第三笑 長期病気休暇 その二

それからの数日間、点滴の時間が来るのが恐怖でした。

両腕には既に、針を刺せる場所がなくなり、両手の甲に場所が移されました。


流石にあれ以来、薬剤間違いは起きませんでしたが、点滴速度を間違えるのはしょっちゅうでした。


ちなみにあの日、俺に間違えて投与されたのは鎮静剤だったようで、しかもクレンメ全開で急速投与されたので、かなりヤバかったようです。


俺の点滴の度に、病室を出て行く同室の患者さんたちが、最後に俺に向ける憐みの視線が、胸に突き刺さりました。


一度彼女がいないのを見計らって、他の人に担当を代えてもらえないか、看護師長に交渉してみたのですが、「人手不足なんです」という一言と共に、苦笑いでスルーされてしまいました。


同室の人から聞いた話によると、彼女はその病院の理事長の一族で、病院職員も中々彼女に強いことを言えないのだそうです。


それに加えて厄介だったのは、由美子看護師には、全く悪意がなかったことです。

懸命にやった結果が、常にとんでもないことに繋がるので、余計に質が悪かったんです。


その頃から俺は1日でも早く、<幸運グッドラック病院>という名の地獄から抜け出したいと、強く願っていました。

そして遂に、あの恐怖の一夜が来たんです。


その日の夜間当直は、由美子看護師でした。

俺は何かが起こりそうな、とても嫌な予感がしていたのを覚えています。


ガシャーン。

「きゃあ」

静まり返った病棟に、何かをひっくり返す音と、由美子看護師の悲鳴が鳴り響きました。


それに、もう1人の当直看護師の怒声が続きました。

「もう、何やらかしてんのよ!」


多分病棟中の入院患者が、何が起こっているのか、容易に想像できたと思います。

暫くガチャガチャという音が聞こえた後、病棟は静まり返りました。


消灯時間を過ぎていたので、非常灯以外の灯りは、自動でオフになっていたのです。

俺がそろそろ寝ようかと思った時でした。


「徳山さん」と、小声で呼び掛ける、由美子看護師の声がしたのです。

「何ですか?こんな時間に」

俺は嫌な予感を覚えつつ、小声で応えました。


「実はね、さっき点滴した時に、薬を入れ忘れてたんですよ」

「は?じゃあさっきのは」

「ただの輸液です。体に害はないですよ」


――あってたまるか!

彼女の答えを聞いた私は、心の中でそう叫んでいました。


「それで何なんですか?」

俺が訊くと、彼女は更に顔を近づけてきて言ったのです。


「なので、今から点滴しますね」

「は?」


それを聞いて、俺は絶句してしまいました。

――今から点滴?こんな夜中に?


「ですから、今から点滴します」

「どうして?」


「どうしてって、薬をちゃんと投与しないと、治らないでしょ?」

由美子看護師は、当然だと言わんばかりの顔をしました。


彼女はおもむろに俺の右手を掴むと、いつの間にか手にした翼状針を、手の甲にぶっ刺したのです。

何故かその時に限って、針は一発で静脈に刺さりました。


「やったあ。今日は1回で刺さりましたよ」

うきうきした声で言うと、由美子看護師は、点滴バックの注入口から薬剤を注入し、点滴を落とし始めました。


「由美子さん。前みたいに、薬を間違えてませんよね」

俺が念のために確認すると、彼女は不本意とばかりに、口を尖らせました。


そして手に持った薬のバイアルを、俺の前に突き出したのです。

「大丈夫ですよ。ほら、ちゃんと〇〇カシンって、書いてあるでしょ」


しかし薬のラベルを見た俺は、眼が眩みそうになりました。

確かに〇〇カシンに間違いなかったのですが、量が5倍だったのです。


そして俺は、実際に眼が眩んできました。

呼吸も苦しくなってきたのです。


俺のその様子を見た由美子看護師は、パニックを起こしたようでした。

そして何を思ったか、俺の上に馬乗りになると、心臓マッサージを始めたのです。


俺はそのまま気を失ったので、その後に起こったことは、直接覚えていません。

目が覚めた時俺は、ICUに入っていました。


結局点滴の針は、例によって由美子看護師が、無理矢理むしり取ったので、過量投与には至らなかったようです。

ただ、彼女の心臓マッサージのおかげで、肋骨が3本折れていたのです。


なにしろ由美子看護師は、身長は180cm、体重は100kgを優に超えている巨漢だったからです。

その彼女が力任せに思い切り押さえつけたので、か細い俺の肋骨など、一溜りもありませんでした。


その後俺は、整形外科病棟に移され、1か月以上寝たきりの状態で過ごしたのです。

寝ている俺の所に、病院長と主治医の吉村医師、それに当事者の由美子看護師が謝罪に現れました。


その時俺は、彼らに懇願したのです。

「1日も早く、退院させて下さい」


多分俺があんな目に会ったのは、楽して給料もらおうと思ったからなんですよね。

なので無事退院してからは、体に気をつけながら、真面目に働いています。


由美子看護師が、その後どうなったかですか?

よく知りませんが、まだあの病院で働いてるんじゃないですかね。

皆さんも、<幸運グッドラック病院>に掛かる時は、くれぐれも注意して下さいね。

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