特別急行・急行列車
特別急行 宗谷
2031年 1月18日 17:41 稚内駅
[2番線、停車中の列車は札幌行の特別急行宗谷です]
雪景色の稚内駅。
1面2線の貨物ヤード側に宗谷は停車していた。
使用車両はキハ261系0番台。
国鉄が北海道内の特急用車両として開発した気動車。
この日本最北端の地、稚内から北海道の首都たる札幌まで、5時間12分。
昼行特急では2番目の所要時間を誇るロングラン列車だ。
車内は混雑しており、自由席は立ち客が出る程の混雑。
この稚内には空港が無く、需要は鉄道に集中する。
高速バスも運行されているが、とても賄いきれない。
しかし、都市圏の様に何本も列車を走らせる程の需要では無い。
名寄以北の普通列車は10本にも満たない。
優等列車も1日に5本だけ……いや、5本もあると言った方が良いかもしれない。
そして、宗谷に関しては1日1往復、稚内行が朝に、札幌行が夕方に、それぞれ1本運行されているだけだった。
「ご乗車ありがとうございます、特別急行宗谷、宗谷本線経由の札幌行です」
今日、この列車の車掌を務めるのは30代の中堅車掌、
運転士は
この2人は途中の旭川まで。
旭川で交代し、札幌までは別の運転士と車掌が乗務する。
「17時44分の発車です、発車まで2分程お待ち下さい」
停車中の案内を終えた生野は一旦車掌室を出て、外を眺める。
向かい側の1番線には後発の天北線、曲渕行普通列車が停車していた。
天北線の最終1本前である。
「そろそろ時間か」
車掌室に戻り、窓を開けて出発放送を始める。
「お待たせ致しました。 特別急行宗谷、札幌行、間もなく発車します。 ご乗車のお客様、車内でお待ち下さい」
放送を終えると、窓から身を乗り出して外を駅員を探す。
駅員からの出発合図で発車するからだ。
[2番線から札幌行の特別急行宗谷、発車を致します。 ご乗車のお客様、お急ぎ下さい、特別急行札幌行の発車でーす]
駅員は笛を鳴らし、緑の合図灯を円形に回す。
夜間の出発指示合図だ。
指示を確認した生野は扉を閉め、電鈴を1回長く鳴らす。
運転士と車掌は基本的にこのブザーで意思疎通を図る。
「出発進行、稚内、44分12秒、定発」
出発指示を確認した鹿沢はノッチを入れて、列車を発車させる。
列車はゆっくりと稚内駅を離れていく。
前照灯が暗闇を照らし、列車の進路を明瞭に示す。
[次は、南稚内に停まります]
踏切を超え、列車は大きく右にカーブ。
その後、緩やかな左カーブを描き南稚内駅に近づく。
南稚内駅は宗谷本線と天北線の分岐駅。
宗谷本線は豊富、幌延を経由し南下。
天北線は東へ向かい、浜頓別、中頓別等を経由して音威子府で再度、宗谷本線に合流する。
「南稚内、1番線、1番場内進行」
列車は一度上げた速度を落とし、ゆっくり駅に停車する。
南稚内では数名が乗車するのみで、降車は無かった。
列車は1分も経たない内に扉を閉めて発車。
次は豊富に停車する。
「出発進行、南稚内、48分34秒、定発」
一方車掌室では、生野が自動放送を開始しようとしていた。
昼行特急列車の放送は基本自動放送が使用される。
[皆様、こんばんは。 今日も国鉄をご利用下さいまして、ありがとうございます。 特別急行宗谷号、札幌行です。 停車駅は豊富、幌延、天塩中川、音威子府、美深、名寄、士別、和寒、旭川、深川、滝川、岩見沢、終点、札幌です]
自動放送に起用されている声優は基本的に女性であるが、北海道は珍しく男性。
このダンディーな声にはファンも多い。
[列車は4両編成で前から4号車、3号車、2号車、1号車です。 車内は全て禁煙で、自由席は4号車です。 トイレは2号車、3号車にあります。 車掌室は3号車にあります。その他のご案内は、インフォメーションボードをご覧下さい]
日本語による放送が終わり、すぐに英語放送が始まる。
英語放送が終了した後、生野は肉声放送を行う。
検札がある事を知らしめる為だ。
「ご乗車ありがとうございます、特別急行宗谷、札幌行です。 次は豊富です、18時25分の到着です。 只今より、検札を行いますから、切符をご用意の上お待ちください」
放送を終えると、鋏を持って車掌室を出る。
まずは2号車、指定席の乗客から検札を行う。
一人一人切符を確認し、鋏を入れる。
