ジョッキ一杯分の心変わり

ズマ

ジョッキ一杯分の心変わり

「下がれ。忠義がないのならばお前はもう必要ない」

「お、お待ちくださいハーティム様! 私は、私はただ——」

 会議室を後にし、陽が暮れ寒風が吹き込み始めた薄暗く広々とした廊下を歩く。

 崩壊を目前にした砂漠の国。ここ数年で人口は半分以下に減り、馬鹿みたいに俺を慕い崇めた従者も、もう数分もあれば全員の名を挙げられるほどに減ってしまった。

 かつての王であった叔父上は権力を振り翳し酒に溺れ、父上は優柔不断で反旗を翻した己の従者に殺された。

 馬鹿ばかりで嫌になる!

 俺はあの人たちとは違う。極限状態でもまだ国は生きている。それならば王として立ち上がり、問題を一つひとつ紐解いて解決すれば良いだけの話。だというのに意欲を失った国の重鎮どもは俺の指示に文句を言うばかりで言うこと一つ聞きやしない。

 俺は、王としてこの国の民を救わなければならないのに。

 廊下へ等間隔に置かれた金でできた大きなオブジェに、手入れが雑になり少し傷んだ黒髪が映る。次いで叔父上や父上に似た青い目と目があった。見る度に俺の怒りを増幅させるその目を何度くり抜いてやろうと考えたことか。

 苛立ち、反射する顔を殴るように拳を突きつける。もう三日は寝ていないからか、たったそれだけのことで体はふらついた。

「ハーティム? 大丈夫〜? また気ぃ張り詰めてんの? リラックスしなよ〜。リラックスリラックス」

 ふと、肩に回された腕によろけた体を支えられる。俺の頭上から間抜けな声で喋る従者のジナーフを冷めることを知らない苛立ちのままに睨みつけた。

「この状況でリラックスできると思うか? お前の頭には花が咲き誇っているようだな」

「え〜、それほどでも……あるかなぁ! ある? ハーティム! やっぱりオレ優秀?」

「はぁ……。もういい、優秀ということで良いから一旦黙れ。頭に響く……」

 城に残った忠臣であり、俺直属の従者であり、俺の幼馴染でもあるピンク頭のデカブツ。こやつはなんだかんだ言って現状、唯一俺の指示を信じ従う従者だ。

「それで? 街の様子はどうだった」

「んっとねぇ、今日もみんな元気だったよ〜! 隠れて武器作ってる人とか、国外に逃げていく人とか! 次の暴動はいつ起こるかな〜って感じ! でもオレ的には今はおじさん高官たちのほうが怖いかなぁ。さっきだってまた刺されそうになったんじゃない? ハーティムがいなくなれば本当にこの国終わりだって言うのにねぇ〜」

 無駄に勘の鋭いジナーフは俺が普段より苛立っている理由に察しがついていたらしい。

「……お前、地頭は良いのだから真面目にしていればじきに宰相にでもなれただろうに」

「え〜ほんと? でもオレはああいうお堅いのは向いてないからさぁ」

「そう言うお前を側に置くために一体どれだけ俺が苦労したと思っている」

「まあまあ! 今はオレがここにいたって誰も咎めないし! そうだ! そろそろ息抜きしない? オレ、街でいい店知ってんだよね〜!」

 こやつはいつもこうだ。都合が悪くなれば強引に話を変え、従者のくせに身勝手に俺を振り回してくる。

 元よりこれが目的だったのだろう。どこに隠し持っていたのか、ローブを二枚取り出し、一枚を無理やり俺の頭にかけてきた。

「おい、やめろ。この前、髪の装飾で破ったのを忘れたか? だから引っ張るなと言っている!」

 

 止める暇もなく、ジナーフに手を引かれるがまま気がつけば城の外、活気を失った街に出ていた。ローブを目深く被り直して辺りを見回す。月明かりにさえ照らされない路地裏で、ごみを漁り食料を探しているのであろう者たちが溢れかえっていた。

 目を逸らしたくなるような自国の現状に思わず顔を顰める。一刻も早くこの状況を変えるため、俺が自由にできる時間などないというのに。

 腹が立ち、目の前で鼻歌を歌いながら歩くジナーフの背を思い切り睨みつけた。

「おい。どこの誰に刺されるか分からないと言ったのはお前だろ。俺は遊んでいる暇など——」

 顔を上げたと同時、強風が吹き、その拍子にフードが外れた。風に靡いた黒髪と、金のチェーンの装飾。そして王族の証である青い双眸が人目に入らぬ内にとフードを手探りで捕まえた時。

 ふと、視界の端で何かが煌めく。光源が、俺たちを嘲笑うような憎いほどに美しい月光を反射させたナイフだと気づいた頃には、それはもう、俺の眼前に迫っていた。

「おっと」

 人二人分は前を歩いていたジナーフがいつのまにか俺と俺を襲おうとした民の間に入り、いつも懐に隠し持っている短剣で眼前のナイフを受け止めた。甲高い音が鳴り、ナイフが遠くへ落下したらしい音が無機質に響く。ジナーフの短剣を持っていない片手に俺のフードが鼻先まで隠れるほど引っ張られ、顔を隠される。

