第2話 食事を終えるまで

 次の日も、またその次の日も、レクミラは奥庭に現れた。私が動物達に残飯を与える頃合いを見計らって。


 そして今日も、彼女は私を待っていた。残飯待ちのイヌやネコらと戯れながら。


「ごきげんよう。イエンウィア。今日は少し遅かったわね」


「失礼。急用を思い出しました。さようなら」


「まってまって。わたし、今日も朝から何も食べていないの。食べ物をちょうだい!」


「またですか」


 供物を食べる為にわざと食事を抜いてきているのは、明白だ。しかしながら、貴族のお嬢様様が、毎日毎日腹をすかせて供物のお下がりを願うというのは、いかがなものか。

 見たところ栄養は足りているようだから、本当は食事など与える必要はないのかもしれないが……。

 困ったことに、餓死一歩手前でここの最高司祭に拾われた孤児の私としては、その経験ゆえに空服を訴えられると無視できないのだ。そしていわずもがな、レクミラはこの弱みにつけ込んでいる。


「すぐ食べ終わるから、ここにいて下さいな。本当にすぐだから。食べ終わったらお皿をお返ししますわ」


 拳一つ分のパンが乗った皿をレクミラに渡すと、彼女は皿を人質にして私を引き止めた。階段に腰かけ、私にも座るよう自分のすぐ隣を叩いて示すと、あえてちびちびとパンを噛り、ゆっくりゆっくり咀嚼を始める。これも、いつもの事だ。そうやって彼女は、私と話す時間を捻出する。


「ところでイエンウィア、今日のお仕事はどんなだった?」


「お喋りがしたいなら他の神官を呼びましょうか」


「ご冗談を。貴方以外の男性なんて、私にとってはお皿の上の豆粒と一緒よ」


 神官というのは、厳格な規範の元に、神に仕えるファラオの代理だ。神に奉仕する存在として「神の召使」とも呼ばれている。そんな彼らを、豆粒呼ばわりとは。


「あ、笑ったわ」


「え?」


「今、笑ったわよねぇ。ふっ、って。嬉しいわ!」


 レクミラが声を弾ませ、私を覗きこむ。

 そうか。私は笑っていたのか。自覚はなかったが。


「呆れ笑いですよ」


「だけど笑顔は笑顔だもの」


 私に顔を寄せて満足げに目を細めたレクミラは、またパンを一口、小さく噛る。


「明日からは皿に乗せず、そのままお渡ししましょうか」


「意地悪ね。じゃあいいわ。食べ終わるまでわたしに腕を抱えられたままで構わないなら、そうなさったら?」


 あてこすりは認めるが、まさか脅しで返されるとは思わなかった。


 午後の儀式が始まり、こうが焚かれる頃には、私は仕事に戻らなければならない。しかし彼女はそれすらも承知しているようで、香のかおりが漂いはじめると、狙ったようにパンの残りを口に押し込み、ごくりと飲み込んだ。


「ごちそうさまでした」


 人質になっていた皿が返ってくる。

 明日はこの皿に、ひよこ豆一粒を乗せて与えてやろうか、という別の意地悪がふとよぎった。そうしたら、彼女はどうやって時間を稼ごうとするだろうかと。

 あれこれ目論んでいると、すっと立ち上がったレクミラが、私に微笑みかけてくる。


「ねえ、イエンウィア。わたし、あなたが大好きよ。綺麗に伸びた背すじも、静かで落ち着いた物腰も、それからもちろん、笑った顔も。あとは、真面目で誠実なところもね。だからわたしから逃げないで。明日も、それから明後日もよ」


 レクミラは眩しい笑顔でそう告げると、ぱっと身をひるがえして階段の残り二段を飛び下りた。


「じゃあまた明日ね」


 髪をなびかせ、軽やかに走ってゆく。毎日のことながら、去り方は実に潔い。


 屈託のない表情。率直な物言い。自信に満ち溢れた行動。


 全てが私とは正反対だ。だからといって、レクミラを羨んでいるわけじゃない。


 すっかり餌をたいらげた野良イヌの一匹が、私を見上げワンと鳴く。

 レクミラを受け入れてやれ、と言われているような気がした。

 彼女を嫌ってはいない。むしろ彼女の一種清々しいとも言える行動には、好感すら抱きはじめている。しかし……。


「無理なんだよ。私には」


 理由は幾つかある。それをそう遠くない未来、私は彼女に打ち明けなければならないのだろう。


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