第4話 三つの問答
数か月ぶりに、私の想い人が神殿にやってきた。彼女が敬愛し、仕える存在――エジプトの第四王子と共に。
ラムセス二世陛下の自慢の息子である第四王子は、このプタハ大神殿の非常勤神官であり、私は彼の指導係だ。今の時期は、彼の勤務期間にはあたらないが、近くまで来たので私の顔を見に来たのだという。そんな彼らと暫く談笑した後、私は仕事に戻った。
二人はまだ恋人同士ではないが、想い合っているには違いない。いずれ、落ち着くべきところに落ち着くだろう。第四王子は才能も人格も素晴らしいものを持っているから、あの人はきっと、幸せになれるはずだ。
そう遠くない未来に起こるであろうめでた事を思い浮かべながら、残りの仕事を済ませた私は、冷えた残飯を手に、いつもより少し遅れて奥庭へ行った。
レクミラは今日も私を待っていた。
最初でこそ彼女を警戒していた動物達だったが、今ではすっかり、飼いイヌか飼いネコにでもなったかのように、彼女に気を許している。一番体の小さい仔猫などは、彼女が階段に座ると必ず膝によじ登り、腕をひっかいて『胸に抱け』と催促するくらいに懐いている。
その仔猫は、餌を持ってきた私が現れるまで、やはり彼女に抱かれていた。彼女の胸元で気持ちよさそうに目を細めるその子は、グルグルと鳴らす喉を優しく撫でてもらっている。
午後の仕事が始まるまであまり時間は残されていないが、少しは話せるだろう。そう思って残飯を並べ、彼女の隣に腰かける。
そこからまさか、こんな馬鹿げた問答を繰り広げる事になろうとは、想像だにしなかった。
「どうして私じゃ駄目なの!? あの
『わたしといるのは楽しいか』と訊かれたので『はい』と答えたら、いつも通り二言目には結婚しましょう、のレクミラからの求愛が始まった。それに対し私もいつも通り、だから自分には想い人がいるのだ、と再三のお断りをしかけたのだ。すると今日に限って彼女が、癇癪を起こしたようにそう詰問してきた。
レクミラはきっと、私が第四王子らと会っているところを見たのだ。門前で雑談していたのがよくなかったらしい。しかし、何故あの人が私の想い人だと見抜けたのだろう、という疑問が浮かぶ。
続けて、言うにことかいてお断りされた理由が『おっぱい』か? という批判を抱いた。
ふざけているのだろうかとも思ったが、いや、もしかしたら自分の胸に対し劣等感を持っているがゆえの発想なのかもしれないと考え直し、レクミラの胸元に目をやる。
……特に小さくは、ない。
薄い衣の下にある二つの膨らみは、大きすぎず小さ過ぎず。衣の間からのぞいている谷間を作る稜線も、なだらかだがしかし、しっかりとした高さと張りがある。
少なくとも、自ら嫌うほどではないだろう。むしろ、十分に満足していい美しさだと……
そこで、はっと我に返った。慌てて彼女の胸元から目を背ける。そしてこれは絶対、彼女の悪ふざけだと確信した。
「答えはもらえないのかしら?」
レクミラが、じっと私を見据えて詰め寄った。一見表情は真剣だがしかし、これまでの交流で、彼女が企み上手だというのはちゃんと心得ている。おそらく、失恋理由を明らかにしたいという気持ちの一方で、いつものように私を誘う悪戯心もあるのだろう。
私は彼女の肩を掴んで押し返すと、彼女の目の前に指を三本立てた。
「すまない。どれから言及すべきか、判断に困っていた。――では、まず一つ目。あなたが彼女を知っていたとは驚きだった。二つ目。私が胸の大きさで恋愛対象を決めているとでも? 三つ目。ふざけすぎだ」
すると、レクミラも同じように指を三本立ててくる。
「一つ目。あの
嘘だろう。本気で『おっぱい』が敗因だと思っていたのか。
恋愛対象として惹かれる理由なら他にもっとあるだろう。性格だとか、持っている雰囲気だとか、色々。
そう言って
「人並み以下とはいえ、貴方にも恥じらいの気持ちがあったとは喜ばしい事だ」
「見くびらないでちょうだい。わたし、これでも一応、ご近所ではお行儀のいいお嬢様で通っているのよ」
レクミラは尊大に胸を張った。
つまり、彼女は外面が良いというわけか。このふざけたボケっぷりを実際どれほど隠せているのか定かではないが。
「なるほど。それで、その外面が完璧なお嬢様は、ご自分の胸に劣等感を持っているというわけか」
レクミラが明らかにむっとした顔をした。少々、皮肉りすぎたかもしれないと反省しかけたが、レクミラの表情が挑戦的な笑みに変わったことで、しまった、という別の後悔がよぎる。
「ご冗談を。私、おっぱいは自慢なの。
彼女が私の手をむんずと掴んだ。迷わずそれを、左の膨らみに近づける。
私は慌てて、力いっぱい手を振りほどいた。
「んむっ!」
不愉快だと言わんばかりに唸ったレクミラが、頬を膨らませ私を睨む。
「触れるのが嫌なら抱き寄せて差し上げてよ」
今度は私を抱えようと両腕を広げ、じりじりと間合いをつめてくる。若干据わり気味の目が恐ろしい。
「野良ネコ相手じゃあるまいし!」
やはりレクミラは、図太い上に恥じらいがまるでなかった。
食事中だった仔猫が、私の大声に驚いたのかびくりと体を震わせて、まん丸い目で私達を見上げた。
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