第6話 揺らいだもの。固まったもの。

 再びレクミラが拝謁の間に現れた。

 私の職務は基本、最高司祭の補佐だ。なので、お告げ役に回る事は稀だ。その数少ない機会にレクミラが拝謁の間を利用するのは、プタハ神の気まぐれか、もしくはお導きか。


「父が、縁談を持ってまいりました。お相手は下エジプト宰相様の四男センネフェルだそうです。ですが私には、心に想う方が他におります。この神殿の最高司祭補佐役イエンウィアです。私は今日、イエンウィアに縁談の話を打ち明けた上で、再度求婚するつもりです。もし、イエンウィアが結婚の申し出を断れば、私は宰相の家に嫁ぐしかありません」


 前にも思ったが、実名を出すのはやめて頂きたい。ここにいたのが私でなければ、神殿中の噂になってしまうところだ。

 ……だがしかしそうか。彼女はとうとう、婚約するのか。しかも、ファラオに次ぐ権力の持ち主、宰相の家が相手方とは。


「私は一体どうなるのでしょう。私の未来は、イエンウィアに繋がっているのでしょうか」


 はあ、という途方に暮れた、そして少し疲れたようなため息が、四角い穴を通して聞こえてくる。

 彼女を置き去りにして、現実だけがどんどん先に進んでいるようだ。戸惑いや疲れを覚えるのも、当然だろう。

 ならば私は、レクミラが覚悟を決めて一歩踏み出せるよう、きちんと引導を渡してやるべきなのかもしれない。


「その者は結局、想い人を頭から消し去る事ができなかった。諦める他に道はない」


「へえっ」


 以前と同じ、間の抜けた声がした。やはり、狙ってやって来たわけではなかったらしい。

 なら驚くのも無理はない。私だって驚いたのだから。


「どうぞ。お続け下さい」


 黙ったままのレクミラに、先を促す。


「……で、でも彼は、わたしを大切に思ってくれています。彼があくまでそれを友情と言い張るなら、わたしは構いません。時間はかかるかもしれないけれど、その方への想いは、わたしが断ち切らせてみせます。どんな形でもいい。わたしは、イエンウィアの傍で生きたいのです」


 もう、レクミラの手を取ってもいいんじゃないか。そんな考えが浮かんだ。

 彼女との生活は、きっと穏やかだろう。

 己自身が妬み嫉みにさらされておきながら、才能溢れる後輩を前にすると、ふとした瞬間に嫉妬心が芽生える。そんな自分を嫌悪する時でさえ、彼女の笑顔があれば心安らかに過ごせる気がする。

 彼女なら、こんな私の愚かさを笑い飛ばしてくれそうな気がする。

 これからはあの人の存在を支えにするのではなく、家族と――レクミラと生きてゆく為に力を尽くし、強さに変えればよいのではないか。

 

「ならば、私と――」


「プタハ神様。何かお返事をくださいませ!」


 私の声が小さすぎて聞こえなかったのだろう。痺れを切らしたようにレクミラが被せてきた。


「イエンウィアが想う方を忘れられないから、わたしと結婚できないと言うなら、わたしだって同じではありませんか。彼は許されて、何故わたしにはそれが許されないのです!」


 そうだった。彼女にも役割が、守らねばならないものが、彼女に期待を寄せている人々があるのだ。私はそれを失念していた。


「あなたには家族があり、課せられた役割もある。それを放棄してはならない」


「その役割に振り回されたわたしの母はずっと後悔していました! 母は死ぬ前に言いました。自分が納得した相手と結婚しろと!」


 レクミラが一層大きく声を上げる。


「わたしの母は、実家から見限られたのです。格下の家の父と、結婚したために! けれどそれだって、親が決めた政略結婚だった! 父は母への負い目からか、良家に嫁ぐ事こそが女の幸せなのだと。今でもそればかり口にする!」


 己の中に渦巻く黒い何かを吐き出すような叫び声が、重厚な石の壁に囲まれた薄暗い空間に反響する。

 その余韻が収まる頃、レクミラは弱々しい声で続けた。


「両親は政略結婚の犠牲者よ。私は、ああはなりたくないわ」


「自分の幸せを他人任せにしてはいけない。どんな状況でも、幸福を見出すことはできる。それができるのは自分でしかない。貴方を幸せにできるのは貴方自身だ。そう思わないか?」


「これからを何も想像できない生活に、どう幸福を見い出せというの」


 珍しく、レクミラの声から苛立ちが聞いて取れる。


 しかしなるほどよく分った。レクミラが政略結婚を恐れているのは、相手を知らないからだ。それならば私も、手助けしてやれる。


 私はお告げ役の部屋から出て、その時丁度外にいた神官に代理を頼んだ。廊下を渡ってレクミラがいる拝謁の間の前に回り、扉を開ける。


「では行こうか」

 

 レクミラの手を取り、部屋を出る。


「ど、どこへ?」


「宰相の農地だ。多分センネフェルは、今そこにいるだろう」


 やはり、私がレクミラにしてやれることは、唯一これしかないのだろう。

 私は彼女の手を引き、神殿を出た。

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