【完結】慕情(作品230708)

菊池昭仁

慕情

第1話

 ウニと鰻が嫌い。

 自分勝手で我儘で、毒舌を吐く。

 それでいて美しく知性と教養もある。

 そして美沙子は誰よりもやさしい女だった。


 私はいつも、そんな美沙子に振り回され、クタクタだった。



 最初の頃、会うと3回に1回は喧嘩をした。

 中々予約の取れない有名フレンチに連れて行った時も、彼女は突然ナイフとフォークを置いた。


 「美味しくない! このおソースでは折角のフォアグラが泣いちゃうわ!」


 また始まったと私は思った。

 美沙子は料理の天才だが、自分がこうだと思ったらすぐにそれを口に出してしまう女だった。


 「そうかなあ? このソースの方がこの重厚なボルドーには合っていると思うけど?」

 「信じらんない! あなたの舌はどうかしている! なんて鈍感な人なの!」

 

 私も彼女には遠慮はしない。


 「お前がどんなに食通かなんて知らない! だが今日は美沙子に喜んでもらおうと、この5万円のフルコースを半年も前から予約した俺の気持ちはどうなる!

 お前にはデリカシーという言葉は入力されていないのか! お前のその空っぽの頭には!」

 「そんなの知らないわよ! 私がいつそれを頼んだ? おねだりした?

 バッカじゃないの? たかが5万円のお料理じゃない!

 私はそんなに安い女じゃないわ! 帰る!」



 美沙子はいつもこんな感じの女だった。

 そして3か月もすると、ケロッとまたLINEをしてくる。



        何か美味しい物、

        ご馳走しろ♡



 美沙子はまるで猫のような女だった。

 来いと言っても来ない。そのくせ自分がかまって欲しいと摺り寄って来る。

 そんな私たちも、つき合い始めて2年が過ぎていた。

 今はお互いあまり喧嘩はしなくなった。


 それは私たちが大人になったからではなく、もう喧嘩のネタが尽きたからなのかもしれない。

 喧嘩が減った分、愛情が深まったような気もする。

 普通の恋人同士にとって、それは喜ばしい事ではあるが、私たちの場合は少し事情が違っていた。

 美沙子には家庭があり、私たちの関係は「不適切な関係」にあったからだ。

 最初、私は彼女の#ただの__・__#欲求不満のストレス解消のセフレだったが、段々と私は彼女の恋人に昇格しつつあった。



 「これ、あの吟遊亭の食パンなんだけど、焼き立てで旨いから家族で食べなよ」


 すると美沙子は無造作にパンをちぎるとそれを口に入れ、自分の唾液で湿った切れ端を私に差し出した。


 「私の齧ったパン、食べる?」

 「齧ったやつじゃなくて、お前の唾液で濡れたパンだろう? どうせなら口移しの方がいいけどな? 

 お前がお口でニャンニャンしたヤツが食べたい」


 彼女はそのパンを口に入れると、そのまま口移しで私にそれを食べさせた。


 「おいしい?」

 「お前の唾液の味がする」

 「この変態ドクター」


 私たちはそのままお互いを激しく求め合った。



 「もっと! もっと激しく突いて! あなたしか見えないように!」


 彼女はそう叫んでシーツを掴んだ。


 郊外のラブホテル。外で夏の名残の「日暮し蝉」が鳴いていた。


 あっという間に原色の夏も終わり、セピア色の秋に恋の舞台は移ろうとしていた。


 私と美沙子を置き去りにしたまま。



第2話

 ここはコーンポタージュが自慢の店だった。



 「どう? グルメクイーンさん?」

 「美味しい、お替りしてもいい?」

 「どうぞ、美沙子が褒めるんだからここは一流だね?」

 「こんなに美味しいスープ、久しぶりよ」

 「綺麗だよ、君の笑った顔」

 「当たり前でしょう? だって私、綺麗だもん」

 「否定出来ないのが、ちょっと悔しいな?

