第4話 トーナメント
父が死んだ。
私がそれを知ったのは、トーナメント会場のあるシュバルツシルトの森で目覚めてからだ。
見知らぬ小さな天蓋の中、知らない臭いのする毛布に包まって、私は目を覚ました。
腕をシラミに刺されていた。
殺風景な天蓋から外へ這い出すと、同じような小さな天蓋がたくさん並び、武装した人々が駆け回っていた。戦場なのか、と私は思った。
「あっ、起きられるのかい?気分はどう?」
天蓋の脇で、甲冑を磨いていたエルフの少年に声をかけられる。
正午の強い日差しに目を眩ましながら、私は少年に、ここはどこか、と尋ねた。
「シュバルツシルトの森だよ。待って、動かないでね。今、騎士を呼んでくるから」
ちょっと気弱そうな、まるで少女のような声の少年は、皮の手拭いを置くと、立ち上がりざまに走り去る。森の木々の隙間を埋めるように、天蓋と武具と、馬、即席のかまどに、兵士たちがひしめき、少年はその合間を飛び跳ねるようにして消えていった。
「まるで兎のようね」
気分は、悪くはない。
ただ、少し頭痛がして、腕が痒い。
「そうか、ここが…」
トーナメント会場だと理解した。正しくは、野営エリアといったところか。
腕を掻きながら、酒を呑んで談笑し合う騎士たちや、その背後に控える従者たちの姿を見つめていると、先ほどの少年が、全身甲冑を纏った二人の背の高い騎士たちと、灰色の髪の従者を連れて戻って来た。
「おはよう、レディ。随分とぐっすり寝ていたので、まだ頭が冴えぬのではないか?どうだ?レディ、自分の名前を言えるかい?」
白髪の混ざった長い髪を、後ろでひとまとめにした、思慮深そうな男が優しく語りかけてきた。
「えぇ、名前は、アマーリエ。いえ、ルイーサよ」
「アマーリエのルイーサか。案の定だな」
長髪の男よりも二回りは若い、金髪を短く刈り込んだ体躯の良い男が、ハキハキと話す。
私は彼の腰に、アインスクリンゲがある事に気が付き、それっ、と指を差した。
「預かっていた。誰かに盗まれては大変だからな」
帯を外し、すんなりと返却してくれた事に、正直、安堵した。
長髪の男は、ハルトマンとだけ名乗った。物静かな灰色の髪の若者は、彼の従者で、アッシュという。
金髪の若者は地元の人間で、名をクルト・フォン・ヴィルドランゲ。領土の権利は有しているものの、主君が任命した代官に土地を譲っている状態、いわゆる放浪騎士だという。天蓋の外で番をしていた少年は、クルトの従者で、ハーフエルフのル=シエル。
「あの、ここまで父と共に旅をしていたのですが…父は、ハインツはどこに?知りませんか?」
立ち上がって辺りを見渡そうとする私を、クルトは肩を掴んで座り込ませた。無礼な仕草だが、彼が周りの目を気にしている様子を悟り、私は彼に尋ねた。
「…知っているの?何があったのですか?」
「とりあえず、君は天蓋の中にいてくれ。俺たちはここにいるから、そこで話を聞いてくれ。いいかい?」
「まさか、私を誘拐したの!?」
騎士たちは慌てて、私の口を塞ぐ。
「愉快と誘拐を掛けるなんて、面白いなぁ!はははっ!実に愉快だよぉ〜!」
ル=シエルが裏返った声で言う。
クルトは強引に私を天蓋の中へ押し込んだ。片腕一本のその力に、抗えない事が腹立たしかった。
