第3話 剣聖は助言を求められる
「珍しい所にいるな、クセルクスの次男坊」
自分の縄張りとも呼べる師団の回廊ではなく、ここは王城だ。カーシュラード・クセルクス
確か十六歳だっただろうか。まだ幼さの残る少年だ。あふれんばかりの生命力が眩しくて、己もすっかり歳を重ねたのだなと感じた。切れ上がった眦はどちらかといえば女王やジューヌベリア王女に似たのだろう。ただ尊大な態度だけは王配に似ている。
「ごきげんよう、殿下。その身を賭しての鎮護をたまわり、恭悦至極に存じます」
「当代の剣聖に言われるとは皮肉だな。だが、いいところで会った。少し付き合え」
「よろしいですよ」
本当はよろしくない。半刻後に会議が待っている。だが、正統王家の王族の要請であればそちらを優先させるのが、宮仕えの義務だ。
「ピオニー、お前は下がっていい。茶だけたのむ」
「クセルクス閣下にご迷惑をおかけしないでくださいよ」
「お前は俺の母親か。……おいていくぞ、剣聖」
カーシュラードは、心底申し訳なさそうな顔をした親衛隊員に言付けをたのんで、王子のあとを追った。国家防衛の要である黒羆師団の長で、剣士の最高峰と謳われる剣聖であれば、王子の護衛を任せてもらえる。
通されたのはダヴィディアート王子の私室だった。女王の相談役であっても、いち王族の私室に招かれることは少ない。すばやく間取りや家具を確認する。部屋の主の性格を考えると、特に褒める必要はないだろう。書斎のような客間だった。
すぐに王族付きの使用人が茶器を運んでくる。給仕はせず、一礼して滑らかに退室した。どうやら、王子手ずからお茶をごちそうしてくれるらしい。
「ときにクセルクスの、お前はヴァリアンテと恋仲なのだろう?」
「……そうですね」
持ち出された話題に、どういう態度で答えたものかと悩んでしまった。確かに親衛隊長であるヴァリアンテとは親しい仲だと公言している。結婚はしていないしする気もないが、互いに唯一無二のパートナーであることは確かだ。そうなるまでの紆余曲折だとか、複雑な事情だとかは横に置くとして。
「あれはお前より歳が上だな?」
「ええ」
「どうやって落とした」
「はい?」
カーシュラードは薄く笑みを浮かべたまま固まった。よもやこの自分に、真正面からそれを尋ねてくる者がいるとは思わなかった。
さて、どう答えたらいいものだろう。未成年の子供、しかも尊い血筋の王子を相手にどんな話をするべきか。第一声を思案していると、ダヴィディアートはわかりやすく顔をしかめた。
「お前は不老だろう。耄碌したとは言わせんぞ」
「聞こえていますよ」
「ならば、教えてくれ」
請うにしてはあまりに尊大な態度と口調で、やはり祖父である王配の血を継いでいるんだなと思わずにいられない。
「それとも何か、語れないほどの醜聞でもあるのか」
「そういうわけではありませんが、ひとの恋路にご興味をお持ちとは思わず、少し面食らいました。殿下もそんなお年頃になったんですね」
ダヴィディアート王子をそれ程知っているわけではないが、これといって華やかな恋愛遍歴が耳に入ったことはない。十六にしては遅い思春期だろうか。微笑ましいことこの上ない。
「喧嘩を売っているのなら買うが」
「おやおや。せっかちは嫌われますよ」
いっそすがすがしく笑いかけると、年若い王子はしかめ面を返した。青臭くて可愛らしい。
「僕とヴァリアンテにご興味が?」
「……お前たちに興味があるわけではない。参考資料としてちょうどよかっただけだ」
「殿下の思い人は年上ですか」
「そうだ」
いっそ誇らしげにうなずかれてしまった。そもそも、正統王家である王子の恋愛相談を気軽に聞いてしまってもいいのだろうか。ヴァリアンテと違って、自分としてはあまり面倒ごとに巻き込まれたくない。