 君のご主人はかなりいい男なんだろうな? 君が惚れた男だから」

 「それはそうよ、彼ほどやさしい人はこの世にいないし、彼は一流の営業マン。

 私が#育てた男__・__#だもの」

 「それは大変失礼いたしました」


 私はそんな彼女を勝ち取った旦那に嫉妬し、美沙子に意地悪な質問をした。



 「そんなにすばらしい旦那がいるのに、なんで俺と付き合っているの?」

 「彼はおうちご飯、あなたはたまに食べたくなるフレンチだもの」

 「良かった、ラーメンって言われなくて」


 私はひと匙、スープを飲んだ。



 「でもね、毎日だったらラーメンの方がいいかなあ。あなたはたまにでいいの。

 美味しいけど食べた後、胃もたれしちゃうから」

 「悪かったな? バターソースのクドイ男で」

 「でも愛しているのはあなたよ。

 あなたは愛人で、夫はパートナー。

 好きだけど、愛していない・・・」

 「俺にとっては君は恋人だけどね?」

 「酷いじゃないの? 私は愛しているって言っているのに」

 「だってその方がラクだから。

 俺は俺なりに君を愛さないように生きている。

 いや、愛しちゃいけないと思っている」

 「どうして?」

 「君は#他人の奥さん__・__#だから」

 「ヘンな人。だからドクターはイヤよ、面倒臭くて。

 ねえお替り頼んでよ」

 「はいはい」





 帰りのクルマの中で、美沙子が言った。


 「もし、私があなたを本気で愛したらどうする?」

 「うれしいよ、それはそれで」

 「ホントに? いきなりパパになるのよ、3人の子供のパパに?」

 「手間が省けていいじゃないか? 俺、君の子供たちなら気に入られる自信はあるよ」

 「会ったこともないくせに」

 「会わなくてもわかるよ」

 「どうして?」

 「君の子供たちだから。

 君が僕に惚れたように、君のお子さんたちも俺に惚れるさ」

 「あなたも相当な自信家ね? そんなところ、嫌いじゃないけど」



 美沙子は私の頬にキスをした。


 「事故っちゃうだろ? そんなことしたら」

 「じゃあこれはどう?」


 美沙子は私の股間にやさしく触れた。


 私はハザード・ランプを点滅させてクルマを路肩に寄せて停めた。


 私たちは夢中でお互いを求め合った。


 カーコンポからはフランク・シナトラの『Fly me to the moon』が流れていた。



第3話

 愛し合った後、乱れたシーツの上に美沙子の赤身掛かった裸体があった。


 とても3人の子供を産んだ母親とは思えない均整の取れたプロポーション、上気して少し汗ばんだ額に解れ毛がセクシーだった。



 「10年後、下の子が高校生になったらね? 私、マルタ島へ移住するつもりよ」

 「あの地中海の島に?」

 「そう、あの美しい島、マルタ島」

 「エジプトやシュメールよりも1,000年以上も古い文明があったらしい。

 ハリウッド映画の『トロイ』『グラディエータ』『ポパイ』のロケ地としても有名な島だ」

 「私の夢なの、マルタで暮らすことが。

 だから、私に英語を教えてくれない?」

 「イタリア語じゃなくてか?」

 「公用語は英語なんですって」

 「そうか? でも俺は猫アレルギーだから通訳にはなれないよ。 美沙子の大好きな猫たちが70万匹もいるんだろう? 考えただけでも息苦しくなりそうだ」

 「あら、あなたの大好きなワンちゃんの島でもあるのよ。マルチーズの原種はマルタなんですって」

 「それはちょっと気になるなあ」

 「一緒に行かない? 10年後、マルタ島に」

 「それもいいかもな? マルタで小さなクリニックでもやるか? 美沙子と一緒に」

 「そして静かに暮らすの、マルタの美しい海を見ながら古代都市で」


 私は美沙子を強く抱き締めた。

 私にはもう何も失う物はなかった。

 人生はショートムービーのようなものだ。

 生きる価値は常識の外にある。


 今の私たちには道徳も倫理も通用しない。

 あるのはこの愛を貫くために、どんな犠牲も厭わないということだった。



第4話

 午後の外来も終わり、パソコンの電源を落として私が診察室を出ようとした時だった。



 「君島先生、今夜はどちらへお出掛けですか?」


 ナースの理恵が医療器具の後片付けをしながら、笑顔で話し掛けて来た。


 「そうだなあー、鮨でも摘んでその後はキャバクラだな?」

 「あら勿体ない。キャバ嬢にお金をあげるなら私に下さいよ。サービスしますよ、私の方が」

 「その方が金が掛かりそうだけどな?」


 理恵はバツイチの32歳、子供はいない。

 離婚の原因は旦那の浮気だと言っていたが、おそらくその逆だろう。

 理恵は看護師としては優秀ではあるが、美人で気が多い。

 誰とでもフランクに話すので、彼女は男たちの標的になっていた。



 「いいなあ、私もしばらく回らないお寿司なんて食べてないですよ」


 (俺を誘っている?)


 理恵クラスになると、男が誘い易いようにわざと緩い外角低めのストレートを投げてくる。

 ここのところ美沙子も忙しいようで、#あっち__・__#の方もご無沙汰だった。

 私は軽い気持ちで理恵を誘った。


 「一緒に食べに行くか? その後は俺が君を食べちゃうけどそれでいいなら?」

 「もう、先生のエッチ! 食べられてもいいかどうかは先生次第ですけどね?」

 

 中々いいリアクションだった。

 明らかに私に抱かれる気が満々だ。

 これで何人の男たちが沈んだことだろう?

 



 私は彼女をクルマに乗せ、エンジンをかけた。

 理恵は通勤にはそぐわない、ドレッシーな服装に着替えていた。

 どうやら今夜、彼女はそのつもりだったらしい。


 「いいねその服。それに見合うところに案内しないと悪いな?」

 「気にしないで下さい。いつもの普段着ですから」

 

 私は彼女の仕掛けた罠に嵌ってやることにした。

 丸見えのその罠に。





 私たちは鮨を食べ、軽く日本酒を飲んだ。



 「君島先生、おひとりで寂しくないんですか?」

 「もう慣れたよ。俺、家事も料理も好きだし。

 君はどうなんだ? ひとりで寝るの、寂しくないの?」

 「全然平気ですよ、独りって。

 食べたい時に食べて、寝たい時に寝て、だから家ではいつもパンツ一枚だけです」

 「見てみたいな? 君のパンイチ」

 「見たいですか? 私のパンイチ姿?」

 「いや、遠慮しておくよ、石になるのはイヤだからね?」

 「もうなっているじゃないですか? ここが石に」


 理恵がカウンターの下から私の股間に触れた。





 鮨屋を出て、ホテルのバーラウンジへ移動した。

 いつもなら葉巻が吸えるシガーバーにするところだったが、理恵の髪や服に葉巻の香が沁み込むのを私は遠慮した。



 「私はボーモアの12年を。理恵ちゃんは?」

 「私はブラッディ・マリーをお願いします」

 「じゃあ、それを」

 「かしこまりました」


 気の利いたバーテンダーは酒を作り終えるとゆっくりとその場を離れ、カウンター端の常連と話しを始めた。

 理恵は酔ったふりをして私の手に自分の手を重ねた。


 

 「なんだか酔っちゃったみたい。先生と一緒にいると凄く癒されるの・・・」


 私はその理恵の手を逆転させ、しなやかな彼女の指の間にさりげなく自分の指を入れた。


 理恵がビクンと小さく反応した。

 そして今度は私の肩に自分の頬を預けてきた。



 「先生、何だか眠くなっちゃった」


 私はそのままホテルに部屋を取り、理恵にお仕置きをすることにした。





 「ほら、どう? もっと強くして欲しいか?」


 私は理恵のピンと尖った乳首を強く摘まんだ。


 「もっと強く、先生、もっと強く私を虐めて下さい」

 「いけない女だな? このくらいはどうだ?」

 「もっと強く・・・」


 すると彼女は軽く果てた。

 私は彼女の口に自分をあてがい、フェラを促した。

 すると理恵はまるで別人のように、強力なバキュームで頭を激しく上下させた。


 私は体制を変え、彼女の秘貝のぬめり具合を確かめ、それが妥当だと判断すると、彼女に四つん這いになるように命じた。


 ゆっくりと挿入を開始すると、彼女は興奮し、艶めかしいメスの声をあげた。

 私は彼女の子宮に届くまで突いた。


 「お尻を、お尻を叩いて!」


 理恵の白い美尻に痕が残らないようにと、滑らせるようにスパンキングをした。


 そして彼女が絶頂を迎えると、私は彼女の顔に征服した証として射精をした。

 彼女の痙攣が続いていた。



 その時、私の携帯が鳴った。

 ベッドサイドの携帯に、美沙子からのLINEが届いた。

 私は既読することなく電源を切った。


 「女から?」

 「隣の家の猫からだった」

 「今、先生は私だけのもの。さあ続けましょう。

 今度は私があなたを気持ち良くしてあげる」


 彼女はトカゲのように舌を這わせ、私のカラダを舐め始めた。


 男は愛が無くても女を抱ける動物だ。少なくとも今の私はそうだった。

 

