とあるWを売る店の話
【幽門】
>【和傘】
【ペルソー】
【三島郡】
【東風航天城】
>【アーカイバル】
================
時間というのは概ねの時と場所において、実用上は変わらぬように流れるものである。例えば上空ウン尺から落ちてくる時計は一年あたり十秒ほども早く進むので、宇宙ステーションに住む作家は多少速筆になる必要がある。
かくも身近に時計の進みの違う場所があるというのはなんとも驚くべきことであるが、時の流れにはまた別の遅れ方もある。もしもそれがどんなものか知りたいならば、ある店に行ってみると良いだろう。その店の名は故有って教えることはできないが、行けばすぐにそれと解るはずである。都会の衛星都市、科学全盛の時代らしく画一的な四角い家の中にあってただ一つ、よじれた腹のごとくくの字に曲がり今にも崩れ落ちそうな古めかしい建物を見つければそれで済むからだ。
古めかしいと言っても考古学者の言う古めかしさとは異なりもう少し新しい建物であるが、見た目は江戸の街にはこんな平屋に浪人が食い詰めていたのかしらと思しき形である。ならば江戸の家屋と言えば良いではないかと言われる方もおられるかもしれないが、実際に見た者ならば口々にそれは違うと否定するはずである。
なぜってそれはいつの時代の建物とも解りかねる外観であるからだ。例えば漆喰の剥がれたところには日活ポルノのポスターが貼ってあるかと思えば、扉の脇にはケロヨン人形の変わり種と思しき武装した埴輪のレプリカが「レプリカ」とデカデカと書かれた札を貼り付けて置いてある。その横にはガーデニングに使うような西洋風の椅子が虹色に塗って置いてあり、扉の逆脇には赤い円筒形の郵便ポストの口から「春夏冬中」と書かれた掛け軸が垂れ下がっている。ともかく、いつの時代のどこの建物かよくわからぬ店構えなのであった。
この外観だけでも店主の住んでいる時間が我々とどうも異なるようだと解るはずであるが、もしも暇ならばシュロの木が斜めに植わっている下を抜けて店の中に入ってみると良い。そこには古今東西のあらゆるガラクタを奇特な人間がせっせと集めてきた集大成のごとき有り様のはずである。
もう少し詳しく書くのであれば、店の扉、もしも店主が直していないのならば今も開けるのに大変苦労するはずである、を開けてまず目に入るのは店の奥に大きく書かれた時価の二文字が書かれた掛け軸である。この時点で趣味の良いいくらかの人はその自体に既視感を覚え、寄って見たところで落款を見てそんな馬鹿なと笑い出すはずである。なにせ、落款を信用するならばその書は、本阿弥光悦の書であるはずだからだ。
あるいは書に興味がなくとも私の知るままの姿であるならば、入ってすぐ左を見てみればやはり多くの人は笑いを堪えるのに時間を費やすことになるだろう。そこにはモナリザの裸婦画が掛かっているはずだ。それも、ただの裸婦画ではない。ルーヴルにあるあの絵のタッチそのままで、絵の具の経年劣化もまさに同じ時代に書かれたような「最古の」モナリザの裸婦画である。おそらく手元のスマートフォンで見比べてみても、絵の具の剥げ方以外の違いを見つけることは多大な労力が必要とされるはずである。しかもこの画の下に貼ってあるタイトルには「モナリザ(オリジナル)」と書かれているのだから、店主の頭のネジの抜けていること甚だしい。
かと思えば、その下に置かれた棚には、金属のねじくれて象の皮膚のごとくなった塊、の一部をきれいに切り取ったものが置いてあり、値札代わりに「チェルノブイリ産(※お手を触れないように)と書いてある。その横には五百円紙幣が額に入っており後ろには白いヘルメットが置いてあって、但し書きには「爆発注意」との文字。
なんとも悪趣味な意匠であるが、ともかく博物館でもここまで節操なしにものは並べまいというような展示品が所狭しと並んでいるはずである。
さて、このような時代感覚のなくなるような店に住む店主は、さぞ奇人変人を煮詰めて上澄みをすくったような出で立ちなのかと思ったならば、店主と顔を合わせてなんとも拍子抜けするだろう。店主は老紳士というほど洗練されていないものの、紳士的な好々爺と言った出で立ちで、ロマンスグレーの髪にカーキ色のベストと渋茶色のタイをあわせ、べっ甲柄の丸メガネを鷲鼻に乗せて新聞でも読みながら、店の奥に座っているはずだ。実際に来てみれば解るのだが、この色の組み合わせというのはどうにも格好がつかないはずである。しかし、この老人が身につければまるでそれ以外のどんな服も見劣りするだろうと思えるほどに、しっくりと来る出で立ちとなるのだ。
そういえば、散々店、店と言っておきながらこの店が何を商っているのかを教えていなかった。この店は大きなくくりでは古物商となるのだろうが、展示している物品を売っているわけではない。では何を売っているのかといえば、その物品にまつわる逸話を売っているのである。
例えば、私の買った逸話をお教えしよう。店の少し奥まで踏み込んだあたりに、斜めに切り込みの入った和傘が立てかけてあるはずである。私は最初にこの店を訪れたときに関東土産を探していたのだが財布がいささか心もとなく、しかも物でなく話を売ると言われて呆れていたので、ならこれで買える一等高い話を売ってもらおうじゃないかと五百円玉を渡して、講談の一つでも聞いてそれを話の種にするつもりでいた
老人は五百円玉を巾着にしまい込むと、赤い和傘を指して言った。
「あの傘、切れ込みの入った赤い傘が見えますかな」
