普通列車

天北線

 2031年 1月21日 05:25 稚内駅 ホーム

 ここは日本最北端の駅、稚内。

 雪が降りしきる中、天北線の始発列車、722Dは出発準備をしていた。


「(今日も雪、最近は毎日ラッセルを見てる気がする)」


 この722Dを運転するのは遠別 千歳えんべつ ちとせ

 最近になって増えて来た女性運転士である。


「千歳ちゃーん、音威子府まで乗せてってー」


 そう言って、キハ54のデッキに飛び込んできたのは池田 星見いけだ ほしみ

 同じ女性運転士であり、遠別の幼馴染である。


「はーい、どーぞ」


「ありがとっ、はい、コーヒー」


「あ、ありがと~」


 遠別はコーヒーを少し飲み、マイクを手に取り放送を開始する。

 車内の乗客の数は10名前後。

 クロスシートとロングシートが混じった車内には、人がまばらに座っている。


「ご乗車ありがとうございます。 天北線普通列車、音威子府おといねっぷ行です。 間もなく発車します、車内でお待ち下さい」


 このキハ54系500番台は1986年に北海道向けに製作された気動車。

 かつては道内各地で使用されていたが、新型車に駆逐され、今や宗谷本線と天北線でのみ運行されている。


[2番線から5時27分発、天北線経由音威子府行は間もなく発車を致します。 ご乗車の方、お急ぎ下さい、音威子府行発車でーす]


「拓海君って可愛いよね」


「ねっ、可愛いよね」


 津本 拓海、稚内駅の新人駅員。

 この2人とは1歳年下の23歳。

 2人は津本を温かい目で見守っていた。


「身体もちっさいし、動きも可愛いよね」


「分かる! 何か、猫ちゃんみたいな可愛さがある」


 2人が津本の話に花を咲かせていると、その津本が発車の合図を送る。

 それに気づいた池田は遠別に発車合図が来ている事を伝えた。

 因みに、遠別は天性の猫派である。


「あ、発車だって」


「出発進行、稚内、27分10秒、定発」


 津本の発車合図と共に扉を閉め、ブレーキを緩めてノッチを引く。

 キハはゆっくり加速し、稚内駅を後にした。

 遠別は自動放送を作動させる。


[本日も国鉄をご利用下さいまして、ありがとうございます。 天北線、普通列車、音威子府行です。 ワンマン運転の為、お降りの際は1番前のドアをご利用下さい。 運賃は両替機をご利用の上、釣り銭の要らないようご用意下さい]


 ワンマン運転2人乗り

 左側の運転台に遠別が座り、中央の貫通扉前に池田が立つ。


[携帯電話はマナーモードに設定の上、通話はお控え下さい。 車内は禁煙です。 車内で不審物や気がかりな事がございましたら、乗務員へ声をお掛け下さい。 また、SOSボタンの位置を確認頂き、緊急事態が発生した場合はSOSボタンを押して、乗務員へお知らせ下さい。 尚、走行中やむを得ず急ブレーキを使用する事がありますので、ご注意下さい。 次は、南稚内です]


 運転室の広さは最低限、その最低限のスペースに運転台、椅子、精算機が押し込められている。

 整理券は運転室後方に置かれていた。


[間もなく、南稚内です。 南稚内では全てのドアが開きます、運賃・切符は整理券と共に駅係員にお渡し下さい。 定期券の方は、分かりやすい様、駅係員にお見せ下さい。 どちら様も、忘れ物の無い様お仕度下さい]


 4分程で南稚内駅に到着。

 乗降客は数人程度であり、乗車率はさほど変わらなかった。


「出発進行ッ、南稚内、31分14秒、定発」


 線路は宗谷本線に一旦別れを告げ、天北線に入線。

 宗谷本線とは終点の音威子府で再度合流する。


[次は、宇遠内です]