 私たちの戯れは朝まで続いた。



第5話

 家に帰り、美沙子からのLINEを開いた。



   ママ友たちと『水山』

   のとんかつ食べてまー

   す

   ママ友のセフレ君の話

   を聞いて私のセフレ君

   を思い出しちゃった

   セフレ君 今どこ? 

   凄く会いたい

   迎えに来て! 

   今すぐ!


 

   どうしたの? 

   お返事は?


   早く迎えに来い! 

   バカバカ


   もういい アンタな

   んか大っ嫌い!


   お世話しました! 

   サヨウナラ!



 私はため息を吐き、返信をした。

 自分勝手な女だと思った。



               ゴメン 気付かなかっ

               た

 

    もっとましなウソ吐け

    女とやってたくせに!


               食事して 帰って寝て

               たんだよ


    私を誰だと思ってんの

    よ(怒)

   そんなウソに騙されるほ

   ど 初心じゃないわ!

   おおかたエロナースにで

   も誘われたんでしょ!

 

   ホントにキライ!

   大っきらい!

   地獄に堕ちろ!

   サヨウナラ!




 女はどうして勘がいいのだろう?

 まるで見ていたかのように。





 翌朝、美沙子から再びLINEが届いた。



   今夜 会いたい


            どこで?


   「あそこ」で



            どこのあそこ?


   いつものホテル

   このボケ!

                

            了解しました




 美沙子はそんなおちゃめで可愛い女だった。

 さて、今日はどんな言い訳をしようか?

 私は朝のエスプレッソを飲んだ。





 クリニックに着くと、理恵がいつものように挨拶をして来た。


 「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

 「おはよう、じゃあ診察を始めようか?」

 「では患者さんをお呼びしますね?」


 私たちは夕べのことも忘れ、仕事に没頭した。




 

 診察も終わり、私が院長に帰宅する旨を伝えると、診察室にいる理恵からLINEが入った。

 理恵は私を見ていた。

  


   今夜も一緒にいたいで

   す

   先生のお家に行っても

   いいですか?


              ゴメン 今日はダメだ

              また今度ね?


   

   わかりました 

   絶対ですよ! 

   乗り逃げはダメですか

   らね!



 私はチラリと理恵を見た。

 彼女は頬をリスのように膨らませ、私を軽く睨んで微笑んでいた。

 面倒な女たちに挟まれ、俺は幸せだった。





 いつものホテルのレストランで美沙子と食事をしていると、案の定、尋問が始まった。



 「夕べは何処にいたの?

 じゃなかった、誰と#やって__・__#たの?

 どんな女? その女、良かった?」



 美沙子はセミロングの髪がポタージュスープに入らないようにと左側に寄せ、それを片手で抑えながらスープを飲んだ。

 男も女も品性は食事に出るものだ。

 美沙子の食事はとても優雅なものだった。

 私はそんな美沙子に欲情した。



 「だからひとりで食事して寝てたって言っただろう?」

 「嘘ばっかり」

 「昨日は患者が多くてね? 大変だったんだ」


 銀のスプーンをルージュの引いた口に入れる動作は淫靡だったが、それは品の良いエロスだ。


 「あなたが嘘吐く時、耳を触るクセがある。

 わかりやすい人。

 まあいいわ、後でボディチェックするから」

 

 私は黙秘権を行使することにした。





 その夜の美沙子は一段と激しかった。



 「さあ言いなさいよ! その女とどんなふうにしたの?

 こんなこともしたんでしょう? 私よりも気持ち良かった?」


 美沙子は私の乳首を舐めながら、強くペニスをしごいた。


 私は美沙子の髪を掴み、背骨を指でなぞってみせた。


 ここで負けるわけにはいかない、美沙子の急所は背中だった。

 背骨に沿って背中が汗ばんでいる。感じている証拠だ。



 「背中、舐めて・・・」


 私は彼女の要望に応えた。




 一回戦が終わり、美沙子は私の胸に顔を乗せていた。



 「ねえ、私とその女、どっちが好き?」

 「どっちじゃなくて、俺はお前が好きだよ」


 美沙子は私の耳を甘噛みした。



 「私、負けないわよ」

 「負けるも負けないも、だからお前だけだって言ってるだろう?」

 「別の女の匂いがするわ・・・。 

 私じゃない、下品な女の香りが・・・」


 私は話題を変えた。


 「今度、1泊で旅行に行かないか?」

 「私は人妻でママなのよ?」

 「いつかの話だよ、いつかの話・・・」

 「どこに?」

 「神戸。好きなんだよ神戸。横浜とは違うエレガントな港町だから」

 「神戸かあ? 行ったことないなー。

 お洋服、たくさん買ってくれる?」

 「もちろん」

 「神戸牛も?」

 「当然」

 「行きたいなあ、神戸」

 「いつか行こうよ、神戸」


 私は美沙子にキスをした。


 「またして、今度は後ろから・・・」



 美沙子はいつもよりも激しく喘いで果てた。

 その満足げな表情を見ていると、やはりこの女は別格だと思った。


 そしていつまでもこのままの距離間でいいと私は思った。



第6話

 酒と女に溺れる毎日、私はダメ医者だった。

 私の専門は小児外科だったが、ある日からメスを握ることが出来なくなってしまった。

 それは咲ちゃんという5歳の女の子との出会いから始まる。


 咲ちゃんは小児がんだった。

 助かる見込みのない子だったが、私にはよく懐いていた。



 「君島先生、ほら見て、シェリー・メイにママがおリボンをつけてくれたの。

 かわいいでしょう?」

 「ホントだね? ピンクのリボン、かわいいね?」

 「うん。咲ちゃんね? 早くお家に帰りたいなあ。

 先生、いつ帰れる?」


 

