女友達と一緒に「あんなキモい奴と付き合うとか無理」と陰口を叩いていた幼馴染が、十年後の同窓会で「本当は好きだった」と告白してきた

戯 一樹

第1話



 十年前の自分は、はっきり言って今よりずっと暗かったと思う。

 元より幼少期から人とコミュニケーションを取るのが苦手だった僕は、誰かと話す時もはっきり物が言えず、口をモゴモゴさせてしまう癖があった。

 だからだろう──同じ高校に通っていた女の子の幼馴染が、



「あんなキモい奴と付き合うとか無理」



 と女友達と一緒に陰口を叩いていた時も、それほど不思議には思わなかった。



 ■ ■ ■



「じゃあ十年振りの再会に、かんぱーい!」

 そんな挨拶と共に、次々と隣り同士で「乾杯!」とグラスを合わせる昔の級友達。

 居酒屋──宴会向け用の個室の中。

 そこで僕は、かつてのクラスメート達と共に笑顔で杯を交わした。

 ここにいるのは、みんな高校時代に僕と同じクラスだった人達ばかりだ。

 正直、根暗というのもあってクラスでは若干浮いていた方だったんだけど、みんな僕の事なんて大して気にした様子もなく、普通に乾杯してくれた。

 まあたぶん、僕の事なんて別に覚えていないだけかもしれないけれど。

 実を明かすと、本当は同窓会に行くかどうか迷っている自分がいた。

 存在感なんてつゆほどもなかった僕が出席したところで、みんなの邪魔にしかならないと思ったからである。

 でも、先月家に届いた同窓会の案内の手紙に懐かしい名前を見つけたというのもあって、こうして行く事に決めたのである。

 その懐かしい名前というのが──



「よお文緒ふみお! 久しぶりだな!」



 昔と変わらず人懐っこい笑顔で声を掛けてきた、少し癖がある茶髪の好男子。

 殿町とのまち翔也しょうや君。

 今回の同窓会の幹事で、僕が同窓会に出席する決め手となった男の子だ。

「久しぶり翔也君。元気そうで何よりだよ」

「それはこっちのセリフだって。高校を卒業したあと全然連絡取れないからさー。ずっと元気にやってるかどうか心配してたわ」

「ごめん。あのあと県外の大学に進学してバタバタしててさ。しかもその時スマホも壊しちゃったせいで、翔也君の連絡先もわからなくなっちゃって……」

「そっか。そりゃ仕方ねぇな。なんにせよ、こうしてまた会えて嬉しいよ」

 と、ニカッと明るく破顔する翔也君に「うん。僕も再会できて嬉しいよ」とこっちも笑顔で返す。



 うん。やっぱり変わってないなあ、翔也君。

 相変わらず、とても気さくで良い人だ。

 十年前も、こうしてクラスで浮きがちだった僕に何かと気を掛けてくれたっけ。



 翔也君はクラスの人気者だったから、正直気後れしていた部分もあったけれど、そんな僕に翔也君はめげずに声を掛けてくれた。休み時間や体育の授業とか、色々な場面で。

 そうしている内に僕もだんだんと絆されていって、いつのまにか普通に話せるようになっていた。

 口下手で引っ込み思案の僕が、だ。

 もしも翔也君が気に掛けてくれてなかったら、僕はもっと暗い高校時代を過ごしていたと思う。

 それくらい、翔也君には感謝しているのだ。

「それにしても文緒、雰囲気変わったなー。なんか垢抜けたっていうか、前より大人っぽくなったわ」

「そうかな。まあでもあれから十年経ってるからね。翔也君は十年経っても若々しいけど」

「それ、よく言われるんだよなー。もうアラサーなのに子供っぽく見られるってどうなんだろうな?」

「今でもエネルギッシュに見えるっていう意味ではすごく良い事だと思うよ。少なくとも老けて見えるよりはマシだろうし」

「なるほど! それもそうだな!」

 良い事言うな文緒は! と豪快に僕の肩を叩く翔也君。

 たぶんこういうところも子供っぽく見られてしまう要因なんだろうなあ。僕的には親しみが感じられて気にはならないけれど。

「あ。そういえば文緒、あいつも来てるぜ」

「? あいつって?」



浜崎はまさきゆかり」



 その名前を聞いて。

 僕は一瞬硬直してしまった。

