知らぬまま、敵が突然大挙してきたのだ。いち早く、指揮系統を立て直す必要がある。私のすべきことは、猪突猛進ではないのだ。

「ハロルドが、燃えている…攻城兵器も無いのに、どうして」

「こう言う時のために、あらかじめ間者を忍ばせていたのかもな」

「でもまだ、門は閉じている」

「意外に、冷静だな」

 クルトが馬の首を叩きながら、独り言のように言う。

「まだ、現実感がないだけかも」

「騎士たちは、どれほど残っているのだ?」

 ハルトマンの問いに、私は答える。

「父は、騎士たちにトーナメントに行かぬよう、告げていたわ」

「なぜだ?不満も出よう」


 なぜ…?

 今思えば、不可解だった。まるで、不意をついたかのような、少人数での急な出立…。

 隠れていた?

 何から?


「こういうことを、見越していたのかも、な。だが、余りに急すぎて、騎士たちも対応できないだろう」

 クルトの意見には、なぜか同意しかねた。侵攻を予見…とは言えなくても、危惧していたならば、もう少し善処の余地はあったはずだ。

 この侵攻は、偶然の産物。

「何はともあれだ。いくら戦争巧者であっても、一週間かそこらで、国境の拠点すべてを陥落できるとも思えない。城に向かって、軍の集結を待とう。斥候に捕捉されるなよ」

「戦う気満々じゃないか…」

 クルトは、ル=シエルの小言を聞き流し、アマーリエに先導を頼んだ。


 ハロルド城市からクラーレンシュロス城までは、なだらかな丘陵を行くだけで辿り着く。馬を飛ばせば丸一日、徒歩では三日の距離だ。途中の村に敵兵が潜んでいる可能性を考慮して、道を辿らず迂回して進み、二日の行程で向かうことにした。

 それでも、敵の哨戒部隊に捕捉されてしまう。

 相手は騎兵十騎に、随伴歩兵が五十人程度。

 突出して襲いかかった騎兵を一騎、ハルトマンが撃退した後は、相手は距離を空けて弓矢を放って来た。二組の人馬に甲冑はあれど、従者も私も、装甲は身につけていなかった。飛び道具に至っては、一切持ち合わせがない。追撃を受けながら、なんとか城まで辿り着く。哨戒部隊は、カーテンウォールに近づくことはなく、追撃を断念した。

