地方交通線

稚内駅

 2031年 1月13日 05:18 稚内駅 ホーム


「1番線停車中の列車は、5時21分発、宗谷本線経由の普通名寄行でーす」


 まだ夜が明けぬ中、新人駅員の津本 拓海つもと たくみは始発列車の案内をしていた。

 日本最北端の駅の始発ではあるが、車内は意外にも混んでいる。

 何故なら、この普通列車を逃すと宗谷本線を下る普通列車は8時代まで存在しないからだ。


「拓海」


「はいっ、何でしょう」


「どうだ、寒いか」


「そりゃ寒いに決まってますよ」


「ハハハッ、だろうなぁ」


 そう言って笑うのは、津本の指導係である片瀬 久かたせ ひさ

 稚内駅に勤務し始めて24年のベテラン駅員だ。


「久さんは寒くないんですか?」


「24年も居たら、流石に慣れる」


「流石ですね」


「いやいや、拓海もそれ位居たら分かる」


「そういう物ですかね?」


「そういう物だ。 あ、そろそろ発車だぞ」


 時刻は5時20分。

 後1分で発車である。


 稚内駅旅客ホームは1面2線の島式。

 現在、両側には全く同じ車両が停車していた。

 キハ54、銀色の車体に深い赤のラインで、どちらも1両編成。

 エンジン音を響かせ、発車を今か今かと待ちわびていた。


「俺、駅舎の方見てくるから、大丈夫だったら合図するから」


「分かりました。 それまで停めておきますね」


「おうっ!」


 片瀬は跨線橋を走って上がって駅舎の方へ向かった。

 津本はマイクを握り、息を整えて出発放送を始める。


「えー、1番線から宗谷本線、普通名寄行が発車を致します、ご乗車のお客様、急ぎ車内にお入り下さい、普通名寄行の発車です」


 若々しい声がスピーカーによって増幅され、駅中に響き渡る。

 津本の声を聞き、駆け込んで来る乗客が2名。

 その後に片瀬が続き、指で丸を作った。

 津本は発車の合図であると受け取り、運転士に発車の合図を送る。

 列車は駆け込んできた乗客2名が乗車した後、扉を閉め、発車していった。


「ホーム良しっ」


 指差し確認も怠らずに行う。

 津本は見えなくなるまで列車を見送った。


「次はこっちだな」


 津本は2番線に停車している列車に目を向ける。

 2番線に停車中の列車は、天北線経由の音威子府行の普通列車。

 5時27分の出発で、これの次は8時10分発。

 しかも、次発は途中の声問止まり。

 音威子府まで天北線を完走する普通列車は10時15分まで待たなければならない。


「2番線の列車は5時27分、5時27分発の普通列車音威子府行、天北線経由の音威子府行です。 この列車は南稚内から天北線に入ります、宗谷本線には参りませんのでご注意下さい」