この列車の指定席は1号車の札幌寄りと2号車、3号車。
1号車稚内寄りはグリーン車、4号車は自由席である。
「あ、これ自由席券ですね、ココは指定席ですよ」
2号車の検札中、間違えて指定席に乗ってしまった初老の男性を発見。
生野が4号車に誘導しようとすると、男性はお金を差し出した。
「こ、こちらは?」
「あぁ、ワシ、ここに座りたいんじゃ。 大丈夫かね?」
「あっ、はい、確認しますね」
端末を操作し、空席状況を確認する。
男性は士別までの乗車。
士別まで誰も乗って来なければ、この座席を販売出来るが、果たして……。
「あ、大丈夫ですね、では2950円頂きます」
「はい、どうぞ」
「3000円ですね、50円のお返しです」
「ありがとうねぇ」
「では、失礼します」
「はぁい、ご苦労様」
検札は順調に進み、指定席・グリーン車の検札は無事に終了。
いよいよ本丸、自由席。
自由席は不正乗車を企む人が潜んでいる場合がある。(普通に指定席にも居る)
それらを見逃さず、しっかり正規料金を徴収するのが車掌の務め。
この部分は経験もかなり重要になってくる。
「検札に参りましt――「車掌さん!!!」
生野が客室に入るなり、40代と思わしき化粧の濃い女性が生野に駆け寄ってきた。
生野は突然の出来事に頭が一瞬ショートしたが、すぐに持ち直して女性の話を聞く。
「はい、はい、何でしょう?」
「痴漢! 痴漢です!」
「えぇ?」
女性が指さした先には20代の青年が座席で項垂れていた。
生野は感じた。
これは女性の思い違いである事を。
「あー、失礼ですが本当に被害を……?」
「私を疑うって言うの! 失礼な車掌ね!」
「あぁ、いや、別にそう言う訳では無くてですね、事実確認ですよ事実確認、ハハハ」
「あぁ、そう」
女性は40代でかなり化粧が濃い。
所謂、典型的な"おばさん"である。
失礼ではあると思いながらも、生野の心中には『こんな奴痴漢する物好きなんて居るのか?』と言う疑問が浮かび上がった。
「いやぁ、冤罪と言う事もありますからね、で、何処を触られたんです?」
「胸よ! アタシの!」
「んな大胆な……」
生野は思い出した。
大学生の頃、痴漢の冤罪を掛けられた事を。
弁明の末、周辺の証言もあり、無事に解放された。
しかし、駅員や乗務員の態度酷い物であり、まるで最初から生野が犯人かの様に話していたのだ。
その事もあり、生野は加害者とされる方や周辺の証言を特に大事にしている。
「ま、まぁ、取りあえず男性の方にも話伺ってみますから、少々お待ち下さい」
「そんなの必要無いわ、さっさと公安官に引き渡しなさいよ!」
「まぁまぁ、冤罪はいけませんから」
「アタシが嘘言ってるって言u――「はーい、男性の方、どうです?」
生野は喚く女性を無視して男性に声を掛ける。
男性は恐る恐る生野の方を見た。
「え、えっと……」
生野は屈んで男性と同じ目線に立つ。
男性は混乱と恐怖から目を合わせられないでいる。
「大丈夫ですよ、やってないならやってないで」
男性に優しく話しかける。
生野にとっては、自白を取るよりとにかく話して貰う事が重要であった。
「…………」
「……どうですかね?」
「…………ません」
「はい?」
「やって……、ません」
「成程、分かりました、ありがとうございます」
生野は立ち上がり、周りの乗客を見回す。
乗客の視線は生野に集中していた。
集まる視線を確認した生野は、周囲の乗客に呼びかける。
「皆様、この男性と女性、どちらの証言は正しいですか? 現場をご覧になった方はいらっしゃいませんか?」
「ちょっと! アタシの言う事s――「一旦黙ってて下さい!!」
女性の発言を強い口調で遮る。
女性は生野が放った一言に圧倒され、静かになった。
「あ、あのぉ、ワシ、見ましたよ」
白髪で杖を突いた初老の男性が生野に言った。
"男の人は決して触ってなんかいない"、と。
「本当ですか」
「あぁ、間違いねェ、この子は触っちゃいねェ」
「こ、こんなジジイの言う事、信用しちゃ駄目よ!」
また女性が喚く。
しかし、その主張は周りの乗客や生野には届かなかった。
「お、俺も見ました、触ったって言うより、触らせてました」
「ちょ、ちょっと……!」
「俺も」「私も」
「僕も」「自分も」
