函館駅

 1月27日 20:53 函館駅 8番線


「8番線、到着の列車は寝台特急カシオペア、上野行でございます」


 そう旅客に案内するのは、函館駅の駅員を務めている八雲 青葉やくも あおば

 21歳の新人駅員である。

 黒髪のウルフカットで、身長は169cm。

 一般には、ボーイッシュ女子と呼ばれるタイプだ。


「ご乗車には乗車券の他には特急券と寝台券が必要です。 ご用意の上ご乗車下さい。 列車は前から1号車、2号車の順で参りますが、当駅で向きが変わり、12号車が先頭となります」


 青色の特別な重連のDD65形機関車に牽かれて、銀色の豪華な2階建ての客車26系、12両が入って来た。

 8番線には函館から乗る旅客と、カシオペアを撮影しようと集まった見物人でごった返していた。


「黄色い線の内側へお下がり下さい、8番線、列車が入っております。 黄色い線の内側へお下がり下さーい」


 カシオペアは8番線に停車。

 停車とほぼ同時に作業員が解結作業を開始した。

 この駅で進行方向が変わるからだ。


「只今、8番線ホーム後寄りでは機関車の解結作業を行っております、危険ですからご見学の際はくれぐれも黄色い線の内側でお願いしまーす」


 解結作業を見学する人々を温かい目で監視する。

 しかし、一部の人々は解結作業の見学勢に紛れ、八雲を見ていた。

 八雲を目当てにこの函館駅に来る人も少なくは無い。

 しかし、八雲はその事実を知らないでいた。


「おい、八雲」


「あ、石倉さん」


 八雲に話しかけたのは石倉 健いしくら けん

 勤続年数40年、58歳のベテランである。


「22Dまで休め、それまで俺がやる」


「ご配慮ありがとうございます。 ですが結k――」


「ほらほら、良いから良いから、休んで休んで!」


「は、はい」


 石倉は八雲の背中を押して、無理やり駅舎に戻す。

 自分より体格の大きく、勤続年数が圧倒的に長い石倉に反抗する事は出来ず、大人しく駅員室へと戻った。


「あれ、八雲君戻って来たの?」


 駅員室で待っていたのは、同僚である小幌 漣こぼろ れん

 22歳で、八雲とは1歳年上の先輩である。


「石倉さんに戻されちゃったんですよ」


「あ~……」


 小幌もまた、八雲目当てで函館駅に来る人々が居る事を知っていたが、当の八雲本人にそれの事実を告げる事は出来ず、ただ黙る事しか出来なかった。


「22Dまで休めって言われて」


「石倉さん、不器用だけど優しい人だから許してあげて」


「いや、ボクは別に怒ってませんよ、ただ不思議だなーって」


「あ、あはは……」


 小幌はただ笑ってはぐらかす事しか出来ない。

 八雲はこの状況にただ不思議がるだけであった。


「あ、八雲君、紅茶飲む?」


「え! 飲みます飲みます! 飲みたいですっ!」


「OK、淹れるね」


 小幌は本格的なティーセットに手を掛ける。

 しかし、茶葉はインスタントであった。


「ごめんね、茶葉用意出来なくて」


 そう言いながら透明なティーポットを高く掲げ、カップに注ぐ。

 八雲は小幌の腕に感嘆していた。


「凄いですね、ソレ」


「これ位しか誇れる事が無くてね」


「そうなんですか? 他にもあると思いますけど」


「いやいや、俺にはこれ位しか無いよ」


 そう言いながら、紅茶を啜る小幌。

 八雲は少し紅茶を飲むと、小幌に問いかける。


「小幌さんって、好きな人とか居るんですか?」


「ブッフッ!ゲホッゲホッ! い、いきなりどうしたの」


 思いもよらない質問に小幌は吹き出してしまった。

 小幌はそれと同時に返答に困り果てる。

 何故なら、小幌の意中の人は八雲であったからだ。


「それでっ、居るんですか? 好きな人」


「い、いやぁ、その、居るには、居るけれども……」


「居るけれど?」


「まぁ、ちょっと、その〜……」


 小幌は必死に誤魔化す。

 と、その時石倉が部屋に入ってきた。


「あ、石倉さん! お疲れ様です」


「おう、お疲れさん」


 石倉はコーヒーマシンでコーヒーを淹れる。