「君は、微妙な立場だ。その様子だと、ここ数日の記憶がないのだろう?…どうだ?俺たちも色々と君に尋ねたい気分なんだが、そこは堪えて、まずは君に俺たちが知っている事を伝える。だから、大人しく話を聞いてくれ」
私は彼の青い瞳に宿る“何か“を感じ、大人しく天蓋の中に腰を降ろし、背筋を伸ばした。
すると、彼の代わりにハルトマンが話を始める。
彼の話によれば、私を見つけたのは二日前。
山間の街道を北上中に、一人でふらふらと歩く私を発見し、身体を支えると同時に気を失ったらしい。
ドレスは血まみれで、大剣を一振り握りしめるだけで、所持品はなし。一見すれば、街道を襲った蛮族と戦闘になり、生き残ったかのような体ではある。しかし、彼は前日に立ち寄った宿場での惨劇を知っていた。
「旅籠の大部屋を貸し切っていた貴族の一行が姿を消し、その部屋は血まみれだっと言う。君は、その…生き残り…なのではないのか?」
つぶさには、理解できなかった。
脳裏に残るのは…木漏れ日の中、父と馬を並べて山道を登る光景。
木々の遠くに見える、アマーリエの平地と山並み。
コゲラを見つけ、指を差して教えてくれる父。
いつもは厳しい表情ばかりの父が、めずらしく愉快そうに微笑む。
「思い出せない…父は、今どこにいるの?」
ハルトマンは、悲痛な思いを胸に閉じ込めるかのように、目を細めた。
「旅籠の主人の話では、争った形跡と、血痕のみしか残されていなかったらしい。六人いたという、従者の姿も、所持品や馬も、全て…消えていたと言うのだ」
「では、怪我をしたまま、どこかへ…探さないと!」
父が、私を一人残して消え去るわけがない。きっと、大変な事情があるに違いない。
「落ち着け、ルイーサ。どこを探すってんだ?」
天蓋から出ようとする私の両肩を、クルトが抑え込む。
「誘拐よ。誘拐されたのは、父だわ」
ハルトマンが、私の腕をポンポンと優しく叩いた。
「ここに集まっている者たちは、王侯に仕える騎士や、自領を持つ諸侯たちだ。君のお父上の事ならば、知っている者が多い。君の話は風の噂に聞いた事があるが、実際に見知った者は少ないだろう。だが、君のお父上は君主会議にも参列したことのある有名人だ。この場にいるとすれば、隠れようもない」
ハルトマンの低めで、ややハスキーな声は、なぜか心に浸透してくる。
「アマーリエ」
ハルトマンは小首を傾げた。
「父の領土の名だけど、私は皆にそう呼んでもらっているの。響きが好きだから。ルイーサなんて、猛々しい気質じゃないし。話は、分かったわ。面倒をみてくれて、本当にありがとう。心から感謝します。このお礼は、いつか必ず返します」
こうしてはいられない。私は伸ばしてくるクルトの腕を手首でいなしながら、強引に天蓋から這い出した。
「そう言えば、このドレスは…?」
見知らぬ白いドレスを着ている事に気がつく。
「僕が…無礼なのは承知だったけれど、血まみれだったから。知り合いの男爵夫人から、譲ってもらったんだよ。あ、着ていたのは保管してあるよ」
「ありがとう。このドレス代のことも含めて、後でちゃんと借りは返します。そのドレスは…」
あのドレスは、父から今回の旅にともらった、一張羅だった。父は現地で着替えるように、と言っていたのだが、私は我慢できずに着替えたのだが…。
どこで…いつ?
