やまなしOちなし意味無しの話

【バハルダール】

【ミソハギ】

 >【ウドの大木、蓮木刀】

【湖州】

【小作人】

 >【和三盆】


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 花のお江戸と言えども、街の外れとなれば大したものではありません。ボロを着た住人が材木を投げてできた隙間のような家に暮らし、いくつかの家は壁が朽ちて、ご近所さん同士と目で会話できるほどです。もちろんこれらの家は人気がないものだから大抵は空き家で、数少ない住人もよほど食うに困ったものが隠れて入り浸っているか、脳天におがくずが詰まったような阿呆ばかり。大家の方もそんな家があったことなど半ば忘れているので、賃料の催促が半年に一度もあれば盛んと言えるのが唯一の利点でしょうか。


 家が家なら道も道、どこの家から崩れてきたともわからぬ瓦の欠片や板っきれが転がっており、少し家の間に入ったところからは貧相な野犬の群れが食っても良さそうな通行人を濁った黄色い目で品定めしております。もちろん犬どもの食事などこの廃材置き場の住人にとっては興味のないことでありますから、住人の数が多少増えても減ってもよほど親しいものでなければ気にしない有り様でした。


 挙句の果てには犬を食うものまで出始め、お上の方も臭いものには蓋と我関せずを決め込んでいるから、大火でもあれば一等に大きな篝火になる土地柄です。ところが、こういうところに住んでいるものに限ってしぶといというか、元が大したものでないことも相まって江戸の街で最も「復興」が早いのはこのゴミ溜めという有り様でした。


 さて、この江戸の外れに弥七郎というウドの大木がおりました。この弥七郎は今の単位で2 mはある巨漢なのですが、間抜けと食い詰め者ぞろいのこのあたりでも特別の馬鹿でありまして。どれほど馬鹿といえば、普通の馬鹿は馬と鹿の区別もつかないものであるが、弥七郎ときたら四つ足のものはすべて馬と呼び、犬に猫、果ては隣の家の赤ん坊まで馬呼ばわりするほど。赤ん坊を馬呼ばわりした日には隣のおっ母が出てきて弥七郎の頭をしゃもじでしこたまぶっ叩いたのですが、おっ母が疲れ果てて家に引っ込んだ頃にはなんで怒られたのかも忘れているほどの大間抜け。


 しかし、そんな阿呆にも、あるいはだからこそ運の良いもので、阿呆特有の正直さで浅草の大店の主に気に入られ、ちょくちょく人力仕事をあてがってもらってはなんとか食いつないでおりました。そのため、町人ほどでないにしろゴミ溜めの中ではマシな暮らしをしていたのですが、衣食住足りるとなれば次に持ち上がるのは結婚話であります。大店の主が気を回して、誰ぞ良い縁はないかと探したのですが、やはり街の外れに嫁に行こうという剛の娘はなかなか見つからない。そんなときに、主の商売仲間の番頭から一つの話が主のものへ飛び込んでまいりました。


「ほう、その娘の嫁ぎ先を探しておるとな」


「へえ、叔父のあたしが言うのもなんですが、なかなか見た目の良い娘でして。胸と尻はボン、と出て、腰の方もしっかりとして、力も三人力。良い妻になると思うんですがね」


「そんなに良い女ならば引く手数多であろう。どうしてこちらへ縁談を持ってきた」


「へえ、それなんですがね …… 」


「なんじゃ、申せ」


「へえ、それが …… 」


「だから何だというのじゃ。言いたいのか、言いたくないのか、はっきりせんか」


「それが …… 怒りません?」


「怒らん怒らん」


「本当に?」


「なぜ怒る必要がある。怒らんよ」


「では …… 本当の本当に?」


「 …… お前もくどいやつじゃな。そこまで念を押すほどの話なのかね。まあ、人を五人切った娘じゃと言われても怒らんから、まずは言ってみなさい」


「ああ、それなら安心だ」


「……本当に人斬りなのか?」


「いえ別に誰かを刀でズバぁ、というわけじゃねえんですがね。どうも気性が荒くて<これまでに三人に離縁されてるんですわ」


「なるほど、出戻りであったか。三人とはちと多いが、まあそういうこともあるわな」


「それがただの離縁じゃねえんですわ」


「というと?」


「まず最初に嫁いだのが魚屋のところなんですがね、激しい口論の末に何を言ったかは解らんのですが、男の方を偉く傷つけたようでして。分かれた男は今魚とヘビの区別がつかなくなっちまいましてねえ」


