あるKの思い出

 >【櫓時計】

【ペチュニア】

【無品】

 >【コップ】

【アユ】

【真玉町】


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 あれは私が小学五年生の時だっただろうか。


 当時はお盆の時期になると、決まって山梨の祖父の家に何日かの泊りがけで訪ねていった。


 私の祖父は寡黙な人で、出迎えに出てきてもムスッとして一言も喋らないものだから、記憶の中の祖母は実物以上にお喋りと記憶されている。しかし毎年出迎えに出てきてくれたところを見るに祖父は祖父なりに歓迎してくれていたのだろう、と今では思う。ところが小学五年生の頃の私はそんなことは解らないものだから祖父のことがなんとなく苦手だった。祖父の家の思い出がほとんど外で虫を取ったり川遊びをしたりというものばかりで、祖父と話した記憶がほとんどないのはそのためだろう。


 別に祖父と仲が悪かった訳では無いと記憶している。だが、祖父が黙ってこちらを見つめる黒曜石のような瞳が幼心に恐ろしかったということもまた記憶にあった。


 そういうわけで祖父との思い出はそう多くはないのだが、数少ないそれの中でいくつかひどく印象的な思い出がある。その一つが小学五年生の夏、迎え火に行った次の日の昼下がりの思い出だ。


 当時のボクはお盆が始まる二日ほど前からおじいちゃんの家に泊まって、二週間弱すごしてから埼玉の団地へと帰る。そんな夏休みを過ごしていた。おじいちゃんの家は田舎なので自然が豊富で夏休みの日記に困ることはなかったし、夏休みの宿題は大抵昆虫採集か朝顔の観察で済ませていた。


 そして、それを言い訳にしておじいちゃんの家にはあまり居付かないようにしていた。おばあちゃんはよく笑う人だったから、そのおばあちゃんが用事で出てしまうと、余計におじいちゃんと一緒にいるのがなんとなく気まずかったのだ。


 けれど、今よりはマシとはいえ、夏真っ盛りの外にいると道路のすみのカタツムリのように干からびてしまいそうになる。だから、こっそりと縁側から家に入って麦茶を飲んだり、氷を失敬してかじったりしていた。


 その日も同じように冷蔵庫に向かおうとして縁側に回ったのだが、そこでは祖父が縁側に座ってなにか作業をしている。挨拶をしないのもきまりが悪いので、縁側から仏間への上がりしなに「ただいま」と言ったのだが、おじいちゃんは「うん」とも「うむ」ともつかないような唸り声を返したきりだった。


 それでおじいちゃんの横を抜けて奥の冷蔵庫に向かうときに、その手元がチラッと見えた。


 おじいちゃんの手のひらには小さな歯車が乗っていて、おじいちゃんはそれを綿棒で丁寧に、丁寧に時間をかけて拭いていたのだ。行きがけに目に入っただけのその歯車の輝きがどうしても気になって、冷蔵庫から麦茶を出してコップに注ぐと半分ほど一気に飲み干してから、仏間に戻ってなんとなく後ろからおじいちゃんの手元を覗いてみた。


 その祖父の手元は今でもはっきりと思い出せる。大量の歯車とバネ、その他名前の見当も付かない金属製の部品が真鍮の鈍い輝きを千々に放っており、まるで夏の光を祖父が集めておいているような錯覚を覚えた。後ろから覗いている私に恐らく気付いていたのだろう。祖父は特に話しかけることもなかったが、部品を手に取ろうと体を動かす際もその手元が見えるよう、気を使っていたように思える。


「おじいちゃん、なにやってるの?」


 しばらく見ていたボクが我慢ができないで、ついおじいちゃんに聞いてみると、おじいちゃんはいつも通りの短い声で


「時計だ」


 と言った。


「時計、これが?」


 ボクにはそれが信じられなかった。時計がたくさんの部品で動いているのは知っていたし、昔の人が時計の修理をすることもあるのも知っていた。けれど、おじいちゃんの手元の部品は機械的な印象が薄く、なんというか土蔵の窓から差し込む陽の光のような印象だったのだ。


 おじいちゃんは黙って頷くと、部品を一つ取ってまた磨き始める。それを眺めていると、おじいちゃんが短く


「風切り。時計の速さを調節する」


 と呟いた。


 後ろで聞いていてそういうものなんだなと思っていると、部品を磨き終わった祖父は別の部品を手にとって


「テンプ。調子を取るための部品」


 とまた呟く。それで、おじいちゃんがボクに時計の部品の説明をしているのだと気付いたのだ。それでなんとなく姿勢を正して、それからはおじいちゃんが時計をいじるのをずっと眺めていた。


 おじいちゃんは部品の掃除をし終わると、素早く、そして正確に部品を組み立て始める。その時になってようやく、ボクはその時計がおかしな形をしているのに気がついた。その時計はまるで直方体の箱がベルの帽子をかぶったような姿をしていて、ベルの下には何かを吊り下げるような棒が一本横に張っている。


「へんな形の時計だね」


 そう言ってからボクはしまったと思ったのだが、おじいちゃんは起こるでもなく手を止めて言った。


「これは和時計、櫓時計というやつだ」


「櫓時計?」


「ああ。昼と夜に合わせて時間の進みが変えられる時計だ」


「すごい、夜が長くなったり短くなったりするの?」


 素っ頓狂なボクの言葉に、おじいちゃんは目を細めると、ああ、と溜息をこぼしてからゆっくりと首を振って言った。


「違う。今の時計は時間を決めるが、この時計は時間を計るんだ」


「それって…… どう違うの?」


 それにおじいちゃんは答えなかったが、油汚れがつかないように慎重に、節くれだった岩のような手でボクの頭を撫でると、時計の組み立てに戻った。それ以上はボクも何も聞かずにおじいちゃんの手元をみていると、時計がついに組み上がる。おじいちゃんが脇に避けてあった台の上に時計の本体を乗せると、それは村の真ん中に建っている火の見櫓のような形をしていた。


 あの火の見櫓は祖父の家からでも見えて、幼い私には巨人のように見えたものだ。盆の間の何日かは夜になるとあの櫓に登って、天体観測をしたのを覚えている。ゆっくりと、しかし一定の動きで星が時を刻んでいくのを心にだけ写し撮った景色は今でもバッキリと思い出せる。


 ボクはその時計の姿に見惚れていたのだが、おじいちゃんはその時計を、しっかりと時を刻む音を立てているにも関わらずサッと持ち上げると、盆棚の裏にしまい込んでしまった。


「なんでしまっちゃうの?」


 不思議に思って聞くと、おじいちゃんは一言。


「古いものだから」


 と言って、縁側の履物をつっかけて畑へと行ってしまった。それでなんとなく夢から覚めたような気持ちになって、ふと麦茶が飲みかけだったのを思い出す。コップに半分ほど残っていた麦茶は汗をかききってすっかりぬるくなっていたが、その苦みを増した麦茶が胸の奥の苦みを和らげてくれたのである。


 これでその思い出は終わりである。


 あれからそれなりの時が経った。私もやがて田舎に顔を出すことも無くなり、東京で仕事について毎日時間に追われる生活をしている。最後に田舎に行ったのは確か祖母の葬式だっただろうか。その後祖父は田舎の家を引き払って施設に入ってしまった。そして、祖父の家があった村もそれからしばらくしてダムの底に沈んだ。


 今でも盆前になるとふとあの時計の部品の輝きを思い出す。そしてその輝きが照らし出したかのように、あの田舎の懐かしい景色や香りが私の脳裏に広がる。しかし、田舎があったダムに行ったことは一度もない。時計が時を刻む音が聞こえないのが解ってしまうと、どうしようもなく寂しくなる気がするからだ。


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 一言:もうすぐお盆ですね。

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