私は頭の痛みを堪えながら、ル=シエルに告げた。
「…それは、処分して頂戴」
クルトが、腕を掴んだ。
「待て、落ち着け。どうするつもりだ?」
「もう、落ち着いてる。早く、自領に戻らないと」
二人の騎士は、顔を見合わせてから、同時に私に向き直った。
「なら、一緒に行こう」
「ならば、同行しよう」
二人の顔は、真剣だった。
二人の背後で、アッシュは黙ってうなづき、ル=シエルは頭を抱えている。
「だめよ。これ以上、迷惑はかけられない。善意で看病してくれた二人に、せっかくの楽しいトーナメントを台無しにして欲しくはないわ。自分の力で、なんとかします」
クルトは腕に力を込め、揺さぶる。
「強がるな。手を貸す。金を寄越せなんて言わないから」
ハルトマンも腕を組んでうなづく。
「若い男一人では、道中、別の心配もあろう。だから、私も同行する」
一人が二人、いや、従者も入れると男が四人になれば、心配が無くなるのだろうか。まぁ、それは置いておいても、今の境遇に、私は焦りを覚えていた。
何も分からない。何があったのかも、どうすればいいのかも。
このままでは、まるで私は“被害者“のようじゃないか。
私は…クラーレンシュロス伯の人間は、いつだって、“加害者“の側でいなくてはならない。
繰り返し聞かされた、父の教えだ。
しかし、今の私には、馬もなく、路銀もなく、所持品は借り物のドレスと、一振りの剣のみ。
「このトーナメントの主催者は、どなたでしたっけ?確か…アンドリュ…」
私の問いかけに、ル=シエルが答えてくれた。
「ジャン=アンドレア・グリッティ卿だよ。パドヴァに自領を持つ、侯爵殿下だ。大物だよ」
「余計な事を教えるな」
クルトは私の腕を掴んだまま、従者を叱りつける。
その手の甲に親指を当て、私は彼の手の甲を裏返して、ひっぺがした。
「その方の元へ、案内してください」
「痛でで…どうするつもりだ。慎重になれって。今、事情を知られるのは、お前にとって不利益でしかないんだぞ」
「アマーリエです」
クルトが手首の関節を決められて苦しむ様子を、ハルトマンは笑って眺めた。
「これは、噂に違わず、勇ましい」
なんの噂だ?私はクルトを離して、一人でグリッティを探す事にした。
すると、四人の男たちは私に身を寄せてつ付き纏う。
「奴に助力を請うつもりなのなら、やめておけ。高く付くぞ。俺たちを頼れば…」
進む先を横切る形で、高価な衣装を纏った集団が木立から現れた。
中央の人物は、クルトやハルトマンよりも更に背が高く、体格も逞しい。骨格そのものが、普通の人間よりも、優に二回りは大きい。
寄らば大樹の影、を体現するかのような人物だ。
私は、クルトが言葉を中断した事から、彼が“その人“だと悟り、駆け寄った。
「グリッティ侯爵殿下とお見受けします!」
「あ、くそ。馬鹿が…」
クルトの愚痴が耳に入るが、構わず続けた。
「此度の盛大な催し、殿下の御威光のみに成せる偉業、感銘の至りでございます。わたくしはクラーレンシュロス伯ルイーサ。実は、折いってのご相談がございます」
取り巻きたちは、突然の乱入者に怪訝な顔を露骨に示したが、名乗りを聞いてざわめいた。
「あの、ハインツ伯の娘子だ!」
「なんと、もうこんなに大きいのか」
「しかも、お美しい…」
取り巻きを掻き分け、グリッティは近づいて来る。
私が礼を取ると、彼も巨漢に似合わず華麗な仕草で返礼した。
「先に、私から良いであろうか。お父上殿は、どうなされたのだ?まだ、顔を見てはおらぬが」
