第5話 親衛隊員は誤解される
常に王族のそばに付き従っている親衛隊でも休暇というものはある。着任したての親衛隊員などは休みたがらないので強制的に王城から追い出されるが、ニーヴェナルもそのくちだった。なんと今回は三日も休まされてしまった。
独身の親衛隊員は、王城の居住区画に部屋をいただいているのが一般的だ。拘束されているわけではないけれど、王族の居住区に近い場所で暮らすということは、ある程度の制限がかかる。夜遊びなんてしようものなら、すぐに噂になるだろう。
ニーヴェナルは赤狼師団に入団して寮に住んでいた。だが、親衛隊員に召し上げられたと同時に王城へと居室を移した。ちゃんと休むために王城を追い出されてしまうと行く当てに困るが、実家が王都にあるので少なくとも宿を借りることはなかった。一度家を出ているので家族に迷惑をかけるのは心苦しいが、両親や兄弟は嫌な顔ひとつせず受け入れてくれた。
主のことが心配で気もそぞろになりながら休暇を過ごし、はやる気持ちもそのままに帰城した。着任報告をしようと顔を出せば、ダヴィディアートは不機嫌全開でランチを食べている最中だった。遅刻でもしただろうかと時計を確認するが、むしろ少し早いくらいだ。いったい何があったのだろう。
「殿下、ただいま戻りました」
心配もそのまま声にのせ、それでも笑顔を忘れずに声をかけた。普段ならそれで懐柔されてくれる王子だが、今日にかぎっては逆に睨み返されてしまう。
さて、どうやって原因を聞き出すか。授業は午前中で終わり、午後からは自習時間だったはずだ。親衛隊としては先輩にあたるレオナード・ラシュタールが、このあと休暇にはいる。主と一緒に食事をしている彼にちらりと視線を向けると、なんだか悪戯めかしいウィンクを返された。何かを知っているらしい。あとで聞き出さねばならない。
とりあえず食後の飲み物でも用意しよう。
ダヴィディアート王子は家族と食事をしないとき、ひとりではなく親衛隊を同伴させる。ニーヴェナルは下町で家族と育っているので、ひとりの食事が味気ないことを知っていた。だから、まだ未成年である王子が親衛隊の誰かと飲食を共にしてくれることが嬉しい。
最近のダヴィディアートは三食の他にも軽食を求めてくるので、成長期がきたのだと安堵していた。もともと食が細いと聞いていたのだが、身長が伸びはじめて護身術訓練の時間を増やすと、同じ年頃の子供たちと同じくらい食べるようになった。
僕も一日五食でも足りなくて常に腹を減らしていたな、なんて懐かしい子供時代を振り返ってみる。両親にはずいぶん苦労をかけてしまった。士官学校の奨学金をもらっていたが、その大半が食材に消えていた気がする。剣技に打ち込み、授業に置いて行かれないよう必死だったので、アルバイトもできなかったのだ。本当に懐かしいな。
「三日も城を離れて何をしてたんだ、ニール」
「好きで離れてたわけじゃありませんよ。就労規則だとか何かで、強制的に城を追い出されたんですから」
「そのわりに、ずいぶん楽しくやってたみたいじゃないか」
「楽しいというか、家族サービスに費やされましたけど」
レオナードがカトラリーを置いて食事を終え、ニヤニヤしながら尋ねてきた。
実家に帰るということは、そういうことだ。家の補修に男手は必須だし、手伝うことはたくさんある。自分の時間など一切ないけれど、ニーヴェナルは何の不満もなかった。
「両腕に美女を侍らせて、家族サービスねぇ。まったくうらやましいかぎりだ」
「何言ってるんですか?」
子供の前で出す話題ではないし、何か誤解をされている気がする。レオナードは同じ赤狼師団出身で親衛隊に入隊したので、他の同僚より少しだけ垣根が低い。遠慮なく半眼を向けても、彼のニヤニヤ笑いは引っ込まなかった。
「昨日の夕刻前、ベルビル通りの商店街の入り口にいただろ。栗色の巻き毛の美女がふたりでお前の両手を塞いでいたぞ」
「ああ……」
昨日の夕方は確かにレオナードの指摘する場所にいた。栗色の巻き毛にも心当たりがある。
「ちょうど、国立図書館への途中でな。馬車からみえたんだ。お前さんは遠目でも目立つ」
「殿下が乗ってらしたんですか?」
覚えている。久しぶりの家族サービスだし、懐が温かくなったので、ちょっとだけいい物を買いにいったのだ。確かに、商店街の入り口にある店でショーケースを眺めていたとき、大通りの向こうをカルマヴィア家の馬車が駆け抜けていった。
一緒に出かけていた彼女たちと、誰が乗っているのだろうなんて話した記憶も新しい。王族専用車には幾重にも防御結界が張られているので、魔力を察知することはできない。誰が乗っているかなどわからなかった。それでも、彼女たちとの話は弾んだ。