「それはまた、ずいぶんと酷い事を言ったようじゃが。して、その男、今は何を」


「へえ、うなぎを焼いております」


「そりゃ本当にうなぎなのかね」


「まあ両国の方で人気になっているとは聞いてますわ」


「…… 困ったね、その店この前行ったよ。美味かったんだが、そうか …… 」


「それで次の男なんですがね」


「なんだか聞くのが怖くなってきたよ。で、次の男はどうしたんだい」


「へえ、その男は左官だったんですがね、やはり口論になりまして」


「それで。どうなった」


「土と糞の区別がつかなくなりやした」


「そりゃ致命的じゃないかね。おまんまの食い上げだよ」


「まあ元から糞が好きだったようで、夜の方もそちらのほうがおサカンだったようで」


「やかましいよお前は。まあそれは男の方の趣味もあったんじゃないかね。で、三人目は?」


「三人目は浪人でしてね。まあそれなりに長く続いたんですが、やはり離縁されましたわ」


「まあ浪人というのは無駄に誇り高い者も多いからのう。その浪人とも円満に離縁とは?」


「いかなかったようでして。どうも、その浪人。別れたあとから女を狙う辻切りになったそうでして、この前首をはねられたと噂が」


「……いきなり怖い話をするんじゃないよ。しかし、なんだね。その娘、性格にどうもその、なんだ。難がありそうじゃのう」


「まあそうなんでしょうな。で、四人目なんですが」


「おいおい待て待て待ちなさい。離縁されたのは三人だったよな」


「へえ、左様で」


「勘定が合わんじゃないか。離縁するには夫が必要。夫が三人なら離縁できるのも三回までじゃないかね」


「ええ、ですから今また嫁いでいっておるんですが、そろそろ離縁しそうな塩梅と聞きまして」


「なんだいそれは。あなたね、馬鹿も休み休みにしなさいよ。いくら弥七郎が馬鹿の中の馬鹿、馬鹿の征夷大将軍とはいえ、それはあんまりじゃないか」


「旦那も言いますね。まあそうなんですが、間違いなく離縁されるだろうということで」


「そんなこと解らないじゃないか、なんだい。いまお相手中だよ」


「いえ、そのお客様宛の使いの方が」


「何、通しなさい」


「それが、文を渡してお帰りになられました」


「ん、そうか。では入って。お客様に文を渡してやりなさい。そう。どうもね」


「どうも、すいやせんで。ええっと、何々。『お菊出戻りすぐ帰れ』ね。なんか電報みたいだねこりゃ」


「なんだいそのデンポウってのは。で、そのお菊というのがあの?」


「へえ、この度四回目の離縁をしてきた娘でございます」


「はあ、あたっちゃったよ」


「まあこういう次第なんですがね、こう離縁続きだと貰い手もいよいよなくなりまして、弥七郎さんのお相手にどうかと」


「あんたあの場所を姥捨て山か何かだと思ってるんじゃないだろうね。まあ似たような物か。確かに難しい縁談ではあるが、弥七郎の阿呆さ加減なら問題もなかろう。とりあえず引き合わせてあとは当人次第ということで」


 と、そんな事があってから数日。当時としても異例なほどにトントン拍子に話が進み二人の顔合わせと相成りました。


「それでは、後はお若い二人でということで」


「お世話くださりどうもありがとうごぜえます。それで、お菊さん。どうしますかね」


「どうと言われても、あたしの言う事なんてどうでも良いじゃないか。あんたが首を縦に振れば嫁ぐ。横に振ればお流れ。結婚なんてのはそんなもんだろう」


 それを聞いていた大店の主。


「いや、聞いてはいたが本当に、初対面でずけずけとものを言う娘だね。あれは苦労するわ」


 ところが弥七郎の方は特に怯みもせず。


「いやあ、やはりおいらは貧しいもので。嫁いでくるもんも無かろうと思っておりましたから、面食らっておるのですわ」


「ああ、どうもそうらしいね。まあ構わないよ、私は。どうせ四回も出戻った身だ。四も五も対して変わりゃしないよ」


「はあ、四回も。そりゃすごい。なんだってそんなに」


「それを本人に聞くかね普通。まあ良いよ。時間つぶしに話してあげようじゃないか」


「おねがいします」


「まず最初の夫。あれはクズだったね。昔は蛇を開いて川魚の干物と言って売るやつもいたみたいだが、天下泰平の世になっても魚に混ぜてヘビの開きを売っていやがったのさ。それであたしが『そんなアコギな商売はおやめなさいな』と言ったんだがね。その男、ちっとも聞きやしない。ところがお天道様はしっかり見てるもんだ。蛇を売ってるのがバレたんだが、その男はクズ中のクズでね。これは魚だと言い張って、蛇でいっぱいのたらいを見せてお奉行さまに言ったのさ『今日も妻が用意してくれたこの魚を売りに出なきゃならないんです』ってね。それで、あたいが悪者になって離縁されたってわけさ」


「はあ、それはひどい男ですな」


「次の夫もなかなかだったよ。あの男は左官だったんだがね。土壁を少し薄く作っておいて、差額をちょろまかす悪党だったのさ。しかも、糞を見ないと興奮しないって言うんであたしは夜がもう恥ずかしくて恥ずかしくてね。それで、耐えかねてお奉行様に訴えでたんだが、ここであたしの前評判が働いてくれたよ。あの男も私に全部なすりつけておまけに自分は好き者を隠さずに生きられる。一方で私は男を二人もひどい目に合わせた鬼女扱いさ。まだ聞きたいかい?」