「実は…ご相談というのは、それなのです。ですが、ここでは…」
グリッティは顎に手を当て、勘繰るような視線を送る。
「…承知した。後ほど、私の天蓋までご足労いただこう。そなたのことは、ハインツ殿より言付かっておる。その事についても、お話ししたい。晩餐の前に、時間を空けておこう。良いかな?」
自信に満ちて、迷いのない明確な滑舌。
弦楽器のような、深く耳あたりの良い声色。
私はたちまち彼に対し、好印象を持った。
「もちろんです。ご多用にも関わらず、ご快諾いただき恐悦です」
彼はあっさりとした別れを告げると、取り巻きたちとの会話に戻り、歩き出した。
取り巻きたちは、父が欠席するのだろう、と穿ち、今回は無断の欠席者が多いと嘆きあった。
クルトが、私の名を呼ぶ。
声には、落胆の色がみえた。
私は背後の騎士たちに向き直り、頭を下げる。
少し時間が空いた。
クルトたちは、私の行動について、それ以降、とやかく口を挟むのをやめたようだ。
せっかくなので、と言って会場を一緒に回ろうと勧めてくれた。
森の中に広場が設けられている。木々の根を抜くのは、大変な作業であったろう。そこに木の柵を作り、見物客のために階段状の席も用意されている。柵の中では、全身甲冑を着込んだ騎士が、馬上でランスを手にして向かい合っていた。ひと組だけではなく、たくさんの試合が同時に行われている。観客たちは、甲冑を着た騎士、豪華な衣装を纏った貴族、従者や騎士見習いたち。中でも、貴婦人たちの黄色い歓声が目立った。
「ここが、ティルトヤードだ」
クルトの声が、木の圧搾音でかき消される。
直線に設けれた柵に沿うように、互いに正面から馬を走らせた騎士が、相手の盾にランスを激突させたのだ。ランスの先端は金属製のランゲットだが、シャフト部分は木製で、あまりの衝撃に耐えきれずに粉砕する。喰らった相手も、命中させた側も、たまったものではない。
「あ…落馬したぞ。大丈夫かよ。そうだ、アマーリエ。盾で受けた側が落ちたが、ランスを当てた側は、落馬せずに済んだろ?なぜだか分かるか?」
クルトの表情はすでにドヤっている。
私が、腕の差かしら?…なんて言うのを期待しているのだろう。
バレバレだ。
「右の脇の下に、ランスレストを付けているからよ。ランスの衝撃を身体で受け止めるのではなくて、甲冑全体で相殺するの。繋ぎ目がたくさんあるから、その接合部の金具とベルトの全部が、緩衝材となる」
ハルトマンが笑いながら、クルトの肩を叩いた。
「クラーレンシュロス家の娘だぞ。甘く見過ぎていたな」
クルトは子どものように、口を尖らせた。
私は調子に乗って、話を続ける。
「ちなみに、落馬のダメージは大丈夫だったようだけれど、盾を持った腕が折れているわ。真正面から受けてしまったようね」
落馬した騎士は兜を脱がされ、運営側の人間によってティルトヤードから担ぎ出されている。
「あれは、去年、騎士になったレーモンだよ」
どうやらル=シエルの知っている人物のようだ。
「あぁ、いい気味だ」
クルトがさして気にもしていないそぶりで応えた。
「あら、冷たいわね。そういう風な言葉を言う人だとは思わなかった」
私の言葉に、なぜか慌てて言い訳を返す。
「そういう奴なんだ。まぁ、話せば長くなるし、面白くもない。そうだ、次はジョストを見に行こう。今回は、クィンティン回転式の的を使っているらしいぞ」
「その前に、お昼を食べようよ。出店の匂いで、もう腹ペコなんだ」
「アッシュ、ル=シエルと一緒に買い出しを頼まれてくれるか?」
「もちろんです。お任せで?」