 こちらの列車もかなり混んでいた。

 日本最北端の地にも、こうして人々の生活がある。

 鉄道は生活の一部であり、今や欠かせない交通手段だ。


「雪降って無くて良かったなぁ、降ってたらどうしようかと……」


 雪は降っておらず、積もっているだけであった。

 しかし、積雪量から夜はかなり降っていた事が伺える。

 津本がホーム前方を確認していると、後ろから少女が話しかけて来た。


「ねぇ、駅員さん」


「はいっ、何でしょっ……、あれ、誰も居ない?」


 しかし、津本の視界には何人たりとも確認できなかった。

 その時、少女が津本のズボンを引っ張る。

 黒髪のミディアムヘアの少女が津本のズボンを必死に引っ張り、注意を自分の方へ向けようと必死に引っ張っていた。


「クマちゃん、線路に落としちゃった」


「あらら、ちょっと待ってね」


 津本はまず2番線の車両前方、後方を覗いた。

 しかし、何も落ちていなかった。

 今度は1番線を覗いてみる、すると線路上にクマのぬいぐるみがある。


「あ、1番だった。 あれかな、クマちゃんって」


「うん! ソレ!」


「ちょっと待ってねぇ……、よいしょっと」


 線路へ降り、ぬいぐるみを回収してホームに戻る。

 まだ23歳の津本にとって、ホームから線路に上がる事は造作もない事だった。


「はい、コレ、クマちゃんだね」


「お兄さんありがとう!」


「どういたしまして、所で、お母さんは何処かな?」


 津本は疑問に思った。

 こんな早朝に、小さな少女がたった1人。

 親が近くに居るはずであると津本は考えた。


「……うーん、何処だろう」


 少女の返答は津本にとってあまり有益な物では無かった。

 津本は困り果てしまう。

 彼は子供の扱い、特に女児には慣れていなかった。


「ありゃりゃ、迷子かなぁ……、今日は何処から来たのかな?」


「家!」


「うんうん、そうだよね、家だよね~……」


 状況は改善しなかった。

 6歳かそこらの少女に、自分の家の位置を尋ねても分かるはずがない。

 津本はまたもや困り果ててしまった。


「はぁ、どうしよっかなぁ……、あっ!」


 ふと時計を見て見ると、時刻は26分。

 後1分で列車が発車する。

 津本は少女を傍に寄せ、マイクを手に取り放送を始めた。


「5時27分発、天北線経由、音威子府行普通列車は間もなく発車致します。 ご乗車のお客様、お急ぎ下さい、27分発、天北線経由音威子府行普通列車発車しまーす」


 駆け込み乗車が無い事を確認すると、運転士に合図を送って列車を発車させる。

 エンジン音を轟かせながら、1両のキハ54は走り去って行った。


「さて、どうした物か……」


 少女は津本にピッタリくっついて離れない。

 その様子はまるで父親に甘える娘の様である。


「取り敢えず久さんに言わないと」


 列車は暫く来ないので、津本は駅舎に居る片瀬に助けを乞う事にした。

 跨線橋を少女の手を引いてゆっくり渡る。


「久さん、この子どうしましょう?」


「えぇ? この子? 誰の事だ?」


「え? ほらココに……、って、あれ?」


 津本の知らぬ間に少女の姿は消えていた。

 津本は必死に少女を探す。

 しかし、見つからなかった。


「お前、幻覚でも見てたんじゃ無いのか?」


「え、いや、確かに感触もありましたし……」


 津本は混乱していた。

 さっきまで確かにそこに居たはずの少女が消えた事に。


「まぁ、俺も似た様な事はあったからな、まぁ分かるわ」


「は、はぁ、そうなんですか」


「ほら、そろそろ利尻が着く時間だ、行くぞ」


「は、はい」


 時刻は5時57分、そろそろ札幌からの夜行特急利尻が到着する時間。

 稚内に到着する、1日の最初の列車である。


 再度跨線橋を渡り、ホームへ戻る。

 津本はさっきの事象について反芻していた。

 しかし、結論は出ない。


「拓海、放送しろ、俺哨戒するわ」


「分かりました」


 津本は頭を切り替え、集中しようとするが、頭から離れなかった。

 しかし、列車はそんな事はつゆ知らず。

 列車は稚内駅に近づいていた。


「2番線、ご注意下さい。 特急利尻、当駅止まりの列車が参ります、黄色い線まで下がってお待ち下さい」


 まだ日は上らない稚内。

 DD65の前照灯が暗闇を照らしていた。

 ホームには迎えの人々が待機しており、利尻の到着を待っている。


 気動車とは違うエンジン音を轟かせ、列車がホームに入って来た。

 DD65機関車が1両と14系客車が4両の5両編成。

 車内はかなり混雑していた。


[ご乗車ありがとうございました、日――「わっかなぁぁぁい、わっかなぁぁぁい、終点、終点でーす」


 稚内駅唯一の自動放送を遮って、駅名を連呼する。

 国鉄では急行や特急列車が駅に到着した際、特徴的な駅名連呼を行う。

 駅によって連呼の仕方は異なっている。


 客車の折り戸が開くと同時に多数の乗客が降りて来る。

 客層は10代の若者から70代の老夫婦まで、様々であった。


「6時30分出港、礼文島行フェリーご利用のお客様、連絡通路通りましてフェリー乗り場へお越し下さい。 連絡切符をお持ちのお客様、改札口でお申し出下さい」


 乗客はどんどん跨線橋に吸い込まれ、ホームはいつの間にかすっからかん。

 ホームにはまた静寂が戻って来た。


 最果ての地にも生活在り。

 数少ない汽車、此れ人々の生命線。

 此処は鉄路の北の果て。

 ご乗車ありがとうございました、日本最北端の駅、稚内駅到着です。

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