 私が小児外科を目指したのは、ひとりでも多くの子供の痛みを、命を救いたいと思ったからだ。

 だが、現実は悲惨なものだった。

 幼い命がこの手から零れ落ちていく毎日に、私は自己嫌悪に陥っていた。


 

 (どうして俺には救えない? この天使のような咲ちゃんの命を・・・)



 大学病院には咲ちゃんのような患者がたくさんやって来る。

 だが、不思議なことに短い命を終える子供たちは、その短い一生の中で精神的に成長するのだ。

 咲ちゃんも例外ではなかった。



 「先生、お嫁さんはいるの?」

 「いないよ、独りぼっちなんだ」

 「そう、じゃあ咲ちゃんが先生のお嫁さんになってあげる」

 「ありがとう、咲ちゃん」



 とても5歳の女の子の口調ではなく、それはまるで高校生が話すような口ぶりだった。




 カウンセリングルームで咲ちゃんの両親に病状を説明した。

 それは余命宣告だった。



 「君島先生、咲はもう助からないんですか? 何か方法はないんですか!

 咲はまだ5歳なんですよ? なんで咲ばっかり、こんな目に遭うんでしょうか?

 私が主人を前の奥さんから奪ったからですか? その罰なの? 先生、教えて!」


 旦那さんは泣きながら奥さんをなだめた。



 「すみません、妻が取り乱してしまいまして・・・。

 正直、私も気が狂いそうです。どうして咲が・・・」

 「私は咲ちゃんのようなお子さんをたくさん看取って来ました。

 私は思うのです。まだ幼い子供でも100歳を超えたお年寄りでも、命の尊さは同じだと。

 人は病気や不慮の事故で亡くなるのではありません。寿命で天に召されるのです。

 どうかご理解下さい。

 私たちも全力でサポートしますから」

 「先生、手術も出来ないのですか?」

 「残念ですが・・・」



 それでも私は諦め切れず、海外の論文や実例を調べた。

 その中に、咲ちゃんと同じ症例を見つけ、私は早速その医師とコンタクトを取った。

 すると、その論文を書いたベルリン大学の医師は私にこう言った。


 「理論的には可能だが、それが成功するかどうかの確率は5%にも満たないよ」


 と言われた。

 私は合同カンファレンスでその事情を説明した。



 「君島、それは無理な話だ。リスクが大きすぎる。

 気持ちはわかるが、私たち医者は神ではない。

 100人のうちのすべての患者の命を救うことは不可能なんだよ」


 そう佐伯准教授は言った。

 カンファレンスは終了した。





 そして2週間後、咲ちゃんは天国へと旅立った。



 「咲を返して! この人殺しーっつ!」


 泣き叫ぶ咲ちゃんの母親。訴えられることはなかったが、私は大学病院を辞めた。

 今も咲ちゃんママの叫び声が耳から離れない。

 私は医者として失格だった。



 そして今、私は採血と尿検査をしてデータ分析を行い、クスリを処方するだけの糖尿病のクリニックの手伝いをしていた。

 ここでは人は死なない。

 死にそうな患者は大学病院へ紹介状を書いて送り出せば良かった。



 「佐々木さん、ヘモグロビンA1cも6.5になりましたね? いい傾向ですよ」

 「先生、腎臓の方はどうでしょうか?」

 「クレペチンの方は横ばいですから、あと5キロはダイエットして下さい。肥満はよくありませんから」

 「ついつい食べちゃうんですよねー」

 「私は夜はなるべく食べないようにしています。

 佐々木さん、キュウリとかトマトがいいですよ、お腹も膨れるし」

 「そうですね? がんばってみます」

 「ではお薬は35日分処方しておきますね?」

 「ありがとうございました」

 「お大事に」



 理恵が話し掛けてきた。


 「先生、今日の患者さんはこれで終わりです。

 今日のご予定はまたキャバクラですか? それとも別な子猫ちゃんとですか?」

 「今日は映画だ。メグ・ライアンのね?」

 「私もメグ・ライアン、大好きなんです! ご一緒してもいいですか?」

 「ごめん、映画はひとりで観る主義なんだ」

 「じゃあアダルトビデオは?」

 「その時は一緒にね? 近い内にまた誘うよ」

 「絶対ですよ!」


 私はクリニックを後にした。



第7話

 「先生、私、今日、お誕生日なんです」

 「そうだったんだ? ごめん、気が付かなくて。

 何か欲しい物はある? プレゼントするよ」

 「じゃあ思い出を下さい」


 並みの女なら適当な品物を要求するものだが、理恵はその上を見据えていた。


 「それはまたベタな要望だね? 僕はそんなロマンチストじゃないよ」

 「女の子ですから、私。

 お祝いして下さい。ちょっとでいいんです」

 「何が食べたい?」

 「おいしい天ぷらかな?」

 「いいよ、じゃあ今日、仕事が終わったらね?」

 「はい!」


 理恵はうれしそうにはしゃいでいた。

 

 彼女の本当の誕生日は6月23日だった。私はわざと騙されたふりをした。

 今日は女を抱きたい気分だったからだ。




 「やっぱり目の前で揚げてもらう天ぷらは最高ですね?」

 「ここの天ぷらは別格だ。庶民の天ぷらじゃなくて芸術の領域だからな?」

 「天ぷらって繊細ですからね?」

 「いい天ぷら職人はどんな料理も作ることが出来る。

 すべての料理の基本が出来ているからだ」

 「しあわせー、君島先生にこんな素敵な天ぷらをご馳走になれるなんて」

 

 

 一通り食事を終えると、 


 「今日はご馳走様でした。

 先生、これからどこに連れて行ってくれるの?」


 意味ありげに理恵が笑う。


 「折角の誕生日だから、お仕置きをしてあげるよ。好きだよね? 虐められるの?」

 「好き・・・」


 理恵はそう小さく呟くと、私の腕に自分の腕を絡ませてきた。




 私はホテルのパティスリーに予め誕生日ケーキを予約しておいた。

 

 「バースデーケーキを予約していた君島です」

 「少々お待ち下さい」


 スタッフは私にホワイトチョコレートのプレートの確認を求めた。


 「こちらでお間違いないでしょうか?」

 「はい、大丈夫です。ありがとう」

 「はい、バースデーケーキ」

 「ありがとうございます! ケーキまで用意してくれたんですね! 感激です!」




 部屋に入るとルームサービスを呼び、シャンパンを開けた。



 「お誕生日おめでとう。来年の6月23日に乾杯」

 「バレてましたか?」

 「僕は付き合った女の誕生日と死んだ愛犬の命日は忘れないからね?」

 

 理恵は私にディープキスを仕掛けて来た。



 「先生、いけない私を御仕置きして下さい。

 私を滅茶苦茶にして・・・」

 「その前に、ケーキを食べよう」


 理恵はリボンを解き、ケーキの箱を開けた。


 「わあ、ちゃんと名前も書いてある、素敵!」

 「理恵、脱げよ」

 「だってまだケーキが・・・」

 「いいから、早く脱げ! ハイは?」

 「はい・・・」



 どうやら理恵もスイッチが入ったようだった。

 彼女は上着を脱ぎ、恥ずかしそうにブラウスのボタンを外しながら言った。


 「シャワーを浴びて来ます」

 「そのままでいい。どうせ汚れるんだから」

 「えっ?」


 私は今夜、サド侯爵を演じることにした。


 「そのままベッドに仰向けになりなさい」

 「・・・はい」



 理恵はベッドに横たわり、目を閉じた。

 人間とは面白いもので、まさかあのバリバリのやり手ナースの理恵が、こんな子猫のようになるとは誰も思いはしないだろう。

 私は最近のマンネリぎみのセックスに飽きていた。



 私はバースデーケーキを鷲掴みすると、それを理恵の身体に塗り付けた。



 「きゃっ! 先生、折角のケーキが勿体ない・・・」

 「ケーキはこうして食べるものだよ」


 私は手に付いたクリームとイチゴを理恵の口に入れた。


 「どう? 美味しい?」

 「とっても美味しい・・・」

 「そうか、じゃあ今度は僕が食べるよ」


 私は理恵の乳房に塗った生クリームを行儀悪く音を立てて舐め始めた。


 彼女の身体が反り返り、理恵は悲鳴を上げた。

 私はそれに構わず、乳首を甘噛みし、舌でそれを転がした。

 理恵の手が私の背中を強く抱いた。


 脇腹から脇の下、背中、足へと、私は容赦なく塗られたクリームを舐め回わしていった。

 絶叫する理恵。

 私はそんな理恵に興奮した。


 理恵の一番敏感なところに残ったクリームを塗り付けた。



 「あん、そこは、ダメ・・・」

 「じゃあ、こうしてあげるよ」


 私は彼女のクリトリスを強く吸った。


 「はうう、あうう・・・」



 どんどん大きくなっていく理恵の喘ぎ声。彼女は私の頭を掻きむしった。

 クリームと愛液で溢れた蜜を私は音を立てて吸った。

 私は自分のそそり立ったそこにクリームを塗ると、


 「理恵も舐めなさい」


 と、彼女の口に自分のそれを押し付けた。


 理恵は無言のまま、それを狂ったようにしゃぶった。

 私たちは第三楽章へ突入を開始した。


 

 ヌチャヌチャと淫靡な音を立て、私のペニスが理恵の中で出し入りを続けた。



 「いい、すごくいいの! お願い、首を、首を絞めて!」



 私は彼女の首に手を掛け、軽く絞めるふりをした。



 「もっと、もっと本気で強く締めて!」



 私はそれをする代わりにある試みをした。

 私は彼女の頬を軽くビンタしてみた。


 すると彼女はうっとりとした目で私を見ると、


 「先生、もっと、もっと叩いて・・・」


 私はもう一度だけビンタをするとそのまま律動を続け、射精に集中することにした。



 「先生のが欲しい! 飲みたいからお口に出して!」



 私が彼女の願いを叶えてやると理恵はそれを飲み込み、彼女の息が荒くなった。


 


 どれだけ時間が過ぎただろうか?

 彼女はすでにバスローブを着てソファに座り、ブランディを飲みながらメンソールタバコをふかしていた。

 これが理恵のいいところだった。

 彼女は色んな女を演じることが出来る。



 「先生、お先にお風呂いただいちゃいました。

 私のケーキ、美味しかったですか?」

 「たまにはいいだろう? こんなお遊びも?」

 「なんだか病み付きになりそう。

 今度はメイプルシロップとかはどうですか?」

 「ハチミツはどう?」

 「それもいいかも」


 私たちはそう言って笑った。


 「先生、今日が本当のお誕生日です」

 「どうして?」

 「私たちの「愛が生まれた誕生日」ですから」



 理恵はブランディを口に含むとそれを私に口移しをして濃密なキスを仕掛けて来た。

 

 だが、その時私は美沙子のことを考えていた。


 家族に囲まれ微笑む美沙子のことを。



第8話

 いつもLINEしか寄越さない美沙子が、めずらしく電話を掛けて来た。


 「めずらしいな? 君から電話なんて? どうした?」

 「今、ひとり?」

 「俺はいつもひとりだよ」


 私は私に寄り添う理恵の髪を撫でながら、口に指をあて、「静かにしろよ」と口だけを動かし、理恵に命じた。



 「最近、連絡くれないのね? 女が出来たのね?」

 「そんな暇はないよ、最近は忙しくてね?」

 「うそ! 私に飽きたのね? 私、捨てられちゃったの?」

 「飽きるもなにも、君は人妻だろう? 僕は君の単なるストレス解消のセフレだ」

 「酷い人、こんなに好きにさせておいて後は乗り逃げ?」

 「君には旦那がいて、僕の他にもたくさんのボーイフレンドがいる女王様じゃないか?

 どうした? 君がそんなこと言うなんて。

 いつもと違って今日はやけに弱気じゃないか?」


 その時、理恵が私のペニスを口に入れ、音を立てずに動かし始めた。



 「うっ」

 「やっぱり女がいるのね? してもらっているんでしょう!