「猪の串焼きを頼む」
「アナゴは無いの?」
「そういえば、養殖しているところがあるらしいな。でも、ここには無いだろ」
なんだか、楽しい。
こんな時だと言うのに…。
ここには、騎士たちばかり。
…だからかな。
「父が…私の結婚相手を?」
グリッティとの短い会談で、私は驚愕の事実を知らされた。
父は、このトーナメント会場で私のお披露目をすると言っていた。しかし、彼が言い含められていた事は、嫁ぎ先が決まった場合の仲人役を担うことであったと言うのだ。
父は、私の旦那を、この場で探すつもりであったのだ。
それが、どこまで本気だったかは分からない。婚姻話を進めるのならば、事前に候補者がいるはずだ。だが、グリッティには、その情報は伝わっていない。ならば、私との相性が良い者の目星を付ける、この場ではその程度の腹づもりであったのかも知れない。
いずれにせよ、伯領の跡取りは、私一人しかいない。
確かに、いずれ誰かと夫婦となり、跡取りを残さねばならない事は承知していた。
だが、それが今、考えないといけない段階にあるとは…漠然とした将来の事として、真剣に捉えていなかった自分を知った。
しかし、今はそれを考える時ではない。
私は頭を振って、それを振り払った。
「実は、切迫した状況にあります。旅籠を襲われ、私は父と逸れてしまいました。行き倒れたところを、トーナメントに向かう道中の騎士に助けられ、ここで目が覚めたのです。すぐにでも、私は自領に戻らねばなりません」
「なんと…ハインツ殿は、ご壮健なのか」
「わかりません。ここに来ていないとなれば、自領に引き返した可能性が高いです」
グリッティは葡萄酒の杯を置くと、腕を組んで唸った。
「さもあらん…ハインツ殿は、部門の勇であらせられる。よもや、蛮族や山賊の類に遅れを取るとも思えぬ。何はともあれ、早く戻るべきであろう。とは言え、南の山道は治安が悪い。夜が明けてからの出発とするべきだぞ」
「ですが…私は身一つのみ。殿下には、その帰還へのお力添えを賜りたい所存でございます」
「なるほど。そのための、相談なのだな。良かろう。馬と食糧、馬丁一人と、路銀を授けよう」
私は深々と頭を下げ、そして鞘に納めた大剣を掲げた。
「なんのつもりだ…?」
些か、機嫌を害した声のグリッティに、私は告げる。
「こちらにも対面がございます。ご厚意に心よりの感謝の念を示すためにも、どうぞ、これをお受け取りください。ご不要とあれば、後日いずれ別の形でご恩に報いさせていただくとして、まずは担保として」
視線を下げたままの私の鼻に、アーモンドオイルの香りが漂う。
グリッティはゆっくりと私に近寄り、大剣に手を伸ばしかけ…それを引っ込めた。
「私もハインツ殿の所持する魔剣の話は、聞きしに及んでおる。そのような至宝を、馬一頭の対価として受け取るわけにはゆかぬぞ。それこそ、私の度量が疑われるというもの」
「父の教えなのです。貸はつくれど、借りはつくるな、と。何卒、いっときお預かりいただくだけでも、父の教えを守ることができます」
「いっとき…か」
私は深々と頭を下げた。
「その剣がある限り、私はいずれまた、恩を返しに参上いたします」
「頑なに固辞しても、失礼よな。そのような話であるならば…よし、お預かりしよう」
グリッティの大きな手が、アインスクリンゲを掴み上げた。
「ハインツ殿の事については、公言せぬと誓おう。まずは、無事にご帰還なされるよう、願うばかりぞ」
グリッティは主催者だけあり、今回のトーナメントに家人、縁者たちを総動員していた。二頭の乗用馬に、二人の少年馬丁、道中の食糧に路銀が、すぐに用意された。