彼女たちは王族と接する機会など皆無に等しい生活をしている。ただ、カーマ人としてカルマヴィア家に対しての忠誠心や敬意をもっているし、純粋に王族に対する憧れも抱いている。ニーヴェナルが親衛隊員になったことで間接的に距離が近くなって、だからこそ馬車を見かけるだけでも瞳を輝かせてくれるのだ。おかげでこの三日間は、存分に主の惚気を吐き出すことができた。
それにしても、彼女たちが美女か。からかわれていると理解していても、同僚から褒められると嬉しくなる。思わず微笑がうかんだ。
その瞬間だ。
ガチャンと、マナー違反ともいえるような音を立てて、ダヴィディアートがカトラリーを置いた。物思いに耽っていたので驚いてしまう。うっかり落としたというより、意図的に乱暴に扱ったような態度だ。
「で、殿下?」
「レオナ、食事が終わったのなら早く帰れ」
王子はニーヴェナルの呼びかけを完全に無視していた。
「おや、封印術概論の複製を借りてこいとおっしゃいませんでした?」
「かまわん。必要ならニーヴェナルに行かせる」
「さようですか」
喉を鳴らすように笑ったレオナードが席を立つ。彼にとって王子は息子といってもいいような年齢だし、些細なわがままは日常茶飯事だ。きつい物言いをされたとして、動じることもない。
「では、私は失礼いたします」
慣れた仕草で美しい礼をしたレオナードが、すれ違いざまにニーヴェナルの肩を叩いた。
「しっかりご機嫌をとっておけよ?」
囁かれた言葉の内容をどう捉えたらいいだろう。
ダヴィディアートを慰めるのはいい。八つ当たりされるのも気にならない。王子は気難しい弟のようなものだ。だが、レオナードを相手に臍を曲げる相手を、どうなだめるのが正解なのかわからない。
部屋に残されたのは、状況がわかっていない新米親衛隊員と不機嫌な王子のただふたり。沈黙の居心地が悪い。
ニーヴェナルは食事を終えて書斎に戻ったダヴィディアートを目で追った。コーヒーのいれかたを学んだのも親衛隊員になってからだ。ランチにデザートがなかったので、ソーサーにチョコレートとクッキーを添える。溢さないようゆっくりと運んで、大きな執務机の上に置いた。
「ダヴィット様」
深く椅子に座ったダヴィディアートは、ちらとも顔を上げなかった。無言の時間が居たたまれない。けれど、ニーヴェナルは忠犬のようにただ主の声を待った。小さな溜め息が聞こえる。
「……お前はもう近衛兵ではない。親衛隊らしい行動をしろ」
なるほど。原因は僕か。
ただし、まったく身に覚えがない。
「休日だからといって、複数人の女と関係を持つなど恥を知れ」
「あの、殿下、話がみえないのですが……」
殿下の指摘にはうなずけるものがあるが、対象が自分だというのなら否定したい。まるで僕に何人も恋人がいるような口ぶりだ。
「あくまでもしらを切るつもりか。目撃証言はあがっているんだぞ。カーマは自由恋愛の国ではあるが、親衛隊員は節度を求められるのではないか?」
「それはそうですが、僕に恋人はいませんよ?」
「ではあのふたりは商売女だとでも? それならば、なおさら悪い」
あのふたり。ベルビル通りで一緒に買い物をした彼女たちのことを言っているのか。よりにもよって、なんて酷い誤解だ。
ニーヴェナルは頭が真っ白になった。
頭の奥が絞られるような、熱と寒さを同時に感じるような、これほどの怒りは滅多にないだろう。怒りだけではない。悲しみと混乱も。強烈で棘のある感情が牙を剥いて噛みつく先を探している。
「殿下は何か誤解なさっていると思いますが、それよりも、お言葉使いにお気をつけください」
ニーヴェナルは怒鳴りそうになる衝動を必死に抑え、震える声でダヴィディアートを咎めた。
カーマの礎を担うカルマヴィア王家の者が『商売女』なんて言葉を口に出してはいけない。職業に貴賎はないという建て前はあるが、侮蔑として使うのならなおさら弁えなくてはならない。
「……俺を叱るよりも、我が身をただせと言っている。遊ぶのなら時と場所を選べ。お前は誠実なのだと信じていたい。俺を失望させてくれるな」
「だから、誤解です。僕は、殿下に恥じることはしておりません。彼女たちは大事な――」
「いい加減にしろ、ニーヴェナル。言い訳など聞きたくない」
聞き分けのない子供を相手にするように、ダヴィディアートは溜め息をついた。赤紫色の瞳はどこか暗く、怒りを滲ませて睨みつけてくる。
「付き合う相手は選べ。おおかた親衛隊の肩書きか、お前の顔にでもつられたのだろう。尻軽に騙されて己を安売りするな」