次々と男性の冤罪を示す証言が上がって来る。
生野は女性の方に向き直り、言い放つ。
「ちょっと、車掌室まで」
「ちょっと、放しなさいよ!」
「いいえ、そう言う訳には参りませんから、ほら、来てください」
車掌室に女性を連行、詳しく話を聞いた所、どうやらこの女性は痴漢冤罪の常習犯であり、たまたま旅行で北海道に来ていたと言う。
普段は東京圏でこの様な事件を多数起こしていた様だった。
生野は冤罪を防止した達成感よりも、自分と同じ様な状況に居た人が他にも沢山居た事に罪悪感を覚えた。
しかし、事件は北海道では無く東京で起きている事。
生野にはどうしようも無かった。
名寄にある鉄道公安派出所で女性を鉄道公安官に引き渡した。
一悶着あった物の、これ以上の事件は起こる事は無く、列車は無事、旭川駅に到着。
生野の出番はここまで。
別の車掌に職務を引き継ぐ。
[旭川ァァァ、旭川ァァァァ、4番線は特別急行宗谷号、札幌行でございまーす]
「お疲れ様です」
「はい、お疲れ様」
「何かありましたか?」
「あー、南稚内出た後、痴漢冤罪があったから、名寄で公安官に引き渡した。 それ位だね、他に異常は無い」
「分かりました」
「52D、異常無し。じゃ」
「了解、ありがとうございます」
生野は敬礼して交代の車掌を見送る。
そして、改札へ向かう階段を下ろうとした瞬間、誰かに呼び止められた。
「あぁ、君は」
生野を呼び止めたのは冤罪を掛けられていた青年だった。
「さっきはありがとうございました」
「いやいや、車掌としてやるべき事をやったまでだよ」
生野は青年に笑顔で応える。
生野の笑顔につられ、青年も自然と笑顔になった。
「今日は何処から来たのかな」
「神戸です」
「神戸! 良いねぇ、一人旅。 大学生?」
「はい、3回生です」
「そうか、3年生か」
生野と青年は雑談しながら階段を下る。
青年は旭川で1泊し、明日は網走に行くのだと言う。
「学生の内が1番楽しいからね、苦労は社会に出たらら十分味わえる、だからね、今の内は沢山遊ぶんだよ」
「良く、親に言われます」
「ハハハッ、耳にタコだったか」
生野は大学生時代は勉強一筋、あまり遊びはしなかった。
その事を今でも悔やんでいる。
故に、大学生に出会ったら必ず言う事にしていた。
「じゃ、気を付けてね、滑らんようにね」
「はいっ!」
青年は雪の降る大通りに消えた。
青年と別れた生野は駅から少し歩いた所にある国鉄旭川鉄道管理局へ向かい、1日の常務を終え、家路についた。
一方、宗谷も順調に札幌への
深川、滝川、岩見沢と進んで、江別を通過、札幌都市圏に入る。
時刻は22時30分を回り、街は眠りに就こうとしていた。
乗客の半分は寝ており、運転士も車掌も眠い目を擦りながら乗務を続けていた。
列車は高砂、野幌、大麻、厚別と続き、千歳線が合流する平和に至る。
札幌貨物ターミナルを横目に、5時間12分に及ぶ長旅のラストスパートに突入。
すれ違う列車も
[間もなく、終着札幌、札幌です。 どちら様も忘れ物の無いようお仕度下さい]
[ご乗車ありがとうございました、後4分程で終着の札幌に到着致します。 3番線到着、お出口右側です。 お乗換のご案内を致します、手稲行普通列車、向かい側4番線から23時6分の発車。 札沼線当別行は11番線、23時8分の発車、千歳線、苫小牧行最終は9番線から23時9分の発車です。 どなた様も、お忘れ物なさいませんようお気を付け下さい、本日も国有鉄道をご利用頂きまして、ありがとうございました]
放送を終えると同時に、列車は札幌駅の構内に進入。
多数の分岐を通過、左右に大きく揺れる。
自由席の乗客は壁や椅子を掴み、バランスを取っていた。
宗谷は深夜の札幌駅に到着。
右側の片扉が開き、乗客が一斉に放出される。
5時12分に及ぶ長旅は今、終わりを迎えた。
果て目指した汽車、此処に在り。
最北の本線を駆けしその汽車の名は、特別急行 宗谷。
進む鉄路は千差万別。
海あり山あり街あり、そしてエゾシカもあり。
幾多の障害乗り越えて、挑むは最北、宗谷本線。
ご乗車ありがとうございました、間もなく終着札幌、札幌です。
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