益体もないVの話

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《にちろしうかうつうしやうでうやく》

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 時代がかったネオンの鬱陶しく震えた灯りを堪えつつ、壁に持たれながらそれとなく客を見渡す。そこのテーブルの女は二人組み、すぐに足がつく。今入ってきた女は駄目だな、化粧が濃すぎる。カウンターのは、なんだ男連れか。


 まだ焦るようなタイミングでもないが、楽観できる状況でもない。ただでさえ何かと監視の目が増えた世の中だ。昔は生娘一人血を吸い殺しても村を三つも越えればどうとでもなったのに、嫌な時代になったものである。しかし、腹が減った。


 この際あの化粧水臭い女で我慢するか?いや、焦るな。血を吸う機会が貴重だからこそ、味に妥協は禁物だ。だいたいあの女の格好ときたら何だ。明らかに男を数人は食っている格好だ、あんな汚れた血は不味いに決まっている。しかし、万が一にもということは …… ないか。


 バンパイアリズムの奴らが言うように処女を見分けられる能力でもあれば良かったのに。何が動物に変身できるだ、何が処女の汗の匂いが判るだ、そんな能力があったらこんなひもじい思いはしとらんわ。


 そりゃまあ流れる水は苦手だが、あれはカトリックに魔女裁判で川に流されてからだし、杭を心臓に打てば死ぬのは人間も同じだろうに。十字架が苦手なんてのは、そもそも俺は人間の頃から正教徒だし、太陽と銀も弱点と言うより単純に日光と金属のアレルギーなだけだってのに人間どもの鬱陶しいことと言ったら。しかも招かれないと家に入れないだとか、一部正しい分析もあるおかげで余計面倒が増えるばかりだ。


 ああ、主よ。俺が何をしたというのですか。ちょっと何人か加減を間違えて吸い殺しただけなのに、この扱いはあんまりです。


 思わず天を仰ぐが、主は語りかけては下さらなかった。しかし、代わりに語りかけてきた者がいる。あの化粧の濃い女だ。


「お兄さん一人ぼっちなのぉ?」


 化粧にも負けない濃いアルコールの香りと、回っていない呂律から見るに、かなり出来上がっているようである。全く食指が動かない女だが、ここで素気無くしても浮くだろうか。なんて試練だ。


「ええ、友人が先に帰ってしまいまして」


「えぇ、ひどぉい」


 酷いのはお前の有り様だよ。


「一人寝の夜も寂しいと、ここで無聊を慰めていた次第です」


「ぶりょぉ?お兄さん詩人なんだぁ」


 死人にしてやろうかこの女。いや、落ち着くんだ。肉も腐る寸前が一番美味い、こういうゲテモノも美味しいかもしれないだろ。そう思い込んで見れば、蝶の羽だか河に浮く油だか解らん小汚い虹色のアクセサリもスパイスに、やはり無理か。しかし味覚にまったくピンとこないことを除けば、またとない好機だ。次にいつチャンスが訪れるかもわからない、ここは悩みどころか。


「ええ、美しい人の前では男は詩人になるものです」


「やだもぉ」


 くそっ、何を言ってるんだ俺は。いつの時代のスケコマシだよ。お前も『やだもぉ』じゃないよ、何まんざらでもなさそうな顔で笑っとるんじゃい。お前が笑ったところで百年どころか千年万年の恋も冷めるだけだよ。ええい、顔と身体は良いのにそれ以外の全てが俺好みでない。


 まあ良い。ここで騒ぎになっても面倒だし、適当にあしらって明日以降に繋げよう。


「あたしが慰めてあげようかぁ」


 展開が早い。待ってくれ、まだ若い方だと自負しているが、千二百歳の身にこの展開は早すぎる。何なのだ、俺がえり好みしてたから気が付かなかっただけで、今はこのスピードが普通なのか?