大所帯となったが、他に行くあても無いので、クルトたちの天蓋に戻る事にした。
二人の騎士は仲良く、焚き火を囲んで酒を楽しんでいるところだった。
「行くのか?」
私がアッシュが用意しれくれた丸太の椅子に腰を下ろすと、リブをくるくると回しながら、クルトが語りかけてきた。
「明日ね、世話になったわ」
「おい、剣はどうした?」
「抵当に出したわ」
「魔剣をかっ!?」
クルトが腰を浮かせる。
「預かってもらっただけよ。いちいち、口を挟まないで」
ハルトマンがクルトに座れと指差しながら、「高くついたな」とだけ言った。
「後で取り返すわよ」
周囲の天蓋でも、焚き火と飯炊きが行われている。帷の降りた森には、無数の灯りと、薪と肉の焼ける香り、そして男たちの談笑で満ちていた。夜の動物たちはなりを潜め、天空の星々は焚き火の煙で身を隠す。
「何、二人は知り合いじゃなかったの?」
酒の入った私は、少し大きな声で驚いてしまった。隣の騎士たちが、こちらを見ている。
「血だらけの女を抱えてやってきたからな。周りに騒がれる前に、俺がハルトマンを匿ったんだ。念の為、ベルナデットの神官騎士を連れて診てもらったが、お前は傷ひとつ負っていなかった」
「そうだったのね…てっきり、昔からの友人同士だとばかり」
「まぁ、こいつはいい奴だ。ここにいる連中は、大抵そうだがな…その神官騎士には、口止めをしておいたから、問題はないだろう。信用できる奴だ」
無言で微笑むハルトマンだったが、ル=シエルがクルトに耳打ちをした。
「クルト。ハルトマン卿は君より、だいぶ年上なんだよ?」
「だからなんだ?失礼な物言いはしていないだろう?」
「あぁ、もう。君は、領主様にだって、そういう感じだよね」
私の目には、クルトとル=シエルの関係の方が奇妙に映る。
「二人には、主従関係はあるの?」
「まぁ、あるな」
「もちろんです」
二人は同時に答えた。
「幼馴染なんだ」
クルトがル=シエルの肩を抱き寄せようとすると、ル=シエルはそれを身をよじって躱す。つれない幼馴染を睨んでから、クルトは身の上話を始めた。
「実は、二人とも戦災孤児だったんだ。領主に取り立てられて、俺たちは武芸を学んだ。こいつの方は、そっち方面、からっきしだったが、俺は騎士見習いを経て、二年前に騎士の叙任を受けた。まぁ、領主の館に住み着く、放浪騎士だがな。そん時に、こいつを従者にしてくれるよう、頼んだんだ」
「領地が無いことをいい事に、あちこち放浪してばっかりで、着いて行くのも大変だよ」
小突き合う二人を見て、なんだか羨ましく思えてくる。
私は、大人しい方の二人組にも尋ねてみる。
「ハルトマン卿とアッシュは…そうね。なんだか、深い絆があるって感じね」
ハルトマンはアッシュと視線を合わせ、ニヤリと微笑んだ。
「…だな」
ハルトマンの声に、アッシュはうなづいた。
「色々、ありましたからね…でも、放浪癖ならば、クルト卿にも負けぬかと」
「従者は辛いのね」
私の言葉に、皆、笑い合った。
束の間の邂逅。
お別れの前の楽しいひととき。
この夜だけは、静かな平和の時間が流れていた。
この夜だけは…。
出発の朝、私は天蓋の中に首を突っ込んだクルトによって起こされる。
「大変だ!お前の魔剣が、賞品に出されてるぞ!」
私は腕を擦りながら、クルトの言葉の意味を考える。
「この毛布、シラミがいるわよ…」
「いいから、支度をしろ。代闘士の試合は今日の午前中にある」
代闘士?
