砂の国でのI氏の話

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 砂の国、太陽の国、水の国。いくつかの名で呼ばれるその国は砂漠の中に湧いた水と共にある。


 緑の野に生きる民にとっては実りの乏しい枯れた国、青の海と生きる民にとっては足の進まぬ閉じた国、赤い鉄と生きる国にとっては鍛冶の体をなさぬつまらぬ国。けれど、その国の名を聞けば誰もが羨む。


 財貨を求める者は黄金と黄金をやり取りするが故に、自然に怯える者は砂の荒野を押し止めるておるが故に、己が腕を頼みとする者はその国が叡智によって生きてきたが故に、砂の国は羨望の的だった。


 ある日、砂の国の都に旅人の男が一人、やってきた。砂の国は多くの客人にそうしたように、男を迎え入れる。男が都を囲む壁をくぐると、中には外の香料とした光景とは真逆、潤いと彩りに溢れた活気ある景色が広がっていた。


 男の脇を白い肌の少年と黒い肌の少年が笑いながら、競うように転がる輪を追いかけて行く。それを見守る二人の女性は彼らの母親だろうか、白い肌の女性は顔をすっぽりと隠して目だけが布の隙間から覗いており、黒い肌の女性はつばの広い帽子で鼻から上が隠れている。それぞれの女性の服も布を幾重にも巻いた服と布を仕立ててスカートを広げた服と、異なっているが、そもそも道行く人の着る服それぞれが全く別の様式であった。


 少年たちがかけていった先で壁の補修をしている、白髪交じりで顔がひげに隠れた日焼けの著しい男は、上半身は裸で背中には翼をかたどった入れ墨、下半身は布を縫い合わせただけの簡素なズボンを履いている。一方、隣で同じように作業をしている口ひげを蓄えた若い男は新入りだろうか、肌は赤みを帯びているが浅黒くなるほどに焼けておらず、丈夫な繊維で織られた布をしっかりと縫製した上下から手足の先だけが出ている。


 道へと目を向けてみれば露天で売っているものは果物からなにかの肉、色のついた水など様々で、客引きの声がそこかしこから聞こえてなんとも賑やかである。賑やかなのは声だけではなく露天の見た目も色とりどりで、我先にと自己主張する屋台の屋根が、乱雑に種をまかれた花畑のように視覚的な暴力を伴ってそこにあった。道行く人々の装いも様々な様式のみならず色とりどりの布がひしめき合っているのだが、更に彼らの纏う香りが渾然となって異様な臭気を醸し出す。赤い布を肩にかけた女性から伽羅の香りが漂ったかと思えば、彼女とすれ違ったベージュ色のベストを着た小太りの男性からはシトラスの香り、その後ろを歩く屈強な浅黒い男からはスパイスが幾重にも混ざったなにかの汁物の香りがまとわりつき、その男の懐に手を伸ばしている小柄で痩せた少年からは僅かに水の腐った匂いが漂う。


 さらには外から吹いてくる乾いた風と内側の熱気による不快な湿り気を帯びた風が京都の入口で複雑に混ざり合い、男は自分がどちらの空気を吸っているのか混乱して思わずよろめいた。しかしそんな姿も都の人々にとっては見慣れたものなのだろう。誰も男に気を止めることなく通り過ぎていく。


 やがて息を整えた男はその日の宿を探すために雑踏へと踏み込んだ。外から見れば雑然としているように見えた人の流れだったが、都の者たちの日常であるだけあってそこには一定の流れがあり、その流れに逆らわずに歩くことで思いの外自然に進むことができる。男は流れに逆らわぬように都の入口から続く大通りを進んでいき、周囲の建物の様子が変わってきたあたりで脇道へと転がり出た。


 そこは住宅地なのだろうか、砂の色をした建物には鮮やかな絵の具で様々な模様が書かれている。建物の側面には小さな窓がいくつも空いており、出入り口と思しき大きな開口部を含めたいくつかの穴には白い布がかぶさっていた。多くの建物は二階建てで直方体かそれを少し崩したような形をしており、建物の屋上では住人と思しき人々が鮮やかな布で作った日陰の中で世間話をしたり、水タバコを嗜んでいる。中にはみずみずしい果物とスパイスの香る茶で優雅なティータイムを過ごしている人々もいた。


 このあたりに宿はなさそうだと思った男は大通りに引き返そうとしたが、そこで家の影から覗く一人の少女の青い目と視線が合う。少女の肌は小麦色に焼けており、金色の癖っ毛が午後の日差しを受けて水面のように輝いていた。なんとなしに呼び止められた気になって男が足を止めて少女と見合っていると、少女の隠れていた家から恰幅の良い女性がのっそりと出てくる。


「おや、お客様で」


「いえ、宿を探しているのですが」


「ならやっぱりお客様でねえか」


 北方のなまりが強いが、男と同じ言葉で話しかけてきた女性は自分を宿の女主人だと名乗った。


「おっ父は海の方まで出稼ぎに出てましてな。半年は海、半年は家で過ごすもんだから、陸のもんか海のもんかわからんち良く言いまして。それでほれ」


 そう言って女主人が指した壁をよく見ると、タコが豊穣を示す大木に絡みついた絵が書いてあり、その絵をよく目を凝らしてみてみれば確かにタコの足元に宿屋を示す印が書き添えられていた。


「あんな絵をかくもんで、旅の人にはようわかってもらえんのですが、贔屓にしてくださるお客様もおりますでな。なんとか食いつないでおりますわ」


 からからと笑いながら入口にかかった布をまくって、入るようにと促す女主人。断れる雰囲気でもなくなったことを悟った男はしぶしぶながら門をくぐると、外の熱気に比べて意外なほどに中は涼しく、奥のいっそう暗いところには大きな水瓶が三つまとめて置かれている。しかし、入って直ぐに目に入るのは内壁に描かれた見事な山の絵と、それを眺めるように配置された六つの机だった。


 男が思わず感嘆の声を上げると、女主人は嬉しそうに絵についての謂れを語り始める。曰く、新進気鋭の画家が駆け出しの頃に腕を見込んで食事を恵んでやっていたのが、大作家となった礼にと描かれたものであるとのこと。よほど裕福なのかと思った男が訪ねてみると、女主人は愛想笑いで否定する。


「別にうちが裕福ってわけでもねえですわ。ただ、どうあっても都の住人ですけね。施しは義務みたいなもんですわ」


 そう言うと宿帳を取り出し、記名を求める女主人。代筆を有料で行うと言ってきたが、男は帳場に置かれたペンを取るとさっと自分の名前を書き込む。それに少し不満そうな女主人だったが、すぐに取り繕うと部屋に案内すると言い出した。


 男はその言葉に従って奥へと進もうとしたが、ふと気になって後ろを振り向くと先ほどの青い瞳と目が合う。あの少女はこの家のものかと尋ねると、女主人は笑って言った。


「ええ、確かにあの子はうちのものですわ。でも、外の人が言うように家族というんではないです。あれはうちの作業奴隷の子でしてな。 15にならんと登録はできませんで、それまでは小さな仕事をやらせとるんですわ」


 奴隷制度は珍しくなかったが、年齢によって行わせる仕事の質を変えるというのは珍しい。さすがは砂の国だと男が感心しながら女主人のあとをついていくと、二階にある角の一室に通された。木格子のはめられた窓からは宿の前の通りが見え、格子ごしに向かいの家の屋上で水タバコを食わる老人と目があった男は軽く会釈する。


 女主人が、ごゆっくり、と言いながら部屋の外に出ていくのを見送りながら、竹組みの寝台に腰を下ろし、なんとなしに壁に手を這わせる男。その壁は見た目通りに砂を原料にできているようで、手のひらに細かい砂の粒がこびりつく。その砂をはらいながら窓越しに景色を見ると遠くに新しい家がまさに完成しようとするのが見えた。その家は周囲の家に比べてもまっさらな白色で、ちょうど周囲に架けられていた足場が取り壊されていくところである。


 砂の国の家もあのように足場を架けて作るのだなと感心した男だったが、よく考えればおとぎ話の魔法使いでもなければ他にどのように家を建てるのか、と独りでに笑いがこみ上げてきた。しかし、その一方でこの魔法使いが作ったわけでもない砂の家が崩れはしないかと不安にもなる。すでに家を建てるための足場は崩され、修理するものが立つべき場所はもはや無いからだ。


 しかしそんな憂いもすぐに忘れ、男は先程見た無感情な青い瞳をなんとなしに脳裏に浮かべながら、浅い眠りへと落ちていった。


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 一言:国が滅びるまでまだ100年ぐらいあります。

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