第7話 『おめでとう』と絶縁宣言
翌日、レクミラは私の前でさめざめと泣いた。
「あなたが連れて行ったりするからよ」
「そうか? 気に入られてよかったじゃないか」
どうやら彼女は、昨日の偵察行為に関して不満があるらしい。
センネフェルの歳が十四だったのがいけなかったのか。
それとも、見合い相手をこっそり覗くだけのつもりが気付かれてしまい、私が『話をしてこい』と文字通り背中を押したのがいけなかったのか。
まあ、彼女にとって最大の憂いは、少しの雑談を交わしただけでセンネフェルに気に入られ、見合いをすっとばしてその日のうちに婚約を決めさせてしまうほどに完璧な、彼女自身の外面にあるのだろうが。
しかしながら私とて、センネフェルをよく知らずにレクミラを連れて行ったわけではない。
彼とは、神殿で言葉を交わした経験が何度もあったのだ。確かにセンネフェルはまだ、世の中の酸いも甘いも知らない子供だ。けれども、彼の澄んだ瞳とハキハキした受け答えは、素直で聡明な人柄を思わせた。このまま、まっすぐに育てば、気持ちの良い青年になるであろうと。
彼の家族も、明朗な人物ばかりだ。だから私は、きっとレクミラは彼らに温かく迎え入れてもらえるはずだと確信して、彼女の手を引いたのだ。
「彼は良い子だったろう?」
私が問うと、レクミラは渋々ながらも、黙って頷いた。
政略結婚への恐怖が払拭されたようだ。
よかった。これで彼女は、前へ進める。
「おめでとう」
続いて私は、レクミラが何かを言う前に、先手を打つことにした。
「もう、奥庭に来るのはやめたほうがいい。嫁入り前の娘が、弁当片手に男と二人で会っている姿など、もし誰かに見られたら誤解されかねないだろう」
私が諭すなり、レクミラが愕然としたように目を開き、唇をうっすらと開けた。その緑がかった大きな瞳に、みるみる涙がたまってゆく。
けれど彼女は、涙をぐっと飲み込んだ。次いで、拗ねたように口を尖らせ上目遣いに見てくる。
「人聞きの悪いこと。楽しくお喋りしているだけじゃないの」
「よく言ったな、その口が!」
軽口に付き合った。けれどこれで、ふざけるのはお
「レクミラ。貴方は婚約したんだ。破談を招くような行動は賢明じゃない」
そうだ。もう、他人に戻るつもりで距離を置いた方がいい。自分自身も納得させるつもりで、言葉の一つ一つを噛みしめる。
「父親想いの
最後に、出来る限りレクミラを傷つけないよう柔らかい口調を意識して、彼女を遠ざけた。
返答を待つことなく立ち上がり彼女に背を向けると、餌皿の回収もせずに神殿内へと向かう。午後の香は、まだかおってきていない。
「あなた、それで寂しくないの!?」
悲鳴のような問いかけが背中に届いた。つい、立ち止まってしまう。
けれどここで彼女の元に戻ったり言葉を交わしてしまっては、もとのむくあみだと思い、顔半分だけ振り返るに留めておく。
「お元気で」
本当にこれで、終わりにしなければ。もう二度と足は止めない。
「イエンウィア! イエンウィア! ねえ! イエンウィア!」
私の名を繰り返すたびに、彼女の呼びかけが泣き声に変わってゆく。
これが最も賢明な判断だ。そう思いながらも、胸がただれるような不快感を覚えるのは、レクミラを泣かせた事に対し罪悪感を抱いているゆえなのだろうか。
廊下を曲り建物内に入ると、気持ちを一旦落ち着かせるため壁にもたれた。そこで、ずっと呼吸を止めていた事に気付く。
息を吸うと、胸郭が引っかかるようなぎこちない動きをした。呼気も同様に、喉の奥で引っかかる。
ここはもう屋内だ。こうしている間にも、幾人もの同僚が私の前を通り過ぎてゆく。
ここでいつまでも留まっているわけにはいかないと思い、私は歩きながら、普通の呼吸に戻るまで浅い息をゆっくり繰り返した。不調を気取られないよう、冷静な表情を意識しながら。
すれ違いざま、一人の親しい男性神官が『もう仕事に戻るのか』と訊ねてきた。
『ああ』と短く応じようとしたが、それすら喉でつっかえて出てこない。無難な微笑みを繕い、軽く頷く事で彼への返答にした私は、独りになれる場所を探して歩みを進めた。
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