その傘の上に巨大な金魚の鋳物があってそちらに目を取られていたこともあって、言われて初めて気がついたのだが、言われてみれば確かにその赤い和傘には縁から切れ込みが入っている。私が頷くと老人は煙管を取り出して火を付けると、ふぅと吸ってから言った。
「その傘をこちらへ」
客に働かせるとはなんて店だと顔が曲がったが、まあこれも演出の内と思って言われたとおりに和傘を手に取り店主に渡す。西洋傘とは違う中身の詰まったずっしりとした重さを引き渡してやると、店主が傘の中に手を入れたかと思えば、その手の中に大輪の赤い花が見事に咲いた。赤地に黒い輪がぐるりと足を囲んでいる、ありふれた和傘だったが、開いてみれば切れ込みは一直線入っており、それがなんとも痛々しく見える。
「この傘はですな、妖器でしたのじゃ」
「容器、これで差し物でもしていたんですか?」
「ようき」と言うのを「容器」と聞いた私が訪ね返すと、店主は肩を震わせて否定する。
「いやいや、あやかしの器と書いて妖器、変化の者のことですな」
それを聞いて思わず狐につままれた気分になった。なにせ曲がりなりにも科学が支配する時代である。この日も電気発動機が馬の代わりに引く鉄の馬車に乗ってこのあたりまで来た身としては、いきなりあやかしと言われてもどうも納得のいかぬものであった。
そんな困惑を受けてか受けずか、老人はなんでもないように話を続ける。
「これは幕末の頃、とある若者が使っておった傘でしてな。国元からずっと携えていたこの傘、数えられるだけでも八十年は使われいた傘だったそうですわ」
「傘を八十年、それはまた物持ちが良いというか」
「まあ昔は物を大事にしたとはいえ、傘を八十年はやりすぎですな。まあその若者の生家はどうもかなりの貧乏だったようでして、一合の米を一週間かけて食べていたとのことですからツギハギしながら大切に使っていたのでしょう」
確かによくよく目を凝らしてみれば、傷に目が行きがちだが傘の表にはついだと思しき紙の盛り上がりがあり、赤い色も場所によってわずかに斑である。
「ははあ、言われてみれば確かに色もまばらだ。この裂け目の脇なんてずいぶんと浮いた赤黒い色だ」
「そう、この話はその赤黒い色にまつわる話なのですよ」
店主の言う色にまつわる話とはこのような話だった。
貧乏浪人だった若者だったが、時は幕末。尊王攘夷と志士たちがにらみ合う中、腕っぷしの良かった若者は江戸に上がるや否やメキメキと頭角を現していき、一角の人物となった。
とはいえ生まれは貧乏侍の家、長年培ってきた貧乏性はなかなか抜けず、懐紙も三回は使いまわし、団子の串に付いたかけらも余すことなくしゃぶるものだから、貧乏くさいと仲間からは笑いの種だったそうである。
もちろんその貧乏性が国元から携えた傘をおろそかにするはずもなく、多少表が破れてもついで使い、骨が折れそうといえば竹ひごでまた直してやると、刀の手入れのごとく手をかけていたそうだ。
そんなある日、同士とともに京へと訪れていた時のこと。会合場所の旅籠で雨の中、先に来た仲間数人と飲んでいると、用が足したくなり若者は中座した。秘密の会合とあって腰の物を持ち歩くわけにもいかず、手ぶらで用を足した帰り。
旅籠の扉が勢いよく開かれると、白と青の羽織を着た男たちがなだれ込んできた。若者は慌てて腰に手を伸ばしたが、当然そこに刀はない。
そこでひっつかんだのが、この赤い傘だったのである。
もちろん傘で刀と打ち合えるはずもないのだが、振り回すだけで多少の時間稼ぎにはなる。しかし時間稼ぎは稼ぎにしかならず、とうとう若者が凶刃に倒れようかというその時。傘がひとりでに開いて若者の代わりに切り割かれた。
若者はその隙に皆の下へと戻ると、まさに同士の首領格が討たれようとしているところである。若者はとっさにその前に身を投げ出し、首領格の身代わりとなった。そして、その隙に首領格は屋根伝いに逃げ延びたということである。
「待ってくださいよ、つまりこれは池田屋事件の現場にあって、持ち主がわずかに伸びた寿命を使って庇わなければ、桂小五郎もあの場で死んでいたと?」
「ああ、そういえば首領格の名前はそんな名前でしたな」
「はあ、呆れましたね」
同じ与太話でもまだ源義経チンギス説の方が真実味がある。全く歴史の人物をコケにして、五百円分の話の種にもなりはしない。侮った心が思わず顔に出るが、それよりも呆れるのは、妖器というから何事かと思えば、勝手に開いたとの一言だけである。
「だいたい、傘のお化けといえば、から傘お化けとか、もっとそういう話はできませんか」
「から傘の妖というのは、恨みを持つ傘が生るものですからなあ。この傘も九十九の年を経るまであと少しだったのに惜しいことでした」
「付喪神だって祟るものでしょう。全く呆れた。もう結構、失礼します」
毎度、と後ろから声をかけてくる店主を無視して、私はその店を出たのだが、扉を閉める瞬間店主の手で畳まれている和傘が目に入った。その時はなんとも思わなかったのだが、あとになって思い返してみると、あの傘から長い舌のようなものが伸びてはいなかっただろうか。から傘お化けと言えば長い舌が定番であるが、あれは店主が話の辻褄合わせに見せた手妻だったやもしれない。
しかしその確証が無いために、もう一度あの店に行って確かめてみたいのだが、あれから一度も店へとたどり着けてはいないのである。
================
一言:プロットタイプ……なんでもないです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます