第2話 来々来世

 

 

 人を斬る この行為は残虐非道。故からかあまり出来るものではない。

 

 それは良心の問題ではない。血、そして刃こぼれが原因である。故に物語に出るような千人斬りなどというのは、カッコいい空想だとされている。


 しかし、稀にいるのだ。そういうカッコいい空想を敵う者たちが。


 だから世間を騒がせ、あまりに凶悪だから。山の中で生き絶え、その歴史は闇の中に葬られる。


 闇の中を生きた者は、地獄に堕ちる。

 あるいは来世はロクな生を味わうことはないとされている。それがたとえ人間でも、あまり恵まれた育ち方をしない。


 この考えは、最近、人々の間に流行っている。自分たちがこうも恵まれないのは、前世が悪かったからだと。しかし、本当に前世が悪かった者は、それを言う気力さえ湧かない。


 この男 《葛野 零人》も同じであった。








 

 俺は倹約するのが趣味だった。いや、正確に言うなら給料日に通帳を見て、どれくらい金が入っているか見るのが趣味だった。


 たいして入ってないちっぽけな金額。

 だけどその金額は俺にとっては命だった。

 なんとなくこれが今の俺の価値なのかと思っていたからだ。


 三百五十万、およそ十年間、職を変えながら過ごして貯めた金額。少ないと思う人もいるかもしれない。だけどこの金額が自分の価値なら、俺はまだ生きていいのではないか、なんて思っていたんだ。


 九万五千円、これは現在の金額。あの頃に比べ露に等しいほど少なくなった。

 甘かった。職を失い何も仕事をしないで過ごしていると、一年半年でこれほど金が無くなるなんて思わなかった。


 初めは我慢していたが、その内、家賃や電気水道代や携帯代と健康保険、年金保険だけでこんなに金がかかるのを知り、倹約しているのがバカバカしくなった。


 だから食費、そして久しぶりにゲームやその類いの物を買い、多くの金を使った。


 爽快だった。金を使うことがこんなに楽しいことだったことを、大人になってから知るなんて、あまりに奇怪で空想じみているが、これは本当の話だ。


 昔から子どもの頃からお小遣いやお年玉はもらえなかった。唯一、お年玉は中学に入った時にもらえるようになったが、他の家庭に比べると少ない。


 そして高校から給食という概念が無くなったことで、親が千円を昼代に渡した。


 俺はそれを使わず大事にとっていた。

 俺みたいな奴は、将来ロクな職業につかないことが分かっていた。そして常日頃、父親の愚痴から仕事というのは楽しさを見出すものじゃないと分かっていた。


 直接そう言われもした。


 だからせめてこの昼代を目先の昼食に使わずにとっておいた。貯金で金が貯まる。それが何よりも嬉しかった。


 だけど、俺みたいな奴というのは、普通はいない。そのことを俺は分かっていなかった。


 みんななるべく金を使いたくないと思っていると錯覚していた。だから俺はケチ、などと言われた。


 あと、授業で将来の夢などの話になれば、何もないと先生から指導されることになった。


 目標なく大学に行くことは危険だと何度も言われたが、俺はどうしても見つけられなかった。


 これは後に知ったが、そもそも中学時点で親が仕事なんて楽しくないし、楽しさを見出すものじゃない。楽しくないのが仕事だと言う家庭は普通ではなかった。


 俺はみんな普通に言われているものだと思ってたから、他の人に、親の話題でそう言われたことを伝えるとみな一様にしてこう言った。


『そんなこと言われたことない』


 そんな台詞を聞いた時は、口から胃が出るほど驚いた。

 