決闘裁判という慣わしがある。
領内の最終的な裁定権は領主にあるが、争う両者があまりに猛々しく、裁判による判決ではなく、決闘を望む場合が稀にある。人の叡智と理性に反する、非文明的な蛮行ではあるが、時に人は感情に支配される生き物であることを示す好例でもある。
だからと言ってそこらじゅうで、揉め事の発展形が決闘であっては、治安維持の観点でよろしくない。そこで平時は決闘を禁じている領主が大多数を占めるのだが、両者共に譲らぬとあれば、日々持ち込まれる陳情を聞くだけで、太陽が沈んでしまうような毎日を送る領主も、いい加減匙を投げたくもなる。
そこに至れば、裁判の延長線上として行われるのが“決闘裁判“である。
神官の立ち合いのもと、勝敗の結果は剣の神々の加護に起因するものとして扱われ、勝者は相手を殺しても罪には問われない。また、結末は神による“お墨付き“なのだから、報復も許されない。
しかし、多くの人々の生活を支える貴族であったり、慈愛を唱える神を信奉する神官、または病人や老人たちが、決闘に引っ張り出される事は、極力避けねばならない。
そのリベラリズムが、奇天烈な慣習を産む。
決闘の代役を務める人が、必要になるのだ。
それが、デュエリストと呼ばれる“代闘士“たち。
剣技に優れる者たちであるのは、言うまでも無い。稀に、魔術師である場合もある。優れた代闘士を抱え込んでおくことは、即ちもしもの時の保険となり、抗争相手への抑止ともなる。大貴族ともなれば、名のある代闘士に、是非とも身辺警護をさせたいものだ。
だから、代闘士は有名人であるに越したことは無い。
その流れを受けて生まれたのは、代闘士競技会。
成り上がりを狙う代闘士たちが、その実力を示すことで自らの名を売る機会とし、同時に貴族たちがお抱えの代闘士を闘い合せ、軍事力を誇示する牽制の場ともなった。
軍事とは、政治の延長線上にある。
代闘士競技会は、地方の政治を司どる貴族たちによる、自らでは戦わない、もう一つのトーナメントなのだ。
「どうして?預かる、とグリッティは言っていたわ」
クルトに手を引かれ、私は朝露に裾を濡らしながら、森を歩いた。
彼は、憤りを露わにしていた。
「経緯は分からないが、代闘士の賞品なんぞに出されたら、二度と戻って来ないぞ」
代闘士競技会は、ティルトヤードから離れた、こぢんまりとした特設会場で行われるようだ。古代で盛んだったという奴隷階級を主体とした剣闘士競技、その円形闘技場をモチーフにしたかのような造りだった。まだ早朝だというのに、階段状の観客席には、すでに多くの貴婦人たちが集まり、興奮気味に開始を待ち侘びている。
「何で、こんな朝早くから集まっているの?席取り?」
私の問いに、クルトは答える。
「あくまで前座だからな。午後からは、騎士たちのトーナメント本選が始まる。だから、早い時間から始めて、チャチャっと終わらせるつもりなんだろう」
「チャチャっとねぇ…それにしても、すごい人気」
「こっちは、死人が出る率が高いからな…どっか、空いているところは…」
私は、ここで大事なことを思い出した。それは、昨日一日、ずっと、違和感があったことだ。
「ねぇ…本選ってことは、予選があったの?」
「あぁ?当たり前だろ…あ、あそこが空いているぞ」
クルトは私の手を引き、見物席の人混みを分ける。
「あなたたちは…クルトとハルトマンの二人は、本選に出場できるの?」
「…足元、気をつけろ。なんか、ベトベトしたもんが落ちてるぞ」
私は、クルトの手を強引にひっぺがした。
はっきりさせたい事がある。
「ちゃんと答えて。私の所為で、予選に出られなかったんじゃないの?」
クルトは、私の手を引き寄せようとし、自然と彼の頭が近づいた。
チラリと視線を上げる。
感情がこもっていない瞳で、私を見た。
「まぁ、それは事実だな。なんせ、血まみれで意識のない少女が担ぎ込まれたんだ。遊んでる場合じゃ、ないだろう」
「それじゃ…私の…気が済まない。申し訳ないわ…次は、何年後になるかも分からないのに」
「代わりに得るものもあった」
「え?」
クルトが再び、手を引っ張り始め、1つだけ空いた席に、私を収めた。
「あなたは、どうするの?」
「俺はいい。やる事がある」
「なんで?私は、見物してる場合じゃない。もう、すぐにでも出発したいんだけど」
「半日くらい遅れるのは、諦めろ」
「なんでよ!」
腕を引っぺがし、私はクルトを睨んだ。
すると、彼は言う。
「俺が、剣を取り返す」
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