 大きく左カーブした先に宇遠内仮乗降場があった。

 乗り降りする客はおらず、数秒も扉を開けずに発車。

 次の停車駅は声問。


[次は、声問です]


 声問はこの駅を始発・終着とする列車が運行される駅。

 と言っても、2面2線の小さな駅である。


 声問では2人が降りて、1人が乗った。

 列車は線路上に積もる雪を押しのけて進む。

 幕別、樺岡、沼川、曲淵まがりふち、小石と順調に進んで行った。


「千歳ちゃん、陸軍の演習場が見えて来たよ」


「あ、何かやってる」


 左手に陸軍の鬼志別演習場が見えた。

 丁度、陸軍が演習をしている所らしく、戦車が走り抜けていく。


 時刻は6時45分になろうとしている。

 東の空、前方から朝日が昇りつつあった。


「場内進行、鬼志別、停止、1両」


 汽笛を鳴らし、鬼志別駅に入線する。

 ホームには外套を着た駅員が停止位置に立っていた。

 列車が停車し、扉が開くと、駅員は駅名を連呼する。


「鬼志別~、鬼志別~」


 駅員は降車客の扉の前で切符を回収。

 全員が降りた事を確認すると、右手を上げ、笛を鳴らし、遠別に発車の合図を送る。

 合図を確認した遠別は扉を閉め、列車を発車させた、


「出発進行、鬼志別、46分22秒、定発」


 鬼志別を出たら線路は右にカーブ。

 8分で芦野駅に到着、特に乗降も無く、列車は数秒で芦野を後にした。


「流石にずっと立ってると辛いね」


「客室で座っても良いけど」


「いや、止めとく。 千歳ちゃんと一緒に居たいし」


「な、何言って……」


「やっぱり千歳ちゃんは可愛いね~っ」


「~~っ!!」


 遠別は恥ずかしさを紛らわす様に汽笛を鳴らす。

 銀世界の線路上に汽笛が木霊した。


 完全に日が昇った7時28分。

 列車は浜頓別駅に停車。

 ここで12分間停車し、音威子府からやって来た723Dと交換する。


「後半分~っ!」


「星ちゃん立ってるだけでしょ~?」


「そうだけどさぁ~」


 2人は気分転換に外に出て、新鮮な空気を吸う。

 駅員は722Dの到着を確認すると、駅舎に戻っていった。


「千歳ちゃん、早く戻ろ」


「うん、戻ろ戻ろ」


 外套を着てるとはいえ、流石に零下5度の寒さは堪える様で、少し外の空気を堪能した2人はそそくさと車内へと戻った。

 いつの間にか雪は晴れ、朝日が東から駅と列車を照らしていた。


[間もなく、2番ホームに列車が到着します。 ご注意下さい]


 時刻は6時36分、前方には同じキハ54が迫っていた。

 2番線のホーム上にはさっきと同じ駅員が立っており、先ほどと同じ様に列車を誘導している。


「もうすぐ発車だね」


「後4分、あ、これ捨てて来てよ。 遅れたら置いてくからね」


「OK、急いで行ってくるっ!」


 池田は走って駅舎の中にあるゴミ箱に飲み終えた缶コーヒーを2本突っ込んで列車に戻る。

 この間、約10秒。

 池田は少し息を切らしていた。


「そんなに急がなくても良かったのに」


「だって置いてくって言うから……!」


「も~う、冗談じゃん」


「……ホントに?」


 返事の代わりに、遠別はにやりと笑った。

 池田は顔を引きつらせながら言う。


「絶対置いてくつもりだったじゃんかぁ! もう!」


 遠別の顔をぺちぺち叩く池田。

 遠別は"ごめん、ごめん"と謝りながら応える。


「お二人さーん、出発ですよー」


「「えっ?」」


 駅員が窓を叩き、出発時刻である事を告げる。

 時刻は7時40分、発車時刻だ。


「あっ、ど、どうも」


 駅員は列車から離れ、右手を高く上げて発車の合図を送っている。

 そそくさと扉を閉め、ブレーキを緩めてノッチを引き、列車を発車させる。


「出発進行っ! 浜頓別、40分24秒、12秒遅発」


 駅員が知らせてくれたお陰で、遅延は12秒に収まった。

 まだまだ回復可能領域である。


 その後、列車は無事に12秒の遅延を回復。

 そして、中頓別駅を越え、上頓別駅を出発して4分が経った8時44分。

 線路上に見慣れた動物が現れた。


「あ、千歳ちゃんエゾシカだよ!」


 ブレーキを掛け、ノッチを戻して速度を緩めた。

 汽笛を鳴らしてエゾシカを線路上から退避させるよう誘導する。

 しかし、動物は理想通りに動かない物で、エゾシカは列車から逃げる様に線路を前方に向かって走り出した。


「何でか知らないけど、よく直線に逃げるよね」


「ね~。 横に逸れてくれたらありがたいんだけど」


「おーい、退いて~」


 遠別は汽笛を何度も鳴らす。

 しかし、エゾシカはまだまだ直線に逃げる。


「こりゃ、このまま徐行運転だね」


「ね~。 星ちゃんも何回かあるでしょ?」


「あるある~、やっぱり動物って分かんないよね」


「うん、外から眺めてる分には可愛いけどね」


「それ、クマにも言える?」


「……動物園で見るのは可愛いよ」


「動物園の子と野生はそりゃ違――、あ、退いた」


 ノッチを引いて、速度を上げる。

 しかし、小頓別しょうとんべつ駅はもう目の前。

 すぐに速度を緩めて、駅に停車する。


「小頓別~、小頓別~」


 可愛らしい声が小頓別駅到着を告げる。

 列車は2分遅れで到着した。


あおいちゃん、おはよっ」「おはよう、あおいちゃん」


「遠別さん、池田さん、おはようございま~す。 エゾシカ追っかけてましたね~」


 この小頓別駅は22歳と21歳の占冠が切り盛りしていた。

 姉がみずきで、妹があおい、お互い小頓別の人々に可愛がられている。

 人手不足の影響によって、姉の瑞は21歳で小頓別駅の駅長に就任。

 国鉄に就職して、たった3年で駅長さん。

 この苦労は誰にも理解する事が出来ないだろう。

 因みに、制服は何故か男性用の物を着用している。


「遠別さん、エゾシカって何で直線的に逃げるんですかね?」


「分かんないや、どうしてだろうね」


「所で、この54はいつ置き換えられるのかな?」


「さぁね、でもそろそろじゃない?」


「何だか寂しくなりますね~」


「仕方ないよ、この子も古くなって来たし」


「そうですね、そろそろ限界ですよね。 あ、発車時間ですよ」


 軽く雑談をしていると、発車時刻となった。

 碧は列車から離れ、左手を高く上げ、笛を吹いて、出発を合図する。


「音威子府行発車しま~すっ!」


 信号が青になっているのを確認した遠別は扉を閉め、ブレーキを緩め、ノッチを引き、列車を発車させた。

 碧は列車が見えなくなるまで見送り続けた。


[次は終着、音威子府です。 音威子府では全てのドアが開きます]


 小頓別~音威子府間にはかつて2駅あった。

 それが天北栄てんぽくざかえ仮乗降場と上音威子府かみおといねっぷ駅。

 前者は1965年に廃止され、後者は1989年に廃止。

 上音威子府は最後は臨時駅としてその役目を全う。

 ホームは撤去されたが、今も駅舎は残っている。

 尚、周りに人は居ない模様。


 列車は天北川と国道275線に沿って進む。

 山間区間を高速で駆けてゆく。

 音威子府は後少しだ。


 上音威子府駅跡を過ぎると、川は音威子府川に名称を変え、南下を継続。

 キツツキ川を超える啄木鳥キツツキ川橋梁を渡ると、音威子府駅が見えて来た。

 遠別は音威子府到着前、最後の自動放送を作動させる。


[ご乗車、お疲れ様でした。 間もなく終着、音威子府です。 音威子府では全てのドアが開きます。 運賃・切符は、整理券と共に駅係員へお渡し下さい。 定期券の方は、分かりやすい様、駅係員にお見せ下さい。 どちら様も、お忘れ物無いよう、お仕度下さい。 今日も、国鉄をご利用下さいまして、ありがとうございました]