「いや、いやもう十分ですわ」


「ふん、どうせあんたもあたしを踏み台にするんだろうさ。まあこの身が別にどうなろうが知ったこっちゃないがね」


「そんなことはしませんがな。ただ、おいらは嫁をもらっても幸せにしてやれるかわかないもので」


「その大きな形で肝っ玉の小さい男だね。股にちゃんとぶら下げてんのかい。言っとくが、あたしの口の悪さは生まれつきだよ。確かに夫はクズ揃いだったが、あたしの物言いがあとに引けなくさせたってのも確かなんだ」


「それはまあ構いませんわ。どのみち言われたことも三歩歩けばわすれちまうので」


「はあ、本物のウドの大木かい。まああんたがどう思っていようが、ふすまの裏で聞いてる覗き屋はなんの考えか知れたことじゃないがね」


「なんだい、あの娘、少し同情してやったがやっぱり口は悪いね。まあここは退散退散」


 そうして大店の主は外に煙草を吸いに出たわけですが、何食わぬ顔で戻ってみると弥七郎が改まっております。


「旦那、おいらはお菊さんを嫁にしようと思います」


「弥七郎、お前それは正気かい」


「ちょっと、ご主人。ずいぶんな言い方じゃないか」


「ああ、すまんなお菊さん。弥七郎、お前それは本気 …… いややっぱり正気かい」


「へえ、この弥七郎。一世一代の決心でございます」


「馬鹿だねお前は。そういうのは覚悟を決める時に言うんであって、こういう目出度いことには。いや、なら良いのか。まあともかく、お前の意思はわかったよ。それで、お菊さんの方はどうなんだい」


「あたしからは何も。嫁げと言われるなら嫁ぎますから」


「そっけのない娘だね。それじゃ嫁の貰い手も。いや、あったのか。まあ当人どうしが納得しているなら良し。日取りの方はこちらで決めておくよ」


 こうして、弥七郎とお菊は夫婦となったわけですが、それからしばらくして。大店の主の下に呼ばれた弥七郎が近況を尋ねられます。


「どうだい、弥七郎。あのあとお菊さんとはうまく行っているかい」


「へえ、この度子供ができまして」


「ほう、そうかいそうかい。なんだって、子供だって。だってお前さんたち夫婦になって五ヶ月だろう。どうやってもそれはお前の種じゃないよ」


「ええ、おいらもそう思ったんですが、お菊が言うにはガキができたというんですわ」


「お前それは騙されたんじゃないのかい。詳しく話してみなさい」


「ある日旦那の手配してくださった働き先で、砂糖をもらいましてね。それを家に持って変えるとお菊が『どこから盗んできたんだ』なんていうもんですから、『馬鹿野郎、これは人からちゃんともらったもんだよ』て言ってやりいましたら、気まずかったのか、不機嫌な顔になって砂糖をひったくられましてね。まあ見た目には不機嫌なんですが、あれは恥ずかしがっているだけで仕草がこう、愛らしゅうごぜえましてな」


「ああ、惚気は良い、良いわ。しかし何だね、このさまを見ているのに騙されていると思うと哀れに見えるね」


「それでまああとはいつもの通りに過ごしまして、次の日起きるとお菊が飯を作っておりましてな。それを食いましたら、卵焼きが甘い。それでどうしたのかと聞くと、砂糖を卵焼きに使ったと言うんですわ。孕むと母親は味がわからなくなると言いますから、これは妊娠したに違いないと」


「お前さん、本当に阿呆だね。驚かせるんじゃないよ。卵焼きに砂糖ぐらいいれる家もあるさ。だいたい、味がわからないったってもっと、風邪とかいろいろあるだろう」


「となると、おいらの早とちり、ということですか。まいったな」


「なんだい、なにか具合でも悪いのかい」


「へえ、実は子供ができたと喜んで、会う人々に言って回っちまいまして」


「はあ、本当にお前というやつは。まあいつものことだ。笑い話になるだろう」


「いや、どうもきまりが悪いですな」


 そうして、話は別に移ったわけですが、それから半年ほどして。再び呼ばれた弥七郎。具合を尋ねられると。


「実は子供ができまして」


「ほう、そうかいそうかい。なんだって、子供だって。いや、前もあったねこんなこと。それで、今度は何の味が変だったんだい。田楽かい、御御御付けかい」


「いえ、お菊の腹が膨れてきまして」


「そりゃ太ったのとちがうかい」


「いやあ、この前の勘違いのあと、お菊に散々なじられたんですがね。嘘を誠にしてしまえば良いと毎晩はげみまして、今度は本当に子供ができたんですわ」


「お前、それはいくらなんでも阿呆が極まっているよ。どこのどいつが嘘を隠すために子供を仕込むんだい。呆れたね」


「いえ、それがお菊の方が言ってきたことでして」


「…… こりゃお似合いの夫婦だよ。猿と人との違い『はさんぼん』の毛だね。


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 一言:最終的に子は九人産まれたそうです、子は九とぃう、こはくとぃう、こはくとう、琥珀糖。

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