「いえいえ、こうして一時の懇親にて十分慰みになりますとも」


「あらぁ、こちらはそう言っていないようだけどぉ」


 うちの子を触るんじゃないよ。おもわず身を捩ったわ。そもそもお前の触っているのは息子じゃなくて、ジッポだよ。ポしか一致してないし、大きさも全く違うわい。


 なんなんだこの女、これが今の標準だとしたら、千百年前に死を受け入れておくべきだったか。ここ百年ちょっとでいきなり時間の流れが早くなったとは思ったが、これはないだろう。一時期流行った吸血鬼狩りも鳴りを潜めて、ドラクラの映画が流行ったせいでフォロワーまで出る始末、識字率は上がったが人類の知恵としては平均値が下がっていないか?一応モンスター枠だぞ吸血鬼。


「はは、お戯れを」


 やばい女に絡まれたし、ここは引いても怪しまれないだろう。今日のところはこれでトンズラさせてもらおう。


「あらぁ、本気よぉ?」


 寄るな触るな手を握るな。なんだこれは、どうしろと言うんだ、ふざけて祈った罰かこれが。催眠術がほしい。空想の吸血鬼が持っている催眠術でも眷属化能力でも何でも良いから、この女を引きはがせる能力がほしい。というかなんだこの女、力が強いぞ。


 やむを得ん、外に出てから隙を見て一息に振り切ろう。ここで張られても困る、しばらくは通えなくなるかな。招かれている酒場を探すのも大変なんだぞ、くそう。


「それではこちらへ、お嬢さん」


「んふふ、お上手ぅ」


 なにがんふふだ。誰も興味がないはずなのに、他の客の視線が刺さっている気がする。今日は厄日か。


 バーを出てみれば涼しい風に乗って路地裏の香りが僅かに漂うが、その何百倍も隣の女の香水がきつい。このあたりは歓楽街だから、逃げるのはもう少し先が良いか。


「あ、止まってぇ、タァクシー」


 タクシー、その手があったか。くそっ、なんて日だ。決めるか、覚悟を?そもそも、タクシーの運転手もあっさり止まるんじゃないよ。あそこの酔っ払いの男を乗せてやれよ、あんなベロンベロンで必死に手を上げて可愛そうだろ。お前も腕を引っ張るな、力負けしているの、俺が?化け物が言うことじゃないが、タクシーの乗口が化け物の口に見えて来たわい。


「このマンションまでおねがいしまぁす」


 連れ込まれてしまった。仕方がない、この女の血で我慢しよう。どうせ泥酔しているんだ、明日には記憶も曖昧になっているさ。いや、我慢するのは俺のほうもか。誰も幸せにならない食事に気が重くなるな。


「おにぃさん見た目より筋肉質ねぇ」


「ええ、フィットネスが習慣でして」


 雑な答え、雑な答え。今日のことは夢だ、お互いに。夢だ、悪い夢なんだ。


「あはぁ、付いたぁ」


 無心で返答ボットごっこをしている内に、到着したか、とあれは。しまった、コンシェルジュ付きか。「家」に上がる許可を貰っておかなければ中に入れないぞ。建物自体に別の主がいるこの住居形態は吸血鬼には不便がすぎる。ここで足踏みしても怪しまれるだろうし、なんとかして自然に許可をもらわなければ。


「すみませんが、コンシェルジュの方に入っても良いか聞いていただいても?」


「えぇ、許可なんか要らないわよぉ」


 こちらも欲しくて許可を取りたいわけじゃない、ここで逃げても変な噂を撒きそうだから我慢してるんだよ。


「まあまあ、念の為」


「大丈夫よぉ」


 大丈夫じゃないんだよぉ。


「ポリシーですから」


「まるで吸血鬼ねぇ」


 吸血鬼だよ。


 流石に不審がられたか。と、なんだ、この女急に真顔になったぞ。いや、首筋を舐めるな。


「もしかしてあんた吸血鬼?」


「そんなまさか」


 バレたか?いきなりこの女の雰囲気が冷たくなったが、いくらなんでも急に冷めすぎじゃないか?


「あたしも吸血鬼なんだけど」


「は?」


「ああもう、折角食事にありつけると思ったのに。餓えてるからってあんたみたいなナード誘うんじゃなかった」


「吸血鬼ってあなたが?」


「汗の味でわかるわよ。もう、最悪。こんなバカ女のフリしてまで引っ掛けたのが同族なんて」


 嘘だろ。吸血鬼の血なんて死体の血と同じじゃないか。ようやく覚悟を決めたってのに、あんまりじゃないか。


「はあ、もういいから、さっさと好きなところに行きなさいな。一応誼で忠告しておくけど、あんたの口説き文句最低よ」


 言うだけ言ってマンションに入っていきやがったあの女。その格好をした奴に言われたくないが、それよりこの釈然としない思いをどうしてくれようか。あ、膝をついた地面がひんやりして気持ちが良い。


「なんなんだよ」


 なんなんだよぉ…… 。


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 一言:なんなんだ……。

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