「そう、なんだ……」

「おう。確か幼馴染なんだよな、二人って」

「……うん。よく覚えてたね」

「文緒と話した事がある女子って浜崎くらいしかいなかったから、けっこう印象に残ってたんだよ」

「言っても、業務連絡みたいな話しかしてないんだけれどね。家が近所で母親同士も仲が良いから、よくお互いにお土産を送ってたりしてたんだよ」

「そうなのか。けど最初は驚いたなー。ほら、高校の頃の浜崎っていかにもギャルギャルしい子だったじゃん? だから文緒みたいなタイプと話すのがなんか意外でさー」

「……腐れ縁みたいなものだよ。幼馴染じゃなかったら話すらしてなかったと思う」

「ふーん。俺的には羨ましいけどなあ。女の子の幼馴染なんて、みんな疎遠になっちまったし」



「おーい翔也! そっちばかりじゃなくて、こっちにも来いよ! 寂しいだろ!」

「そうだよー。久々なんだからウチらとも話そうよ」



 と。

 隣りのテーブルから、翔也君を呼ぶ声が聞こえた。

 見るとすでにできあがっているようで、顔が紅潮している人が多い。実に楽しそうだ。

「悪い、文緒。呼ばれてるみたいだから、ちょっくら行ってくるわ」

「うん。またあとで」

「おう。じゃあな」

 そう言って踵を返しながら手を振る翔也君に、僕も手を振り返して後ろ姿を見送った。




 あれから一時間ほど経って。

 お酒やら油っこい物を食べている内にトイレに行きたくなってしまった僕は、途中で席を立って用を済ませていた。

 そうして宴会場へ戻る最中、他の個室から聞こえてくる賑やかな声に、思わず足を止める。

「他のところでも同窓会とかやってるのかな?」

 最近暑いのもあって、お酒が美味しくなってくる時期だし、そういう催しが増えても不思議ではない。中には会社の懇親会なんかもありそうだ。

 僕なんて今でも人見知りしてしまうところがあるから、ああいった催しに積極的に参加できる人を素直にすごいと思ってしまう。今日だって、翔也君以外とは数人の男子としか話していないし、女子にいたってはほとんど会話すらしていない。せいぜいちょっとした挨拶程度だ。

「それにしても翔也君、昔と全然変わってなかったなあ」

 あちこちの個室から笑声が響く中、ひとり廊下でそんな呟きを漏らす僕。

 高校卒業して以来の再会だから、もしかしたら忘れられているかもしれないと危惧していたけれど、単なる杞憂に終わってくれて本当によかった。

 それでだけでなく、やむを得ない事情とはいえ十年も連絡を絶っていた僕に対し、彼は何も咎める事なく気さくに話しかけてくれた。それがどれだけ嬉しくてありがたかった事か。

 翔也君の事だから、そういった事を一切気にせず普通に声を掛けただけなんだろうけど。

「そうだ。あとで連絡先を交換しなくちゃ。翔也君、みんなの相手で忙しいから、いつ話せるかわからないけれども」

 なんて独り言を漏らしながら、再び自分のいた宴会場へと歩を進める。



「文緒」



 と。

 十年振りに聞くその懐かしい声に、僕は反射的に足を止めて後ろを振り返った。



「……久しぶり、ね」

「ゆかりちゃん……」



 どこかぎこちなく声を掛けてきたゆかりちゃんに、僕もなんとなく気まずさを覚えながら目線を合わす。

「……うん、久しぶり。高校卒業して以来だね」

「そうね。最初見た時、まさか文緒とは思わなかったわ。翔也君に言われて初めて気が付いたんだけど、本当に雰囲気変わったわね」

「あれから十年も経ってるから。そういうゆかりちゃんもすごく綺麗になった」

「わ、お世辞も上手くなってる」

「お世辞じゃないよ」

 これは本当だ。嘘は言っていない。

 高校の頃は少し赤みのあるブラウンに染めたショートだったけれど、今では腰まで伸びた艶やかな黒髪になっている。体付きも昔より女性っぽくなって、ベージュゴールドのドレスがより大人の色香を漂わせている。

 元から容姿の良い方ではあったけれど、メイクも上達したせいもあるのか、完全に落ち着いた美女という様相になっていた。高校の時のギャルギャルしい彼女の姿は影も形もない。