 俺には金に対する執着しかなかった。金を得て何をしたいかなんて考えたことがなかった。だから金を使う喜びがわからなかった。


 金を使って何かを買ったことが無かったからな。


 そんな俺だから金を使い始めたら、湯水の如く使い始めた。それで今は九万五千円だ。


 ロクに金を使ったことが無い人間が、使い始めると破滅の未来しかないことがよく分かった。いい勉強になった……もう少し早く学びたかった。


 ここも今月が精一杯。後は追い出されるなりして、路頭に迷い、住む場所が無いから雨とか雪とか降って、風邪ひいてそのまま誰にも看取られず死亡。


 そんなとこだろうな、俺の最期なんて。


「俺って、何だったんだろうな……」


 いや、考えたってくだらねえ。そんなの考えない方が良い、考える必要がない。



 カラッ




 ふと、窓が乾いた音を立てて開いた気がした。こんなボロボロのアパートだ。窓が開くことなんて珍しくない…………。


 だから唖然とした……その光景を見て。


 窓の外からメイド服の女がいる。いや、女なのかそもそも長身で背丈は高いけど、胸はあまり……。


「いや、幻覚か」


 思わず声が出てしまったよ。そりゃそうだ。これは現実じゃない、俺の幻覚かなんかだ。そうじゃなきゃこんな女が窓から入ってくるわけがない。


 とうとう俺も終わったか。こんな幻覚さえ見るようになるなんて。それにさっきからこの女が喋らないのが幻覚のなによりも証拠だ。


 じーっと仏頂面で顔色ひとつ変えずに、こっちを見るだけなのだから。口も動かさない顔は、まるで人形のようだ。


「冥土の土産にメイドの妄想か……ハッ、笑えねえな」


「はい、全く笑えない冗談です」


 ……あ? 今、こいつ喋ったか? 口を開いて、笑えない冗談だと言ったのか?


「はじめまして葛野 零人。私はナフタと云います。よろしくお願いします」


 そう言うとその女は、両手を膝の上に置き、目をつぶり丁寧にお辞儀をした。

 

 ……何だこいつは、これは幻覚じゃないのか? 本当にメイドの女がいるのか?


「零人さまは、今から私のご主人様です。どうぞ、なんなりと」


 いや、なんなりとなんて言われてもなぁ。


 こいつ、何しに来たか全く分からないし、まだ俺の幻覚の疑惑もあるんだよなぁ。


「零人さま」


 その時、そのナフタとかいう女? は声をかけてきた。


「な、なんだよ」


「零人様の部屋にはテレビがありませんが、何か事情があるのでしょうか」


 ああ、なんだそんなことか。まあ、今の時代テレビを見ない奴とかは多いから、別に変じゃない思っていたが、やっぱり普通はあるものなのだろう。


「まあ、電気代とか色々と金がかかるからさ、ちょっと節約中なんだよ」


「なるほど、ではテレビはできるなら使いたいと思っている、と解釈してよろしいでしょうか」


「お、おお」


 何気に高圧的だな。


「かしこまりました」

 

 ん? かしこまりました? なんでその言葉が出てきたんだ? そんなことを思っていると、そいつは徐にテレビが置いていてもおかしくない。戸棚の上に手を置いた。


「テレビを出します」


 は? てれびをだす?


 混乱していると、そいつは、そっぽを向いてなんか赤いテーブルクロスみたいなのを戸棚に広げた。


 え? マジ? まさかテーブルクロスを外したらテレビがある。そんなマジックみたいなことするのか?


 そう思った時、衣擦れの音がした。


「は!?」


 思わず声が出る。だって音からして絶対これ脱いでるだろ。なんか身体が肩の部分がよそよそしく動いているし。これもしかしてなんかの番組のドッキリ?


「できました」


「は!?」


 そいつが身体をよけ見えるようになった戸棚の上には、なんと薄型テレビがあった。

 

 俺は電化製品には疎いからこれがどれだけの性能なの分からないが、コンパクトだが画面が綺麗だ。たまに展示されてるデカいテレビの画面と変わらないように見える。


 さっき敷かれてたテーブルクロスはどこに行ったのかと思ったが、よく見ると下に敷かれていた。


「これでいつでも手軽に情報を得ることはできますね」


 言うと同時にテーブルクロスを取った。

 何のために使ったのか少し謎だったが、それよりもっと謎なのはそいつ自身だ。


「まてよ、さっきからなんか勝手に話進ませてるけど、お前は何者なんだよ」


「ナフタでございます」


「いやそう言うこと聞いてるんじゃねえよ」


「……無敵の人担当業務の天使です」


「いやそういうことじゃ……なんだって?」

 

 今とんでもない単語が飛び出してきたぞ。


 混乱していると、何を勘違いしたのかそいつは自分の胸の前に両手を添えて、再び口を開いた。


「私は前世で残虐非道な行為をした故に、絶妙に恵まれない飼い殺しの環境の生の運命を背負い、無敵の人になる危険性がある人専門の天使ということです」


「何だよ……それ……」


「よろしいでしょうか」


「……いや……意味わかんねえよ」


 それしか言葉が出なかった。


 

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