 降ろされた羽橋を渡り、ようやく安堵する事ができた。

 だが、城内には非武装の民たちばかりで、数名の騎士しかいない。


「姫っ!無事のご帰還、何よりで。アドルフィーナに感謝を」

 神官騎士のボードワンが、私の身体を抱きしめた。甲冑の硬さと、彼の耳元の匂いに、やけに懐かしさを覚えた。

「話がある。騎士たちだけを集めて」

「承知した」

 私を励ますように、両腕をバンと叩く。


 城の会議堂に並んだのは、十名足らずの騎士だけだった。

 私は、クルトとハルトマンを紹介したのち、情報を求める。

「敵は、クリューニ男爵と、ランゴバルト男爵の連合軍」

「ハロルドを囲んでいるのは、二千人足らずの傭兵たちだけです。攻め陥される規模ではありません」

「ですが、ハロルドに逃げ込めないと知った民たちは、この城に保護を求めに来ています」

「混乱した民たちは、武器よりも家財を優先して来ている者ばかり」

「なぜ、こんなに混乱しているの?騎士たちは、何をしているの?」

「敵は五十ばかりの少数の部隊を各地に展開し、村々を占拠して回っている様子。民兵たちの集結を妨げるのが目的かと」

「他の町はどうしたの?北と南の砦の状況は?」

「反抗が厳しい拠点は、近くに陣を敷き、足止めを徹底している様子。砦の状況は不明ですが、北の砦の方では、ラバーニュ卿の旗を見た、という者がおりました」

「それは、いつの話?」

「かれこれ…四日ほど前です」

 北の砦は、クリューニ男爵を警戒するため、南の砦は、ランゴバルト男爵を警戒するため、それぞれ少数にせよ、常備兵を置いている拠点だ。

「北の砦は、ラバーニュが守っている。狡猾な彼が、そう易々と陥されるとは思いたくない」

 騎士たちの一人が、恐る恐る、といった風に尋ねてきた。

「ルイーサ様、ハインツ陛下は、何処に…」

 心臓が痛んだ。

 父の死を悼むものではない。

 できれば言わずに済ませたい事を…しかし、必ず言わねばならぬ事を、言うのが怖い。

 言うならば、毅然と言わねば。

 …息を吸って、はっきりと言うのよ。

「父は、死にました。これより、私がアマーリエの地を引き継ぎます」

 騎士たちは動揺し、互いに視線を交わし、狼狽を露わにした。


 何とも言えない、曖昧な空気が流れる。

 私は、唇を噛み締めて、ただ、その空気に耐えた。

 どうしよう…何を言えば良い?

 突然、会議堂の天井を震撼させるほどの声で、ボードワンが一括した。

「何をしておる!忠誠を誓わぬか!」

 一人、そしてまた一人…騎士たちは、片膝をついて、首を垂れた。 

 最後の一人が膝をつくのを見届けてから、ボードワンは自分も膝をついて語る。

「ルイーサ陛下、ご命令を」

 眩暈…を必死に堪えた。

 身体が前後に揺れているのが自分でも分かる。

「武器庫を開き、民兵に武装を。城の防御を固めなさい」

 小さな声を出すのが、やっとだった。

「御意!些事は私めにお命じくだされ」

「…頼んだわ…ボードワン」

「御意!」


 灯りをつけぬままの執務室のテラスから、私は夜の色に染められたアマーリエの風景を眺めていた。

 遠くでは、普段は見られない場所に無数の火が灯り、普段は煌々と灯りの付いているべき場所に、その光りはない。しかし、今はまるで何事も無かったかのように、穏やかな春の風が、私の頬を撫でる。

 ここ数日、満足な食事もしていない。

 毎日、欠かさなかった湯浴みもしていない。

 これほど髪が重く、硬く感じるものかと、自分でも驚くばかりだ。

「まだ、起きていたのか…まぁ、寝ろ、と言って寝られる心境じゃないよな」

 クルトの声がした。

 振り返ると、背後の壁際にもたれ掛かる、ハルトマンの姿もあった。

 なるほど、抜け駆けは許さないか。

「流石にね…もう、くたくたなんだけど。こう見えても、身体だけは、鍛えて来たから」

「くたくたなのは、心の方だろ」

 …何、それ。

「なんで、死んだと言ったんだ?」

 ?

「ハインツ殿の事だ。なんで、死んだと告げた」

「失踪してます、じゃ。みんな踏ん切りがつかないじゃない。混乱から立ち直るには、はっきりとさせた方がいいと思ったのよ…生きていてくれたら、万々歳。それで済む話だわ」

「お前は、どっちだと思うんだ?」

 何?絡んでる?

「どっちとも言えない。記憶が無いんだから」

 クルトは、しばし私を見つめた。ハルトマンは、最初から何も発しない。

「…ところで、ボードワンと言ったか、しっかりとした後見人を得たな。騎士たちからも支持されている。彼のおかげで、今日はなんとか乗り切れた」

「そうね。物心ついた時から、私には世話を焼いてくれていたわ。本当に、助けられてばかり」

 ハルトマンが、穏やかな声で語りかけてきた。

「それでいい。領地の事など、もとより一人でどうにかできる物では無い。姫は、人を頼りにするものだ」

 …え?