「それにしても、文緒が来るなんて思ってもみなかったわ。男子でも翔也君くらいとしか話しているところを見た事がないから、正直同窓会には来ないと思ってた」

「その翔也君が幹事をやるみたいだから、同窓会に行こうって思ったんだよ。卒業してから連絡が取れなかったのもあるから」

「知ってる。卒業してすぐにスマホが壊れちゃったんでしょ?」

「そうだけど……それ、どこで知ったの?」

「ちょっと前に翔也君から。文緒がここに来ているのも翔也君から聞いたわ」

 そっか、と相槌を打つ僕。

 その後、どちらからともなく口を閉ざした。

 隣りの個室から時折響く笑いに満ちた大声が、どこか空々しく聞こえる。まるで遠い世界から届いているかのように現実味がない。バラエティ番組の作り物めいた笑い声を聞いているような気分だ。

 それから、どれだけ時が経ったか。体感的には数分過ぎたような気分だったけれど、実際はそこまで経ってはいないと思う。

 いつまでもこうしていたところで仕方がない。そう思って、僕から声を掛けて宴会場に戻ろうしたところで、

「文緒は──」

 と、不意にゆかりちゃんの方から口火を切った。

「文緒は、卒業してから何をしてたの?」

「……県外の大学に進学して、卒業してからは信用金庫で働いてるよ。今も自分の住んでいる市内でずっと勤めてる」

「へぇー。すごいじゃん。ああでも、文緒って昔からすごく真面目だったから、けっこうぴったりの職業かも」

「そうかな。そういうゆかりちゃんは?」

「私も地元の大学を卒業して、それからはアパレル企業で働いてるわ」

「そっか。ゆかりちゃん、小さい頃から服屋さんになりたいって言ってたもんね」

「うん。服屋さんじゃなくてデザイナーとしてだけれど」

「それでもすごいよ。僕の知らない間に、立派な社会人になっていたんだね」

「私も知らなかった。しばらく見ていなかった間に、文緒がこんなにも大人っぽくなってたなんて。いや、私の場合は少し違うかな……」

「違うって、何が?」

「だって、知ろうと思えばすぐに知れたから。だって私達の実家、すぐ近くにあるわけだし」

「それはまあ、そうかもしれないけど。でも、わざわざ僕の親に訊くような事でもないでしょ」

「うん。けど、ずっと気になってた。実はスマホで連絡した事もあったんだけれど、まさかスマホが壊れて連絡が取れない状態なんて知らなかったから……。本当は文緒のお母さんにも訊こうかと思ったんだけど、どうしても足が向かなくて……」

「え。連絡してくれてたの? どうして……」



「文緒に、謝りたい事があったから……」



 謝りたい事? 僕に?

 そんな風にきょとんとする僕に、ゆかりちゃんは気まずげに目線を伏せながら言葉を紡ぐ。

「たぶん文緒も覚えてると思うけど……私と友達が文緒の悪口を言ってた事」

 ああ、と思わず声が漏れ出る。

「もしかしてそれ、十年前に教室の掃除中に友達と話していた時の事?」

「……やっぱり見てたのね」

 うん、と首肯する僕。

 そっか。じゃああの時、ゆかりちゃんと目が合ったような気がしたのは、ただの見間違いとかじゃなかったのか。

「でもあれは、たまたま忘れ物を取りに来ただけで、最初からずっと見張ってたわけじゃないよ?」

 しかも途中で引き返したので──さすがに自分の陰口を叩かれている中、何事もなかったかのように教室に入れるほど神経図太くはない──それからどうなったかも知らない。

 たぶん僕の悪口で盛り上がったあと、適当に掃除を切り上げて帰ったのだろうけど。

「わかってる。文緒がそんな気持ち悪い事をするわけがないし」

「え? でもあの時、僕の事をキモいって言ってたよね?」

「あれは……!」

 と一度声を上げたあと、ゆかりちゃんは気持ちを落ち着かせるように一呼吸置いたあと、語を継いだ。

「あれは友達に文緒との事を揶揄われて……」

「揶揄われた? 僕の事で?」

「そう。たまに文緒と話しているけど、実は付き合ってたりしてるのって。それで、ついとっさに『あんなキモい奴と付き合うとか無理』って口にしちゃってたの……」

「そうだったんだ……」

「ほ、本当の事じゃないからね!? 文緒の事、キモいなんて思った事一度もないから! あれはああでも言わないと誤解されたままになっちゃいそうだったからで……!」

「わかってるよ。ゆかりちゃんはともかく、クラスの女子の大半は僕の事を嫌ってる感じだったもんね」

「いや、さすがにそこまでじゃなかったと思うけど、敬遠している子は多かったかも。ほら、文緒って口数が少なくて、いつもひとりでいたから……」

「だから僕の悪口を言うしかなかったんだよね? あそこで僕の味方をしたら、友達にハブられるかもしれなかったから」

「うん……。本当にごめんなさい……」

 そう言って深々と頭を下げたゆかりちゃんに、僕は慌てて「そんな、謝らなくていいから!」と言葉を返した。

「ゆかりちゃんも言いたくて言ったわけじゃないんでしょ? それが知れただけでも十分だよ」

「でも、文緒の悪口を言った事には変わりないから、ずっと謝りたいと思ってたの……」

「そっか。じゃあ気持ちだけは受け取っておくよ。それでこの件は終わりにしよう」

「……いいのそれで? 私の事を許してくれるの?」

「許すも許さないも、あれから十年も経ってるし、今さらどうこう言うつもりはないよ。だから気にしないで」

「……ありがとう、文緒」

 言いながら、ようやく頭を上げて笑みを見せてくれたゆかりちゃんに、僕も口許を緩める。

 もしかすると、ゆかりちゃんはこれが言いたくてわざわざ僕を追いかけたのだろうか。

 今まで僕の悪口を聞かれてしまった事を気に病んでいて、それで僕がひとりになったのをずっと見計らっていたのかと思うと、少し微笑ましくなってしまった。

 ゆかりちゃんとは色々あって疎遠になってしまったけれど、芯の部分では悪い子じゃないんだなと再認識できて。

「でも、ちょっと意外だったな。僕はてっきり、ゆかりちゃんには嫌われてるとばかり思ってたよ。中学生になったあたりから、あんまり口を聞いてくれなくなっちゃったから」

「それは──……」

 一度そう言いかけて、逡巡するように自身の体を抱いて目線を泳がせるゆかりちゃんに、僕ははてなと首を傾げる。

 それからややあって、次の言葉を待つ僕に、ゆかりちゃんは意を決するようにまっすぐ視線を上げて、おもむろに口を開いた。



「本当は好きだったの。文緒の事が──」



 ガハハ、という豪快な笑い声が隣りの宴会場から響いてきた。

 それと同時に、どこからともなく大勢の歌声が聞こえてきた。たぶんどこかでカラオケ大会でもやっているのだろう。

 そんなどうでもいいような情報が何度も脳内を巡る程度には、僕は茫然自失としていた。

 ゆかりちゃんが、僕の事が好き?

 根暗だった当時の僕を?

「それ、本当……?」

「本当よ。文緒は気付いてなかったと思うけど」

 と、頬を赤らめながら言うゆかりちゃんに、その言葉に嘘はないと雰囲気で察した。

「全然わからなかった……」

「気付かれないようにしてたから。まあ今にしてみれば、好きな人に冷たい態度を取るなんて、どんなツンデレなのよって話だけれども……」

「……一応聞いていい? なんで僕の事を?」

「……小学校を卒業する前、文緒と一緒に帰っていた時に、おばあちゃんから貰った私の大切なお守りを失くしちゃったの、覚えてる?」

「うん」

 途中でランドセルに付けてあったお守りが失くなっているのに気が付いて、雨の中泣きながら必死にお守りを探していたゆかりちゃんの姿を今でもよく覚えている。

「あの時、文緒もずぶ濡れになりながら一緒に探してくれたでしょ? その時かな。文緒の事を好きになったの……」

「そう、なんだ……」

 確かにそんな事もあったけれど、僕としては当然の行動を取っただけの記憶しかないので、まさかそれがきっかけで好意を持たれるようになるとは思ってもみなかった。

「ご、ごめんね! 急にこんな事言われても困るわよね? 文緒だって大人なんだし、好きな人とか彼女とかいるかもしれないのに……!」

 その言葉に、僕はごくりと生唾を飲んだ。

 どうしよう。言うべきだろうか、本当の事を。

 正直、わざわざ本当の事を話す必要はない。ゆかりちゃんだってたぶん過去の過ぎた思い出を話しているだけに過ぎないだろうし、今でも僕に想いを寄せているとは思えない。

 まして、あれから十年以上もなんて。

 でも。

 それでも。



 どうしてだろう──ゆかりちゃんには本当の事を言わないといけないような気がした。



「ゆかりちゃん。実は僕……」

「ん? なに?」

 何も知らない顔で聞き返してきたゆかりちゃんに、僕は緊張を孕んだ声ではっきり告げた。



「実は僕、もうじき結婚するんだ」



 ゆかりちゃんの目が見開く。元々大きかった目が、まるで猫のようにカッと見開いて。

 ややあって、ゆかりちゃんは「結婚……」とオウム返しに呟いたあと、

「文緒、婚約者がいたのね……」

「うん……」

「そ、そりゃそうよね。文緒カッコよくなったし、あれから十年も経ってるんだもの。結婚の話が出たって不思議じゃないわよね」

「ごめん……」

「どうして文緒が謝るのよ。おめでたい事じゃない。でも、そっかあ。文緒が結婚かあ。あの口下手で人付き合いが苦手だった文緒がねぇ〜」

「ゆかりちゃん……」

「何? 私なら別に気にしてないってば」

「いや、涙が……」

 えっ、と驚いたような顔で目元へと指を当てるゆかりちゃん。

 そこで指に乗った涙の粒を見て、ようやく自分が泣いていたと気付いたらしいゆかりちゃんは、慌てて後ろを向いた。

「やだもう。文緒の前で泣くつもりなんてなかったのに……。きっとお酒のせいで涙もろくなっちゃったのね」

 言いながら、ハンカチで涙を拭うゆかりちゃん。その肩は少し震えていて、相当ショックだった事が言外に伝わってきた。

「ごめんなさい。急に泣いちゃったりして、びっくりしたわよね」

 少しして、ゆかりちゃんは微笑と共にこっちを振り返った。

 その目元は赤く、ファンデーションの上に涙の跡がうっすら残っている。

「ゆかりちゃん、僕……」

「わかってる。何も言わないで。文緒が私の気持ちに応えられないのは今ので十分わかったから」

「うん……」

 重々しく頷く。彼女がそう言うのなら、僕から言える事は何もない。

 まさか今でも僕に想いを寄せてくれていたなんて思ってもみなかったから、正直すごく動揺しているけれども。

「色々あったけれど、これからは元の仲のいい幼馴染としてやり直しましょう。文緒がよかったらの話だけれど……」

「もちろんだよ。また昔みたいにたくさんお喋りしよう」

「うん。ありがとう、文緒……」

 と、ふと僕のポケットから着信音が鳴った。

 ポケットからスマホを取り出して画面を見てみると、そこには『塔子とうこさん』と僕の婚約者の名前が表示されていた。

「もしかして、婚約者さんから?」

「うん」

「じゃあ、私は一足先に戻ってるわね」

「うん。僕も電話が終わってから戻るよ」

「わかったわ。一応、翔也君にも伝えとく」

 言って、踵を返したゆかりちゃんの後ろ姿を静かに見送る。

 と。

 少し歩いてから、不意にゆかりちゃんがくるっとスカートをはためかせながら僕の事を振り返って、



「文緒! 少し早いけど、結婚おめでとう!」



 昔のようなとびっきりの笑顔と共に祝福してくれた彼女に、僕も相好を崩しながら大声で言葉を返す。

「ありがとう! ゆかりちゃん!」

 ニコッと最後にはにかんで見せたあと、ゆかりちゃんはそのまま一度も振り返る事なく、宴会場へと戻っていった。

 そんなゆかりちゃんを見送ったあと、僕はひとり呼気を吐く。

 それから、ほんのりと痛む胸に手を置いた。

 ゆかりちゃんの事は今まで単なる幼馴染としか見ていなかったけれど、もっと早くに告白されていたら、もしかしたら違う未来があったのだろうか。

 それとも、もしもあの時ゆかりちゃんが「あんなキモい奴と付き合うとか無理」と言わず、僕の味方をしてくれていたら、あるいは──

「ただの仮定に過ぎないな……」

 そう独りちて、僕は一笑に付す。

 そういう未来もあったかもしれないけれど、僕がいるのは今この世界だ。過去は変えられないし、なかった事にできない。

 それに何より──



「過去を変えちゃったら、塔子さんとは会えなくなっちゃうもんな」



 塔子さん。

 僕より二つ年上で、初めて僕を好きになってくれた人。

 そして、僕と一生を添い遂げる事を誓ってくれた大切な人。

 そんな人と出会えない人生なんて、僕には考えられない。

 だから──



 僕は、この幸せな世界を選ぶ。



 そうして、未だ鳴り続けるスマホの通話ボタンを押して、僕は愛する人の電話に出た。


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