「場内進行、音威子府、停止、1両、3番進入」


 汽笛を鳴らし、ホームの旅客に注意を促す。

 反対側の1番線には稚内行普通、伝統の321D(この時点では4323D)が丁度入線していた。


「音威子府、9時5分14秒、定時」


 列車は定刻通り音威子府駅に到着。

 扉を開けると、続々と降車客が降りていった。


「ありがとうございました、ありがとうございました」


 乗客にお礼を言いながら精算を見守る。

 乗客は稚内出発時点で10名前後だった物が、20名前後に増加。

 主に中頓別や小頓別から音威子府に向かう人々であり、この時期に完乗する人はごく稀に居る程度。

 尚、18きっぷシーズンになると、乗り鉄によって乗車率が増加し、乗客.zipが形成される事も珍しくない。


「よし、全員降りたね」


「忘れ物も無かったよ」


「OK~」


「所で千歳ちゃん、今日は帰って来るの? 私は帰るけれど……」


 2人は同じ旭川運転所にある国鉄官舎に住んでいる。

 しかし、運用の都合で帰れない時もあり、今回がその最たる例。

 故に、官舎に帰れない時もある。


「うん、今日は帰れると思うよ」


「そっか~! じゃ、家で待ってるねっ」


「もう……、仕方ないんだから」


 遠別の右頬に軽くキスをして、デッキからホームに飛び出す池田。

 遠別は乗客用の扉を閉め、列車のエンジンを落とし、身支度を整えてホームに出る。


 これからこの列車は折り返し、10時52分発の稚内行普通列車となり、再度天北線を辿って行く。

 肝心の遠別と言えば、宗谷本線を南下して来た4326D、名寄行普通列車の運転士として名寄まで乗務、名寄からは326Dの運転士として旭川まで乗務し、今日の乗務は終了。


 一方池田は、51Dの特別急行宗谷の運転士として稚内に戻り、稚内からはまた折り返しの宗谷、52Dを運転して旭川で別の運転士に交代、乗務を終える。

 因みに、本来は音威子府で交代はしないが、今日は予定の運転士が風邪を引いてしまった為、その穴を埋めるべく登用された。

 故に、普段はやらない運転室便乗を行ったのだ。


「さーて、13時まで何しよっかなぁ」


「千歳ちゃーん!」


「なぁにー?」


「おそば食べようよー!」


「まだ9時だけどー?」


「えー、私お腹空いたんだもん」


「しょうがないなぁ、星ちゃんは」


 遠別は仕方がないと思いながらも、同時に池田と一緒に居れる事を喜んだ。

 2人は駅前にある名物そば屋に消えていくのであった……。


 此処は北の大地、宗谷地方。

 その大地を駆ける2つの鉄路があり。

 この鉄路、名が3つあり、それぞれ宗谷本線、北見線、天北線と言う。

 かつての本線であったこの天北線、今では1日1往復の急行列車と数往復の普通列車が往来するのみ。

 しかし、鉄路ある所に民は在り。

 今でも小頓別や中頓別、浜頓別、鬼志別など沿線住民からは音威子府、稚内へ出る貴重な足としてその役目を果たしている。

 今日も、明日も、そしてこれからも……。

 この列車は、天北線、普通列車、音威子府行、ワンマンカーです。

 間もなく発車致します、車内でお待ち下さい。

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