「ちょっと…」

「昔から姫、と呼ばれていたそうだな」

 もう、騎士たちと打ち解けたのか…。

「はい、そうですよ。私は、アマーリエと呼んで欲しいと言っているのに」

「姫…ってどうなんだ?せめて、姫騎士ってのは?」

 クルトは肩を小刻みに揺らしながら、つぶやく。

「やめてよ、逆にもっと恥ずかしい!」

「姫か…」

 ハルトマンまで、ニヤついている。

 やがて、二人は声をあげて笑い出した。

「ちょっとぉ…恥ずかしい」

「ごめん、いや、だって…はぁ…あれだろ、な?」

「そうだな。あれだ」

「何、あれって…幼いってこと?」

「いやいや、お前は、みんなに愛されているってな」

「女の跡取りでは、珍しいのだぞ。今日のようにすんなりまとまる話では、無いはずだ」

「すんなりだった?ぇぇ…渋々だったよぉな?」


 二人は、私を励ましに来たのだ。

 改めて、自分の置かれた状況を再認識できた。

 二人が、急に笑いをやめた。

 …あっ。

 私は、自分の目から涙が溢れていることに気がついた。

 急いで涙を拭うと、私は慌てて話題を変えた。


「城から北に進めば、山脈の切れ目からバヤール平原に出られるわ。そこから北西に進めば、シュバルツシルトの森へ行ける。私には、通れないルートだけれどね。昔から、ハイランドとは交流がないの。だから、ご先祖はここに城を建てたらしいわ。まだ数日の内なら、北は安全だと…」

「俺は、残る」

 クルトが壁を見つめながら、短く告げた。

「でも、ル=シエルは?幼馴染なんでしょ。巻き込んでいいの?」

「説得する」

「…領主様は?」

「説得する」

 …どうやって?

 まるで駄々をこねる子どもみたいに、クルトは壁を見つめ続けている。

 私がハルトマンの方へ向き直ると、彼は私の視線を受け止めていた。

「私も残るつもりだ。このままでは、夢見が悪くて堪らんからな」

 私は、どうすれば、いいのだろう?

 二人を…二人と、彼らの従者たちを巻き込んでしまって、いいものだろうか。

 甘えてしまって、良いものだろうか。

「姫」

 …。

「よろしくな、姫騎士様」

 …そう言うことか。

 私は、二人に深々と頭を下げた。

「どうか、アマーリエと呼んでください」

 その代わり…その代わり、私は覚悟を決めないといけない。

 四人の命を…善意に頼ったその命を、私は預かるのだから。


 翌日、ちらほらと騎士たちが、数人の民たちを連れて城に現れる。しかし誰も、散開した敵の小集団に襲われ、多くの民兵たちを失っていた。城へ向かうであろうと、敵も予測しているのだから、地勢に詳しかろうが、それはどうにも避け難い。

 騎士の一人は、町を魔法で攻撃された、と断言し、皆の動揺を招いた。

 魔術師は希少な存在だが、一人いるだけも、相当に厄介なものだ。大型の投石機の威力をそのままに、人間大にまで縮めたような存在だからだ。移動力に優れ、見分けが困難だ。

 ボードワンにより、定期訓練の経験を持つ民兵の再編成が成されたが、その数は500人にも満たない。ベイリーには、もう入り切れないほどの民たちが集まっていると言うのに。城の防衛は出来ても、ハロルドに張り付いた敵兵を脅かすことは出来ない。

 軍議を開き、さらにもう一日、騎士たちの集結を待つことになった。


 翌日、ミュラーが十名の騎士を連れて合流した。

 いずれも、馬に乗った者たちだけだ。途中で徒士の者たちは包囲され、降伏したと言う。

 彼らからの宣誓を確認した後、私は意を決した。

「このまま待機していても、状況は好転しないと思います。悪くすれば、パヴァーヌが動き出すかも知れない。ハイランドの動きも不透明です。今ならば、敵の規模は決して大軍とは言えない。きっと、身を隠している兵たちが、数多く存在するはず。こちらから行動し、その者たちと接触の機会をつくる必要があります」

 ボードワンが尋ねる。

「では、討って出るおつもりと…」

 彼の表情は曇っている。


 …違うのか?


 私の意見は、間違っているの?ボードワン教えて。

 だが、彼は押し黙ったまま、私の次の言葉を待っている。

 彼自身、迷っているのかも知れない。

 ならば、決めるのは…私の役目だ。

 息を大きく吸い込んだ時、軽やかな女性の声が響き渡った。


「やめておきなさい。騎兵ならばともかく、武装も乏しい民兵では、弓矢の餌食です」

 騎士たちの視線が、会議堂の扉に注がれた。

 重い沈黙の中、いつ開いたのか。

 そこに立つのは、軍装に身を包んだエルフの女性、ロロ=ノアであった。

 私の目には、彼女の周りに、光の粒が飛んでいるかのように映った。

「部外者は、お断りだぞ」

 歩き出したボードワンを、私は手で止める。

 来て、くれたの?あなたも?

「どうして、ここへ」

 私の質問に、軽やかな一礼をしてから、彼女は答える。

「さぞや、お困りでしょう。私の力が必要かと存じますが?」

「何者だ?」

「いや…待て、聞いたことがあるよ…男装のエルフ、確か…」

 ミュラーが答えを引き出す前に、彼女は自ら名乗った。

「紋章官を生業としております。ロロ=ノアと申す者でございます」

「思い出した。別名、キングメーカー」

「姫と知り合いなのか?」

 騎士たちの中にも、その二つ名に覚えがある者がいるようだ。

「では、ここで籠城せよ、と?」

「恐れながら…」

 ロロ=ノアは、再び一礼すると、遠慮のない意見を述べ出した。

「籠城は、最も愚策でございます」

 ボードワンが噛みついた。

「なぜだっ!これだけの兵がいれば、二千…いや、一万の敵が押し寄せようとも突破できぬ」

「では、口減しを」

「…なぬ?」

「来るもの拒まず、と言うのは美談に聞こえますが、実際、これだけの民を抱え込んでしまっては、備蓄はすぐに底を付くでしょう。戦争で大事なのは、兵の数でも士気でもなく、兵糧なのです」

「兵も無く、士気も低ければ、兵糧があっても役には立つまい」

「兵糧がなくなれば、その両方ともを失いますが?」

 ロロ=ノアは、まず先にボードワンを陥落させた。

「姫の事です。民だけを追い出すことは、恐らくしないでしょう。実はそれが、最も相手の嫌がる策であったとしても」

 …なぜ、この人がその呼び名を。

 ゆっくりと、ロロ=ノアは私の隣に移動する。

「しかし、籠城はやはり、愚策なのです。何故なら、学会が刺客を送り込んだから」

 学会…?

「魔術傭兵の事か?」

 ハルトマンの問いかけに、ロロ=ノアは頷いた。

「彼らは、ハロルドの学会支部にあるポータルを利用し、バリスタを破壊後、速やかに帰還したそうです。ポータルのある場所に、彼らは瞬間移動ができるのです。そして、彼らの得意な戦術は、まさに攻城戦。素早く移動する相手を攻撃するのは苦手なのですが、相手が動かず、密集していれば、どのような方法でも攻撃が可能です」

 騎士たちは、ロロ=ノアの声に心を奪われている。

「たとえば私なら、毒の霧を使います」

「待て、なぜ学会が動いた」

「さて…気に触ることでも、したのでしょうか?」

 そう言いながら、ロロ=ノアは私の目をチラリと見た。

「数はほんの数人程度でしょうが…一ヶ月もあればこの城を陥落せしめる、でしょう」

「では、ハロルドとて…」

「ハロルドは…ポータルをすでに破壊しているようです。被害が止まっているようなので、そう推測できます。ハロルドほど広い街となると、魔術であっても対処は難しくなる。最も、彼らの狙いはもとよりハロルドではありません」

 ロロ=ノアは、私に向き合った。

 …え、私?

「姫を狙っているのか?」

「アインスクリンゲでは…」

 ロロ=ノアが表情を切り替えた。

「そうですね…きっと、そのどちらか、です。あるいは、両方かも…」

 そうだろうか…ロロ=ノアが、適当に意見を合わせたように、私には見えた。

「何はともあれ、ですよ?まずはこの地を一旦離れ、学会の手が届かぬ場所に逃れることをお勧めします。そこで、兵を集め、再起を図るのです」

 騎士たちは、沈黙する。

「もちろん、私めもご同行させていただきます…有料ですが」

 ロロ=ノアには、魔剣一振り分の“借り“がある。

「いくらを望むの?」

「姫、そんな馬の骨の言葉を間に受けては…」

「私の値段は、決して安くはないのですが…雇用主の支払い限度額を鑑みなければ、ふっかけた所で踏み倒されるのがオチですからね。ここは一つ、公益金貨一万枚をご提示いたしましょう」

 …騎士たちは、沈黙を続ける。まるで窓から吹き込む風の音が、聞こえるような気がした。


「…お安くした、つもりなのですが?」

 そういう事ではない。

 この状況下で、よくもまぁ…いや、それがこの女性の仕事なのか。

「その対価が、領地を捨てて、逃げると言うこと?」

 ロロ=ノアは、芝居掛かった身振りで翁業なお辞儀をすると、一転、冷徹な眼差しで私を見返した。

「当然、領土の復権をお約束いたします。ただし、それは二年後。辺境の地を平定した後のお話」

 騎士たちが立ち上がって反論する。

「二年もハロルドを放置すると言うのか!」

「ハロルドに、どれほどの民がいると思っている!そこを失えば、この地は終わりだ」

 芝居掛かった素振りのまま、ロロ=ノアは彼らを宥める。

「陥ちませんって、陥ちません。大丈夫です。幸い、城代は有能な方です。食糧を倹約し、まず二年までならば、食い繋いでみせる事でしょう。完全な包囲を完成できない以上、あの城市は持ち堪えますよ」

「辺境を支配下に置いた所で、兵士が集まるとは思えぬ」

「魑魅魍魎や、疫病も蔓延していると聞く」

「そのような未開の地に、人間はおるまい」

 ロロ=ノアは、軽やかに笑い飛ばした。

「おかしな事をおっしゃる。人族が最初にこの地に上陸したのは、タラントゥース半島です。古代王国期にも、オレリア、シュナイダーをはじめ、数々の勢力圏が栄え、覇を争った地です。今なお、文明的で理性的な人々が住んでいますよ。たかだか、二百年かそこらで、人の営みや気質は、そうは変わりはしません」

「魑魅魍魎や、疫病はどうなんだ?見てきたのか!?」

「魑魅魍魎とは…具体的にどんなもので?蛮族や野獣ならば、確かに数多く棲息しておりますが…あなた方、騎士が束となって、遅れを取るほどの生物など…この世にそう居るものではないでしょう?」

「疫病はっ」

「…それは、些か厄介です。私自身の経験からも、違う土地でかかる病気というのは、とても危険なものとなります。現地では、それはただの風邪であっても、です。しかし、これは遠征にはつきもの」

 私は彼女に尋ねた。

「実際に行って来たの?辺境を…知っている?」

 ロロ=ノアは、瞳に何か鋭いものを含ませながら、優しく微笑んだ。

「私ならば、ご案内できます。危険でない道を。多くの民が住む町を」

 頭の芯が痺れるような感覚を覚えた。


 辺境…。

 西方諸国から見放された土地。

 蛮族が跋扈し、疫病が広まり、古代の王侯たちが支配を諦めた土地。

 異教を信奉する民の、穢れた土地。

 アマーリエ地方は、辺境のほとりに位置する。

 かつては、ハイランドもパヴァーヌも手を付けなかった、辺境にほど近い、僻地。

 西方諸国と辺境を隔てる、境界線の土地。

 祖父が城を完成させ、父が豊かで強い国へと育てた。

 四季が美しい、私の愛する土地。

 そこから、逃げ出す先は…もはや辺境しか残されていない。


「迷信です。剣の神々の信仰も、消えてしまったわけではありません。気候もそれほど変わりません。ただ、彼らは王侯と聖教皇から、自分たちが見放されてしまった事は理解しております。彼らに、再び希望を示すのです。信仰を正し、交易を復活させ、危険を取り去り、農耕を盛んとし、子を増やす。痩せた土地で厳しい暮らしを送る、彼らに希望の光を示すのです。これよりの旅は、それを成すためのものでもあります」

 いかにも、騎士たちの心に響きそうな事を並べ立てる。

「城の民たちは…私を頼って家と畑を捨て、身を寄せた者たちを裏切り、捨てると言うのですか」

「では、このまま籠城戦に付き合わせ、共に餓死をさせるおつもりか。ここに留まれば、遅かれ早かれ、彼らは長い苦しみの後に、必ず死ぬことになるでしょう」

「見捨てることはできません」

 ロロ=ノアは、天井へ顔を向け、額に手を当てた。

「失礼…私の言葉が、誤解を招きましたね。真逆です。彼らを預けるのです。しばしの間、彼らを男爵たちに預け、養ってもらうのです」

「ろくな扱いを受けない」

「ここで飢え死ぬよりも?…大丈夫。男爵たちの財源が尽きるまでは、最低限の施しがあるでしょう。効率が悪いので、畑を耕すよう命じるはずです」

「なぜ、言い切れるの?略奪し、奴隷に売り渡すのが目的なら…」

 ロロ=ノアは、私の言葉を遮り、言い切った。

「男爵たちの目的は、この地の領有です。二人の男爵が、どれほど広い土地を己の支配下にできるのか、競っているのです。そう…彼らにとって、これはトーナメントのようなもの。二人だけの参加者で、これはすでに決勝戦。確実で安全な征覇でなくても良い。多くの土地を相手よりも早く、実効支配するため、彼らは少数の部隊を散らしているのです。騎士の邸宅をまず襲い、村人から忠誠をもぎ取る。たとえ、表面上のものであっても、その場限りのものであったとしても。既成事実を競争相手に突き付けるため。兵を編成すれば、容赦はせぬぞとの脅し文句を置き土産に、食糧だけを補給して、急ぎ次の村へ移動し、再び騎士を襲う」

 身振り手振りを交えながら、一気に捲し立てたロロ=ノアは、話を区切って今度は騎士たちへ視線を巡らせ、ミュラーの所で視線を止めた。

 催促されたように、彼は述べる。

「…確かに、そのような動きだったよ…見てきたのか?」

 ふっと微笑みだけを浮かべ、話を続ける。

「男爵たちは、互いに競い合っているのです。ここに至ってはむしろ、アマーリエの民はゲームの駒でしかありません。不毛の土地を手に入れて、相手に笑われたくは無いのです。真の意味で、彼らがこの土地を掌握するには、時間がかかるでしょう。ハロルドや砦のような、堅牢な防衛拠点を後回しにしている内は…実効支配には程遠い状況です。ですが、それは彼らにも、織り込み済みのこと。今、彼らの頭の中にあること。それは、できるだけ広い地域に足跡を残すこと。ですがその場合、心配事が残ります。民による武装蜂起です。無駄な時間と労力を潰たくはない。アマーリエ地方は、彼らの軍勢からすれば、手に余る広さなのです。ですから、初手は緩やかな支配に徹するはずです。これは、実のところ愚の骨頂と言うべき段取りなのですが…傭兵稼業でのし上がった彼らに、それを知る器量はないでしょう」

 ロロ=ノアは抑揚を駆使し、騎士たちの集中力を維持したまま、話を続ける。

「とはいえ、これは我らにとって吉兆です。男爵たちの支配の締め付けは、時間を経過するごとに強められる。税の取り立てにしろ、恭順の誓いにしろ、時間を置くごとに民の不満は増大することになります。先行きが暗い時ほど、民の不満は爆発するものです。今のやり方を彼らが進める限り、アマーリエの民が牙を抜かれ、すっかり彼らに飼い慣らされるに至るまでは、数十年の時間を要することでしょう」


 いかがでしょうか?とばかりに、ロロ=ノアは貴族式の礼で話を締めくくる。

 つまり、二年という時間は、決して長くはない。彼女はそう示している。

 とはいえ…だ。

 このエルフの女性の見解が正しくても、民の犠牲は必ず、多く出るだろう。自軍の兵糧が尽きた時、彼らが民の食い扶持を優先するはずがないのだ。

 二年間で、いったいどれほどの犠牲が出るであろうか…。


「後背地を得てから望めば、反抗作戦も盤石なものとなり、その後の復興、食糧と人的資源の確保も容易なものとなるでしょう」

 気づけば、騎士たちの反論も潰えていた。

 誰かが、結論を述べねばならない。

 誰かが、その責任を負わねばならない。

 父はいつも、“これ“をしていたのか。

 そして父ならば、どちらを選択していたのだろうか。


「成功報酬。アンオルフ銀貨立て」

 私の言葉に、ロロ=ノアは優美な一礼で返答した。

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