憐憫と軽蔑を隠しもしない王子の態度に、ニーヴェナルが必死につなぎ止めていた糸がぷつりと切れた。発作的に手を振り上げる。
我に返った時には何もかもが遅かった。
この出来事は、色々と悪いタイミングが重なって起こってしまった。
ダヴィディアートの私室のリビングは壁を取り払い、書斎とダイニングを兼ねていた。控え室があっても、日中は基本的に扉を開け放っていた。だから、給仕係のメイドは、入室するとニーヴェナルとダヴィディアートの姿がよく見えた。
人払いをしていないので、昼食の片付けをする給仕はノックをしても返事を待たずに入室することを許されている。彼女は最近登用されたばかりで、緊張もあってノックの音がとても小さかった。それに、室内の会話は聞こえていても聞かないよう訓練している。
声はかけずとも、膝を折って礼をするのは習慣だ。伏せた顔を上げた瞬間、彼女の視線の先で乾いた音が響いた。親衛隊員そのひとが、主の頬を打った光景が飛び込んできた。
王族の私室に入ることを許されているメイドは、あらゆる試験を突破した猛者だ。それでも彼女にとっては、いくら親しくすることを許されている親衛隊員とはいえ、最も尊い血を受け継ぐ王族の頬を張ることは、立派な暴行としてその両目に映った。
甲高い悲鳴は廊下にまで響き渡り、聞きつけた他の親衛隊員たちが素早くダヴィディアート王子の私室へ駆けつけた。そこには、頬を赤く腫らした部屋の主と、呆然と片手を見下ろす親衛隊員、そして、いまにも気を失いそうなメイドがいた。
メイドはすぐに外へと運ばれて聴取を受けることになる。彼女は見たままをそのまま告げるだろう。
本来なら事態を把握してしかるべきの親衛隊員であるニーヴェナルは、己が暴力を振るったのだと自白した。それは、他の親衛隊員にとっても衝撃的な発言だった。
主のために命を投げ出すことすら本望とする親衛隊員が、あろうことか守護対象に手を上げるなど前代未聞だ。ダヴィディアートに確認を取ろうにも、彼は何も答えずうつむくだけだった。
ニーヴェナル、ギュスタロッサの剱を取り上げられ、素早く連行された。親衛隊長が医者を伴ってダヴィディアートのもとに訪れたのは、半刻後のことだ。
これは親衛隊にとって青天の霹靂に近い事件となった。
◇
ニーヴェナル・サリカは、親衛隊詰め所の反省室に放り込まれていた。窓のない部屋だ。簡素な寝台と手洗いがあるだけで、両手を伸ばせば壁に手が届く。牢獄との違いは清潔さだけだ。普段は物置にされているような部屋が本来の意図として活用されたのは初めてかもしれない。
通風口から差し込むわずかな明かりで計ったかぎりでは、入れられて二日目の昼だ。食事は二度出されたが、喉を通る気がしないので手はつけられなかった。
親衛隊長が二度やってきて、聴取をされた。嘘はつかず、あったことをそのまま告げた。
僕が、ダヴィディアート王子を殴った。
反芻すると、それだけで心と手の平が痛くてたまらなかった。己が何をしたのか理解している。愚かさに吐き気がしそうだ。
彼のために生きて死ぬと誓ったのに、なんという体たらくだろう。許されるなら今すぐ喉を掻き切ってしまいたい。
咄嗟に手加減はしたが、自分は元軍人だ。いまも鍛錬を怠ってはいないから、一般人より力が強い。彼はどれだけの痛みを感じただろう。王子の怪我が重くなければいいのにと祈らずにはいられない。
けれど。……けれど。何もかもは、まだ、捨てることはできなかった。秤にかけて選ぶことはできるが、身を切るほどの大切な相手は他にもいるのだ。
「父さん、母さん、ルクレツィア、ミリアンヌ、フェリシティ、アルフレド、アルフィレナ。ごめんな」
音にもならない囁きは、誰の耳にも届かなかった。誰よりも味方になってくれる家族に茨道を歩かせることになってしまう。己の命ひとつで足りなければ、家族にまで累が及ぶ。申し訳なくて苦しかった。
後悔はしても足りない。だが、弁解や嘆願を行う気はなかった。自分には何ひとつ酌量されるべきことはない。
謝罪をしたいけれど、それは己のエゴだろう。全ての裁量はダヴィディアート王子が持つべきで、彼が聞きたくもないし顔も見たくないというのなら、粛々と従うだけだ。
ただ、嫌われたくはないと語った彼を傷付けてしまったことが、悔しくてならなかった。何があっても味方だと大口を叩いておきながら、とんだ裏切り者ではないか。
「ダヴィット様……」
愛称で呼ぶだなんて、きっとこの先二度とないのだろう。
泣く資格などない。己を哀れむことは許されない。
ニーヴェナルはただ、膝を抱えて項垂れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます