拝啓、64式小銃殿

@ku745

拝啓、64式小銃殿

 拝啓、64式7.62㎜小銃殿、あなたは、陸海空のそれぞれの自衛隊で今も任に就いておられるのでしょう。


 私の相方であった彼は今、どうなっているのでしょうか。


教育終了時に来年より89式小銃へと置き換えられると聞いており、彼は64式を使う他の部隊に移管されたのか、あるいはスクラップとして厳重な管理の下でその生涯を終えてしまったのでしょうか。


彼のその後について私が知ることはなく、時折思いを馳せるところであります。




 さて、元号が昭和から平成、令和へと変わり、もうすぐ2度目の東京オリンピックが行われようとしております。


思えば、あなた方が制式化された1964年には最初のオリンピックが行われ、敗戦から復興した我が国が世界に対して技術と文化を示すこととなりました。


時代は東西冷戦のさなかでベトナム戦争のきっかけでもあるトンキン湾事件が起こり、米駆逐艦マドックスが北ベトナムの魚雷艇より攻撃を受けて応射、報復に爆撃を行っており朝鮮半島においては朴正熙パクチョンヒ政権であり“滅共の精神”で戦うと東アジアの緊張も強い世相でした。


そんな中で戦後初の国産小銃として制式化され、平成となる1989年に後継銃が現れるまで生産されたあなたは変わりゆく自衛隊、ひいては我が国を武器庫の中から眺めつづけて五十余年。


大国ソヴィエト連邦が崩壊、従たる任務に国際協力が増え平和維持活動任務としてカンボジアなど発展途上国に展開することになり、中東における対テロ戦争と人道復興支援の観点からイラクのサマワ、南スーダン共和国に展開しました。


さらに、北朝鮮や中国の近代化と軍備拡張に伴う新冷戦の時代と我が国を取り巻く情勢は大きく変化しました。


そうした状況であってなお、実戦を経験したのは武装工作船事件という事は幸運なのでしょうか。


あなた達は武器であるのだから、存在意義を否定されたように感じるのかもしれませんね。


我々も宣誓において、ことに臨めば危険を顧みず身をもって責務の完遂にあたるとされています。


ある作家はインタビューで隊員からこう聞いたそうです「私たちの任務は日の目を見ない原稿を書き続けるようなものだ」と。


しかし、たとえ弾倉を挿入せず、切れもしない銃剣を付けていたのだとしても、私たちはあなたがそこに居るだけで、とても心強く感じました。


事が起こって、ひとたび銃弾を装填したならば磨いてきた技能がその力を発揮するのですから。


油を裁断布いっぱいに付けて磨き、錆を落とし、砂ひとつ残らぬように手入れをしていたのも全ては有事のためで、磨いたあなたを人に向かって撃った事もなく自衛隊生活を終える事が出来たことを幸運だと感じたのです。




父母の生まれた昭和、私の生まれた平成は終わりました。


自衛隊のあり方も「存在を否定される護憲の軍隊」から「使われる自衛隊」へと変わり、令和の時代は「機動できる自衛隊」になろうとしています。


専守防衛を存在意義として、水際阻止すいさいそしや遅滞戦闘のために造られたあなたや74式戦車は今後姿を消していくでしょう。


防御陣地より射撃することを念頭におかれ付けられた小銃の二脚も、山がちな我が国の傾斜に適した姿勢制御を持った履帯も機動化の時代には効果的ではないとされ、機甲科はもとより従来型の普通科連隊でさえも改編されていくようになります。


戦車大隊TKBnは戦車隊へ縮小、74式戦車は全車退役し装輪式の機動戦闘車MCVへ、普通科連隊は即応機動連隊となり、偵察隊Rcnと戦車大隊が統合されて偵察戦闘大隊へと改編されます。


今後、全国の機動旅団化が進むにつれ武器科など部隊改編に伴って後継である89式小銃に置き換わって行くでしょう。


ついに新隊員教育隊からも64式小銃は姿を消し、馴染み深い緑の91式制服ではなく紺色の16式制服の人たちにとっては初めての銃が89式であります。




 やはり個人に貸与された初めての銃は思い出深いものであり、教育隊の64式に至っては今も克明に思い出すことができます。


全長99㎝、弾や銃剣を除いた重量が4.3Kgの64式小銃は初めて持った時、とても重たく感じました。


質量的なものはもちろんのこと、電動エアソフトガンと違い人を殺傷せしめる能力を持った武器であるとともに、取扱ひとつに国民の信頼と安全が掛かっているという緊張感がよけいに重く感じさせました。


朝晩冷える4月の朝に武器庫でよく冷えたあなたを持って整列し、何度も基本教練に励みました。


国旗掲揚に伴う捧げ銃では、左手一本で被筒ひとうを掴んで保持し、国歌が流れる1分間微動だにしないということが求められましたね。


その時、わたしは体調を崩して頭が痛かったし、親指の腹と股は手入れ油のせいかパックリとひび割れて血が滲み、銃を取るのも痛くてつらい状況でありましたが、たとえふらついたとしても決して銃を落とすことはありませんでした。




5月、武器教練と実弾射撃訓練が始まると、多い部品点数とコツのいる分解結合に私達新隊員は四苦八苦しました。


ろくに工具を使ったこともない高卒や大学生が、いきなり簡易工具を使って部品をバラバラにするのですから時間もかかるし、結合不良や部品落下なんて言うのもありました。


その度に班長から指導や反省が入ったものですが、懇切丁寧に教えてもらって初日に14分かかっていた分解が6分、結合9分以内の基準に達するようになりました。


構造については語れない点もありますが、ねじ止めやピン止めが多く、バネを指で圧しながら慎重に軸を通さないといけないといった組み立てに不器用な私は結構時間を取られていました。


誰かの結合が間に合わず整備が遅れて予定時間を超過してしまうということもあり、その度に連帯責任で全員が反省せざるを得なかったものですから、自分も急ぐとともに引率する訓練係に任じられていたときは長めの所要時間を班長に申告したものです。


64式は武器庫から出し入れするたびにプラスネジを一つ外し、銃口の消炎制退器しょうえんせいたいきを締めこんで二脚の硬さを調整する必要がありました。


たったネジ2か所ですが40人余りの区隊員が調整を終えるまで15分、慣熟しても5分くらいかかっていました。


不器用な者にとって十字が切られたねじ回し棒に横棒ピンを指しただけの小銃工具で、落下させないようにネジを外すのは難しく感じる事でした。


ドライバーのように握りやすい柄がついてなく、指先の力だけで硬く締められた消炎制退器止めネジを外すのにはやはりある程度の時間と筋力、指先の器用さが求められたのです。


89式の脚は、ばねクランプのような挟み込む形で取り付け取り外しができて、4枚の皿型座金を潰さない程度に消炎制退器を締めこんだ後に止めネジを戻して固定、仕上げにブラックテープで脱落防止に巻くといった作業も無く、64式で煩わしいと感じていたこともいざ無くなってみると何か足りないような感じになりました。






6月には小銃てき弾を使っての訓練があり、規整子きせいしの調整やてき弾用アダプター、照準具などの取り付けといろいろしたうえで射撃訓練をやりましたね。


発射ガスをすべてM31てき弾の発射に回し、力強い音とともに青く塗られた擬製弾ぎせいだんが飛んでいく様には爽快なものを感じさせました。


班長の勘を信じるか簡易照準器を信じるかで悩み、簡易照準器を信じて指示角度より少しに撃ったところ目標に初弾命中させることができ、優秀隊員に贈られる“はがき賞”を貰えました。


残念なことに装備としてはすでに旧式であり対戦車用途としては性能不足なうえ、高速化された現代戦においては目標に命中させることも難しく、アダプターなどの取り付けが必要で即応性に欠けるということからたぶん使われないでしょう。


後継の06式てき弾を取り付けるための照準具などもあるそうですが、実物はおろか、64式に新てき弾を取り付けた写真でさえも見たことが無いのでわかりません。


小銃てき弾射撃が終わると、あっというまに戦闘訓練練度判定がやってきて泥の中で敵陣に向かって突撃を何度もやりましたね。


梅雨でぬかるんでいる戦闘訓練場を這い、突撃発起点とつげきはっきてんまで進んで着剣して最終弾落下後に小銃を乱射しながら突っ込み敵を刺突することの繰り返しでした。


区隊長いわく「実戦を考えていない時代の銃」とのことで、よくあなた方は泥を噛んで動かなくなったり、空砲の薬莢が薬室に張り付いて抜けなくなったり、銃剣が鞘から抜けなくなったりといろいろありましたね。


赤茶色の土が大きく開いたスライド部の間から銃主部や引き金室体部に入り、戦闘訓練後の武器整備ではなかなか落ちず爪楊枝やら歯ブラシ、綿棒といろんなことを試して赤土をかき出したことを覚えています。


また、武器手入れの際に薬室に注油し、あるいはCRCスプレーを掛けておかないとどういうわけか焼けた薬莢が張り付き、抽筒子ちゅうとうしが引っかかって止まり、故障排除の第一段階である引く、叩く、はなす、戻すを実践することになりました。


銃剣も柄に着いた駐爪ちゅうそうを押さないと鞘から抜けず、ボタンの間に赤土が噛んで動かなくなって最前線で焦りました。


班長には、いつになったら抜けるのか、突撃開始に間に合うのか、「肘を立てんなバカヤロウ」と急かされながらサスペンダーに括りつけた銃剣を必死に握り込み、前後に揺さぶりいろいろと試しましたが抜けず、状況外の班長に抜いてもらってようやく抜け、黒く、長い刀身のといった感じがあって好きな銃剣でしたが、この時ばかりは腹が立ちました。


89式小銃の銃剣はナイフ形で、鞘にはボタン固定の留めバンドで巻いて止めるというタイプでした。


鞘からの脱落防止の観点だったのでしょうが、さすがに、泥噛んだりして保持爪が動かなくなって抜けなくなるのは不味いということで廃止になったのでしょう。


鞘といえば、鞘の先端にOD色の紐が着いており綺麗に巻かれていましたが、ある時にその剣紐なる紐が抜け落ちて捜索する羽目になりましたね。


その後、区隊長指示によってすべての銃剣から剣紐けんひもを取り外すよう指示がでて、取り外しましたが剣紐とは結局どういう時に使うものかわからず、「こんなヒモ要らねえだろ」なんて言ってました。


のちに、武装障害走競技で腰に付けた銃剣を縛着ばくちゃくする必要性に気づいたのですが、結局売店で買った鉄帽用のゴムを使うかブラックテープを直接腿に巻けばいいじゃんとなり、カンピンの剣紐はそれこそ出番のない物だったのです。


そんな銃剣でしたが、色褪せた教育隊のものではなく後方支援部隊の物になるととても美しくてカッコよく思いました。


警衛勤務にて戦車直接支援隊DSとの交代を行った際に見た64式は消炎制退器、上下部被筒じょうかぶひとうきゃく、機関部の塗色も黒々としており銃剣も黒い刃であり、銃床や握杷といった木製部も艶のある臙脂えんじ色であり色の落ちた教育隊の64式とは全く別の銃のようでありました。


式典においては着剣して国旗に対し捧げ銃つつを行うのですが折曲銃床の89式と、木製銃床の64式が並ぶとどうも64式の方が輝いて見え、言い方は悪いけれども89式はちゃっちく、華奢に思いました。


とはいえども、64式は撃鉄ばねを内蔵する尾筒びとうがある都合上折り畳み銃床が作れず、戦車乗員の場合砲手はM3短機関銃グリースガンなどを携帯しないといけないわけであり、89式の折曲銃床は戦闘室後方の11.4mm短機関銃ラックに入ってバンドで留まるのですから戦車部隊が89式に変わるのも当然の話でありましょう。


装填手陸士にとっては自分の小銃を立て掛け銃架じゅうが緊締きんていするとともに、乗車時に預かった砲手陸曹の銃と鉄帽を戦闘室に積み込むのが仕事ですからとても印象に残りました。




 89式との比較といえば、後期教育隊で89式の20発弾倉を見た時に思ったのが“弾と弾倉めちゃくちゃ小さいな”という事でした。


7.62㎜普通弾は中指くらいの大きさで、小さめのドングリのような弾を力強く撃ち出していたような感じですが、89式の5.56㎜弾はちびた鉛筆のように短く小さくて、曳光弾えいこうだんに至っては弾丸先端の識別塗装から赤鉛筆のようでした。


当然、弾倉も弾薬のサイズに応じたものとなるのですが、64式のものは文庫本2冊を重ねたような大きさであって成人男性はともかく、手の小さな女性自衛官だと手に収まらないのではないかという物です。


ところが89式の20発弾倉は煙草の箱くらいの大きさしかなく、弾納だんのうも前期教育で使っていた弾納(大)および(小)よりもはるかに小さくて驚きました。


64式小銃の装弾数は20発で、普通科などの89式はちょっと長い30発弾倉を装備しているのですが機甲科は基本的に20発弾倉なので装弾数同じなのにこんなにも違うのかと思いました。


もっとも、下車戦闘や斥候としての自衛火器という位置づけであるから普通科隊員のように敵に対し多数の射弾を浴びせる必要もないとの判断なのでしょう。


弾を装填して実際に標的へ撃ったところ、7.62㎜にあったバン、バンという力強い発射音と反動は小型高速弾の5.56㎜弾にはなく、反動こそ少ないものの発射音がキン、パキンというような高音でありどうにも好きになれない感じの音でした。


小火器射撃の訓練場が屋内射場という事もあり、さらにそれが顕著に聞こえたのです。


それに比べて、主砲脇に据え付ける7.62㎜弾を使う74式車載機関銃、通称:連装銃れんそうはバババババと小気味のよい音を立てていました。


戦車といえば車長ハッチ脇の12.7㎜重機関銃ですが、こいつは別格で音と振動が激しすぎて小気味いいなんて物じゃなくいちいち重い、大きい、弾重い、よく跳ねる跳弾するというブツでした。


遊底ゆうていやら銃身やら部品が重い、バネ圧がヤバくて体を使って引かないと槓桿こうかんが動かなかったり、全身で圧しながら注意深くばね止めをしないと吹っ飛んでくるというようなヤツで、さすがなキャリバー50は違うぜなんて思いました。


それに比べて遊底の位置合わせなどにコツが要ったものの、国産であるあなたと連装銃は軽い力で整備が出来て良かったなと感じます。




そんな軽い力で整備できるあなたですが、私の相棒である彼はそんな事を許してくれませんでした。


銃にはそれぞれ個癖があるのですが、彼はとても上下部被筒じょうかぶひとうを簡単に外させてくれないやつで、私の分解結合時にいつも時間を持って行くのです。


銃身の上に被さっており左手で保持する部分が被筒なのですが、89式のプラスチック製被筒は左右から挟み込む形で固定されているのに対し、64式小銃は上下別の材質で出来ているのです。


下部被筒はアルミ合金系の軽金属製で、上部被筒はグラスファイバー製で銃身部の熱が陽炎を起こすことによる照準の妨げが起こりにくいようになっています。


その上下部被筒を留めているのが被筒止めで、照星の付け根に小さなボタン状であります。


携帯ゲーム機やウォークマンなどのリセットボタンみたいなやつで、付属工具のピン抜き棒で圧することで爪が下がって上部が外れ、はめ込まれている下部被筒も連動して外れるようになっているのです。


しかし彼は、そこをいくら力いっぱい押そうが油を指そうが、するりと爪を動かしてくれることもなく、同期が使っていた他の銃とは大違いで中々外れない。


そんな彼のせいでさっさとしろと何度も怒られたし、時間制限のある練度判定に落ちかけたりいろんなことがありました。


結局、前期教育修了に伴う武器返納前の最終整備、最後の別れのその時も上下部被筒が外れないというなんとも奴らしい別れとなりました。


とはいえども、共に泥の中を進み、時に創立記念式典で輝き、そして武器整備で苦しんだ相棒なのでとても記憶に残るやつなのです。




長々とした思い出話もここまでとして、結びたいと思います。


海軍の長官である山本五十六は「百年兵を養うは、ただ平和を守るためである」と言いました。


我々、自衛官や多くの元自衛官はその時のために常日頃から「物心両面の準備をしろ」と教育を受け、技能を習得し戦闘訓練を行っています。


先に述べたように我が国を取り巻く情勢は急速に変化し、憲法九条の下でのとして日陰に居られる時間ももう長くないのかもしれません。


国際貢献という観点から停戦監視に赴き、あるいは武装勢力の影響下にあるような地域に展開し、海賊対処といった他国だけではなく我が国のシーレーンをも脅かすような脅威に立ち向かわなくてはなりません。


周辺諸国の動向から、ゲリラコマンドの侵入であるとか島嶼とうしょ部における不法占拠に端を発する直接的侵略であるとか、CBR(化学・生物・核)兵器を積んだ弾道・巡航ミサイル攻撃などが起こりうる状況にあるのです。


隣国においてはカンヌン武装共匪ムジャンコンピ浸透事件、ヨンピョン島砲撃事件、天安艦沈没事件といった武力衝突につながるような事案も発生し、同時に尖閣諸島近海では他国の警備船が領海を主張し、不審船や漁船団による経済水域EEZ侵入が行われている今、係争中のスプラトリー諸島であるとかマルビナス諸島におけるフォークランド紛争のような事態が発生しかねないのです。


いよいよ島嶼防衛に我々が出動することもあるかもしれません。


その時は、物品愛護の精神で磨き続けていたあなたたちの力によって我が国の平和と安全を勝ち取るのです。


ですから、全自衛隊から姿を消すその時まで、よろしくお願いします。


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