とあるE家の夕食

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 科学全盛、世界のずいぶん狭くなったこの時代とはいえ、人の生活様式とは様々なものである。例えばある婦人はイランのとある住宅街で電気の引かれた家に住んでおきながら、日の沈みきらぬ内から暖炉の前でせわしなく燭台の用意をしていた。しかも、燭台と言っても名ばかりのダイオード製品ではない。細かく細工された白磁に色が入れてあり、細部には金と貴石による装飾が施された、いかにも職人の手による一品物の燭台。乙女が物憂げに中空を見つめた意匠のその燭台の皿には、これまた時代錯誤なほどに太い蝋燭が刺さっている。


 そんな燭台を三つ、シミ一つないシルクのクロスがかけられたテーブルの上に並べていく婦人。燭台の位置を細かく調整していた彼女は、やがて満足したのか暖炉の上からこれまた時代錯誤に長いマッチを取って火を付けると、燭台に灯りを灯した。蝋燭の柔らかな明かりが窓からの陽光と共に複雑な陰影を伴って婦人の白い肌を際立たせる。


 その光景は酷く扇情的で、もしもここが修道院ならばいくらかの修道士が還俗するのもやむなしといった具合だったが、キリスト者にとっては幸運なことに彼女が居るのは住宅地にある彼女の家であった。婦人はその美しく肉感的な雰囲気を吹き飛ばすかのような力強さで鼻を鳴らすと、ドア向こうに向かって呼びかけた。


「食事ですよ、おいでなさいな」


 そう言うと、妓女から飯炊きへと変身を遂げた彼女は扉の奥へと早足で消えていく。そして、戻ってきた時には彼女の手には魔女がかき回すような手持ちの鍋が備えられ、部屋には三つの人影が並んでいた。一つの人影は一番奥まった椅子についており、いかにも家長でございといった立派なヒゲを蓄えている。その左手側には幾分か小柄な影が二つならんでおり、一人は髪を短く切りそろえこざっぱりとした男の子の風貌、もう一人は髪を襟首で二つの三つ編みにし、前に垂らした女の子の姿をしていた。


 婦人はテーブルの左手に回ると、三つの人影の視線の先に鍋をそっと置き、再び扉の奥へ。鍋に立っていた波が収まらない内に戻ってきた彼女の手には四人分の皿が掴まれており、腕にはバゲッドの詰まったかごが下がっていた。


 皿を手早く配り終えてバゲッドを鍋のそばに置くと、婦人は各々の皿に鍋の中身をよそいながら、嬉しそうな声で語りかける。


「はい、今日はあなたの好きなひよこ豆のスープですよ」


「また?あたし、もう食べ飽きちゃったよ」


「こら、エヴァ。そんな事を言うんじゃない」


「そうですよ、お父様は毎日だってこのスープが飲みたいなんて言うほどなんですから。それに栄養も抜群なんですよ」


 そう言って婦人がヒゲを蓄えた人影に視線を向けると、人影は何も語らなかったが、影の様子で頷いたように見えた。


「ほら、お父様もこうおっしゃってるでしょう。あなたもきっと好きになるはずですよ、エヴァンジェリン」


「ちぇ。たまにはローストビーフとか肉が食べたいのにな」


「こら、エヴァンジェリン。そう言いながらつまみ食いをしないの。まずはお祈りを済ませてから」


「はあい」


 そう言った婦人は布巾で素早く手を拭うと、ヒゲを蓄えた人影の右手に座る。そして、彼女の左手側に視線を向けるが、その先の人影は黙ったまま鍋を見つめていた。しばらく沈黙が流れたが、婦人はいかにもしかたがないといった調子で短髪の人影へと目を向けた。


「イーサン、お祈りをお願いできるかしら」


「任せてください、お母様。エヴァ、よく聞いておくんだぞ」


 その言葉に、婦人は顔の前で手を組む。


「天におられる私達の父よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体をささえる糧としてください。そして同じように、私の愛する家族たちを祝福してください。国と力と栄光はあなたのものです」


「アーメン」


 婦人はそう唱えると、短髪の人影を愛おしそうに見た。


「よくできたわねイーサン。その様子なら、スクールの神学もへの河童じゃないかしら」


「もう、ママったら古いんだ」


「エヴァ、何だその口の聞き方は。お父様にそんな口の聞き方をしたら棒で叩かれるぞ」


「そうね、エヴァンジェリンは礼法の先生を頼まないといけないかもしれないわ。うんと厳しい先生にしなくっちゃ、どう思います?」


 そう言って髭の人影を見る婦人。しかし、人影は何も答えないまま沈黙を保っている。母は強しとはよく言ったもので、婦人はしばらく目を離さずにいたがヒゲもまた家長の証とは言ったもの。ヒゲの奥の表情は能面のように読み取れない。


「ママ、料理が冷めちゃうよ」


「そうね。あなた、この話は後でしっかりさせてもらいますから」


 婦人はそう言うと視線を目の前の皿に戻し、木さじでスープを掬って食べ始めた。しばらく物を口にいれる音と咀嚼音だけが部屋の中に響く。やがて婦人の皿が空になる頃になって、その音が止んだ。


 婦人がふと窓の外を見ると、風がバラの上を吹き抜けていくのが見える。


「ほら、あなた。ローゼ・イスパハンが今年も綺麗に咲いていますわ」


 そうして、流し目を送る婦人だったが、ヒゲに覆われた顔は仏頂面を崩さない。


「あのバラ、花なんて菊と牡丹の違いもわからなかったようなあなたがプロポーズのときに私にくださって。それを接ぎ木した株がこんなにいっぱい。今でもあの香りを嗅ぐとあなたの真っ赤な顔が思い浮かびますのよ」


 そう言われたヒゲの人影は表情こそ崩れていないものの、西日のかげんか蝋燭のゆらめきか、その顔は赤く見えた。


「もう、照れ屋ですこと」


「お父様とお母様は相変わらず仲睦まじいことで」


「パパとママ、ラブラブなんだ。あたし、弟がいいな」


「エヴァ、やめないか」


「なによお兄ちゃんだって、弟も欲しいなんて言ってたじゃない」


「こら、コイツ!」


「もう、二人共。そんなことで喧嘩しないの。エヴァはもう少し慎みを覚えなさい」


 そう言いながらも、ヒゲの人影に秋波を送る婦人。その視線が人影のそれと交わりはしなかったが、婦人は満足げに座り直すと、席を立つ。


「さて、そろそろ食器を片付けてしまいましょう」


 そう言って立ち上がった婦人だったが、三つ編みの人影の前の皿を見て眉をひそめる。


「エヴァンジェリン、好き嫌いしないで食べないさいな」


「だって、もう飽きちゃったんだもの」


「夜中にお腹が空いても知りませんよ。片付けてしまいますからね」


「はあい」


「エヴァ、大丈夫だ。いざとなったらチョコレートをあげるからな」


「イーサン、聞こえていますよ」


「あ、お母様。これは、 ……ごめんなさい」


「まったく」


 そう言いながら食器を器用に四人分、中身をこぼさないように持ちながらも軽快な足取りで扉の奥へと消えていく婦人。その後姿を三つの人形と割れた姿見、そして暖炉の上の幸せだった家族が、目で追いかけていた。


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 一言:CVは一人分で良いのでお得です。

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