あるFについての与太話

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【アキレス】


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 遅い昼飯を食べようと、ツアー帰りに友人と魚市場はずれの食堂に入った時のことだ。


 初めて入る店で何が美味いとも解らないものだから、壁一面に貼られた品書きを見て二人して唸っていた。よく情報番組などでは海鮮丼やら刺し身の盛り合わせなどが好んで食べられるものだが、ツアーの最中に切り身を頂いたものだから他のものが食べたかったのである。卸場と食堂の刺し身で味も変わるのかも知らないが、締めたての刺し身を食べた感動を持ち帰りたかったというのを否定はしない。


 昼過ぎと言っても一時を回った頃で、客は私達の他にいなかったものだから近くを通った給仕を捕まえて、おすすめを聞くと日替わり定食、今日はカレイの煮付けとのことである。それならばと私が日替わりを一つ頼んだ横で、友人は海鮮天丼を頼んでいた。


「おい、天丼ぐらい他所でも食えるだろう。刺し身はともかく煮付けがおすすめなんだからそれを頼んでおけば良いのに」


「煮付け、ああ。ボクも好きな料理だ。ただね、カレイというのが頂けないな」


 また始まった。この友人は普段は素直で明朗な好い知己なのだが、稀に妙な持論で殴りつけてくるので友人から先に進めない。これさえなければより親密になるのもやぶさかではないのだが。そうは思いつつもこの妙な持論が聞き流す分には楽しいのが始末に終えないのである。


「カレイはだめかい」


 尋ねてやると、友人は嬉しそうに語りだした。


「別に悪いとは言わないがね。我々はもう少しカレイたちに敬意を払うべきだと、ボクは常々思っていたのさ」


「敬意と言ったって、魚じゃないか。特段にカレイを名指しをする必要はないと思うんだが」


 相槌を打ってやると、友人は大根役者でもやらないような大げさな身振りでため息を吐く。


「なあキミ。三明六通というのを知っているかい」


「サンミョウ、というと仏教のあれか」


 そうだとも、と友人は五指を丁寧に合わせると、肘を机についてささやき声になる。まるで密教の儀式めいた仕草だが、ここから話されるのはカレイについての話だ。合わせた手の親指と人差指の付け根にささやくようにしながら、友人の言うことはこのようなことである。


「まず、三明。これは宿命通、天眼通、漏尽通の三つの神通力で、過去、現在、未来を見通す。これに神足通、天耳通、他心通の神通力を足したのが六通というのは知っているね?」


「中身は初めて知ったけどな」


 キョトンとした顔で互いに見合う。居心地の悪い沈黙が訪れるが、気まずさに負けるのも嫌で目をそらさずにいると、友人が咳払いをし、とにかく、と言って続ける。


「これら三明六通の境地に達した行者は修行の極地たる解脱へと至るわけだが、カレイというのはこの神通力の多くを備えているのだよ」


 そう言って黙った友人を横目に考えては見たが、どうにもその心が掴めない。負けた気分になりながら先を促すと、友人は意気揚々と語りだした。


「まず、カレイというのは海底に潜む捕食者だ。だから、目は必然的に二つとも天を向く、これはいいね?」


「だから、天眼通を持つとでも?」


 呆れのあまり思わず声が出るが、友人は不敵な笑顔のまま、それだけじゃない、と続ける。


「次に、カレイの狩りは待ち伏せ漁だ。この方法は獲物となる魚の生態や具体的な行動を知らないと成立しない。すなわち、心を読む他心通だ」


「まあ、物は言いようだがなあ」


「こんなものじゃない。獲物からしてみれば、砂底だと思っていたところから急に現れて襲いかかってくるカレイ。これは自由自在な移動を可能にする神足通に通じるものがあるだろう」


「魚の世界も他人の目が重要というのは世知辛いな」


 とはいえ、人から見てそう見えるならば、そのように振る舞うことになるというのは全く真理である。神妙な気持ちになる横で、友人の熱弁は立板の水どころかナイアガラの滝のごとしだ。


「さらにはカレイが砂底にへばりついているからには、海底の僅かな振動も全身で感知することになる。つまり、水中を泳ぐ魚よりも何倍も広い範囲の音に敏感というわけだ。これは世のすべての音を聞き分ける天耳通に通じるものがある」


「カレイに鼓膜はあるのか?」


 そのツッコミにピタリと止まる友人。しばらく考えていたが、首を傾げて。


「まあ耳石はあるし、耳がないということもないさ」


 とサラッと流す。


「そして宿命通。これは自分の過去や前世を知る能力だが、カレイは魚だ。魚に前世なんて考えはないだろうから、事実上は今までの生活だけ知っていれば良い。そして、カレイの生活など大したものでもないのだから、半ば宿命通に至っていると言ってもよいだろう」


「カレイを称えたいのやら、バカにしたいのやら…… 」


 いやいやそんな、と笑いながらもまとめに入る友人。


「つまり、カレイは三明六通の内五つに半ば通じている大行者というわけだ。そんなカレイを煮て食べてしまうなど、ボクにはできない」


「お釈迦様だって前世で虎に食べられたんだし、別に良いだろ」


「なあキミ、それは畜生道に陥るということだよ」


「人間だって動物じゃないか」


「だが、動物というのは見てみれば人間よりも単純なもの、大抵は悟りに近い生き方をしているものさ。生きる苦しみなどと迷って悟りから遠ざかるのは人間ぐらいのものだよ」


「チクショウ」


 なぜか負けた気分になり思わず悪態をつく。そんな馬鹿な話をしていると、天丼とカレイの煮付けが運ばれてきた。それに話を打ち切り、友人と手を合わせる。箸を持って煮付けを見てみると、白く濁ったカレイの瞳と目があった。


「まあ命をいただくのも業、目が曇っていても業とは見合うものか」


 そう呟いて口にしたカレイの煮付けは煮汁味がよく染み込みすぎて、カレイの味が半ば浄土に旅立った味であった。


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 一言:天丼にもカレイの天ぷらは入っていました。

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