 そして、出来上がったブラックコーヒーを一気に飲み干す。


「もう、1月も終わりだな」


「そうですね、意外と短かった様な」


「ごめんな八雲君、正月に帰省させてやれなくて」


 石倉は函館駅の助役であり、駅長では無い。

 函館駅の駅長である北山とは親友であり、共に人生を歩んだ。


「いえいえ、お正月は忙しいですから。 別にボクは正月に帰れなくても、他の時に帰れればそれ良いですよ」


「ありがとうな、八雲君」


 小幌は話題が移った事に安堵した。

 しかし、その安堵は一時的な物となる。


「それで、小幌さんの好きな人って誰ですか?」


 小幌はまた困り果てた。

 仮に正直に答えてしまえば、コレは告白となる。

 八雲の気持ちが分からない今、下手に決め打つのは早計であった。

 小幌は目で石倉に訴える。


「好きな人かぁ、俺も昔は女を探し回ったもんだ」


「あれ、石倉さんって独身なんですか?」


 石倉は小幌の救援要請に応え、話題を自分の事に変える。

 作戦は見事成功、八雲は石倉に食いついた。


「あぁ、独身だ」


「意外! 石倉さん、お嫁さん居ると思ってた」


「彼女は居たがな、結婚直前まで行ったんだ」


「え? そうなんですか?」


「あぁ、そうだな」


 石倉はかつての彼女の事を思い出した。

 様々な思い出が脳裏に浮かぶ。


「どうして別れたんです? 結婚直前まで行ったのに……」


 小幌は事情を知っていた。

 それ故、小幌は何も話す事が出来ない。


「殺されたんだ、ココで」


「……うぇ?」


 八雲は驚いた。

 まさか、他殺だなんて。

 そう、強く思った。


「俺が丁度、国鉄に入社して5年が経った頃だった」


 時を遡る事35年、1996年4月2日、18時56分。

 函館駅、3番線。

 ここで事件は起こった。


「じゃ、私札幌に帰るから」


「あぁ、気を付けて帰れよ、詩織しおり


「うんっ、健ちゃんもお仕事頑張ってね」


「おう、頑張るよ」


 そう言って、詩織は北斗15号の1号車に乗り込んだ。

 石倉は折角ならグリーン車に乗せてやりたいと思っていたが、まだ石倉にはその財力は無かった。


「3番線から、18時57分発の特別急行北斗15号、北斗15号発車を致します。 ご乗車のお客様、お急ぎ願います、北斗15号札幌行発車を致しまーす」


 その発車を告げるベルが鳴り響く中、事件は起こった。

 詩織は業務を為す石倉に向けてにこやかな笑顔を向けている。

 しかし、その笑顔は一瞬にして恐怖へと変貌した。

 その瞬間、左手、2号車から駆け込んできた男が詩織の首元を包丁で刺す。

 詩織の血がデッキに溢れ出した。


「詩織っ!」


 石倉はマイクを投げ出して、車内に突入した。

 そして、男に飛び掛かり、男を詩織から引き剥がす。


「詩織、詩織っ! 大丈夫か、クソっ、テメェ!」


 男は床に倒れたまま動かない。

 詩織の首元からは血が溢れ出している。


「誰か、誰か! 公安官、公安官は!」


 石倉は車内、車外に呼びかける。

 しかし、旅客はただ立ち尽くすばかりであり、公安官は別のホームに居た。


「健……、ちゃん」


「詩織、大丈夫だからな、すぐに公安官が来てくれるからな!」


 石倉は頸動脈にある傷口を抑え、どうにか止血を試みようとしていた。

 しかし、その試みはとても成功とは言えず、真っ白な手袋が真っ赤に染まるだけ。

 詩織の息は徐々に弱くなっていった。


「詩織、詩織っ」


「健ちゃん……、ボク、健ちゃんの事が大好き、大好きだから」


「あぁ、俺もだ、だから、死なないで、お願いだ」


「健ちゃん、私の事、忘れないでね」


「当たり前だ、忘れる物か、いや、隣に居る人を忘れる馬鹿はこの世に居ないぞ!」


「えへへ……、そっ……、か」


「詩織、詩織っ!」


「す……、き…………」


「詩織ィィィッ!」


 大沼 詩織おおぬま しおりはキハ183系の車内で息を引き取った。

 23年の短い人生となってしまったのだ。


 そして、時は並行へと戻る。