「十は年上だから、お前達も似たようなものだと思うが」
「ああ、まあ、そうですね。この歳になると、年の差だなんて気にならなくなりましたけれど」
ヴァリアンテとの年の差は八歳なので、ダヴィディアートの方が差は大きい。子供の頃の年の差は、世界を分断する壁のように感じるだろう。王子もなかなかの茨道を選んだものだ。
「ヴァリアンテと恋仲になったのは、年齢差が気にならなくなってからなのか?」
「いいえ。出会ったのはちょうど、殿下と同じくらいの歳でしたよ」
「ならばなおさら好都合だ。どうやって陥落させたのか話せ」
果たして参考資料になるだろうか。ヴァリアンテと恋仲だと実感できるまで、出会ってから十年以上かかった気がする。肉体関係はあっても、想いが同じ熱を帯びるまでは長かった。何せ、お互いの出自が出自だ。
「僕と殿下では、いささか立場が違うと思うのですが」
カーシュラードも王族のひとりではあるが、分家なことと血筋のせいで継承権は早々に放棄している。恋をする相手が王族でなくとも問題ないし、大いに自由だった。同じ次男坊で年上に恋をしていても、王子とはあまりに立場が異なる。
「そうでもない。俺が落としたいのは、俺の親衛隊だからな」
カーシュラードは片眉を上げた。情報として、ダヴィディアート王子の親衛隊が誰かは知っている。先ほど伝言を頼んだピオニエラの他には、レオナードとオズワルドとニーヴェナルだ。十歳年上というヒントをたぐれば、懸想している相手はニーヴェナル・サリカしか残らない。
なるほど、と内心で苦笑をもらす。
ニーヴェナルの噂は、対面したことがなくとも耳に届いていた。王族と見紛う美貌の近衛兵だった青年だ。剣位持ちとしては遅咲きだっただろうか。打診もなく突然親衛隊員に抜擢されている。赤狼師団の出身だし、ギュスタロッサの介添えをしていないので、直接的な接触はなかったはずだ。
彼には剣技の才よりも、浮世名ばかりが流れていた。剣位というものを髄まで知っているので噂を鵜呑みにはしていないが、年端のいかない少年が心を奪われても仕方がないなとは感じる。
「彼はすでに、殿下のものではありませんか」
「それはそうだ。俺の親衛隊だからな。俺があいつを召し上げたんだ。だが、俺はそれだけでは足りない」
実名を出さずに会話が進んでいくが、どうやら確信は間違いないらしい。
「どのように?」
カーシュラードは答えを提示せず、この年若い王子から言葉を引き出すことにした。ダヴィディアートは薄らと瞳を細め、唇を皮肉げに吊り上げてみせた。
「俺があいつを抱きたいと思うことは不思議か?」
「いいえ。だから僕を呼び止めたのでしょう?」
「理解しているのなら、もったいぶるな」
十六歳の王族の少年が、十も年上の大人に恋をした。憧れではなく、明確な欲を伴って。包みこまれたいだとか、愛してほしいだとか、一番になりたいだとか、そういう柔らかくきらめいた感情を飛び越えて、刹那的で強烈な支配欲と独占欲に膿む。己をどう制御したらいいのかわからない。その情動には覚えがある。遠い過去の記憶だが、忘れてはいない。
王子がカーシュラードに目星をつけたのは正しいだろう。ヴァリアンテに尋ねたところで、きっと軽くあしらわれるに違いない。
「他言をしないでいただけるのなら、僕がヴァリアンテと出会ってからの話をしましょう」
いっそ酒でも出してもらいたいが、そんなことをすれば過保護な親衛隊長に出入り禁止を言い渡されそうだ。腰を据えることを示すよう剣帯から刀を外し、カーシュラードはソファに深く腰掛けた。
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