忍び込んだHの話
【マクミラン】
【真鶴】
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【帳外れ】
【世尊寺様】
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従僕どもが酒肴を持ってあちらこちらへと駆け回るのを遠目に見ながら、俺は兄者と祖霊への挨拶へと向かっていた。この度、兄者の新たな御殿を建てるに至ったことを報せ奉るためだ。
「兄者、今更否とは言わんが、俺にはどうも御殿を建てる理由がわからぬ。この際だ、腹の中を明かしてはくれぬか」
隣を歩く兄者に道行きの無聊を慰めようと語りかけるが、兄者はその精悍な顔をこちらに向けぬまま答えた。
「弟よ、何度も言っているだろう。今、このクニには一層の団結が必要とされておる。そのために我ら兄弟の力を見せつけねばならぬのだ」
「兄者よう。その団結というのがわからんのだ。この前来たヤなにがしという奴らめも木の葉のように吹きちらしてやったではないか」
俺がかねてよりの疑問を問うが、兄者は仏頂面のまま。面白い話ではないと思うが、祖霊の前で心を偽ることはできぬからこそ、ここではっきりとさせておきたいものである。兄者は昔から思慮深かったが、それ故に臆病風に吹かれるきらいもあった。そのあたり、心よりも体が先に動く俺と補い合っておるのだが、俺とて政のできぬ男ではない。
「兄者、この穂を見よ」
ちょうど稲畑を通りがかったゆえ、青く実って見える稲穂を手に乗せて兄者に促す。
「中身が空じゃ。これは秋の実りに期待できんぞ。今必要なのは冬への備えではないか、何故御殿を建てる」
「この前追い払った兵士、あれらの装備を見たか」
「おう、蛮族にしては上等な鎧であったが、それがどうした」
「あれはキビのクニの鎧じゃ。しかし、剣の鉄は見たこともない鍛であった。彼のクニの力、我らが思っておるより強大かもしれぬ」
そう言われてみれば、心当たりはあった。確かにあの蛮族の兵士どもの言葉はひどく訛っていて聞き取りにくかったし、殺した兵士から剥いだ装備は良い誂え、剣も我らの片刃直刀ではなく見慣れぬ両刃の剣であった。しかしである。
「兄者は臆病風に吹かれたか。占術師のお婆も向こう十年は安泰と申していたであろうが。仮に彼のクニがどれほど強かろうと、我ら兄弟であたればなにするものぞ」
「安泰だからこそ、その内に備えておかねばならぬのだ。時が来てからでは遅いのだぞ」
「兄者の考えは解ったが、その備えが目先の備えに勝るものとは俺には思えぬ」
しかし兄者は、これは決まったこと、とため息を吐いてそれ以上は何も語ってくれない。その足で祖霊に計画を申し上げたが、どうも苦い気持ちは抑えきれなかった。そして宴の場へと戻り、客もチラホラと集まり始めた頃のことである。手持ち無沙汰であったため、裏の仕事を覗こうとすると、一人の下女が俺にぶつかって酒器を落とした。
「これは、オタケル様。申し訳ありませぬ。どうか、どうかご容赦を」
慌てて平伏する下女だったが、足が酒で濡れてなんとも気持ちが悪い。おまけに昼間の鬱憤もくすぶっていたものだから、許しを請う下女の腹を蹴り上げると、下女は鶏を絞めるような声を上げながら吹き飛んだ。その様子に心がスッとしたが、後ろから俺を咎める声がする。
「こりゃ、何をやっておるか!」
振り向けば、占術師の巫のお婆が毛のほとんど抜け落ちた眉を釣り上げて、拳を振り上げていた。
「この、馬鹿者が。宴の前に人死を出すつもりか!」
そう言いながら枯れ木のような腕で俺の胸を殴りつけるお婆。痛くも痒くもないが、鬼道を操るこのお婆にはどうも頭が上がらない。
「すまぬ、お婆。そのつもりではなかったのだ」
「当たり前じゃ、そのつもりであれば今頃お前を呪っておるわ!」
お婆がつばを撒き散らしながら叫ぶその言葉に思わず身が縮こまる。この方はやると言ったらやるお方だ。平謝りに平謝りを重ねると、ようやくお婆も気が落ち着いたようで、息を荒げながらも去って行った。このような目にあうのもあの下女のせいと下女の方を睨んだが、そこにはすでに女の影形もなく、他の下人どもも忙しなくしながら俺から離れている。それがどうにも面白くないので、壁に立てかけてあった延べ棒を叩き折ると、その場をあとにした。
昼に夕と面白くないことが続いたが、宴が始まってみれば楽しいもので、兵士共が何重にも囲んで守った宴の席では趣向を凝らした食事と良質な酒が振る舞われ、中央の舞台では美しい乙女が舞を披露する。酒も入って気が大きくなったところに笛の音が心地よく染み渡り、先程までの鬱屈とした気分もすっかりと忘れてしまった。
そうすると、俺自身も何かをやってみたくなるもので、乙女の舞が一演目終わったところで席を立ち、剣舞を見せることにした。俺が剣を振るって幻の悪鬼を切り払うたびに歓声と称賛の声が上がり、ますます気分が良くなる。そんな俺を兄者は呆れた目で見ていたが、口元が嬉しげに歪んでいるのを見逃す俺ではなかった。
そうして様々なもてなしの末、宴もたけなわといった頃。宴の熱気もいくらか収まり、手酌で酒を飲むものや乙女に酒を注がせるものらが赤い顔で語り合っているときである。一人の乙女が兄者と飲んでいた俺のところへとやってきた。
「お酒をお注ぎいたします」
女にしては低めの落ち着いた声が火照った顔に心地よく、その涼やかな物言いに惹かれて乙女を膝下へと招いた。ところが、乙女はまるで魚のようにするりと俺の腕の中から抜け出ると口元を隠して笑いながら言う。
「お戯れを」
普段ならばこのようなことをされれば虫の居所も悪くなるのだが、あまりにも童女のような笑みで言うものだから毒気を抜かれてしまった。
乙女はこちらに流し目を送ると、兄者の傍らへと座り、ささ、一献、と酒を注ぐ。兄者が嬉しそうな顔で酒を飲み干すのを眺めながら、ふと気になって乙女に訪ねた。
「お主、名をなんという」
「そんなこと、どうでもよろしいではありませんか」
「そうはいかぬ。俺はお前の名が知りたくなったぞ」
「ならば、私との飲み比べに勝てばお教えいたしましょう」
乙女から持ちかけてきた勝負にすっかり気を良くした俺は、兄者と共に何壺もの酒を開ける。やがて、自分が立っているか座っているかも怪しくなった頃、すっかり涼しいい顔で酒を飲み干す乙女に俺は降参を告げた。乙女のあまりの酒の強さに思わず敬服する気持ちが湧き上がる。
「さて、そろそろ宴もしまいにするか」
同じように顔の赤くなった兄者がそう告げると、辛うじて酔いつぶれていない者たちがそこかしこでうめき声のような返答をする。すると、そばにいた乙女が忍び笑いをして言った。
「では、最後に面白いものをお見せいたしましょう」
突然の言葉に乙女を見ると、乙女は木の葉のような蝶が鮮やかな羽を広げるかの如き優美さで懐から短刀を抜き放ち、兄者の胸につきたてえぐり抜いた。うめき声を立てて倒れる兄者に一気に頭が冷え、とっさに刀を探すと、いつのまにか遠くへと放り投げられている脇においてあったはずの愛刀。あわてて取りに行こうと体を跳ね上げたが、酒で思うように動けず足をもつれさせて倒れ込んでしまった。すると、背中になにか重いものがのしかかった感覚がしたが早いか、右肩の下に熱いものが生まれる。このまま刀で切り裂かれると思った瞬間、とっさに言葉が口をついて出た。
「待たれよ」
すると、刀が止まる。この手傷ではもはや助かるまいが、最後に聞いておきたいことがあった。
「お主の名はなんと言う」
おそらく、この乙女は女に扮した男であろう。普通ならば考えついてもやらぬ手であるが、それを実行する度胸と機を待つ慎重さ、そして一刀で兄者をしとめた武勇。俺と兄者をあわせても敵わぬかもしれぬ益荒男である。このような男の名を黄泉への土産としたかったのである。
乙女はしばらく押し黙っていたが、やがて一言返す。
「ヤマトオグナ」
「なるほど、オグナ。だがその名では威に欠けるな。これからは俺達クマソタケルの兄弟を討ったことを誇りに、ヤマトタケルと名乗るが良い」
オグナ、いや、ヤマトタケルが、頂戴する、と呟く声が後ろで聞こえると、体が真二つに割れる感覚を最後に俺の意識は闇に沈んで行く。兄者の顔やお婆の顔、見知った顔が思い浮かび、二度とこの暗黒から俺の意識が浮かぶことがないのだなと思っていると、最後に思い浮かんだのは、夕に腹を蹴飛ばした女が一瞬俺に見せた、憎悪に満ちた表情だった。
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一言:日本最古の女装子ものがたりです。
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