 代わってよ、そこにいるその女に!」

 「だから誰もいないって」


 私は理恵の背中に指を滑らせた。


 「いやん・・・」

 「やっぱり! 出しなさいよその女を!」


 すると理恵が私からスマホを取り上げると、


 「うるさいオバサンね! お楽しみ中に電話なんかしてこないで! 気が散るじゃないの!」

 「オバサン? ふざけるな、この小娘!

 私の彼から離れなさいよ! 今すぐに!」

 「イヤよ、オバサンはちゃんと真面目に奥さんしていなさいよ。アハハハハ」

 「離れなさい! 私の彼から!」

 「美沙子、僕は君のファンクラブから脱会することにするよ。

 僕には君を愛することはできない。楽しかったよ、今までありがとう」

 「待って切らないで!」

 「もう話すことはないよ、さようなら」


 私は携帯の電源を切り、激しく理恵を抱いた。


 「誰にも渡さない、先生は私だけのもの。お願い、中に、中に出して!」






 翌朝、スマホの電源を入れると美沙子からLINEが届いていた。



    最後に会いたい


              会ってどうする?


    それは会ってから話

    すわ


              僕はネタ切れだよ


    いつものカフェで待

    ってる

    19時からあなたが来

    るまでずっと待って

    る





 私は診察を終え、カフェに向かった。

 美沙子はすでに泣いていた。

 私に気付くと慌ててハンカチで涙を拭った。



 「私、泣いてなんかいないからね?」

 「そうだろうね? 目から汗が出てるよ」

 「このお店、暑いから・・・」


 美沙子は泣きながら笑った。

 私は危うく彼女を抱き締めてしまいそうになった。

 彼女は乙女のような純真さをまだ忘れていない。

 それが私が美沙子に惹かれた理由でもあった。



 「ごめんなさい、私が悪かったわ。許してお願い・・・」

 「君は何も悪くない。

 歌にもあるだろう?『男が女を愛する時』にも。

 

   

   どんなに彼女が悪くても 彼女は悪くない



 ってな?

 男が女に惚れるという事はそういうことさ」

 「愛してしまったの、あなたを」


 私はウエイトレスを呼んだ。


 「ハイネケンを」

 「かしこまりました」


 私は運ばれて来たグリーンのボトルをグラスには注がず、そのままラッパ飲みをした。



 「僕は前から君を愛していたよ。そして今も愛している。

 だからここへ来た」

 「もう一度、最初からやり直したいの、あなたと・・・」

 「君には失うものが多すぎる。僕は真剣に君に惚れた、そして愛した。

 その事実だけで俺は十分なんだ」

 「どうしてもダメなの?」

 「美沙子が僕を救ってくれたんだ。

 僕はもうドクターじゃない、ただのカウンセラーだ。

 そんな僕を癒してくれたのは君だ。

 終わりにしたいんだ、もう。

 そうじゃないと、僕は君を地獄に引き摺り込んでしまいそうだから」

 「それでもいい、それでもいいの。

 いえ、寧ろその方がいい。

 私、わかったのよ、本当に愛しているのはあなただけだってことが」


 私はハイネケンのボトルを見詰め、言った。


 「今はそう思うかもしれないが、時間が経てば必ず君は後悔する。

 その時、今の10倍の悲しみが君を襲うことになるだろう。

 これ、美沙子が好きな『ルツェルン』のケーキだ。子供さんたちに。旦那さんの分もある」


 私は伝票を持って席を立った。


 「待って、最後にもう一度だけ私を抱いて」

 「止めておくよ、決心が鈍るといけないから」


 私は背を向け、右手を軽く上げてレジへと向かった。



 レジで支払いをしようとした時、美沙子が背中に抱き付いてきた。

 驚く周りの客やスタッフたち。



 「みんな笑って見てるよ」

 「いいの! 笑われても! なんと思われても平気! 私はあなたが好きだから!」




 私は美沙子の肩を抱いて店を出た。

 夜空には三日月が引っ掛かっていた。

 どうやら私の決心はさほど大したことがなかったようだ。

 

 その夜、また私たちは振り出しに戻ってしまった。



第9話

 美沙子は何度も私を求めた。


 「もっと、もっとよ、もっと強く私を抱いて!」


 私は美沙子の要求に応えようと、あらゆるテクニックを試みた。



 「あの女と同じように、同じように私を抱きなさいよ!

 こうなの? こんなこともしたんでしょう? ほら、もっと舌を使って私を楽しませなさいよ!」


 美沙子は私の顔にまたがると、潤んだそこを私の鼻に押し付けて来た。

 ヌチャヌチャと卑猥な音がして、微かにチーズのような香りがした。


 私は彼女の敏感なそこに舌を細く窄めて挿入した。

 息も絶え絶えに、腰を振る美沙子。

 すぐに彼女は絶頂に達し、私のカラダの上に崩れ落ちた。


 今度は私が彼女に反撃する番だ。

 私は彼女を四つん這いにさせると、バックスタイルのまま、ゆっくりとそこへの侵入を開始した。


 「あうっ、もっと、もっと奥までちょうだい・・・」


 子宮口に当たるように、私は夢中で彼女を攻め続けた。


 悶絶する彼女の表情を見ていると、より一層私は興奮を覚えた。

 美沙子と私のカラダの相性は良かった。

 理恵はやや肩幅が広く、抱き心地は断然美沙子の方が勝っていた。

 私たちは同時にエクスタシーの谷底へと落ちて行った。



 射撃を終えたペニスは脈打ち、彼女の中も伸縮を繰り返しながら体全体が痙攣していた。

 日中の彼女からは想像も出来ない光景だった。



 「ゴムをつけると擦れるから辞めてね?」

 「日本のは性能がいいよ、モノづくり大国ニッポンだからな?

 ゴムじゃないやつを用意するべきだったな?

