第三笑 長期病気休暇 その一

俺ですか?

名前は徳山、しがないサラリーマンです。


職種は外資系製薬会社の医薬情報担当者、所謂いわゆるMRやってます。

医薬情報担当者というのは名ばかりの、バリバリ営業職です。


建前としては、医薬品の適正使用情報の、収集と提供なんですけどね。

要はうちの薬使って下さいなんですわ。


外資系の会社っつうのは、ご存じかも知れませんが、やれ成果主義だの、やれ能力主義だのと、結構煩いんですよ。

薬売れないMRは、会社にとってゴミ同然なんです。


という訳で、必死で売上伸ばそうとした結果、体壊しました。

後悔しても後の祭りですがね。


ただ、俺が体壊したのに、上司の課長がビビって、「長期病気休暇とってもいいよ」なんてことを言った時は、正直驚きましたね。

俺のことを心配したというよりは、自分の責任回避の臭い、プンプンだったんですけどね。


うちの会社はノルマきつい分、社員確保のための外面そとづらはよくて、福利厚生が結構充実してるんですよ。


健康保険の<長期病気休暇>制度を使っても、収入の6割くらいしか保証してくれないんですけど、残りの4割を福利厚生プログラムで補填してくれるという、有難い制度があったんです。


おまけに法人医療保険制度まであって、医療費もほぼ全額支給という、そこだけ見れば、天国みたいな会社なんです。


それらの制度をフルに使えば、最大90日間、働かなくても給料全額もらえるんですよ。

使わにゃ損損ですよね。


そう思った俺は、<長期病気休暇>を取って、入院することになりました。

それが俺の話の舞台なんです。


会社が入院先として指定したのは、<幸運グッドラック病院>という、何とも胡散臭い名前の病院でした。

その名前を聞いた時、正直言って、ちょっと嫌な予感がしたんですよね。


――幸運?グッドラック?

――何か聞いたことあるな。


実は俺の会社の同期の沖田って奴が、<グッドラックなんちゃら>という会社と関わって、全財産失くしたっていう、噂を聞いてたんですよね。


――まさかな。

そう思いながら俺は、その病院に入院することになったんです。


病室は4人部屋でした。

先に入ってた3人は、いずれも老人で、結構入院期間が長いようでした。

そして俺が、その先輩方に挨拶し終わった頃に、そいつはやって来たんです。


「徳山さん、こんにちわ。

五右衛門太郎ごえもんたろう由美子でーす」

そいつは若手の看護師でした。


「ご、五右衛門太郎さん、ですか??」

「そうです。本名なんですよ。

でも長いんで、由美子と呼んで下さいね。

この病室担当してますので、よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」

愛嬌のある、明るい雰囲気の娘だったので、最初は好感を持ったんですよ。

最初は…。


「じゃあ、お熱計りましょうね。

この体温計を、脇の下に挟んで下さい」


由美子看護師は、俺にデジタル体温計を渡すと、他の患者に声を掛け、様子を見て回っていました。


熱を測りながら、何気なく周りの入院患者の様子を見ると、何故か彼女を見る目が怯えていたんです。

中には彼女に声を掛けられて、露骨にビクッとする人もいました。


その様子を見た俺は、不思議に思いました。

――何で皆さん、あんなに由美子さんのことを怖がってるんだろう?

――性格良さそうな娘なのに。


由美子さん自体が、その態度を全く気にしてなさそうだったので、俺もあまり気にしないでおこうと思いました。

後から、患者さんたちの不審な態度の理由が、嫌というほど分かったんですけどね。


「徳山さん、熱はなさそうですね。

それでは夕食前に点滴がありますので、3時頃は病室にいるようにして下さいね」


そう言い残して、由美子看護師は病室から出て行きました。

その後病室内に、ホッとした雰囲気が流れたのを、今でも鮮明に覚えてます。


3時になると由美子看護師が、点滴セットを持って病室に戻って来ました。

すると同じ病室の患者さんが、3人揃って出て行ってしまったのです。


俺が不思議に思っていると、点滴バックをホルダーにセットし終えた由美子看護師が、俺に満面の笑みを向けました。

「じゃあ、始めましょうか」


その後が地獄でした。

針が静脈に入らないんです。


理由は明確で、由美子さんが、無茶苦茶下手糞だったんです。

多分同室の3人は、俺が酷い目に会うのを見ていられなくて、そそくさと出て行ったんだと思います。


「すみませーん。次は入ると思いますんで」

十何回目かの、その言葉を聞いた時には、俺の左腕は麻薬中毒患者のようになり、右腕にも既に数か所、針孔が開いていました。


「やったー。入りましたよ、徳山さん」

そう言って彼女が、俺に笑顔を向けた時には、正直ものを言う気力も失くしていたのです。


しかし彼女は、俺の様子を全く気にする素振りもありませんでした。

「それじゃあ、早速点滴始めますね」


そう言って彼女は、何故かクレンメを全開にしたのです。

薬液が俺の体に、勢いよく流れ込んできました。

それに合わせて、俺の意識はどんどん遠のいていったのです。


「ちょっと、由美子。

あんた何してんの!」

「えっ?あっ!ヤバい」


ぶちっ。

「あ、また無理矢理、留置針引き抜いたわね。

もう、血が出てるじゃないの。

点滴駄々洩れだし」


「あ、不味い」

ガシャン。


「ああ、もう、何やってんのよ。

それにあんた、また薬間違えてるじゃないの!

これは別の部屋の患者さんのでしょ!」


「あ、本当だ。

また間違えちゃった。

てへっ」


薄れゆく意識の中で、俺はそんな騒動を耳にしていたんです。

俺の意識が回復したのは、それから2時間余り経った時でした。


「あ、徳山さん。眼が覚めました?

よかったです。

覚めなかったら、どうしようかって、ドキドキしちゃいました」


まだ少し朦朧としている俺の頭上から、由美子看護師の明るい声が降ってきました。

俺は同室の患者さんたちが、彼女を恐れる理由が、漸く理解できたのでした。

しかしその時は、既に手遅れだったのです。

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