 襲ってきた民が小さく悲鳴を上げ、不規則で恐怖の伝わる足音を立てる。やがて足音が遠くなっていき、ジナーフはくつくつと笑みを漏らし始めた。

「あはっ! 大丈夫大丈夫〜! 護衛はオレに任せといてって! 息抜きも大事だよ?」

「……今日だけだぞ」

「やったぁ〜! あの親父さんのビール美味いんだよ! オレには分かる。ハーティムあれ絶対好きだって!」

 

「ほらほら! ここは今でも毎日営業してるんだよ! 超穴場スポット! 親父さんこんにちは〜!」

 そう言いながら木造の扉をそっと開けたジナーフに思わず目を見張る。

「お前、静かに扉を開けられたのか」

「え〜! ちょっと酷くない? オレのことなんだと思ってるの⁈」

 腰に手を当て、わざとらしく頬を膨らませるジナーフをじとりと睨んでいれば、客の姿はない店の奥から足音が聞こえてきて、木の床が苦しそうな音を立てていた。

 出てきた店主はがたいの良い男で、身長は二メートル近くあるのではないだろうか? ジナーフも無駄に高い上背をしているが、今はあやつが小さく見えるのだから面白い。

「はっは、いらっしゃい。隣の人が兄ちゃんの言ってた『生真面目なハーちゃん』とやらかい?」

「なっ……! おい、なに馬鹿げた呼び方を教えているんだジ——」

「そーうそう! 噂のハーちゃん! ちょっとナイーブになっちゃってるから親父さんのお酒飲ませてあげようとおもって!」

 ジナーフに肩を組まれながら顔が引き攣るのを感じていると、背を押され少し斜めに傾いた丸い卓へと連れて行かれる。口を開く隙すら与えられず、すぐに黄金色に輝くビールと数枚の干し肉が運ばれてきた。

「はいよ、お待ちどうさん」

「親父さんありがと! 今日も美味そー! ハーちゃんもほら、飲んでみて!」

 ジナーフに進められ、両手で持っても落としてしまいそうになるほど大きなジョッキを手元に寄せる。ジナーフは既に喉を上下させ、ジョッキの三分の一ほどを豪快に飲んでいた。

 落とさないよう、俯くようにして口をつける。想像よりもずっと冷やされた黄金色のビールに思わず唇が震えた。少しジョッキを傾けて、ひと口、ふた口と口に含めば独特な苦味と仄かな甘味が広がった。

「これは……はちみつか?」

「おっ、正解〜! 超美味しいでしょ? って、全然飲んでないじゃん! ほんっと、ビールなんだからぐいっといきなって毎回言ってるんだけど、オレ!」

 干し肉をつまみながら頬を膨らませたジナーフは、けれどもすぐに頬を緩めて卓に頬杖をついた。

「……先王たちが酒好きだったからって、そこまで気にしなくていいと思うけどなぁ。息苦しくない? そんなに自分に厳しくしてさ」

 普段とは違う落ち着いた声色に思わず顔が強張る。店主に聞かれないようにか、と思い至れば一層自分に腹が立った。

 この国の王座に座るのは飾り物ではなく、王たる器を持つ者でなければならない。そのために俺は、父上たちとは違うまともな王である必要がある。でなければ、俺が王である意義などないに等しい。

「これが俺の使命だ」

「えー、そんなこと言ってたらハーティムも頭の固いおじさん高官みたいになっちゃうんじゃない? オレはやだなぁ」

「……あの店主、随分とやつれていただろう。俺は民が笑って暮らせるような国を作らなければならない」

「そっ、か」

 ジナーフは、心の内を読ませない笑みを貼り付けた。だが、それはこやつが揶揄う時か、悲しんでいる時にしか浮かべない笑みでもある。

「ねえ、これは一人の友人として言わせてもらうよ。オレは、ハーちゃんだけが無理してこの国が良くなるとは思わない。それにさ、もしそれで良いほうに変わったとしても、そんな空っぽな国、オレは好きじゃない」

 問題視していたことをはっきりと言われ、無力感に歯を噛み締める。

 そして、この呼び方はこやつにとって俺を友人だと思っている証らしく。ただ一人の友人に心配をかけていたらしいと、ようやく思い至った。

「オレ、ハーちゃんの好きなところはいっぱいあるけど、嫌いなところもあるよ。王はこうあるべき! だからこうしなきゃいけない! って言うとことかね。もっと肩の力抜きなって。一人で突き進んだって、壊れちゃうだけだよ」

 目を合わせられなくなり、俯く。しばらく視線を彷徨わせた末に、両手を濡らす、汗をかいたジョッキを見やり、ようやく薄暗い照明を反射させる水滴に視線を固定した。

「……俺は、お前のそういう甘いところが嫌いだ。だが、同時にひどく羨ましいとも思う」

 目を細めて笑むジナーフは俺の黒髪を飾る装飾に手を伸ばし、そっと揺らした。

「ははっ! いつもありがとう。オレたちの王さま!」

 久しく聞いていなかった謝礼の言葉に、狭まっていた視野が広がるような感覚を覚える。そして、純粋に国の平和を願った幼き日の心を思い出した。

「……ああ、ありがとう。もう一踏ん張りしてみよう」

「えー! まだやんの⁈ オレ的にはハーティムにばっか苦労かける頭でっかちオヤジ共が気に食わないんだけど!」

「ほう?」

「あっはは、なんてね! 冗談冗談! だから睨まないでって、怖いから!」

 こやつとの会話で少し、気分が晴れたようで。ジナーフを真似し、半分残っていたビールを一気に飲み干してみた。

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