 大丈夫か?」

 「平気よ、ビチョビチョだったから。

 でもやっぱり生がいい。直にあなたを感じたいから」



 美沙子とのこんなピロートークはホッとする。

 SEXはお互いの呼吸が大切だ。



 「ねえ、どっちが良かった?」

 「どうかなあ? どっちもそれなりに優秀だからな?」

 「何よそれ、普通は「君が良かったよ」でしょう? デリカシーのない人」

 「デリカシーのない君に、言われたくはないけどね?」

 「意地悪・・・」


 美沙子は私にフレンチ・キスをした。

 自分が一番だと、既に美沙子は確信している。

 私はそんな美沙子が好きだった。

 

 だが美沙子には家族がいる。

 私たちは不倫を清算すべき時をとっくに過ぎてしまっていた。






 午前中の診察が終わり、私は院長に食事に誘われた。



 「どう? 君島先生、お昼に鰻でも?」

 「いいですね? お供します」



 私は院長の運転するボルボで鰻屋へ向かっていた。

 院長の話はおおかた想像がついていた。

 おそらく理恵の事だろう。

 お局の理恵は好き嫌いが激しく、敵と味方が半々だった。

 ハンドルを握りながら院長が言った。



 「君島先生は理恵ちゃんと付き合っているの?」

 「食事をする程度ですけど、それが何か?」

 「いや、ただ何となく付き合っているのかなと思ってさ。

 気を悪くさせたらゴメンね?」

 「いえ、院内での恋愛はいい事ではありませんからね?」

 「いや、いいんだ。

 君も理恵ちゃんも独身だし、寧ろめでたい事だよ。

 所詮、この世は男と女だからね?

 それより君島先生、ハンブルグのロンメル教授のところで勉強する気はないかな?」

 「私がですか?」

 「先日、医師会の会合で石橋教授とお会いしてね? それで君島君の話になったんだよ。 

 「君島君は元気にしているかね?」って。

 本来、君はウチみたいなクリニックにいるような医者じゃないからね?

 クリニックとしては助かってはいるが、君の医者としてのキャリアを心配されていた。

 大学の医局から離れた君には異例のことかもしれないが、もう一度、ドイツで小児外科医として復帰しないかと言う話なんだよ」


 確かに通常ではありえない話だった。

 石橋教授は私の指導医だったが、物静かな研究肌で尊敬をしていた人物だった。

 だが果たして今の私に、もう一度メスを握ることが出来るのだろうか?


 実は今でも小児外科の論文や学術書は読み続けており、手術シュミレーションのイメージトレーニングは欠かさなかった。

 

 「ありがとうございます、心配していただいて。

 正直怖いんです。ブランクもありますし、トラウマがあるので」

 「まあ、今週一杯考えてごらんよ」



 私たちは鰻屋に着くと、ただ世間話をしながら鰻を食べた。

 

 ドイツに行くこと。そして今の自分に踏ん切りをつける事に私の心は揺れていた。



第10話

 寝つきの悪い夜だった。

 私は酒と女で自分を満たしていた。

 おそらく今度のハンブルグ行きは、自分を取り戻す最後のチャンスになるだろう。

 

 以前つき合った女に訊いたことがある。

 なぜ俺と付き合ったのかと。


 「最初はあなたがドクターだったから。

 でも付き合っていくうちに、それがあなたへの憐憫に変わった」

 「母性を感じたというわけか?」

 「ううん、そういう感情じゃないんだよね? 土砂降りの雨の中を彷徨う子犬って感じ。

 かわいそうで見ていられなくなった。

 そして抱きしめたくなった」


 女たちは異口同音に私を「かわいそう」だと言った。

 女たちからすれば私は、ただの「かわいそうな子犬」だった。


 私が再婚しない理由は2つ。

 ひとつは自由でいたいこと。そしてもうひとつは子供を持つことが怖かったからだ。

 どうしても咲ちゃんのことが頭から離れなかった。

 ハンブルグに行けば、私は変わることができるのだろうか?


 



 最近、美沙子からの連絡が途絶えていた。

 私から美沙子に連絡することは控えていた。

 彼女は主婦であり、母親だったからだ。

 それが不倫のルールだと思っていた。


 私は美沙子の旦那に対して、罪悪感は微塵も感じていない。

 なぜなら妻が浮気をするということは、夫が間抜けだからだ。

 妻への無関心、靴を磨いてもらっても、朝早く起きて弁当を作ってもらっても「ありがとう」の一言もない。

 男としての魅力もやさしさもない。

 そんな旦那は妻に浮気されて当然であり、憐れむべき理由はどこにもないからだ。


 「よくもうちの女房を!」


 と憎まれ、罵られ、殴られ蹴られても私は平気だった。

 そんないい女を繋ぎ止めて置けるだけの魅力がないという証明なのだ。


 そして子供たちに親が必要なのは、子供たちが恋愛をする時までだ。

 子供たちは恋愛の中から多くを学んでいく。

 だからそれまでの子供の教育について、親には責任があるのだ。

 どんな相手を選べば幸せになれるかを教えてやる必要がある。


 同僚の医者が言っていたが、「子供は親の背中を見て育つ。じっと観察し、意識するしないに関わらず、潜在意識に記憶され、それが行動心理や、根本的な思考に結びついていくのだ。

 子供に対しての直接的な教育は3歳までだ。

 それ以降は子供の手本になるような生き方をしなければならない。

 だからいかなる理由があろうと、幼少期に子供を捨てる父親は最低の人間だと言える。

 そんな男はマザコンの暴君ネロタイプが多い。

 精神的に未発達なんだよ。つまりガキだということさ。

 だってそうだろう? あんな一番かわいい時期に子供を捨てることが出来る親だ、末路は見えているよ」

 

 確かに子供は親の背中を見て育つ。

 だから3歳を過ぎれば面倒な説教などは不要だ。

 それが証拠にダメな親にはダメな子が、人間的魅力に溢れた親には同じような子がいるものだ。

 子供はバカではない。どんなに偉そうなことを親が言ったところで、「あんたにそんなこと、言える資格があるの?」と見下されるのがオチだ。

 だから子供をしあわせにしたいと思うなら、自分が幸せにならなければならない。

 そうでなければ子供を作る資格はない。


 先日、テレビで元アイドルのタレント議員が言っていた。


 「お金に不安がある人でも、国の支援で子供を産み、育てることが出来ます」


 経済的に余裕のないところに子供が生まれる。それこそ悲劇の始まりだ。

 

 


 携帯が鳴った、理恵からだった。



 「先生、遊びに来ちゃいました」


 するとチャイムが押され、ドアスコープから覗くと理恵が黒のカシミアのコートを着て立っていた。

 ドアを開けるとすぐに理恵が私に抱き付いて来た。

 カシミアのコートからは真新しいクリーニングの香りがした。


 「先生、お仕置きして・・・」


 彼女はコートを脱ぐと、ブラとショーツだけの姿だった。

 それから約90分間の戯れが始まった。



 理恵との関係は恋愛ではなかった。少なくとも私にとってはだ。


 可愛い女だとは思うが、それは愛玩動物に対する感情と同じだった。

 

 (では美沙子は?)


