2話 規格外

 振り返ると、そこには夢の中のように丘はもうミナの目の前に聳え立っている。遠くから見ると緩やかな盛り上がりの様に見えたその丘は、今日はやけに高く、国の裏の脱出ルートを倒れた木が通せんぼしている有様だった。


 

 ミナはその木をなんとか跨って潜り抜けると、後ろから徐々に悲鳴の群が近づくのを感じていた。その道は確かに安全だった。それはこの丘が普段市民達の通らない険しい道だったからであった。しかし後ろや下からは絶えず悲痛な叫び声が聞こえ続ける。

「来ないで!どうか、命だけは……!」

「うわぁぁぁぁあ!」

「どこにいるの!お母さん!!」

 ミナはあまりの怖さに頭がフリーズしてその場に座り込んでしまった。息が上がっている。そこまで走ってないのに!


 

 ――逃げなければ、私はどうなるんだろう。あの悲しそうな群れに飲み込まれるのかな。いつもお兄ちゃんの行く場所はみんな楽しいはずなのに、今日のお兄ちゃんはなんだか様子がおかしい。

 ――疲れた、もう、走りたくないよ。


 

 ミナが弱気に鬱蒼とした茂みに座り込むと、後ろから低く、殺意の混じったような声が聞こえた。



 

「殺しまくりやがって……」



 

 その声の正体は戦場を転々としていた少佐らしき人物であった。その人影は、ミナと目が合い、座り込んで怯えているミナへ、徐々に近づいてくるのを感じた。


 

「おっと、君は、ここから脱出しようとしてるのかい?でもそれなら捕まったとき、きっと碌な目に遭わないだろうねぇ。」


 

 ミナの中であまりに重たいを恐怖と言葉を重ねても言葉にならないような強烈な焦燥が、頭の中でぎりぎりと軋みまわり、その場で後退りして逃げようと試みるものの、やがて逃げられないと悟る。


 

「だからさ。碌な目に遭うのをみるのは俺的にも心が痛むわけさ。大丈夫、怖がることはない。もう怖がらなくて済むように楽にしてあげるから!」


 

 体の熱を瞬間的に奪われているかのような悪寒がミナの背中を走る。笑顔にここまでの恐怖を感じたのは、生まれて初めてだった。

 それでもミナは全力で丘を駆け上がり、やがて茂みに隠れようとするが、その少佐は武器を構えたままそのままじわじわと近づいて来ていた。

 ――なんでそんな顔で見るの……?来ないで!


 

「そこまでだ、外道!」


 その声の主こそ、ミナの兄、アルトイェルマンであった。

 その姿に、ミナは口を押さえながらも堰き止められぬ溢れる安堵と感謝の念で涙が込み上げる。

 若く冷たく少佐を凝視したアルトのその目には、多くの戦場を生き抜いた不変の鋭さがあった。

 

「なんだ、ただのガキじゃねえか!」

「なんだ、たかが少佐か。」

 

 アルトは剣を抜くと、そう少佐を煽った。

 

「このクソ生意気なガキが!」

 

 少佐はそう吐き捨てると、アルトに向かって突進していく。

 ――アルトは静かに目を瞑りながらすぐさま後ろを向き、少佐が振り回した剣を全て払いのけ、ついには少佐の持つ刀の刃を削り落とす。

 

「クソッ!調子に乗るなッ!」

 

 その後も少佐の攻撃は続いたが、彼はかわすことなく全て受け流しながら剣の刃元に神経を集中させている。

 しばらくするとアルトの体からは何やら半透明な青い粒子状のものが現れ始めた。

 

「聖なる魂よ、我の剣の元、破の力を赦したまえ」


 アルトはそう言ってゆっくりと息を吐くと、再び剣に力を入れ始めた。青い粒子はやがてアルトに集まると、やがてアルトは目を開く。

 

「破の力……お前、まさかその力……愚かな!」

 

 少佐はこの力の正体を知っているようだった。先程までの余裕が消え、狼狽えているといった様子だった。


 

「大切な人が近くにいるんでね。悪いけど、今回は本気で潰させてもらうよ。」


 アルトはそう言いながら剣に両手をかけると思いっきりそれを振り上げた。ミナにとってその姿はただただ勇敢で、彼女の中の憧れの戦士の理想そのものだった。

 

「俺はレイデア国ニ軍大佐、アルト・イェルマンだ。最初に死にたいやつは俺にかかってくるがいい!」


 アルトの出陣は久しぶりであったが、その威勢と研ぎ澄まされた戦場を見る目は今も変わらずであった。

 少佐はニヤリとしながらアルトを見ると、勢いよく武器を握り直した。そして近くの兵士から借りた大剣を両手で振り回さながらアルトに猛スピードで突進していった。


 

「ヴァルカラ国少佐、グリル・レアンズ。」


 

 少佐はアルトに向かって突撃し、大剣と青みがかったアルトの剣がぶつかり鈍い音を立てる。

 その青い粒子は少しずつ大剣の刃を溶かし、みるみる小さくなっていく。

 ――なっ‼︎噂には聞いていたが…………こんなのどうやって勝てば!


 

 少佐は咄嗟に隠し持っていた二つ目の短剣をアルトヘ刺そうとしたが、アルトは持っていた剣をそのまま下へ振り下ろして短剣を地面ヘ落とすと、丘の上の茂みに隠れたミナを見つけ、軽くウィンクをした。

 アルトを包んだ青い粒子はやがて青い針となって少佐に降り注ぐ。少佐はその全てを避けようと交わしたが、時すでに遅し。青い針が数本少佐の体にめり込み、少佐の体を蝕み始めた。


 

「ゔくっ……!」


 

 その針は何でできているのだろうか。少佐の体は針の刺さった所から徐々に蒸発、消えていく…

 ――グリル・レアンズ、戦死。


 

「今だ!行けーーーーーーーーーー!!」


 

 その言葉はミナに向かって発せられたものだった。

 美しい兄の戦場の姿を背に、ミナはついに丘を越えると決意した。

 ――ごめん、ミナ。あの時の約束はまだ果たせそうにない。でも俺は、兄として、最後までミナを守り切るから!

 アルトは静かにため息をつくと、再び戦場服をはらりと翻して戦場の敵兵達を睨んでいた。


 

「さて、次は……」


 

 アルトは剣を握る手を震わせながら、顔をほぼ動かさずに後ろの兵士達を睨む。

 その声は低く、”規格外の強さ”で戦場の雰囲気を支配した存在は、その場の全ての兵士を戦慄させていた。

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