あるLでの話

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 昔々あるところに。どこの国ともしれぬところに一人の物乞いが地蔵の向かいで頭を下げ、顔を伏せていた。その男がなぜそのようなことをしているのかは誰にもわからない。そもそも男が座っているのは朝も早く、人通りもない時間のことであって、前を通る人間の一人もいなかったのである。


 さて、理由はともかく男が顔を地に伏せて座っていると、前の道を彼方から通ってくる人影があった。その人影は朝の托鉢に出た僧侶である。


 僧侶は朝も早いからと音を立てないようにゆっくりと歩いていたが、男の前までくると足を止めた。座るにも奇妙な格好だったので、夜のうちに息絶えた躯かと思ったのである。しかし、読経の一つでも上げてやろうかと思いながらよく眺めてみれば、わずかに肩が上下していることに気がついた僧侶。人騒がせなと呆れて、男の横においてあった皿に小銭を置くと、檀家の家へ向かい歩き去っていった。


 そんな事があったのだが、男は身じろぎの一つもせず頭を地にこすりつけてすわったままである。そのまま猫が二匹ほど男の前を呑気に歩いていった後。今度は僧侶が去っていった方向から棹を担いだ魚売りがやってきた。


 魚売りは野垂れ死にしたような格好の男を見て目をむくと、縁起の悪いものを見たと道の向かい端を歩いていく。その時男がしゃがれた声でいびきのような唸り声を上げた。それに驚いた魚売りは驚いて棹を落としながら尻餅をつく。幸いなことに魚は売れきった後だったが、魚売りの尻にはケチがついてしまった。


 脅かしやがってと因縁をつけようとした魚売りだったが、よくよく男の姿を見てみれば地獄から転び出て空腹のあまり動けなくなった餓鬼と言われても信じてしまいそうである。こんな妙な男に因縁をつけては後が怖くなると思い直し、男の横の皿に小銭を投げ入れると足早に去っていた。


 魚売りが棹を取り落とした音はそれなりに大きく響いたが、男は相変わらず大地に接吻したままである。そのまま日も高くなり、道を少し行った先の町中は活気づいて人々の楽しげな声や張り合いのある声が響いていたが、男はそんな事は知ったことはないとばかり。すると、町の方から裕福な身なりの若者が伴を連れてやってきた。


 上等な布地を使った衣服に漆の上から金箔で飾った小物、玉の飾りは混ざりけのないまっさらな翡翠で、金持ちのボンボンを絵に書いたような若者である。しかし、若者は不満げな様子で足取りもいささか乱暴に見える。それもそのはず。若者は夜通しで賭博をした挙げ句、わずかに勝っただけで徒労感だけを土産に変える最中だったのである。


 供の者に愚痴をこぼしながら男へと近づく若者。供はもはやハイとソウデスネとオッシャルトオリを繰り返すだけのブサイクな絡繰になっていたが、若者はそれに気が付かないほどの熱弁である。そこに男が伏せているのが目に入った。


 これが素破崩れならば男は嬲りものになっていたかもしれないが、なんだかんだと育ちの良いお坊ちゃんである。男が自分の威光に平伏しているとでも思ったのか、供の者にあれはなかなか立派な心がけの者だと嬉しそうであった。供の者は丁度オッシャルトオリを口に出す順番だったので若者はますます機嫌を良くし、どれ、泡銭だと賭けで勝った僅かな分を巾着ごと男の横の皿へ投げ入れた。


 供の者が正気に戻り天性の馬鹿を見る目で若者を見ていたが、それに気が付かぬまま道を意気揚々と去っていく若者。しかし、男は中身がそれなりに入った小袋が落ちる音を聞いてもその姿勢を崩さず、もはやそのような行者であるのかと疑わしくすらなってくる。


 すると、若者と同じ方向から一人の老爺がやってきた。老爺は男と同じ物乞いで、その日の稼ぎはテンでの坊主。ため息を幾度も付きつつ足取り重く歩いていたところ、目に入ってきたのが大地の下の財宝を嗅いで探すかの如き男の姿である。


 老爺は男にさほど気も留めず素通りしようとしたが、男の横にある皿を目の端に捉えると思わず振り返る。そこには若者が置いていった巾着が入っており、見るからに中身が詰まって見えた。おもわず周りを見回す老爺。男と自分以外のいないことを確かめると、足音を立てないようにそっと男の側へと忍び寄る。


 そして、巾着に手を伸ばすとひったくるように手元へと引き寄せた。中を確認してみれば、物乞いにとっては大金と言えるほどの銭の束である。もしもこれが太陽の中天にあるころであったならば、あるいは老爺が一度でも地蔵の方を向いたのならば、その巾着は丸ごと男の横へと戻されたのであろうが、残念ながらまだ寝起きの遅いものならば寝ている時間のことであったし、老爺は巾着に夢中で地蔵のことなど気にも留めていなかった。


 そのために、老爺が立ち去った後、巾着の中身はずいぶんと目減りすることになったのである。


 さて、そのような事々があってからしばらくしてのことである。男がやおら起き上がるとめをしばたたかせた。


「ああ、しまったな。少し休むつもりがまた寝ちまった。どうも寝起きが悪くていけねえや」


 そういって胸元をボリボリとかきむしる男。体をほぐすように気持ち悪くのたうっていると、横の皿に手が触れた。男が横を見てみれば、何枚かの小銭と中身の少し入った巾着。男は驚いてそれを手に取るとしげしげと眺めてから、ふと目の前の地蔵に向き直った。


「これは妙なこともあるもんだと思ったが、こりゃお地蔵様のご利益でしょうな。ありがたや、ありがたや」


 そう言って地蔵を拝むと、ヨッコラセと立ち上がる男。そのまま立ち去ろうとしたが、ふと思い直すとお地蔵様の前に座り込み懐から小銭を一枚地蔵に供える。そして、代わりとばかりに尻の形に潰れたまんじゅうを頬張りながら街の方角へと消えていった。


 これが、その地蔵に今でも紙の銭を備える最初の由来なのである。


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 一言:お地蔵様も呆れているでしょう。

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