 それは考えても無駄なことだった。


 

 「先生、私もうクタクタです・・・はあ、はあ・・・」

 「俺も満足だったよ、ありがとう、理恵」


 理恵は私に体を摺り寄せ、私の胸に手を置き、あの呪いの言葉を口にした。

 

 「私を捨てないでね?」


 君はどうやら「子猫」だったようだ。人は捨てるとは言わない、「別れる」というからだ。


 私は理恵を「捨てる」ことにした。



最終話

 美沙子に呼び出された。


 「ねえ、夜のドライブに連れてってちょうだい」




 美しいフルムーンの夜だった。

 美沙子は私の右手を取り、スカートの上で両手で握ると、運転席の私の肩に寄り添った。

 今日の美沙子の香はブルガリだった。

 私はジュリー・ロンドンの『Fly me to the moon』をかけた。



 「お月様に飛んで行きそう・・・」


 私は何も言わず、横顔で微笑んで見せた。



 「ねえ、今度の土日、神戸に連れてけ」

 「大丈夫なのか?」

 「大丈夫にした・・・」


 そして美沙子は音楽に合わせるように私にキスをした。

 私は路肩にクルマを寄せ、それに応じた。





 土曜日の診察が終わり、着替えて出ようとすると理恵に呼び止められた。


 「先生、お出かけですか? そんなにおめかししちゃって」 

 「たまには俺にも恋の休日が必要だ」

 「女ですか? またあのオバサンを抱くんですか?

 私、負けませんからね?」


 



 夜の新幹線は東京駅を定刻通りに出発した。

 私たちはシャンパンで乾杯をした。



 「ねえ、神戸ってどんなところ?」

 「綺麗な港町だよ、美沙子みたいにエレガントで気まぐれで」

 「私は気まぐれじゃないわよ。私はね、ただ自分に正直なだけ」

 「なるほど、じゃあかなりな正直者だね? 君は?」


 美沙子は透明なプラスチックのコップに注がれたシャンパンを飲み干した。

 彼女の動く華奢な喉に私は見惚れた。

 私はその空になったコップにシャンパンを注いだ。



 「でもね? これでもけっこう辛いのよ。自分に正直に生きるって・・・」

 

 そう言うと、美沙子は疎らになっていく車窓の灯りを寂しげに見詰めた。

 美しい女だと思った。

 その苦悩に揺れる憂いを秘めた横顔が、より彼女の美しさを引き立てていた。




 22時前には新神戸駅に降り立つことが出来た。

 私たちは地下鉄で三ノ宮まで行った。



 「これがあの震災で壊滅的だった神戸の街なの? まるで光のメガロポリスみたい!」

 「今日は遅いからショッピングは明日にしよう。

 ホテルのレストランで食事にしようか? 神戸牛は明日、専門店で食べよう」

 「うん! 本当に来てよかった、神戸。

 あなたの言った通り、いえ、それ以上だった」




 私たちはポートピアホテルのスカイレストランで食事を楽しんでいた。


 「夜景がすごく綺麗。東京や横浜の夜景とは全然違うわね?」

 「神戸は夜景まで優雅だ。大阪や奈良、京都にも近いが、街並みと人柄が全く異なる不思議な街だ。

 特に大阪の女は神戸に憧れがあるらしい。奈良、京都は嫌うのにな?」

 「そうなんだ、お隣同士なのにね?」



 そう言って美沙子がワインを口にした時、彼女の携帯にLINEが届いた。

 

 「家から?」

 「うん、夫から・・・」

 「なんだって?」

 「「先生と楽しんで来てね?」だって。馬鹿みたい・・・」

 「えっ?」


 私はフォークの手を止めた。


 「何で知ってるの? 今日の事」

 「私が言ったからよ」


 美沙子は何事もなかったかのように、またワインを口にした。

 薄い上品なワイングラスに、美沙子のルージュが付いていた。

 それは艶めかしく、別れの予感があった。





 食事を終えて部屋に戻ると美沙子は言った。


 「今日で最後、夫と約束したの。あなたとはもう会わないって・・・。

 だから、だからお願い。今夜は忘れられない夜にして。この体にあなたを刻み付けて欲しい」

 「なくなると思うと、急に惜しくなるものだね?

 僕は一体今まで何をして来たんだろう? ただ君を傷付けただけだった」

 「そんなことない。 決してそうじゃないわ!

 気まぐれなんかじゃないの、あなたを本気で愛したのよ!

 ただ、ただね?・・・」

 「いいんだ、もう何も言わないでくれ。もう何も。

 おかげで決心がついたよ。僕はハンブルグに行くことにする。

 教授が推薦してくれたんだ。僕はもう一度、メスを握ることにするよ」

 「そう? 良かったわね? それでいつ日本を発つの?」

 「来月には行こうと思う。準備もあるしね?」

 「あなたのことは忘れないわ。でもあなたは私のことは忘れてもいいわよ」

 「どうして?」

 「あなたも私のことを想ってくれていると思うと、辛いから・・・」




 その夜の最後の行為は愛に満ちたものだった。

 ふたりにとって忘れられない、忘れてはいけない夜になった。






 それから10年の歳月が過ぎ、ハンブルグの私の元に一通の絵ハガキが届いた。

 美沙子からだった。



      今、マルタ島にいます。

      何か美味しい物、ご馳走しろ!

      待ってるからね?

 


            マルタより愛を込めて

             

            by 美沙子




 絵ハガキには青く美しいマルタの海と、世界遺産の古代都市が写っていた。

 

 私は今度の週末に、マルタ島へ行くことを決めた。



                          『慕情』完 




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】慕情(作品230708) 菊池昭仁 @landfall0810

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