 石倉は詩織の姿を八雲に重ねていた。

 偶然か、必然か、詩織は八雲と同じボーイッシュ女子である。


「詩織は、ストーカーされてたんだ。 そして詩織は、俺にそれを知らせてくれなかった」


「…………」


「だから、俺は3番線にはあまり近づきたくないんだ」


「そう、だったんですね」


 八雲は不思議がっていた。

 石倉が3番線の先端に近づかない事を。

 そして、その理由を今やっと理解した。


「あ、すっかり話しこんじまったな、そろそろ22Dが来るぞ、行こう」


「「はい」」


 3人は7番線へと向かう。

 時刻は22時30分、261系がゆっくり五稜郭方面から近づいていた。


[7番線ご注意下さい、当駅止まりの北斗22号が入って参ります、危険でございますから、お迎えのお客様は黄色い線の内側へお下がり願います]


 石倉の渋い声がホームに響き渡る。

 小幌はホーム先端に立ち、八雲は中程、石倉は後方に立った。


 汽笛とエンジン音がホームに響き渡る。

 完全に停車し、扉が開くと同時にその音は旅客の話し声に掻き消された。


[函館ェェェ~、函館ェェェ~、函館ェェェ~、終点、終点でございます。 どなた様もお忘れ物の無いよう、今一度お手回りをお確かめ下さい]


「八雲君、車内巡回に行こうか」


「はい、行きましょう」


 小幌はホーム中程に居た八雲を呼び寄せ、1号車から車内巡回を開始する。

 小幌では無く、八雲が先に車内に足を踏み入れた。

 と、その時、八雲に2号車方からナイフを持った男が襲い掛かって来る!


「八雲君!!」


 小幌は男に飛び掛かった!

 ナイフが刺さる既の所で男は小幌によって押し倒される。


「大人しくしろ! 八雲君、公安官!」


「は、はい!」


 八雲は走って公安官を呼びに行く。

 男は抵抗を止め、大人しく小幌に拘束されていた。


 その後、公安官が到着。

 男は無事に公安室へ連行されていった。

 男の動機は八雲の独占。

 所謂ストーカーであった。


 そして、一通りの対応が済んだ後、3人は駅員室に戻って一息。

 時刻はいつの間にか午前0時を回っていた。


「小幌さん、ありがとうございます」


「いやいや、当たり前の事をしただけだよ」


「大手柄だ、小幌」


「いえいえ、そんなそんな」


 小幌は顔を赤らめて俯く。

 小幌の中には誇らしさと恥ずかしさが混ざり合っていた。


「あの、八雲君、いや、八雲さん」


「は、はい? 何ですか?」


 小幌は改まって、八雲に向き直る。

 小幌は先の事件を受けて決心した。

 そう、小幌に告白する事を。


 石倉はそれを察して、駅員室を出て喫煙所に向かう。

 胸ポケットに仕舞っていた煙草とライターを手に取り、一服。


「……ふぅ、さて、成功するかな」


 石倉が詩織に告白したのも、この函館駅だった。

 ふと石倉は思った、八雲は詩織の生まれ変われでは無いかと。

 そんな疑問が脳裏に浮かぶ。


「詩織……、寂しいなぁ」


 一本吸い尽くすと、吸い殻を灰皿に捨てて、駅員室に戻る。

 駅員室に戻ると、抱き合う八雲と小幌の姿があった。

 石倉はそっと物陰に隠れる。


「八雲君……」


「青葉って呼んで」


「あ、青葉君」


「……なぁに?」


「好き」


「……うん、ボクも」


 小幌と八雲は両思いであった。

 そして、今結ばれたのだ。


「小幌、八雲、幸せになれよ」


 石倉は2人の幸せを心の中で祈る。

 そして、同時に詩織の事を想う。

 2人の邪魔をしてはならないと思い、石倉はコーヒーを飲みたい気持ちをぐっと抑え、ホームの立哨へと向かった……。



 此処は本州と北の大地を繋ぐ拠点駅。

 連絡船が廃止された今でも、その役割を担っていた。

 今日もまた、本州から列車がやって来る。

 そして、本州へと列車が出ていく。

 此処は北の大地、南の玄関口。

 ご乗車お疲れ様でした、函館、函館です。

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